5-7 妄執の猫と殺意の猫

 五家がケガレの対応に追われているなか、猫ノ目本邸は静まり返っていた。子供など、狩りに出られない者は二重に結界が貼られた場所へ移動しており、動ける者はケガレへの対処のため奮闘している。時折、慌ただしく屋敷内を走る足音が聞こえるほか、本邸は不気味なほど静かだった。


 そんな本邸の廊下を歩く男がいた。危機的状況とは思えないほど落ち着いた表情。人が寝静まる深夜よりも昼間のビジネス街の方が似合いそうなスーツに身を包んだ男は、物音を立てずに廊下を進む。

 本邸の中央に位置する儀式の間に足を踏み入れると、床の間に飾ってあった掛け軸をめくりあげた。


 そこには隠し扉が存在した。五家の人間ならば存在は知っているものの、おいそれと立ち入ることのない場所。各家の御神体が奉納されている、地下への入り口だ。


 男は迷うことなく隠し扉を開くと、ポケットに入れていた懐中電灯をつけた。石造りの地下は冷たく、男の来訪を拒絶しているようにも思えた。それでも男は階段を降り、地下へと下っていく。


 階段を降りると広い空間が現れた。懐中電灯でかざすと赤い鳥居と祠が見える。祠には花にお供物の酒や果物が置かれており、殺風景な地下とは思えないほど手入れが行き届いていた。


 男は無言のまま祠へ歩み寄る。男を取り囲む空気が一層冷たくなった気がしたが、男は足を止めることはなかった。鳥居をくぐり、祠の戸に手を伸ばそうとしたとき、


「そこまでだ!」


 男の体は気づけば冷たい地面に押し付けられていた。男の手から離れた懐中電灯がカラン、カランと音を立てて転がっていく。何もない石造りの壁を照らした懐中電灯を何者かが拾い上げた。


「まさか本当に、十兵衛……なんでお前が」


 そういって男――十兵衛を懐中電灯で照らしたのは猫ノ目家当主、猫ノ目誠治郎。その後ろに控えている道永を視界に入れ、十兵衛は己を押さえつけているのが要であると悟った。


「なぜだと? お前が何もしないからだろう。誠治郎。猫狩様が生まれないことを嘆くばかりで、具体的な対策は何もしない。このままでは確実に猫ノ目は滅ぶ。わかっていてなぜ行動しない!」

「猫ノ目の未来を憂いた結果がこの騒ぎだというのか!? 関係ない一般人を巻き込んで、透子様や久遠様を危険にさらす愚かな行為だと!?」


 誠治郎の怒声が狭い空間に反響する。十兵衛を押さえつける要の力が強くなる。それでも十兵衛は獰猛に笑ってみせた。


「改革には犠牲がつきものだ! 何も失わずして得られるはずがないだろう! 透子様も久遠様も猫ノ目を護るために生を受けたお方。きっと納得してくださる」

「何を勝手なことを! そこまでして御神体を手に入れて、お前は一体何をするつもりだ!」

「決まっているだろう! 猫ノ目の再興だ!」


 誠治郎は息を飲み固まった。道永と要も唖然と十兵衛を見つめているが、十兵衛は三人の顔など目に入っていないかのように高らかに話続ける。


「御神体を揃えれば願いが叶う! そうすれば猫ノ目は復活する! 楔姫様が必ずや叶えてくださる! 猫ノ目を死にかけの老猫などと侮辱するものはいなくなるのだ! 猫ノ目こそが五家を引っ張る英雄となる! 楔姫様は慈悲深いお方だ。きっと透子様と久遠様も生き返らせてくださる!」

「お前……正気か?」


 震える誠治郎の声に十兵衛は訝しげな視線を向けた。何をいっているかわからないという顔を見て、誠治郎は悟ってしまう。十兵衛は正気ではない。


「牢に閉じ込めろ」


 当主の命に迷わず要は十兵衛を気絶させた。そのまま隠し持っていたロープで手足を縛り、十兵衛を担ぎ上げる。

 夜の狩りに慣れた者たちは夜目がきく。懐中電灯がなくともしっかりした足取りで階段を登っていく要の足音を聞きながら、誠治郎は奥歯を噛み締めた。


「当主……」

「……今は事態を解決するのが先だ」


 感情を押し殺した声が漏れる。誠治郎の頭には幼い頃、自分と同じように狩人に憧れた十兵衛の姿が浮かんでいた。才能の有無で道は違えたが、十兵衛は狩人たちが十分に戦えるようにと金銭面で猫ノ目を支えてきた。そこには幼い頃に感じた猫狩へのあこがれが存在し続けている。そう誠治郎は思っていたのだ。


「なんで気づかなかったんだ……」


 誠治郎は十兵衛が押さえつけられていた地面を睨みつけ、しばしその場から動くことが出来なかった。



※※※



 キィンと刃物がぶつかり合うような甲高い音がする。久遠の視界を覆うのは大きな翼。切りかかってきた透子の刃を生悟が受け止めてくれたと気づいたときには、ルリの操る影が生悟に背を向ける。

