5-6 地獄と作戦
生悟に対抗するようにルリはスピードをあげた。振り落とされそうになった久遠を守が支えてくれる。風を切る音がして、地上からは踏み潰されたケガレの断末魔。
前方からも途切れずに聞こえ続けるケガレの悲鳴に久遠はだんだんケガレが可哀想に思えてきた。いくら知能がないとはいえ、移動の片手間で駆除される姿を見ているとしょっぱい気持ちになる。
「俺が頑張らなくてもあっさり終わるんじゃ……」
「久遠様、油断してはいけません。ケガレの一番恐ろしいところは増殖力です。そして食べるということへの本能の強さ」
「そうよ。追い詰められて知能をつけ始めたらこんな簡単には浄化できなくなるわ。その前に片を付ける。ケガレとの戦いはスピード勝負なの」
前を向いたままルリはいい、さらにスピードを上げる。ふっとばされないように久遠は体勢を低くし、必死にしがみついた。
「成長させてはいけないの。弱いうちに少ないうちに、一匹残らず叩き潰す。ケガレに対して情はいらない」
ルリの厳しい声に久遠が答えるよりも先に、周囲の景色が変わった。住宅街を抜け、現場の林に入ったのだ。
影がさらにスピードをあげる。草木で月の光が入らない分、足元には住宅街よりも多くのケガレがうごめいていた。みな、通り過ぎる久遠に向かって口を開け、噛みつこうと近寄ってくる。通り抜けざまに影に仲間が踏み潰されようと一直線に久遠に向かって進んでくる。
その姿に久遠はゾッとした。先程の考えがいかに甘かったのか突きつけられたような気持ちだった。
「そろそろ現場だ! 気を引き締めろ!」
生悟の声が頭上から聞こえた。木々によって姿は見えないが、今までよりも声が大きい。飲まれてはならないと自分を鼓舞しているようで、久遠は服の下に隠していたおもちゃのナイフを握りしめた。
これは霊具だと道永に聞いた。ケガレを倒すために作られた特別なものだと。母がなぜ霊具を久遠に渡したのか、渡しておいて何の説明もしなかったのか、母の考えが久遠には分からない。聞ける機会も永遠に失われてしまった。
けれど、母が意味のないことをするとは思えない。久遠が危ない目にあうようなことをするとも思えない。だからこれはお守りであり、武器なのだ。
決意を固めている間に影は木々の隙間を抜け、目の前に開けた空間が広がった。暗闇が晴れたのに一息つく暇もなく、目に飛び込んできた光景に久遠は恐怖のあまり息を止める。
最初は地面が黒いのかと思った。それが蠢いていると気づいたとき、地面を覆い尽くすほどのケガレだと理解して、体がすくみ上がる。小さな手足を動かしてヨタヨタと動き回るケガレは仲間にぶつかり、押しつぶされ、踏み潰され、それでも動くことをやめない。透子が落ちたという穴から這い上がってくるケガレが背を押して、前へ前へと仲間を押しつぶしながら進み続ける。
その光景は地獄としか言いようがなかった。
「呆けてないで手伝って!」
鋭い少年の声に巨大な犬の形をした影が動き出す。四本の大きな足で地面を這うケガレを踏み潰し、強靭な顎でケガレをまとめて飲み込み噛み砕く。
耳を塞ぎたくなるような絶叫が響きわたる中、頭上からいくつもの霊力の塊が降り注いだ。生悟と朝陽による攻撃だと空を見上げれば、余裕のない顔をした二人がひたすらにケガレの頭を撃ち抜いている。
「四郎! 鷹文たち確保!」
「はい!」
生悟の声に答えた四郎は一点へと走り出す。ケガレが壁のように積み重なる空間。その中に人の姿があった。鷹文と雀、その守人二名に誠、そして縛られた慶鷲。他にも二人ほど鳥喰の追人がいる。慶鷲を連行するために先に向かったという人たちだ。
結界のおかげでケガレの猛攻からは逃れられたようだが、精神、体力ともにギリギリといった様子だった。長時間、結界越しとはいえケガレに取り囲まれた状態で平気なはずがない。誰一人倒れていないだけ上出来といえる状況だ。
四郎が操る影の犬たちが結界に群がるケガレたちに襲いかかる。ルリの操る影に比べれば小さいが、ケガレにとっては十分に脅威だったのだろう。噛みつかれ、踏み潰され、みるみる数を減らしていく。
「慶鷲を本邸に連れてけ! ここで死なれたら困る!」
生悟の怒鳴り声を聞いた追人二人のうち、一人が縄で縛られた慶鷲を抱えあげ、影飛で空中に霊力の足場を作ると飛び上がる。もう一人は補佐役なのだろう。追おうとしたケガレを小刀で斬り伏せてから後を追った。
『こちら鳥喰生悟。現場に到着。ケガレの数が予想以上に多い。応援求む』
通信を行いながら地面に降り立った生悟は霊力で作った刀でケガレたちを薙ぎ払う。朝陽も狙いを定めるには時間が足りないと思ったのかボウガンを鈍器のように振り回していた。
「透子様を救おうにも、ケガレが多すぎる!」
守の焦った声に久遠は大暴れする影の犬の背から穴を見下ろす。穴は結構な深さがあるらしく底が見えない。その穴の中からケガレが途切れることなく這い出てくる。ケガレをいくら倒しても、穴から出てくる数を減らさなければどうにもならない。そのためにはケガレの養分になっている透子を発見し、救出しなければいけないのだが、今の状況では穴に近づくことすら出来ない。
『狐狩一人、至急よこして! 一掃しないとどうにもならない!』
影の犬たちを操りながらルリが叫んだ。その表情にも余裕がない。さっきまで守と喧嘩していた四郎すら一言も発せず、影の犬たちを操り続けている。
生悟たちの活躍で少し数が減ったのを見て、結界の中で休んでいた鷹文たちも動きだしたがそこには疲労が見える。それでも逃げないのはここで引いたら終わるとわかっているからだ。彼らの奮闘により地面を埋め尽くさんばかりだったケガレは確実に減っている。それでも穴から這い出るケガレの数は止まらない。
あと、どのくらいケガレがいるのか。全員の体力はどこまで持つのか。ケガレの増殖が止まるのを待っていたら透子は?
