4-11 熟練コンビと演舞

 しばし見つめ合っていた久遠と守はガチャリとドアの開く音で我に返った。大げさなほど肩を震わせてドアの方へ体を向ければ、中途半端にドアを開いた朝陽がこちらを見つめている。真っ黒な瞳からは何の感情も読み取れない。何もしてないのに悪いことをした気持ちになった久遠をよそに朝陽は無表情のまま首を傾げた。


「どういう状況?」

 

 改めて自分たちを見れば守は未だ跪いたままだし、着替えに来たのに二人とも上着すら脱いでいない。朝陽が不思議に思うのも無理はない。

 なんでもないと誤魔化そうとした久遠は朝陽の方へと顔を向け、気づけば目の前に迫っていた朝陽の顔に悲鳴を上げそうになった。

 朝陽は気配がない。狩りになれた者は気配を消すのが癖になっていると要に聞いたことがあるが目の当たりにすると心臓に悪い。なんとか悲鳴は飲み込んだものの心臓はバクバクと音を立てている。そんな久遠の内心には気づいていないのか朝陽は久遠を至近距離からじっと見つめ眉を寄せた。


「久遠様、泣きましたか?」


 少し前、みっともなく泣いた自分を思い出し久遠は息をのんだ。鏡がないので分からないが目をこすったので赤くなっているのかもしれない。朝陽に事情を説明するのは恥ずかしい。だからといって変に誤解されても困る。慌てた久遠は意味もなく両手をあげるが言葉が見つからずに視線をそらした。


「守が泣かせたの?」

 答えない久遠に何を思ったのか、朝陽は守に問いかけた。思ってもみなかった言葉に久遠は固まる。守も驚いた様子で目を見開いたが、なぜか神妙な顔で頷いた。


「私の配慮のなさが久遠様を苦しめました」

「いや、守さんは悪くないです! 俺の八つ当たりで!」

「お優しい久遠様をそこまで苦しめていたことに気づかないなんて従者失格です」

「守さん!!」


 心底悔しそうな顔をする守の肩をつかんで久遠は揺さぶった。見た目は細身の美少年だが追人をやっていただけあってしっかり鍛えている。久遠が揺さぶってもびくともしない。自分が非力だと言われているみたいで久遠は少しムッとした。


「よく分からないけど、鍛錬する気があるなら着替えて。今日は見学だけにしたいって言うなら無理にとは……」

「やります」


 朝陽の言葉を遮りながら答える。決意を示すために朝陽の顔を見つめれば黒い瞳がかすかに見開かれた。それが緩やかに細められ、口元は弧を描く。


「生悟さんが喜びます。久遠様との狩り、本当に楽しみにしていらっしゃいますから」

 朝陽はそういうと微笑んだ。突然の笑顔は破壊力がある。久遠が固まっていると朝陽は笑みを浮かべたまま、足取り軽く更衣室を出て行った。


「気を遣ってくださったんでしょうか?」


 朝陽が出て行ったドアを見つめながら守は首をかしげた。久遠は「たぶん」と力なく答える。それから二人に気を遣われるほど落ち込んでいたのだと気づいて恥ずかしさに顔を赤くした。誤魔化すように頭を振るとロッカーの中に入れっぱなしだった体操服を手に取る。


「待たせると悪いので、急ぎましょう」


 守は頷くと床に置いていた体操服を持ち上げ鍵のかかっていないロッカーを開いた。豪快に服を脱ぐとほっそりとした体からは想像出来ない引き締まった筋肉が目に飛び込んでくる。久遠は自分の薄くて細いだけの体を見下ろして危機感を覚えた。

 守に薄っぺらい体を見られるのは恥ずかしいので慌てて体操服を着る。飛禽ひきん学園、鳥喰生悟と刺繍された体操着は大きかった。生悟は平均身長より高めに見えたが、中学時代も久遠より大きかったらしい。負けた気持ちになりながら袖を折り、ズボンをめくる。

 チラリと見た守も眉間に皺を寄せながら袖をおっていた。胸の所には高畑朝陽と刺繍がされている。


「鍛錬、頑張りましょうね」


 守が拳を握りしめる。負けてなるものかという気迫は色んな感情が込められているように見えた。久遠も折られた袖を見ながら思う。

 まずはもっと大きくなりたい。


 更衣室を出ると入る時にはなかった大きなマットの前に生悟と朝陽が立っていた。二人とも制服から運動しやすい服に着替えている。朝陽は高校のものらしい体操服姿、生悟はスポーツレギンスにTシャツ、ハーフパンツといかにもスポーツマンという格好をしている。

 笑顔で手を振ってくる生悟から久遠は目をそらしたくなった。目立たないように隅っこで生きてきた久遠から見て生悟はまぶしすぎる。それでも、これからは目をそらしてはいけないのだと逃げそうになる視線を無理矢理生悟に固定する。


 生悟は少し驚いた顔をしてから目を細めて笑った。今までみた笑顔は無邪気な子供のものだったが、今の生悟の笑顔はずいぶん大人びて見える。突然の変化に驚いている間にいつも通りの笑顔に戻った生悟は久遠に駆け寄ってきた。


「久遠、覚悟決まった?」


 両手をとって生悟は久遠の顔をのぞき込んでくる。鳥狩の証である真っ赤な瞳と金色の髪。目立つ容姿でなぜ堂々としていられるのだろうと疑問だったが、目をそらさないと決めた今なら分かる。目立つからこそ生悟は堂々としていなければいけないのだ。頼りない鳥狩では周囲は不安になってしまうから。


