5-3 鳥狩筆頭補佐と地獄

 ここは地獄かと鷹文は考えた。

 ベチベチと結界にケガレが激突し跳ね返り、再び激突する不快な音が響く。頭がよくない彼らにそこに壁があるから止めようという意志はない。ただ獲物の匂いだけを頼りにこちらに向かって飛びかかってくる。疲れもなければ痛覚もない。だから彼らはやめないし止まらない。何度も、何度も、浄化されるその瞬間まで、結界の中にいる自分たちを丸呑みにしようと飛びかかってくる。


 鷹文の守人であるはやとと共に張った結界は強固だ。簡単に破られるとは思えない。それでも周囲をケガレに囲まれた状況において、この結界が命綱であることは確かだった。


 透子が落ちた穴からは噴水のようにケガレがわいてくる。雀とその守人である小鳥と交代でケガレを浄化しているが、焼け石に水状態。

 疲れを知らないケガレ相手に長期戦はあまりにも不利。光を苦手とするケガレは朝になったら暗い場所、地中などに潜る。それまで耐えられれば一時的にはしのげるが、次の夜には今日よりも数を増したケガレが地上に現れる。そうなればケガレの存在すら知らない一般人にまで影響が及ぶだろう。


「やけになったにしても、なんて面倒なことしてくれるのさ!」


 思わず体を縛られ、転がされている慶鷲に向かって悪態をついた。気持ち的にはケガレの群れに放り込んでやりたいところだが、それをするとケガレの勢いがさらに増してしまう。だからこうして元凶である慶鷲を拘束しつつ護るという矛盾した行動を取るほかない。

 慶鷲に抵抗するそぶりはない。ここを死に場所と定めたような感情のない目で結界にぶつかるケガレを見つめている。


 そんな慶鷲を見下ろしているのは誠だった。護るべき主君を穴に落とされた誠は今すぐ慶鷲を殺してやりたいという憎悪を隠さないまま慶鷲を見張っている。それでも手を出さないのは守人としてのプライドだろう。

 この状況下で慶鷲を殺したとしても状況は好転しない。犯行理由も吐かせられず、死体を持ち帰らなければいけない手間を考えれば悪手といえる。それを分かっているから誠は慶鷲を見張り続けている。本当は後先なんて考えずに穴に飛び込み、透子を救いたいだろうに。


 結界の外では雀と小鳥が戦っていた。お互いに背を預けた霊具である小刀とクナイを用いて飛びかかってくるケガレを切りつける。切り裂かれるたびにケガレの断末魔の叫びがあがるが、二人はひるむこともなく聞こえていないかのように一糸乱れぬ動きでケガレを浄化し続ける。

 さすが十年以上もの間ケガレと戦い続けている組だと普段であれば尊敬の眼差しをもって見ることが出来ただろうが、今はその余裕もない。

 二人の疲労度合いを見て、鷹文と隼が交代、もしくは助太刀に行かなければいけない。結界から外に出るためには一度とく必要がある。タイミングを見誤れば全員仲良くケガレの餌だ。


「ほんっと損な役回りなんだけど! もしかして生悟さん分かってた!? こうなるって分かってて、俺を猫ノ目にやったの!?」


 ぐちゃぐちゃと髪をかき乱す。次期筆頭への信頼だと思えば少しは気も晴れるが生悟の場合はなんとなくで鷹文を派遣したに違いない。朝陽はもう少し論理的な思考をするが、朝陽は生悟のイエスマンなので生悟が聞かない限り意見を口にしない。「大丈夫、大丈夫、鷹文ならなんとかなるなる」というお気楽な顔で笑う生悟が脳内に浮かんで鷹文はうなり声をあげた。


「あの野郎、無事に帰ったら一回殴る!」

「鷹文様……!」


 オロオロする隼を見て鷹文はひとまず気持ちを落ち着けた。無駄に体力を使っている場合でもないし、わめいている時間でもない。慶鷲の回収を含めて援軍が来るという通信が届いてから数十分はたっている。脇目も振らずにここに来るにはケガレの量が多いのだろう。何も考えずに突撃し、退路を断たれては意味がない。

