4-15 空飛ぶ猫と緊急通信
「落ちないようにしっかり捕まってろよ」
その言葉を聞き終わるかどうかのタイミングで久遠を抱え生悟が上昇する。慌てて生悟の体に抱きつくと大きな翼が羽ばたく気配と風が耳元を通り過ぎる音がした。
初めて感じる、生身で空を飛ぶ感覚に久遠はきつく目を閉じる。視覚を閉ざすと他の五感が鋭くなり、肌にぶつかる風や足元の浮遊感が増したような気がした。恐怖のあまり久遠は無我夢中で生悟の服を握りしめる。
しばらくすると体が上に引っ張られる感覚が消え、風の音も遠のいた。バサバサと翼が動く気配は途切れないが、それだけだ。
恐る恐る久遠は目を開き、下を見た。数十メートル下に鳥喰家を囲む竹林が見え、その周囲に黒々とした建物が見える。
夜鳴市の夜は暗い。夜でも明るい土地で生きてきた久遠からすると明かりのない夜は恐ろしい。暗闇の中から口を開けたケガレが飛びかかってきそうで久遠は恐怖のあまり体をこわばらせる。
「久遠、見るなら下じゃなくて上」
ポンポンと優しく頭を撫でられて久遠は恐る恐る顔をあげた。夜の闇と仮面のせいで表情は分かりにくいが生悟は笑っているように見える。生悟に言われるがままさらに上を見た久遠は思わず声をあげた。
「きれい……!」
頭上には美しい夜空が広がっていた。地上から見上げる、区切られた空しか見たことがない久遠にとって、星に囲まれているような光景は初めて見るものだった。
人が暮らす街の空とは思えない絶景は夜鳴市の人間が電気を消し、眠りについているからこそ。気持ちというのは不思議なもので、先程地上を見下ろしたときは街が死んでいるように見えたのに、今は息をひそめて夜空に魅入っているように思える。
「夜鳴市の夜空はきれいだろ」
「はい!」
興奮気味に答える久遠に生悟は楽しげに笑い、さらに上昇した。星がまた少し近くなる。落ちたら死ぬほど高い場所だということも忘れて久遠は星空に魅入った。
「生悟さんはいつもこんな綺麗なものを見ているんですね」
「飛べる特権だな。羨ましい?」
「はい。羨ましいです」
猫狩の異能は久遠からみて地味だ。どうせなら鳥狩のように派手でカッコいいものが良かったと思ってしまうのは贅沢なのだろう。それでも自由に夜空を飛びまわる生悟を見れば見るほど憧れは増す。自分にもこの翼があったら良かったのにと。
「そうだろ、そうだろ。俺も鳥狩の翼好き」
子供みたいに無邪気な声で生悟は久遠を抱えたまま空を飛ぶ。ケガレを探すためではなく、久遠に空を飛ぶ楽しさを教えてくれるための飛行だとわかった。
久遠は生悟に抱きついたまま体に受ける風を感じ、流れる雲や月、そして街の陰影を見つめた。地上からは見えない景色の数々を久遠は金色の瞳を見開いて、忘れないようにと凝視した。
しばらく空の散歩を楽しんだ生悟はビルの上へ降り立った。人が乗ることなど想定されていない無機質で殺風景な場所に降ろされて戸惑ったが、生悟は気にした様子がない。生悟にとっては止まり木みたいなものらしい。
「せっかくだし影見の練習するか」
「練習ですか?」
突然で驚いたが、今日は初陣。散歩して終わりなわけがなかったと久遠は浮かれていた気持ちを引き締める。それが生悟にも伝わったらしく満足そうにうなずかれた。
「オセロで霊力を動かす感覚はわかっただろ。影見は細くて長い糸をたくさん周囲に張り巡らせて、周囲にある物や人、そしてケガレを発見する技だ」
口で説明されると簡単だが、実際に行うのが難しいことは訓練を始めたばかりの久遠にも分かる。霊力操作は繊細だ。今日、何度もオセロをふっとばし、勝負にすらまともにならなかった久遠は己の至らなさを痛感したところである。
「霊力も無尽蔵ではないから、なるべく省エネしなくちゃいけないんだけど、今日は久遠の限界をしるためにもなるべく広範囲を見ることを意識しよう。細かいコントロールは経験を積むしかないし。とりあえず、この近くにいるケガレを見つけてくれ」
生悟にいわれて久遠は意識を集中させた。細い糸を伸ばすイメージで周囲の状況を探っていく。家や電柱、道。判別がつくものよりもなんだか分からないものの方が多い。今は細かい部分を探ることは諦めて、とにかく糸を広範囲に広げていくことをイメージする。
すると、明らかに異質な何かにたどり着く。
「生悟さん、あっちです!」
それがケガレであるとすぐに久遠は気がついた。久遠が指さした方向を確認した生悟は久遠を抱え直しビルから飛び降りた。散歩のときとはまるで違うスピードに生悟が気を使ってくれていたのだと悟る。振り落とされないように抱きつきながら、久遠はケガレの気配がした方角を見つめ続けた。
