5-2 五家の務めと決意

「殺す……?」


 信じられない言葉に久遠は思わず生悟を見つめた。モニターを凝視していた生悟はゆっくりと久遠の方へ顔を向ける。

 鍛錬をつけてもらい、一緒に空を飛んで、少しは分かるようになったと思った生悟の表情が、気持ちが、今は少しも分からない。仮面に隠された素顔は一体どんな顔をしているのだろうと想像し、もし無表情だったらと恐怖を覚えた。


「冗談ですよね?」

「冗談でこんなことを言うはずがないだろ」


 生悟の答えは感情がそぎ落とされたように無機質だった。鳥喰生悟という人間は感情が豊かで明るくて、前向きで、久遠とは真逆な人種だと思っていた。こんな冷たくて、機械みたいな一面、想像もしなかった。


「ケガレに取り憑かれた人間は周囲を呪い、壊すだけの化物になります」

 生悟と久遠の間に入るように朝陽が進み出た。朝陽の顔は布に覆われて見えなかったが、久遠には怒っているように見えた。


「これは透子様のためです。身を削ってまで護ろうとした街と人を自らの手で壊す。そんな状況になる前に、息の根を止めるのがせめてもの優しさです」


 嘘でしょという思いを込めて周囲を見回した。誰も朝陽の言葉に異を唱えない。面と布で覆われていても体がこわばっているのが分かる。本当はやりたくないという気持ちが久遠には見える。それなのに誰も止めない。そうする他ないと思っている。


「そんなの、おかしいです!」

「久遠様」


 声を荒げると黙っていた守が久遠の肩に触れた。小さく頭を左右に振る守に久遠はどうしようもなく苛立った。思わず守の手を払いのける。


「まだ透子さんの安否は確認出来てない。取り憑かれていないかもしれない」

「この状況で? 穴に落ちて何十分たったと思ってる。無事ならとっくに這い上がってるはずだ」

「……ケガして、身動きがとれないのかも」

「身動きがとれない状況でケガレにまとわりつかれて、お前はどれくらい正気を保っていられる?」


 いつにも増して冷たく高圧的な生悟に久遠はひるみそうになる。仮面の隙間から真っ赤な瞳が見えた。それは暗闇でも鈍く光っている。生悟らしくない口調に態度、それが本当は殺したくないと本音を語っていた。それでもやらなければいけないという決意が見えた。


「久遠はここにいろ。新人を見ている余裕はない。ここなら人の目があるから安全だ」


 黙り込んだ久遠の頭を生悟がなでた。その手はこわばり、少し震えていた。それでも生悟は宣言通り透子に止めを刺すのだろう。そうするほか、今の状況を解決する手立てはないのだから。


 いや、本当に手立てはないのだろうか。

 久遠は考える。久遠には知識も経験もない。だからこそ五家に来て見聞きした事を片っ端から拾い集めて整理し、なにか見逃しは無いかと必死に考える。だってこんなのはおかしい。誰よりも必死に戦った透子が殺されなければいけないなんて。それを殺すのが生悟だなんて。透子の事を久遠よりも知っている筆頭たちが見殺しにしなければいけないなんて。

 こんなのは絶対におかしい。


 今こそ目をそらしてはいけない時だ。そう久遠は思い、前にも危機的状況の中で、強くそう思った瞬間があったことを思いだした。


「金目は弱点が見える」


 思わずつぶやいた言葉に周囲が不思議そうな反応をしたのが分かった。隣にいる守からも困惑した空気が伝わる。それでも久遠は考え続ける。ヨルがケガレに取り憑かれたあの夜を。あのとき見えた輝く光のことを。


「猫にケガレが取り憑いたとき、俺には弱点が見えました。その弱点をおもちゃのナイフで刺したら、ケガレを倒せた。猫は無事でした」

 首からさげているおもちゃのナイフを取り出して生悟に向かって掲げる。生悟はただ久遠を見下ろしていた。


「透子さんに同じことをしたら、ケガレだけ浄化出来るかもしれない」

「正気か?」


 冷えた声が耳をつく。仮面越しでも心臓を突き刺すような鋭い視線を感じる。それでも久遠は生悟を見つめ続けた。絶対に引かないという気持ちで。


「お前が対峙した猫は取り憑かれて間もなかったと推測されている。数は一匹。今の透子は取り憑かれて時間が経過しているうえに、複数のケガレに取り憑かれている可能性がある。猫の時よりも状況は悪い」

「それでも試す価値は……」

「お前一人じゃ試すことも出来ないだろ」


 それは事実だ。試すためには透子に近づき、透子を押さえ付けなければいけない。透子は久遠よりも経験と実力がある狩人だ。ヨルの身体能力が猫離れしていたことを考えると透子も人間離れした動きをするだろう。それを押さえ付けることは久遠には不可能だ。


