5-8 帰りたい猫と帰ってきて欲しい従者
「邪魔をするな!」
眼の前に立ちふさがる生悟に対して透子が怒りの咆哮をあげる。感情のままに振り回された薙刀を避けきれず、生悟の体から鮮血が散った。
「私を見下すし、バカにする! その目が嫌いだ! 赤も金色も大嫌いだ!」
透子は叫ぶと薙刀の切っ先を生悟の目へ向けた。普通には避けられないと思ったのか、生悟は瞬きの間に翼を生やし宙へと逃げる。翼と同時に変化させた鋭い鉤爪で透子の肩を掴んだが、透子は突き刺さる鉤爪に怯むこともなく生悟の足を掴んで地面に叩きつけた。
朝陽の霊矢が透子の急所を狙う。透子は鬱陶しそうに霊矢を払い除け、その間に体勢を立て直した生悟は透子から距離を取った。
歴戦の組らしい連携の取れた動きに透子の顔が歪む。すべてが気に食わないとばかりに奥歯を噛み締め、それに合わせて瘴気が立ち上る。殴ったことで薄れた瘴気が一瞬で回復したことに久遠は焦った。
「いいよな! お前たちは本物で! 偽物なのに、望まれていないのに、逃げることも許されない私とは違って!」
透子の叫びに呼応するようにケガレたちが奇声を発した。バラバラに動いていたケガレたちが隣にいるケガレとくっつき、体がどんどん膨れあがっていく。
「成長が早すぎる!」
「透子様!! 落ち着いてください!」
悲鳴じみた鷹文の声と誠の悲痛な叫びが聞こえた。透子は一瞬動きを止めたものの、憎悪のこもった目で生悟、そして久遠を睨みつける。
その間にもケガレたちは成長する。慌てて四郎や雀たちが攻撃するが数が多すぎる。手が届かないところでケガレはさらにくっつき、手足が伸び、目のようなものが出来上がった。
成長にはいくつかのパターンがあった。口が巨大化しワニのように胴体が伸びたもの。犬のように四足歩行になったもの。手が発達し、二足歩行になったものと、その進化は目まぐるしい。
ルリがケガレは成長する前に叩き潰さなければいけないと言った意味がわかった。成長すればするほど、ケガレは手がつけられなくなる。
「キライ、キライ」
「ツライ、クルシイ」
「本物ガ憎イ」
ケガレたちが一斉に喋りだす。カタコトの言葉には何の感情も乗っていない。それでも久遠にはわかった。これは透子の心の声だ。
「偽物ハ要ラナイ」
ケガレの声に後押しされるように透子が久遠に向かって走り出す。ルリが影を操って透子から距離をとり、四郎が操る三体とルリが操る四体の影犬が透子に飛びかかる。噛みつかれようと透子は止まることなく、影を容赦なく切り捨てる。
透子が影の犬に時間を取られている間に体勢を整えた生悟が透子に斬りかかり、朝陽が足元を狙いを定めて霊矢を放つ。
久遠に近づかせまいと奮闘する先輩たちの姿に久遠は泣きそうになった。
けれど、感情に左右されている場合じゃない。
成長したケガレたちも透子の怒りに連動して動き出す。ただ目の前の獲物を攻撃するだけだったケガレが疲労故に動きの鈍った鷹文と雀たちに狙いを定めた。
複数で囲むように襲いかかる様子を見て、慌てて四郎が透子に切り裂かれた影犬を復活させる。鷹文たちの援護に回るが、ケガレの力も上がっているらしく、あっさりとふっとばされた。
「ルリさん! 鷹文さんたちの加勢に行かないと!」
「今の状況で近づいて、あんたがやられたらおしまいでしょ! 透子の弱点、まだ見えないのよね!」
生悟と切り合いを続ける透子を見るが、瘴気がまとわりついてよく見えない。攻撃は生悟と朝陽に任せるしかない現状が悔しくて、情けなくて仕方ない。
「大丈夫です! 久遠様なら私が護ります!」
この状況にはそぐわない力強い声が後ろから聞こえた。ずっと久遠が落ちないように支えてくれていた守の声だ。
振り返れば「猫守」と書かれた布が見える。最初は珍妙だと思ったそれが、今はとても頼もしく見えた。
「くっついて力は増したようですが、おかげで数は減りました。協力すれば倒せない数ではありません。透子様の方はいま見えなくとも、ケガレたちの弱点なら見えますよね」
久遠ならできる。そう守は疑いなく信じてくれている。その想いが伝わってくるからこそ久遠は応えたいと思った。
顔を覆った面を放り投げ、金の瞳を見開く。守とルリの驚いた様子が伝わってきたが無視した。見なければいけない。生きてみんなで帰るために。
「犬型は頭! 人形は腹! ワニ型は尻尾!」