 となれば、いつ到着するかも分からない援軍が来るまでここで踏ん張り続けなければいけないということだ。


「何でそんなに頑張る。諦めればいいだろう」


 縄で両手両足を縛られ、地面に押さえ付けられていた慶鷲が急に口を開いた。誠の目がつり上がる。クナイを握りしめる手に力が入ったのが見え、鷹文は万が一がないように慶鷲の側へ近寄った。


「慶鷲さんがそんなこと言うなんて。いつの間に闇落ちしたのさ。やけになるのは良いけど、俺たち巻き込まないで欲しいんだけど」

「これは君たちのためでもあるんだよ」


 鷹文のよく知る、落ち着いた穏やかな声で意味の分からないことを口にする。酔っ払ったみたいな雰囲気に鷹文は顔をしかめた。


「五家はおかしいんだ。狩人が尊い存在なんて嘘だ。私たちは多くの人間が平和に生きるための人柱。使い捨ての駒だよ。姉上も鳥狩だった鷹文くんならよく分かるだろ?」


 慶鷲の濁った目が鷹文を見上げる。同じ鳥狩といっても人によって瞳のや髪の色は微妙に違う。数百年に一度の天才と呼ばれる生悟の、目を奪われるような赤に比べれば慶鷲の目は元々色味が鈍かった。それがいつも以上に濁って見える。元の色が赤だったとは思えないほど、周囲を取り囲むケガレの色に染まっている。


「いつからそんな事に……」


 そう口で問いながらも分かりやすい切っ掛けなどなかったのかもしれないと鷹文は思った。狩人として生きていく間に積もり積もった負の感情。心の奥底にこびりついた泥のようなものが、ついに抑えきれずに吹き出した。その姿が今の慶鷲なのだろう。だとしたら慶鷲の濁った目は鷹文だって持っている。


「あなたが自分自身をどう貶めようと勝手ですが、透子様を巻き込んだことは絶対に許せません」


 慶鷲の首筋に誠がクナイを近づけた。ブルブルと震えているが、それでも脅しの範疇で収まっている。本当は今すぐにその首に突き立てやりたいという怒りが見えるが、誠はそれをしない。

 守人が狩人を傷つけるなどあり得ない。それが他家の狩人であっても。小さい頃からすり込まれた常識は絶対だ。

 そんな誠を見て慶鷲は笑った。


「透子だって私と同じ。いや、私以上に五家を恨んでいるよ。誰もあの子の苦しみに寄り添ってあげなかった。あんなに頑張っていたのに褒めてあげなかった。助けてあげなかった。きっと恨んでる。だからケガレに身を委ねてるんだ。生まれた家とこの街に復讐するために」

「知ったような口をきくな! 透子様はあなたとは違う! 使命を忘れて多くの人を危険にさらすような愚か者と私の主を一緒にするな!」


 初めて見る激高だった。鷹文から見て誠という守人の印象は薄い。いつも透子の斜め後ろにいて、主張は少なく穏やかで優しい。理想的といえる守人の姿ではあったが鷹文からすれば物足りず、なんとも量産的で面白みのない守人だと思っていた。

 そんな誠の中にこれほどまでの忠誠と激情が潜んでいたなんて鷹文は少しも気づかなかった。気弱な隼が息を飲む音がする。しばしケガレに取り囲まれているという状況を忘れて鷹文は怒りに顔を染める誠を凝視した。


「透子様は絶対に戻ってくる! 透子様がケガレなんかに負けるはずがない!」

 その健気な咆哮を慶鷲は嘲笑った。


「その一方的な理想が透子にはプレッシャーだったとなぜ気づかない」


 誠の目が見開かれる。震えるほどに強く握りしめていた力が緩む。慶鷲を射殺さんばかりに睨み付けていた瞳が大きく揺れるのを慶鷲は自嘲的な笑みを浮かべながら見つめていた。

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