 乗っている久遠にお構いなしの旋回に、久遠は振り落とされないよう必死にしがみつく。その体勢のまま後ろを振り返れば、生悟は霊術で創り上げた青い刀で、透子は霊具によって生み出された黒い薙刀で戦っている。

 刃物がぶつかるたびにキンキンと甲高い音がなる。リーチ的に透子の方が有利なようで、生悟の動きは後手に回っているように見えた。


「武器の扱いは透子の方が得意なのよね」

 透子から距離を取りつつ這い出てきたケガレを踏み潰したルリの表情は険しい。


「生悟さんって何でもできると思ってました」

「基本なんでもできるから、同じ霊術、同じ武器を極めないのよ。万能だからこそ一点特化には負ける。薙刀の扱いだけで見れば透子の方が上」


 刃物がぶつかり合う音は続くが、生悟の方が押されているように見える。地上戦には邪魔だと思ったのか生悟の重たそうな翼は引っ込められた。それでも体の一部のように薙刀を振り回す透子には防戦一方になっている。

 ケガレに取り憑かれた透子には明確な殺意があるが、生悟の方は透子の体を傷つけるのをためらっているように見えた。その上で透子の身体能力がいつもよりも上がってるとなれば、いくら生悟でも苦戦するのは当然だ。


「ケガレの増殖が止まったのは朗報ね。ここにいる奴ら全員片付ければ、透子に集中できるし、勝機はある。生悟にはちょっと頑張ってもらいましょう」


 そう言いながらもルリはケガレたちを蹂躙し続ける。振り落とされないように踏ん張りながらも穴の方を見れば、たしかにケガレの増殖は止まっていた。養分である透子が外に出たことで供給が途切れたようだ。

 

 といっても、未だに地面はケガレで覆われている。透子の怒りと殺意に共鳴するように、ケガレたちの力も上がっているようだ。

 食欲だけで動いていたケガレは今や明確な殺意を持って人間に襲いかかっている。離れたところにいる四郎や鷹文たちも自分たちに襲いかかってくケガレへの対応で精一杯のようだし、朝陽は生悟のサポートで忙しい。


 早く透子をケガレから引き離さなければ。そう思って久遠は透子を凝視するが、なぜか弱点である光が見えない。まさかと思って目を擦って凝視するが、やはり何も見えない。

 ヨルとは違って透子には弱点がないのか。引き離せないのかと絶望的な気持ちになる。透子を殺すという選択肢が頭に浮かんで、必死に嫌な思考を振り払っていると、透子にまとわりつくように瘴気が動いているのが見えた。


 黒い肌といい、透子はかなりの数のケガレに取り憑かれているようだ。それに気づいて久遠はひらめいた。


「生悟さん、透子さんのことちょっと殴ってください!」

「さっきからお前、唐突!!」


 ヤケクソ気味に生悟はそう言いながら、透子から少し距離をとる。生悟が引くのをよんでいたのか、朝陽がすかさず透子に向かって霊矢を放つ。

 朝陽が持っているボウガンは久遠のおもちゃのナイフと同じく霊石を混ぜてある特別性。使い手の霊力が尽きない限り、いくらでも霊矢を放つことができる霊具である。生悟が当たり前のように投げている霊力のナイフや霊力で作った刀に比べると習得レベルが低く、霊力量も少なくすむのだと聞いた。


 それでも霊矢の威力を調節することはできるらしい。先程までは省エネだったのだと分かるほど、霊力を注ぎ込んだ霊矢が透子の頭、首、心臓に向けて放たれる。これが当たるとまずいと気付いた透子は人間離れした動きで振り向き、薙刀をもって霊矢を斬り伏せる。そうして朝陽に透子の意識が向いた一瞬、生悟は思いっきり透子のお腹を殴りつけた。


「女の子のお腹殴ってゴメン! あとで謝るから許して!」


 なんていいつつ、情け容赦なく本気で殴っている。いくら身体能力が強化されていても元は中学生の女の子。高校生男子の本気には耐えられなかったらしく透子の体は吹っ飛ばされる。それでも飛ばされた勢いを利用して器用に空中で回転すると、倒れることなく両足を地面につき生悟と朝陽を睨みつけた。ボロボロの狩装束には生悟に殴られた痕がはっきりと残っているのに痛がる様子はない。取り憑かれた影響で痛覚がなくなっているのかもしれない。


「おい、殴ったぞ! 特に意味はありませんとか言ったら怒るからな!」

「大丈夫です! 見えました!」


 生悟の怒声に久遠は金色の目を見開いて答えた。


「生悟さんが殴った瞬間、透子さんにまとわりついていた瘴気が薄れて、弱点がぼんやり見えました。何回か殴ればもっとはっきり見えると思います」

「……お前、サラッとすごいこというな」


 生悟はそういいながらも歯を見せて笑い、己の左手に右手を打ち付ける。パンっと良い音がなると、生悟の覇気が目に見えて上がったように思えた。


「意味のない暴力は嫌いだけど、意味があるならやるほかないよなあ」


 一瞬怯んだように見えた透子が薙刀を構える。一触即発の空気に久遠もまた神経を研ぎ澄ました。

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