鷹文たちにも聞こえるように大声で叫ぶ。意図を汲んだ四郎の影犬が犬型ケガレの頭に噛みつき、勢いに任せて引きちぎった。引きちぎられた頭から断末魔の叫びがあがると同時に体が崩れる。
それを見た他の者たちも久遠の指示に従って、それぞれの部位を攻撃する。
「久遠様さすがです!」
「これが金眼……」
状況も忘れて浮かれる守と違いルリは呆けた顔で久遠をじっと見つめて、それから口角をあげる。
「希望が見えてきたわ! 絶対みんなで無事に帰りましょうね!」
「今まで見えてなかったんですか!?」
「私はリアリストだから、自分の目で見たものしか信じないわ」
そういいながらルリは巨大な影犬でワニ型のケガレの尻尾を踏み潰し、犬型のケガレの頭を噛み砕いて飲み込む。残りの四匹は人型に飛びかかり、四匹で押さえつけて腹を噛みちぎった。
「守が言う通り、くっついてくれたおかげで数は減った! さっさと始末しましょう! 徹夜はお肌に悪いのよ!」
そういいながらルリは今まで以上に荒々しく影を操った。今までは久遠が振り落とされないように配慮してくれていたのだろうが、やめたらしい。久遠の守人を信頼して。
「援軍、到着しました!」
その声と共に辺り一面が青い炎で包まれる。残っていたケガレが悲鳴をあげ、のたうち回るが炎の勢いは止まらない。
木も草も人も焼かず、ケガレだけを焼き尽くす青い炎。そのあまりの美しさに久遠は状況を忘れてしばし見とれた。
炎の向こうに狐面をつけた狐狩と布を付けた狐守が見える。揺らめく炎でハッキリ姿が見えたくともそれが桜子であると久遠にはわかった。
「鷹文、雀組、誠は限界よ! 保護して!」
ルリの指示をきいた桜子たちがふらふらの状態で戦っていた鷹文たちに駆け寄り、結界をはった。霊術に関しては素人の久遠でも鷹文たちが張っていたものよりも強固な結界であるとわかる。それを一瞬で張り終えた二人は結界の中で気絶するように倒れた鷹文たちを地面に横たえる。
「鷹文さんたちは私達が見ます。久遠さんたちは透子さんを」
結界越しに桜子と目があう。こんな状況なのに目が合うだけで胸が高鳴り、気力が腹の底から湧いてくるような気がした。番を護らなければという獣の本能だと思うと気恥ずかしさを覚えるが、今はそれも心強い。
「蛇縫、到着しました! 援護します!」
つづいて美姫とリリアが戦場に現れる。増援に透子と切り合いを続けていた生悟が怒鳴った。
「透子を止めろ!」
その言葉だけで状況を理解した美姫とリリアは生悟と透子を挟むように移動する。そして地面に手を置き、蛇縫に伝わる霊術、影縫を発動した。
地面から霊力の影が伸びる。勢いよく伸びた影は一瞬で透子の足を絡め取り、その場に縛り付ける。足を取られて体勢を崩した透子に生悟が殴りかかる。強打を受け体が揺れた透子だったが、すぐに体勢を整えると足に絡みついた影を薙刀で切り裂いた。
「そんなに私が嫌いか! そんなに私はいらないか!」
生悟たちから距離を取りながら透子は叫んだ。ケガレに取り憑かれても変わらない黄色の目が見開かれる。それは今にも泣き出しそうに歪んでいるのに、一滴の涙も透子の目からはこぼれない。それが余計に久遠には悲しく思えた。
「みんな金眼が欲しかったんだ! 黄色なんていらなかった! 私は要らない!」
「そんなわけないでしょう!」
空気を切り裂くような怒声。その声に透子が動きを止めた。
「透子ちゃんが要らないわけないでしょう!」
震える足で、今にも倒れそうな状況で叫んでいるのは誠だった。ケガレとの戦いで狩装束は破れ、顔を覆う布も役目を果たしていない。手足からは至るところから血が流れていた。
桜子と薫子が寝かせようと引っ張るがそれでも誠は止まらず、自分を護るために張られた結界が邪魔とばかりに力強く叩く。
「私は透子ちゃんが好きだから守人になったの! 護りたかったから! 笑ってほしかったから! 私にとってかわいい妹だから! 目の色なんて関係ない! 黄色だっていい! 私は透子ちゃんが生きてくれるならそれでいい!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない!」
透子の悲鳴のような否定を誠はすぐさま切り捨てた。
透子は揺れているように見えた。信じたい。けれど信じられない。グラグラと揺れる心を映し出すように数歩後ずさる。そんな透子に向かってケガレが鳴いた。信じるな。騙されるなとケガレの誘惑が強くなる。
