4-14 初陣前と通信機

 慣れない猫の面に狩装束を身につけて、久遠は鳥喰家の本邸の前に立っていた。周囲には久遠と同じく狩装束を身につけた人々が集まっている。


 猫の面をつけているのは久遠だけで、鳥をかたどった面をつけた知らない鳥狩が数人、そのほかには黒子のような全身真っ黒な狩装束を着た人間が多い。その人たちの顔には「追」と書かれた布がつけられている。夜に溶け込むような風体で白い布だけ浮いて見え、人数が多いこともあわせてホラー映画の一幕のようだ。久遠以外は慣れているのか気にもとめていないのが場違いという感覚を加速させる。


「久遠様、緊張していますか?」

 

 そう久遠に声をかけたのは「猫守」と書かれた布をつけた守だった。久遠の狩装束と一緒に猫ノ目から届けられた白い布を見て、守はやけに感動していた。目を輝かせ、金メダルでも獲得したかのように喜ぶ守に久遠は戸惑ったが、朝陽曰く「守」の字を得られるのは五家の霊力持ちにとってとても名誉なことらしい。

 そのためか今日の守はいつもよりも張り切っているようで、先ほどから久遠の隣にピタリと寄り添って、意味もなく周囲を警戒してみたり、胸を張ってみたりと忙しい。


「緊張はしてますね」


 守が面白いので若干気が紛れているが、慣れない場所に知らない人たち。これから初めての狩りに向かうのだから緊張しないはずもない。


「けど、それ以上に不安が。視界も見えにくいし」


 顔につけた猫の面をなでる。つるりとした冷たい感触が手に伝わり、狭まる視界や面の重さ、頭を縛られる圧迫感から違和感が拭えない。


「なんで面なんてつけるんですか?」

「現代においては身バレ防止も兼ねてます」


 守から「身バレ防止」という言葉が出たことに久遠は少し笑いそうになった。守は真面目に説明してくれていると分かっていたので漏れそうになった笑いをなんとか飲み込む。


「ケガレを直接見ることは良いことではありません。ケガレに近づくだけで我々は少なからず悪影響を受けます。その影響を少しでも軽減させるために、布や面で隔たりを作るのです」

「でも、見づらくないですか?」

「そこは慣れてくださいとしか……」


 布を被っていても守が困った顔をしているのは想像出来たが、それは今までの付き合いがあったからだ。同じ服装に顔を覆った集団を見渡すと性別すらよく分からない。


「誰が誰だか分からなくなりません?」

「行動する機会が多くなれば自然と分かりますよ。動きの癖がありますから」


 顔や声ではなく動きの癖で人を判断する。さらりと言っているが簡単にできるとは思えない。

 生悟や朝陽といった狩りに参加する人たちの中でも手練れと並んでいたから分からなかったが、守も一般人と比べれば相当特殊な人間だ。こんな集団の中にずぶの素人である自分が混じっていいのだろうかと久遠の不安は大きくなった。


「久遠、狩装束にあってるな!」


 浮かんだ不安を吹き飛ばすような明るい声が響く。周囲で準備や雑談をしていた人たちの視線も自然と声の方へと集まった。

 颯爽と現れたのは生悟だった。面をつけ、烏天狗をモチーフとした狩装束を着ており、他の鳥狩と背格好以外の見分けはつかないはずなのに、久遠はすぐさま生悟だと分かった。それだけ生悟のオーラが他とは桁外れなのだ。鳥狩の象徴である金の髪は誰よりも神々しく輝いている。

 

 その隣に平然と並ぶ朝陽は夜闇に溶け込んでいるようだった。間違いなく目の前に存在しているのに気配がない。目をそらせば消えてしまいそうなほどの希薄さ。それを意図的に行っているのだと思えば、この二人が現役で一番の実力者と言われるのも納得がいく。


「今日は猫ノ目から大事な金眼の猫をお借りしてますので、皆様、はしゃぎすぎて鳥喰が怖い所だって思われないようにご注意ください!」


 久遠の隣に並んだ生悟はおどけた声を出す。「お前がいうな」という笑い混じりの文句が各所から上がるが、生悟はそれに「ひどいなあ」と笑って返した。

 五家の中で鳥喰が一番大所帯だと聞いたが関係は良好のようだ。それが鳥喰の気風なのか生悟の力なのかは分からなかったが、思ったよりも緩い空気に久遠はほっとした。


「事前にお伝えしていた通り、今日の俺は久遠につきっきりになるので、俺が抜けた分は皆でフォローよろしくお願いします。あとはいつも通りで!」


 適当すぎる指示に誰も文句を言わない。だらけた空気が引き締まり、ばらけていた人々が複数人の班に固まる。班ごとに確認が始まったのを見て、いよいよ狩りが始まるのだと久遠も気を引き締めた。