「ってことは私たちが協力すればいいんじゃない?」

「久遠様を運ぶくらい俺たちなら簡単ですよ」


 自分の無力さに絶望的な気持ちになったとき、そんな明るい声が部屋に響いた。見ればルリが腕を組み、自信満々に胸を張っている。その隣には守たちと同じく布をつけた四郎の姿がある。表情は見えなくとも四郎がやる気であることは伝わってきた。


「成功する保証はないんだぞ」

「でも、可能性はありますよね」


 生悟の険しい声に巫女をモチーフにしたらしい狩装束を身につけた桜子が答える。隣に居る薫子、忍をモチーフにしたらしい狩装束に身を包んだ美姫が両手を握りしめて大きく頷いた。


「透子ちゃんを助けられる可能性があるなら、一度くらい試してみたら……」

「それで一番危険にさらされるのは久遠だ!」


 美姫の主張を生悟は一喝した。部屋の中に沈黙が訪れる。せわしなく動き回っていた追人たちも一瞬動きを止め、生悟に視線が集中した。


「今日が初陣。今まで訓練なんてしたことがない。ケガレと戦った事もない奴に一番危険な場所に行けってお前らは言ってるんだ。一度くらい? その一度で久遠は死ぬ。そうなったら猫ノ目は本当に終わりだ」


 生悟が吐き捨てると美姫は両手を胸の前で握りしめた。そこには大きな後悔が見える。桜子も落ち込んだ様子で下を向き、それぞれの守人たちがその背や肩に手をまわした。


「透子がこうなった以上、久遠は絶対に護らないといけない。猫ノ目の存続のために」

「俺を護るために透子さんを見殺しにするってことですか?」


 久遠の問いに生悟は迷いなく頷いた。握りしめた手は力の入れすぎて震えているのに、生悟は久遠から目をそらさない。五家に生まれた務め。筆頭を任された責任。自分の判断で人の生死が決まるプレッシャー。すべてを背負ってここまで来たのだとその姿が証明していた。

 それを見て久遠は思う。やはり五家はおかしい。


「透子さんを見殺しにするなら俺は自殺します」

 ハッキリと告げた宣誓に守が息をのんだ。周囲も唖然と久遠を見つめている。


「あなたたちが止めたって隙を見て死にます。閉じ込められたって鍛錬なんかしないし、ケガレとも戦わない。猫狩としての価値はゼロです」

「久遠、正気か?」

「俺は正気ですよ。散々使い潰した挙げ句、都合が悪いと分かった途端見殺しにするような家に忠誠を使って、使命だ、務めだなんて言ってる生悟さんたちの方が正気じゃない」


 周囲をぐるりと見渡した。誰も彼も驚いた顔をしていたが、久遠と目が合うと視線をそらす。誰もが心のどこかで思っていたのだろう。思っていてもそれでも言えなかったのだ。誰かがケガレを倒さなければいけない。その誰かは力を持って生まれた子。もって生まれた以上、命をかければいけない。そんな思考が五家で生まれた子供たちにはすり込まれている。

 でも、そんなのはおかしいのだ。


「俺を護るために透子さんが見殺しにされるなんて俺には耐えられない。人を見殺しにしたのに平然と生きていくなんて考えたくもない。だから、透子さんを見殺しにするなら俺も死にます。俺が死んだって、透子さんを見殺しにしたって、どっちにしろ猫ノ目は終わる」


 久遠は目の前の生悟を睨み付けた。


「なら、助けられる可能性に欠けた方がいいでしょう」

 機械のように動かなかった生悟の口角が上がった。


「やっぱお前、正気じゃない」

「そう思ってもらって結構です」


 久遠の返答に生悟は笑い声を上げる。今まで抑圧されていた感情が噴き出すように大声で、体を反らして天井を見上げながら部屋を震わすような声で笑い続ける。


「そこまでの覚悟があるなら乗ってやる。あっさり死んだら霊体とっ捕まえて説教するからな」


 笑い終えた生悟は両手を腰に当てながら楽しげにそういった。それは生悟らしい笑みであったが、言っていることは怖い。透子を助けられないまま死んで成仏出来るとは思えないので、久遠は確実に幽霊になるし、幽霊がバッチリハッキリみえる生悟が久遠を捕まえることは不可能じゃない。というか確実に捕まるだろう。


 最初から死ぬ気なんてなかったけれど、絶対に死ねないと久遠は拳を握りしめる。後悔しながら死ぬのも嫌だし、死んでから説教なんてもっと嫌だ。

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