「透子ちゃん! ケガレに飲まれないで! 私を信じて!」
立ってるのもやっとの状態で誠が叫ぶ。
「自分の守人にそこまで言わせて、応えないなんて狩人失格だ!」
そう言いながら透子を殴り飛ばしたのは生悟だった。渾身の一撃で透子にまとわりついていた瘴気が飛び散る。透子は奥歯を噛み締めて臨戦体勢を取るが、「透子ちゃん!」という誠の声が聞こえるたびに体が不自然に止まる。
それは透子の心がケガレにあらがっているように思えた。
「美姫、リリア! 透子を捕まえろ!」
「はい!」
生悟の指示に応えて美姫とリリアが再び影縫を発動する。先程よりも強固に足にまとまりついた影に透子は舌打ちした。先程と同じく薙刀で切り裂こうとしたところを透子の足元から伸びた影が邪魔をする。予想外の攻撃に透子は目を見開いた。
「影縫応用。最近使えるようになったから、透子は知らなかったよな」
生悟がニヤリと笑う。
影縫は美姫とリリアがやっているように地面に手をつけ、霊力を伸ばすことで発動する技だ。地面を這うことにより霊力の消費を減らして、広範囲を索敵し、見つけたケガレを足止めすることができる。
生悟の応用は地面に手を付けることなく、狙った場所に影を発生させ、立体的に動かすことができる。ただし、霊力操作が難しいうえ耐久値は影縫に比べると低く、本気で拘束対象に暴れられると持たない可能性があると久遠は聞いていた。
だから生悟は美姫とリリアにも協力してもらい強度を上げたのだろう。
「主人に信じてもらえない守人ほど悲しいものはないんですよ、透子様!」
そう叫びながら朝陽は透子に飛びかかり、霊矢を三発背中に食らわせると、最後のおまけとばかりにボウガンでその体をぶん殴る。いくら強化されているとはいえ、流石に応えたらしく透子は足を折った。
今だと久遠が思った瞬間、体が持ち上がる。驚いて顔を上げれば、守が久遠の体を抱えあげて宙を待っていた。霊力で足場を作り、ドンドン透子の元へと近づいていく。
話さなくても守には久遠のやりたいことが伝わっている気がした。だから久遠は信頼する。おもちゃのナイフを取り出しそこに霊力をためることだけに意識を向ける。
久遠が近づいてきたことに気付いた透子が牙を剥く。人間とは思えない怒りの声をあげるが、それを遮るように誠が叫んだ。
「帰ってきて! 透子ちゃん!」
透子の意識が誠にそれる。影縫によって縛り付けられ、身動きの取りにくい体のまま、なんとか誠の方へ手を伸ばそうとしたように見えた。
助けてと声にならない悲鳴が聞こえる。だから久遠は自分の意思で守の手を離れて飛び降りた。
守は透子の真上まで久遠を運んでくれた。生悟たちが透子を押さえつけている。残ったケガレはルリたちが、怪我人は桜子たちが見てくれている。
久遠は無傷だ。皆が護ってくれたから。だから応えなければいけない。みんなで一緒に帰るために。
空中でくるりと回転し体勢を整える。はっきり見えるようになった弱点に向かっておもちゃのナイフの切っ先を向ける。落下の勢いを乗せ、久遠は透子の体におもちゃのナイフを突き立てた。
引っ込むようになっているおもちゃのナイフで人が切れるはずがない。それでも何かを切り裂く感覚がした。初めてケガレを切りつけたときと同じようにゾワゾワとした気持ち悪い感覚が這い上がってくる。
あのときよりもずっと気持ち悪い。ナイフを押し返そうと透子の中のケガレが暴れている。地面に押し倒された透子も声にならない悲鳴を上げながら、必死にナイフを抜こうともがいていた。だが、それに負けるわけにはいかない。
久遠はすべての力を込めてナイフを押し込む。暴れる透子を生悟たちの術が押さえつける気配がした。
「透子ちゃん!!」
誠の声に透子の目が見開かれた。誠の方へと向かって目が動き、助けを求めるように手が伸びる。
その姿は帰りたいと泣いていた。
「帰りましょう。透子さん」
最後の力を振り絞ってナイフを押し込む。何かが切れた感覚の後、透子の体から急に力が抜けた。
終わった。そう思った瞬間、体から必要な何かがなくなってしまったような疲労感を感じ、頭が揺れる。「久遠様!?」と叫ぶ守の声が聞こえた気がしたが、久遠の目の前はいつのまにか真っ暗になっていた。
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