4-10 新米コンビと初めての衝突

 制服では動きにくいだろうと体操服を渡された。生悟と朝陽が中学生の頃に使っていたものらしい。

 そのまま更衣室へと案内されたが朝陽の説明はどこか遠くの世界の話のように久遠には思えた。ぼんやりする久遠を見て、生悟と朝陽、守は心配そうな顔をしたが久遠は三人の視線を無視した。

 

 それだけ桜子が生贄になるという話は久遠にとってショックだった。今日初めて会った相手だとは思えないくらい、体の半分を引きちぎられてしまったような痛みを感じた。


 重い足取りで更衣室に入ると壁に並んだロッカーが目に入る。鍵のかかっていないものは自由に使っていいと言われていたので、久遠は手前の一つを無造作に開く。朝陽から受け取った体操服をいれるだけの動作でずいぶん疲れた。重苦しい息を吐き出すと久遠は動きを止める。もう何もしたくない気分だった。


 後から更衣室に入ってきた守の気遣わしげな視線を感じる。わかってはいたが久遠は喋る気になれなかった。久遠を心配している守の視線すら鬱陶しい。今はそっとして欲しい。できることなら今すぐこの場を逃げ出したい。


「五家って使命のためなら個人の命なんてどうでもいいんですね」


 自分でも驚くくらい冷たい声が出た。視界のはしに立っていた守がビクリと肩を震わせる。気まずげに視線を下げる守の姿にイライラした。人を犠牲にしながら偽善者ぶるなという苛立ちと守は悪くないという冷静な気持ちがぶつかり合う。


「なんで守さんはそんなに五家に尽くすんですか。年下の何も出来ない人間を主君として崇めて、プライドとかないんですか?」


 これは完全に八つ当たりだ。五家に来てからおかしいと感じていたこと、理不尽に感じていたことがいくつも浮かぶ。受け入れなければいけないと思いつつも引っかかっていた不満がまとめて吹き出したようだ。

 

 何で自分がこんなに辛い想いをしなければいけないんだろう。両親が死んで悲しくて、つらくて、いっそ死んでしまいたいほどなのに、何で人のために戦わなければいけないんだろう。世間の人はケガレなんて知らないし、五家の人間が必死に町を守っていることだって知らない。そんな相手を自分が、道永や透子が身を削ってまで守る価値があるんだろうか。


「久遠様、それ以上はダメです。暗い気持ちに飲み込まれてはいけません。ケガレは弱った心を狙います。恐怖や悲しみ、怒りといった感情を増幅させて心を殺し、体を奪うんです。だから……」

「落ち着けって? どうやって!!」


 衝動のままにロッカーを殴りつける。拳がジンジンと痛んだがそんなことすらどうでもいい。少し離れた場所に立っている守をにらみつける。守の怯えた顔に苛立ちが増した。


「俺、まだ中学生だよ!? なんで使命とか一族の未来を考えなきゃいけないの? 何で俺にそんな重たいものを押し付けるの! 俺だけじゃない。なんで道永さんにも透子さんにも、桜子さんだって……」


 ロッカーに叩きつけた拳を握りしめた。悔しさで唇を噛みしめる。

 五家が狩人を崇める本当の意味に久遠は気づいてしまった。

 五家にとって、いや、世界にとって狩人は生贄なのだ。多くの人たちが平和に暮らすため、ケガレと戦うためだけに担ぎ上げられた存在。あなた達は選ばれたから戦わなければいけないのだと幼い頃から洗脳し、誰もがやりたがらない汚れ仕事を押し付ける。だからこそ五家は狩人を讃え、もてはやす。自分たちが出来ないこと、やりたくないことをやってくれる存在だから。狩人たちが自らすすんで町を、人を守っているのだと錯覚させるために。


「五家はおかしい! こんなの子供にさせることじゃない!」


 力の限り叫んだ。目から涙がボロボロとこぼれていく。両親の葬式で散々泣いて、涙は枯れたと思っていた。気づかなかっただけで本当はずっと泣きたくて、喚いて怒って、叫びたかったのかもしれない。なんで自分がこんな目にあわなければいけないのかと。