思考がぐるぐる回る。考えろ、考えろと久遠は更に頭を回転させる。この場に置いて自分はお荷物だ。戦えないし、自分を護るために
「……ルリさん! 穴にできるだけ近寄ることは出来ますか!」
久遠の大声に影の犬が一瞬動きを止める。動き回っている生悟と朝陽がこちらを見る気配がした。背後の守のうろたえる空気も。
「できるけど、危ないわよ! 急にどうしたの!」
「このままじゃ負けます。ケガレは疲れない。だけど俺たちは疲れる」
ルリは言い返さない。久遠の考えにとっくに気づいている。生悟だって気づいているから増援を頼んだのだ。
「透子さんが養分になってるなら透子さんをなんとかすればいいんです」
「考えがあるのよね!」
ルリはそういいながら穴に向かって影を動かす。大きな獣の歩幅は大きく、ついでとばかりにケガレを薙ぎ払いながら進み、あっという間に穴に近づいた。
「生悟さん! 俺のサポートお願いします!」
「いいけど、何するつもりだ!」
空へと舞い上がった生悟は霊力のナイフで周辺のケガレを一掃する。それでも次から次へと穴からケガレは這い出てきて、穴に近いだけあって囲まれるのも早い。時間はかけられないと久遠は大きく息を吸い込んだ。
「透子さん! 聞こえてますか! 久遠です!」
「く、久遠様!?」
黙って成り行きを見守っていた守の慌てふためく声が聞こえる。しかし久遠は止まらない。人生で初めて、思いっきり声を張る。
「そんなとこで寝てていいんですか! 俺が猫ノ目のっとっちゃいますよ! 透子さんが必死に護ってきた場所を横からかっさらいます! 後から現れた何もしらない後輩に全部奪われちゃいますよ!」
ケガレが一斉に形容し難い奇声をあげる。餌を食べるためだけに動いていた化け物が、獲物を襲うことをやめて久遠に向かって牙を向いた。その様子を見て久遠は確信した。
透子を養分にしたケガレは透子と繋がっている。だから久遠の声は透子に届いている。
透子は久遠を嫌っている。久遠の存在を拒絶している。そんな相手に自分の場所を、護ってきたものを奪われるなんて我慢出来ないだろう。
あとひと推し、透子の怒りを増幅させれば。そう久遠は考えて周囲を見渡す。久遠は透子のことを知らない。人から聞いた話だけで直接話したこともない。だから何かヒントはないかと透子を知る人達を順番に見つめ、透子の守人、誠と目があった。
「透子さんがそこで寝てるなら、透子さんの守人は俺がもらいますから!」
その瞬間、怒気が膨れ上がった。ケガレたちが発する奇声が大きくなる。ビリビリと体の中の水分が振動するような衝撃に久遠は必死に影の犬を掴む。
「ちょっと、久遠! なに怒らせてんのよ!」
「コイツらパワーアップしてんだけど!」
生悟とルリから非難の声が上がるが、久遠にはわかった。今まで全く分からなかった透子の気配。
「ルリさん、生悟さん! 来ます!」
久遠が叫ぶと同時に、穴の中から何かが飛び出してきた。猫狩の狩装束を着ているが服はボロボロで、仮面はない。金色には劣るが美しい黄色の瞳が憎悪を込めて久遠を睨む。昼夜逆転生活と疲れから青白かった肌は今や真っ黒に染まっていた。
「透子様!」
誠が叫び、駆け寄ろうとする。それを止めたのは雀と小鳥。二人を振り払ってなおも駆け寄ろうとする誠を鷹文の鋭い声が遮る。
「あれが本当に自分の主人に見えるの?」
久遠は鷹文の言葉に心の中で同意した。肌の色どころじゃない。透子から禍々しい瘴気が立ち上っている。触れたものすべて祟り殺すと言わんばかりの殺気に久遠はゴクリとつばを飲み込んだ。
「久遠、殺す……!」
透子が懐から何かを取り出した。手のひらに収まる程度の小さな筒状のもの。そこから黒い何かが飛び出し、薙刀の形を取る。
道永から聞いた事がある。扱いは難しいものの、使いこなせれば術者の思うままに形を変える霊具があると。そして透子はその霊具の使い手だと。
「久遠、この先のプランは?」
「……頑張って透子さん止めましょう!」
「ノープランってわけね!」
天を仰いだルリをケガレに取り憑かれた透子が律儀に待ってくれるはずもなく、人並み外れた動きで久遠に切りかかってきた。
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