4-12 学ぶ猫とスパルタ鳥狩

 一通り生悟と朝陽から形を教わる頃には日頃使わない筋肉が悲鳴を上げていた。体を思い通りに動かす。狙ったところで動きを止めるというのは難しいのだと実感する。

 実際にやってみると流れるように演舞を続けた生悟と朝陽がいかにすごいのかが分かる。久遠と守の場合は合わせるレベルですらない。久遠は形を覚えるところから始めなければいけないし、守も生悟たちから見て改善点が多いらしい。


 休憩と言う生悟の声とともによろよろとマットから降りた久遠は床に座り込んだが、他三人は平然としている。体力のなさを痛感し、ぼんやりと高い天井を見上げていると目の前にスポーツドリンクが現れた。続いて久遠を覗き込む朝陽の顔が視界に入る。


「水分補給しましょう」

「ありがとうございます」


 渡されたペットボトルを素直に受け取って喉に流し込む。よく冷えた飲み物が体に染み渡ると久遠は息をついた。

 朝陽は生悟と守にもスポーツドリンクを渡している。いつのまに用意したのだろう。


「冷蔵庫に常備されてるんですよ」


 久遠の視線に気づいた朝陽は自分の分のキャップをひねりながらとある方向に視線を向けた。視線をたどれば更衣室の隣にあるドアに行き着いた。そこに冷蔵庫があるのだろう。


「常備ってすごいですね」

「私たちは死ぬ気で戦っているんです。これくらいのサポートはしていただかないと」


 さらりという朝陽に久遠は目を瞬かせた。控えめで冷静で大人しい。それが朝陽の印象だったがどうやら違うらしい。

 考えてみれば生悟とあれほど息の合った動きが出来るのだ。形だけではなく根本的な部分が通じ合っているのだろう。生悟の射貫くような視線や圧を感じる言動。あのように分かりやすい態度に出さないだけで、朝陽にだって生悟と同じものがある。そう理解した久遠はゴクリとツバを飲み込んだ。

 朝陽はきっと怒らせちゃいけないタイプの人間だ。


 気づいてしまった事実から目をそらすべく久遠はスポーツドリンクを体に流し込む。守は休憩もそこそこに朝陽に質問をし始め、朝陽もそれに嫌な顔ひとつせずに答えている。

 すごいなと疲労が抜けず、ぼんやりした頭で二人を眺めていると生悟が眼の前に座り込んだ。何事かと視線を向ければ生悟と久遠の間にオセロの台が置かれる。コマを置く凹みがあるタイプで、久遠側には黒、生悟側には白のコマが綺麗に並んでいた。


「なんでオセロ?」


 思わずつぶやくと生悟は満面の笑みを浮かべる。その言葉を待ってましたとばかりの反応にますます戸惑った。


「こっからは守と別メニュー。久遠は霊術の練習な」

「オセロでですか?」


 どこからどう見ても普通のオセロだ。何か仕掛けがあるのだろうかと注意深く観察しても今まで見てきたオセロとの違いが見つからない。眉を寄せていると生悟は楽しげに口角をあげた。

 

「コマをよーく見てろよ」


 緑の盤面には白のコマも黒のコマも並んでいない。この状況でコマを見ろと言われても何を見ればいいのかと戸惑っていると、生悟側の白いコマ、久遠側にあった黒のコマが同時に浮き上がり、中央に着地した。


「えっ!?」


 見間違いだろうかと目をこすり、もう一度オセロの盤面を凝視したが、黒と白のコマが二つずつ、綺麗に並んで置かれている。マス目からずれることもなく置かれた四つのコマは最初から置かれていたかのように堂々として見えた。


「コマに霊石が混ぜてあるんだよ」

「霊石って霊力に反応するっていう」

「そうそう」


 生悟がそういうと盤面に置かれた白のコマがふわりと浮き、クルクルと久遠の周囲を回ると、再び盤面へと戻った。言われてみれば確かに生悟から霊力の気配が糸のように繋がっていた。しかし、生悟の体は一切動いていない。動くことも力むこともなく手足のようにコマを動かしている。


「すごい……」

「久遠もこのくらいはかるーく出来るようにならないといけないんだぞ。っていうか俺よりも霊力操作についてはうまくならないとな」


 軽い口調でプレッシャーをかけられて久遠は怖気づきそうになった。それを何とか押さえつけて頷く。そんな久遠の反応を見て生悟はにこりと笑う。


「ルールはオセロと一緒。ただし手は使っちゃダメ。コマは霊力で動かす。置き場所を間違えたり、盤の上に乗せられなかったら失敗。そこで久遠のターンは終わりで俺のターン。なれるまでは久遠が操作し終えるまで待ってやるよ」


