5-5 見る猫と追う犬

 旨そうな獲物の匂いに反応してケガレは四肢を動かした。まだ成長しきっていない手足は短く、移動にも時間がかかる。それでも諦めることなくケガレは進む。


 食べたい。大きくなりたい。強くなりたい。だから食べたい。

 それがケガレの行動理念。


 しかし透明な壁に阻まれ、獲物の元へ近づけない。まだ生まれたばかりのケガレにはこれがどういうものか分からなかった。ただ邪魔だと短い手足と牙、長い舌を使ってどうにかどかそうとする。


 他の仲間たちも同じようで壁にぶつかっては跳ね返る。その度にベチベチという鈍い音がし、中には仲間に押しつぶされるものや四肢が折れるものもいる。それでもケガレは止まらない。獲物を前にして止まるなどありえないのだ。


 食べたい、食べたい。大きくなりたい。もっと大きく。


 強い生存本能に突き動かされてケガレは進み続ける。その時、ふいに壁が消えた。壁に激突していた仲間たち同様、ケガレは体勢を崩して仲間が積み重なった山から転がり落ちる。

 痛覚のないケガレにそんなことは問題じゃない。壁が消えた。獲物へ近づける。食べられる。その歓喜にふるえてケガレは立ち上がり、獲物の元へと進もうとした。


 少し離れた場所に狐の匂いがした。野生動物とは違う、独特な匂いだ。この匂いには気をつけなければいけないという本能が警鐘をならしたが、それ以上に食べたいという食欲がケガレを突き動かす。

 狐の匂いのする者が二体寄り添っている。どちらも美味しそうだとケガレは大きな口を開けた。


 その瞬間、ケガレの体を熱が覆う。発達していない頭が理解するよりも先にケガレの口から悲鳴があがった。痛覚のないケガレにとって唯一の恐怖、死の感覚。


「ここから先は行かせません」

「一匹残らず焼き払う」


 少女の声がする。その声に応じてケガレたちを包む熱の温度が上がり、範囲も広がったように思えた。ケガレはのたうちまわってどうにか熱から逃れようとする。

 熱から逃れようとあがいている間にすぐ近くを何かが通り過ぎた。黒い、犬のような形をした生きていないものに美味しそうな獲物が乗っている。頭上を翼を持つ者が取りすぎていく。


 ケガレは彼らを捕まえようとした。食べればなんとかなる。強くなれば、大きくなれれば生きていける。死にたくないという思いからケガレは必死に舌を伸ばす。

 そんなケガレの短い四肢をなにかが掴んだ。地面から伸びる蔦ような黒いもの。それが別の獲物へ繋がっている。


「追わせません。ここにいるケガレは私達、蛇縫と狐守が一掃します」


 先程とは違う声が聞こえる。その声からは蛇の匂いがした。美味しいけれど危険な獣の匂い。まだ生まれたばかりのケガレには抗うすべなく、嫌だと思っている間に体は焼け、自分と仲間たちの悲鳴がこだました。



※※※



 犬追家に伝わる霊術、影追にて作り出された黒い犬に乗りながら久遠は背後の地獄絵図を凝視し息を飲んだ。影が四本の足で地面を蹴るたびに狐守の異能によって焼き払われた一帯が遠ざかる。それでもケガレの重なり合った断末魔は尾を引いた。

 

 そこは何の変哲もない住宅街。早朝ともなれば職場や学校に向かう住民がにぎやかに行き交う場所は青白い炎で焼かれている。

 今は非常事態なのだと突きつけてくる現実に久遠の体に自然と力が入った。


「くおーん、同情なんてしちゃダメよ。奴らは本能のままに生きてる悪食なんだから。人間みたいに聞こえる悲鳴だって、私達の同情心を煽るためなんだからね」


 ルリが顔だけ振り返って久遠に注意した。久遠の後ろに座り、久遠が落ちないように支えている守も大きく頷く。

 久遠は「はい」と返事をしたが、自分でも声が弱々しい自覚はあった。覚悟を決めたつもりだが、現実にはまだ追いついていないようだ。


「現場につくまでに覚悟決めてよね。作戦の鍵はあなたなんだから。この犬追筆頭様を足に使っておいて失敗なんて笑えないわ」

「が、頑張ります!」


 震える声にルリが小さく笑った気配がした。悪い感情ではなさそうなので久遠はこれからのことに意識を向ける。


 久遠と守を現場まで乗せてくれるのはルリだ。影追は霊力を使って作り出した影を独立させて動かす。五家に伝わる霊術の中でも影見についで難しいとされ、生み出す数が多ければ多いほど難易度も増すと聞いた。

 