「……覚悟、決まりました」


 久遠もそれに習おうと思った。自分には出来ないなんて甘えていられる時間は終わったのだ。やらなければ自分の欲しいものは手に入らない。両親が守ってくれると根拠もなく信じていられた時間は終わったのだ。これからは母が言っていた通り自分で見なければいけない。

 久遠の返答に満足したのか生悟は目を細めた。穏やかな笑みを浮かべて久遠の頭をなでる生悟は兄のようで、一人っ子の久遠は落ち着かない気持ちになる。


「んじゃ、準備運動するか。急に体を動かしてケガしたら洒落にならないし」


 そういいながら生悟は久遠の手を引いてマットの上へ移動した。思ったよりも弾力のあるマットに久遠は戸惑う。

 パッと久遠の手を離した生悟はすでにマットの上に移動していた朝陽の隣に並んだ。守は久遠の隣に並び、生悟たちの様子を観察している。


「今の猫ノ目がどんなやり方してるのか知らないから鳥喰方式でいくぞ。とりあえず俺たちのマネして」


 生悟が行った準備運動は体育の授業よりも念入りだった。時には二人がかりで丁寧に体の筋肉を解きほぐしていく。体育が嫌いで準備運動すら適当に行っていた久遠からすると新鮮で、体が伸びる感覚は気持ち良い。守は生悟たちの動きをすべて覚えるという気迫のにじんだ目で生悟たちを見つめる。というか睨み付けていた。そんな守の視線にさらされても生悟たちの動きはよどみない。


 生悟も朝陽も久遠たちより背が高い。服を着ていると細身に見えるがよくよく見れば筋肉がついていることが分かる。おそらく狩りに必要な筋肉を無駄なくつけているのだ。

 自分よりも大きな体がしなやかに、柔らかく動く様は久遠から見て驚きだった。授業で運動が出来る同級生を見ているが、今まで見た誰よりも生悟の体は完成されて見える。

 それに比べると久遠の体はダメダメだ。生悟と同じ動きをしようとしても体が伸びきらなかったり、変な所に力が入ってしまったりする。体だってずいぶん固い。準備運動でこれほど違いが出るのかと久遠は正直落ち込んだ。


「久遠は成長期だから無理に筋肉つけようとせずに、体力増やすこと考えろよ」

 久遠の焦りを感じ取ったように生悟がいう。久遠は素直に頷いた。本番は今夜だ。今更ジタバタしても遅いのだから今できることをするほかない。


「久遠ってまだ体術は習ってないんだよな?」

 準備運動が一通り終わってから生悟にそう問いかけられた。久遠は頷く。


「空手に形ってあるだろ? 五家にも伝わってる形があるんだ。今から教えるからこれから毎日守と一緒に練習な」

 明るい声と表情だったが絶対にやれという圧を感じる。久遠は背筋を伸ばし、先ほどよりも勢いよく頷いた。


「それぞれ、別に練習するのはいいけど朝晩、必ず二人で合わせろ。狩人と守人は一蓮托生。呼吸を合わせて、思考を合わせるのが重要だ。会話しなくたってお互いが何をしたいのか感じ取れるくらいに」


 そういうと生悟と朝陽は顔を見合わせた。打ち合わせをしたわけでもないのにピタリとそろう。久遠が目を丸くしている間に二人は両手を広げてもぶつからないほどの距離を取り、姿勢を正して息を整える。顔をあげるのも脇を締め肘を引き、拳を突き出すのも、かけ声をあげるのも、次の動作に移るのもすべて同時だった。同じ生き物のように二人は腕を回し、宙を蹴り、体をひねる。見えない敵を睨み付ける表情すらも同じで久遠はあまりの衝撃に声を出すことすら出来なかった。


「……これが、現役一番の組……」


 隣の守が呆然とつぶやく。そこには憧憬と悔しさがにじんでいた。

 久遠はただ見とれ、胸がドキドキと高鳴った。目が離せない。一つ一つの動きが美しく、かっこよく見えた。あんな事が出来るだろうかという不安よりも、あんな風になりたいという強い願望が体を満たす。気づけば拳を握りしめ、金色の瞳を目一杯見開いて二人の演舞を見つめていた。瞬きすら惜しい。そんな感情を抱いたのは初めてだ。


 形を終えた二人はそろって頭を下げる。見届けた久遠は思わず手をたたいた。「すごい」という言葉が自然と口からこぼれる。

 先ほどまで射殺さんばかりの形相を浮かべていた生悟は顔をあげると照れくさそうに頭をかいた。朝陽はいつも通りのクールな顔に戻っていたが、心なしか誇らしげに見える。

 

「そんなにキラキラした目で見られると照れるし嬉しいな。朝陽」

「久遠様のことが好きになりました。今度お好きなものをお送りしますね」

「朝陽って案外ちょろいよな」


 生悟があきれた顔をしたが朝陽は涼しい顔で久遠を見つめている。よくよく見ると黒い瞳はいつもよりも輝いている。わかりにくいが朝陽も手放しに褒められて嬉しかったようだ。


「二人みたいに俺たちも出来るでしょうか?」

「出来ますよ!」


 二人の演舞があまりにも美しかったために興奮が収まると不安が顔をだす。すかさず守が鼻息荒く声を上げた。その顔には「絶対に二人よりも上手くなってやる」という決意が見える。そんな守を見ていると久遠の胸に浮かんだ不安な気持ちが吹き飛んだ。

 守と一緒だったら出来る。そんな希望がわいて久遠は力強く頷いた。

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