 生悟は笑っているが、初心者にはなかなかきついルールである。習うより慣れろ。実践で覚えろ。生悟はそういう指導者のようだ。


「守は朝陽と組み手な」


 コマを動かす感覚をつかもうと躍起になっている久遠の前で生悟は背後に向かって声をかけた。朝陽は変わらずの無表情だが守は組み手という鍛錬に気合いを入れているのが見て取れる。

 大きなマットは形の練習というよりは組み手のためにひいたようだ。ということは守は朝陽によって容赦なく投げ飛ばされるということだろうか。


「朝陽は俺よりも丁寧だから怪我させたりしないし、大丈夫」


 生悟はそういうと白いコマを中に浮かせる。空中で生きてるかのように回るコマを見て久遠は身を引き締めた。

 今は守の心配をするよりも眼の前のことに集中しなければいけない。生悟のように、いや、生悟以上に霊術を扱えるようにならなければ久遠の目標は叶わないのだ。


「ほんと久遠、いい顔するようになったな」


 生悟は楽しげにそういうと、空中で回っていた白いコマを手でキャッチした。それから真剣な顔で告げる。


「練習だから負けていいなんて思うなよ。勝負ごとはいつだって勝つ気でやるものだ」

「もちろんです。俺、ゲームで負けるのは嫌いなんです」


 キッパリとした物言いに生悟はかすかに目を見開いて、それから待ってましたとばかりに楽しげに笑う。ワクワクと子供みたいな顔をしているが赤い瞳はギラギラと光っていた。

 その瞳を見て、初めて対等な立場に立てた気がした。実力差でいったら生悟の方が上だが、ゲームであったら久遠にだって勝機はある。殴り合いでないのなら、非力な久遠にだって勝ち筋はあるのだ。


「じゃあ、先行は久遠からな」


 スタートの合図を聞いた久遠は自分側の溝に並んでいる白いコマに意識を集中させた。一番端にあるコマに向かって霊力を伸ばし持ち上げる。

 と、イメージではあっさり持ち上がったコマは少し浮き上がっただけで落ちてしまう。


「霊力は少なすぎても多すぎてもダメだ。どのくらいの量でどの程度のものが持ち上がるのか、感覚を掴むところからだな」


 のんびりした生悟の声が聞こえる。動かせなければ話にならないので待ってくれるようだが、大きすぎるハンデは久遠の自尊心を傷つけた。

 運動に自信がなくたって、ゲームの中なら強くなれる。それが久遠にとっての誇りであり自信だったから。


 勝負の土俵にも上がれないまま終了なんてありえない。久遠は先程よりも多くの霊力をコマに集中させ……

「あっ」

 見事にコマが明後日の方向に飛んでいった。


 鍛錬場の高い天井を飛んでいくコマを久遠は唖然と見送る。力を込めすぎたことはわかったが、あんな風に飛んでいくとは思わなかった。

 拾わなければと腰を浮かせたところで、黒い手のようなものが空中でコマを掴んだ。何だあれはと問う前に黒い手はスルスルと久遠の方、正確いうと生悟の元へと戻ってくる。

 黒い手から黒いコマを受け取った生悟は久遠に向き直るとニヤリと口角をあげた。


「久遠、実は負けず嫌い?」


 表には出さないようにしていた性分がバレて久遠は縮こまる。全くできないのに負けん気だけ強くて、生悟にフォローまでさせている。

 思ったように霊術が扱えない苛立ちやら、恥ずかしさやらが押し寄せてきて久遠は下を向いた。


「負けず嫌いは上達の秘訣。恥ずかしいことじゃないから気にするな」


 ポンポンと頭を撫でられて久遠は恐る恐る顔をあげた。久遠の頭を撫でるために身を乗り出した生悟は優しい顔で久遠を見つめている。

 先程とは別の意味で気恥ずかしくなった久遠が視線をそらすと、パチンとコマが置かれる音がした。見れば黒を挟むように白が置かれており、挟まれた黒は生き物ようにひっくり返り白へと変わっていた。


「でも、盤面にはおけなかったから、俺のターン! 次失敗すると俺の勝ちでゲーム終了」


 あぐらをかいた生悟は膝に肘をつき、頬に手を当てながらニヤニヤとこちらの様子を眺めている。

 そんな生悟の後ろでは守がもはや見事としかいえない動きで朝陽にふっとばされマットに叩きつけられていた。

 

 早くもピンチに陥った自軍、一切容赦をみせない朝陽の動きを見て久遠は四郎たちが顔を青くしていた意味を理解した。


 鳥喰生悟はスパルタだ。

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