「久遠、偉い! アタリだ!」
昼間は車が行き交う道路の真ん中に黒い生き物が這い回っている。点滅する信号と街頭の弱々しい光の中でみるケガレは本邸で見たときよりも禍々しく思えた。
自分の使命を知ってから二回目の邂逅に久遠は体をこわばらせる。見つけたはいいものの、どうすればいいのか。そう久遠が迷っている間に生悟は上空から霊力の塊をケガレに向かって投げつけた。鋭いナイフのように突き刺さった霊力にケガレは「ギャァアア!」という人のような悲鳴をあげる。ナイフを抜こうともがき、短い手足をバタつかせ、やがて力なく倒れる姿まで空中で見守ることになった久遠だったが、あっけなさすぎるほどの手腕に恐る恐る生悟を見上げた。
「今のは?」
「降りるの面倒だったから、霊力の塊ぶつけただけだけど。ナイフ投げみたいな感じ」
そういって生悟は片手で何かを投げるジェスチャーをする。先程はそんな動きをしていなかったから、動作は必要ないらしい。
「久遠も練習するか? 覚えたら便利だぞ。道具で補助すればイメージつかみやすいし」
仮面をつけていても生悟が無邪気に笑っているのが伝わってきた。生悟からすればできて当たり前のことなのだろうが、霊力を体から伸ばすのと切り離すのでは難易度が段違いだ。
改めて目の前にいるのは天才なのだと久遠はつばを飲み込んだ。
「まずは影見の練度を上げることが優先だけど、猫狩は狙われやすいし攻撃手段は多い方がいいからな。ってわけで、今日は影見の練習。現状、どこまでの範囲を見られるか確認したいから、できるだけ広い範囲を探ってみて」
生悟に言われて目を閉じる。意識を集中させて、霊力を出来るだけ遠くへ飛ばす。途中でケガレを発見したが、それは後で伝えればいいだろうと更に遠く。自分の限界だと思うところまで、ひたすら霊力の網を広げていく。
ところで、不自然なものを発見した。
「生悟さん」
思わず影見を止めて生悟を見上げる。久遠の様子に生悟は首をかしげ、何かを問いかけようとしたところで間が悪く機械音がなった。「ちょっと待って」という生悟の声が聞こえ、オセロ中も何度も見た黒い手のようなものを器用に動かして、生悟は懐からスマートフォンを取り出す。画面には「鷹文」と表示されていた。
「はいはい〜。何か御用?」
『生悟さん!! 話聞いてないんですけど、どういうことですか!』
通信機をつけていない久遠にも聞こえる大声に生悟が顔をしかめたのがわかった。興奮状態だと分かる鷹文の声は何かがあったと告げているが、それよりも久遠は見つけてしまった不自然なものが気になる。
生悟が鷹文と会話している間に再び霊力の網を広げていく。それにたどり着いたとき、やはりおかしいと気づいて、久遠は生悟の服を引っ張った。
「ちょっとまって、久遠。で、なにを聞いてないって鷹文?」
『猫ノ目に行ったら猫狩は慶鷲さんと一緒に出たって言われたんですけど、猫ノ目担当は俺と雀さんでしたよね? いつのまに担当変わったんですか! 変わったなら変わったって言ってくださいよ! 無駄足踏んだ! トビ丸さんも聞いてなかったみたいで驚いてましたよ』
「えっなにそれ、俺も聞いてないんだけど」
困惑した生悟の声に通信機の向こうにいる鷹文が黙り込む気配がした。何かの行き違いが生じている。それは分かるが久遠はどうしても不自然なもののほうが気になり、悪いことだとは思いつつも話を遮って叫んだ。
「生悟さん! あっちの方向にケガレが大量に固まってます!」
「はぁあ!?」
生悟は久遠を凝視する。通信機からは生悟の大声に驚いたらしい鷹文の文句が聞こえたが、生悟はそれに構わず久遠が指さした方向を見た。
「あっちの方向って確か……」
慶鷲さんの担当エリアという言葉がかすかに聞こえたとき、固まっていたケガレの存在感が膨れ上がる気配がした。
久遠がそれを生悟に伝えるよりも早くけたたましい音が通信機から発せられる。防犯ブザーとか地震警報アラートとか、そういったたぐいの、聞いているだけで人の心を不安にさせる音だ。
それは通信機の向こうからもかすかに聞こえている。生悟が息を飲む気配がし、慌てて耳から通信機を外した。だから久遠にもその通信はハッキリ聞き取れた。
『こちら猫ノ目! 救援を要請します! 鳥喰領土にて大量のケガレが押し込められた穴を確認! そこに透子様が……猫ノ目筆頭代理、猫ノ目透子様が落ちました!』
「第四話 空飛ぶ猫」終
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