「出発する前に久遠様に通信機の使い方をお伝えしますね」


 そういって朝陽が懐から取り出したのは小さな機械。ワイヤレスイヤホンのようだが、先の方を引っ張ると口元まで伸びるマイクが収納されている。そのほかにも細かなボタンがいくつもついていて、見たこともない機械に久遠の好奇心が刺激された。


「そしてこちらが通信機の操作を行うスマホです」


 続いて朝陽が懐から取り出したのは小型スマートフォンだった。久遠が持っているスマートフォンはゲームをのために画面の大きな物を選んで買って貰ったので、小さな物を見るのは新鮮だ。


「通信機のボタンでオンオフも出来るんですが、グループごとの通信切り替えはアプリが必要です」


 スマートフォンに入っていた猫のマークのアプリをタップするとリモコンのようなシンプルな画面が表示される。そこには「鳥喰六班」と表示されていた。


「私たちは今回、鳥喰の六班として行動することになっているので事前に設定しておきました。登録の仕方に関しては帰ってから守に聞いてください。」


 守が任せろというように胸をたたく。いつもよりも言動がオーバーなのは顔が布で隠れているためらしい。表情の代わりにジェスチャーで意思表示するようだ。

 久遠は試しにアプリを触ってみる。通信先は朝陽が設定してくれた「鳥喰六班」の他に「全体」というものしかなかった。


「全体って今日の場合は鳥喰ですか?」

「いえ、五家全体です」


 さらりと告げられた言葉に久遠の体は硬直した。恐る恐る朝陽を見つめるが布のせいで全く分からない。隣の守を見ると大きく首を縦に振っている。


「通信機にあるボタンを長押しすることでも全体通信になりますので、緊急時にはご利用ください」


 そういって守は通信機にあるボタンを示した。まちがって押さないようにという配慮なのだろう。意識しなければ触らない所にボタンが配置してある。


「緊急時っていうのは……」

「猫ノ目だけじゃ対処できないから他家に救援頼むっていうピンチの時に使う。他家にいる友達呼び出す時に使ったりするとめちゃくちゃ怒られるから」


 それやったんですかとは聞けなかった。そうだと答えられたら怖い。目の前の存在のメンタルが強すぎて。


「よく使われるんですか?」

「俺が鳥狩になってからは一度もないな。万が一の保険みたいなものだと思っていいぞ」


 そういって笑う生悟を見て久遠はホッとした。領土問題で揉めてる現状で、それでも他家に救援を求めるとなればかなり緊迫した状況だ。そんな状況には遭遇したくない。


「守の番号だけは短縮に入れてもらえ。通信の練習もちょっとしたいし」


 生悟の言葉を聞いた守はいそいそと久遠に手を差し出した。その手にスマートフォンを手渡すと守がウキウキしながら通信先を登録しはじめる。その様子を横からのぞき込む。見ている限り簡単そうなのですぐに覚えられるだろう。道永や要の番号も登録した方がいいのだろうか。そんなことを考えていた久遠は登録するということは使うということで、使うということは狩りに出るということなのだと気がづいた。


 自分と同じ立場である鳥狩たちを見つめる。自分より背の高い大人に囲まれても堂々としている姿を見て、久遠は自分もあんな風になれるだろうかと不安になった。慌てて頭を左右に振る。弱気な自分は置いていかなければいけない。


「いよいよ、初陣だ。久遠、心の準備は出来たか?」


 いつの間にか近づいていた生悟が久遠の顔を上からのぞき込む。目を覆う仮面のせいで生悟の表情は分からない。鳥のくちばしを表現した面は猫の面よりも凹凸があり、ペストマスクのような不気味さもあった。唯一見える口元が弧を描いている。不安で怯える久遠とは対称的に、夜の生悟は昼間よりも生き生きして見えた。

 それが獣の血によるものだとしたら、自分にだって同じものが流れている。そう久遠は自分に言い聞かせ、胸に手をあてて深呼吸した。


「……はい。覚悟決めました」

 まっすぐに生悟を見上げる。お互い仮面で目は見えないが、たしかに目がかち合った気がした。


「上出来!」


 楽しげに生悟は言うと、ひょいっと久遠を持ち上げる。あまりにもあっさり持ち上げられたものだから久遠は抵抗することも出来ずに固まった。久遠の通信機とスマートフォンを持っていた守が「久遠様!?」と悲鳴を上げるのが聞こえる。


「朝陽、後からついて来て!」


 その言葉と同時、久遠の間近で風が生まれた。面で狭まっていた視界がさらに暗くなる。何が起こったのかと顔を上げれば視界に入ったのは大きな翼。地上を照らす月の光を遮るように、いや、月の光を吸収するように輝く翼が生悟の背から生えている。


 鳥喰家の異能は空を飛ぶ翼と敵を狩る鉤爪。

 初めて目にする、物語でしか存在しなかった異能を前に久遠の心は震えた。それは紛れもなく興奮で、自身に流れる獣の血が同族の存在に喜んでいるように思えた。

 

 

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