 ルリは自分たちを移動させるために大きな犬型の影を一体、他四体を周辺に放って、移動と同時に浄化を行っているらしい。練習も兼ねて影見で周辺を見てみると、ケガレと人間に混ざって、霊力の塊が動き回っていた。ルリが放った四体とルリの隣を並走する四郎が放った三体。その他にもあとを追ってくる犬追の狩り部隊が放つ影で周辺は混沌としている。


 これを全て正確に理解するには鍛錬が足りないと久遠は痛みだした頭を抑えて霊術を止めた。こんなところで疲れていてはいざというときに動けない。ケガレの浄化に関しては他に任せた方が良いのだろう。


「ネットに書いてあった、大きい犬って影追のことだったんですね」


 自分が乗っている影を撫でる。なんとも不思議な感触が伝わってきた。グミとか寒天みたいにムニムニしていてひんやりしている。夏場であれば快適そうだが、冬場は寒そうだ。

 一緒に書いてあった大きな鳥は空を飛んでいる鳥狩なのだろう。真相が分かると思いっきり一般人に目撃されているなと冷や汗が流れる。


「現代社会で完全に隠れるなんて無理ですよ。下手に隠れた方が何かあるって勘ぐられますし。放っておけば勝手にネットの住民同士で喧嘩してくれますから。喧嘩に紛れて真相は闇の中です」


 久遠のつぶやきを拾った四郎が笑う。守はネットに関しては知らなかったようで首をかしげているが、ルリは微妙な反応だ。


「たしかに、信じる派と信じない派で喧嘩してましたね」


 バカじゃないのと書き込まれた一言には自分を否定されたようで嫌な気持ちになったが、信じない者がいることによって五家の秘密は護られている。久遠もこうして目の当たりししなければ信じない側だ。


「久遠様、ネットとかいける口ですか? 五家って懐古主義が多くて、俺は肩身が狭いんです。事件解決したら遊びましょう」

「気軽に久遠様を誘うな!」

「うわー男の嫉妬見苦しい。自分がネットに詳しくないからって」

「うるさいわよ、あんたたち! 今喧嘩している場合じゃないでしょ!」


 並走してる状態で言い合いを始めた四郎と守にルリが吠える。四郎は影に乗ったまま器用に肩をすくめてみせ、守は苛立たしげに四郎を睨みつけている。

 久遠と守は仲直り出来たが、四郎と守は難しそうだ。


「ったくもう、遊ぶ約束するのはいいけど、現状を忘れないでよね」


 そういいながらルリの操る影は地面を歩いているケガレを踏み潰した。ギャッという短い悲鳴は踏み潰されると同時に置き去りにされる。移動と浄化を同時に行う姿はさすが筆頭だがケガレが少々可哀想にも思えた。


 四郎や他の犬追が操る影は人間が乗れるくらいの大きさだが、ルリの影は家くらいの大きさがある。理由は派手だから。高い位置から地面を這い回るケガレを踏み潰すのが楽しいと語っているルリを見て、久遠はこの人も結構やばい人だなと思った。賢明なので口には出さなかったが。


 しかし、仲間となれば頼もしいのは事実だ。ルリの操る影は進むついでにケガレの数を減らし、のがしたケガレを四郎含めた犬追たちが浄化していく。


「犬追は集団で狩りをするって本に書いてありましたけど、すごいですね」


 影見を使わなくともケガレの気配が減っていくのが分かる。通信機を使わなくとも効率的に狩りを行う力があるのだ。


「ふふん! そうでしょう! 集団戦において、犬追の右に出るものはいないわ!」

「それでも生悟さんと朝陽さんペアには負けるんですけどねえ」


 胸を張り上機嫌に笑っていたルリの表情は四郎の一言で引きつった。タイミングを見計らったように頭上を大きな影が移動する。それが生悟だとわかったときには前方のケガレが生悟の放つ霊力のナイフで一掃されていた。


「お前ら、時間がかかればかかるほど戦況不利だってわかってんだよな? 無駄話してないでさっさと進め!」


 普段の明るい雰囲気とは違う、冷え切った声と態度の生悟が一喝して飛んでいく。ルリの目が釣り上がる様が仮面越しでも想像できた。


「こちらでケガレは減らしますので、進むことだけ専念してください」


 鳥喰に伝わる霊術、影飛にて器用に霊力の足場を作りながら、跳ねるように進む朝陽が空中でボウガンを構えて家の影から現れたケガレを狙い撃つ。そのまま流れるような動作で生悟のあとに続く姿を見送って、久遠は目を丸くした。

 あまりにも無駄なく美しい所作は攻撃というよりは曲芸じみている。


「言われなくてもわかってるわよ!」


 ルリが吠えると同時に影の移動速度が上がった。久遠は振り落とされないように影にしがみつく。ちらりと見れば四郎がやれやれと肩をすくめていた。

 

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