「逃げたいですか?」


 あふれる涙を拭っていると守の静かな声が聞こえた。涙で視界が歪む中、声のした方へ顔を向けるといつのまにか近づいてきていた守が足元に跪き、久遠を見上げている。


「久遠様が逃げたいのでしたら、私は協力します。必ず久遠様を夜鳴市の外に連れていきます」

「……そんなこと、できるんですか?」

「五家以外にもケガレと戦う組織はあります。そこに頼めばなんとかなると思います。道永様と要さんも久遠様が本気で逃げたいと思うなら協力してくれますよ」


 逃げていいんだよと言った道永の姿を思い出す。続いて苦しそうな要とこちらをにらみつける透子が頭に浮かんだ。


「……猫ノ目は?」

「私達がなんとかします」

 守は真剣な顔でそういってからふと表情を緩めた。


「四郎に言われた通り、私は守人失格です。久遠様が泣き出すまで久遠様の気持ちに気づかなかった」

 そういって守は眉を下げ唇を噛みしめる。しかしすぐに明るい笑顔を浮かべた。わざとらしいほどに。


「久遠様がやりたいことをやりたいようにやってください。それを手助けするために守人はいるんです」

「なんでそこまでやってくれるんですか? 俺が金眼だからですか?」


 久遠の問いに守は少し考えて苦笑した。


「私、単純なのであなたには人を守る力があるって両親に言われてとても嬉しかったんです」


 守はそういうと手のひらに霊力を集めた。固まった霊力は守の手のひらの上でクルクルと回り、青い球体を形作る。その光は柔らかく、見ているだけで苛立ちが溶けていくような気がした。


「かっこよくないですか? 人知れず戦って、町の人たちを守る。戦隊ヒーローみたいだって小さい頃の私は思ったんですよ」


 守の手のひらに集まっていた球体がほどけて消える。キラキラと輝いて手から零れ落ち、最後には消えてしまうそれは儚く、それでいて優しい。守の心のようだと思った。


「だから追人になったんです。ヒーローみたいに格好良く人を救えると思ったんです。すぐにそんな良いものじゃないと気づきました。友情、努力じゃどうにもならないし、誰かに感謝されるわけでも、応援してもらえるわけでもないし、良い事をしているのに隠れなくちゃいけない。なんで戦ってるんだろうって考えることもありました」

「それなのに戦い続けたんですか?」

「私はいつでも辞められますから、できるところまでやってみようと思ったんです」


 そういって守は悲しそうに笑う。守が言葉にしたくとも飲み込んだ言葉がわかった。

 追人は辞められる。でも狩人は辞められない。


「怖いとか逃げたいとか、狩人は言ってはいけないんです。だから要さんは道永様を必死で守りました。誠さんも透子様を支え続けています。守人だけなんですよ。狩人が甘えていいのも、本音を見せていいのも。だから私は守人に憧れました」

「憧れた?」

「私は単純なのでカッコいい人を支えるカッコいい従者になりたかったんです」


 守の笑顔は輝いていた。テレビの前に座ってヒーローを応援する子供のような顔。そこにあるのは純粋な憧れで、久遠は眩しさに目を細めた。


「でも、これは私の理由です。久遠様を支えたいと思うのも私の私情です。だから久遠様は気にしなくていいんですよ。普通の中高生はケガレと戦ったりしないって私もわかっています」


 そういって守は笑うがその表情は不自然だった。久遠の心を少しでも軽くしようという気遣いの笑顔。守の優しさが伝わるだけに久遠は苦しくなった。

 自分が逃げても、この優しい人は戦い続けるのだろう。透子も道永も要も、今日あった筆頭たちも、自分たちの背に多くの人の日常がかかっていると知っているから。


 やっぱり五家はおかしいと思う。こんな重たいもの子供に背負わせるべきじゃない。もっと他に良い方法があるはずだ。自分たちが、桜子が犠牲にならなくて良い方法が。


「……母さんに目をそらしちゃダメ。目をそらしたらもっと怖くなるからって何度も言われました」


 下を向いた久遠は拳を握りしめる。血が沸騰しそうだ。これが獣の血なのか久遠自身の感情なのか分からない。どちらでもいいと久遠は思う。


「母さんのこと大好きだったけど、その言葉だけは嫌でした。何で嫌なものを見ないといけないんだって。目をそらしちゃダメなんだって。でも、今分かりました」


 決意を込めて久遠は守と目を合わせた。


「逃げたら俺は一生怯え続ける。逃げた事実にもケガレにも。猫ノ目がどうなったのか気になって何も手につかないかもしれない」


 怖いものは見ないともっと怖くなる。

 母の言葉は本当だった。目をそらして見ないふりをしたところで怖いものは消えてなくならない。それどころかどんどん大きくなって久遠を押しつぶすのだ。それならばとことん見てやろう。猫ノ目の行末を、五家の今後を。そして桜子を救う方法を見つけるのだ。


「守さん、俺は怖がりで頼りない猫狩ですけど、ついてきてくれますか?」


 しゃがみこみ守と目を合わせる。他の狩人だったら胸を張り、堂々とついてこいと言えるのかもしれない。そんな自信が久遠にはまだない。それでもついてきて欲しいと思った。守に「はい」と言ってほしかった。


「もちろんです!」


 泣きそうな顔で破顔した守を見て久遠は欠けていた何かが埋まったような満足感を覚えた。これが狩人と守人というものなのだと知識ではなく本能が理解する。


 今日、この瞬間、久遠と守は本当の意味で狩人と守人になった。

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