4-9 狐の巫女と金眼の猫
「追跡班の話だとたまたま久遠の両親が出かけるのを見て、住居を突き止めるために後を追ったっていうのよ」
「すでに居場所を突き止めていたって話と矛盾しませんか?」
「そうなの」
ルリは落ち着かない様子で髪をいじる。
「それに後部座席に久遠が乗っていたかどうかの確認もしていなかったみたいなの。それって問題でしょう」
「もしかしたら久遠様が死んでいた可能性があるってことですか」
薫子の固い口調にルリは頷いた。
「久遠を保護するために探していたのに、久遠が乗っている可能性がある車を事故を起こすほど追い立てるっておかしいでしょ。久遠のご両親が亡くなった後の対応も迅速すぎる。すぐに久遠を家に迎えに行って手配していたホテルに連れて行って、葬式も火葬も次の日には行ってる。追跡班にとっては知らない土地であるにも関わらずね」
「葬式や火葬の件、こちらに連絡はあったんですか」
四郎の言葉にルリは両手を広げて肩をすくめた。つまり無かったということだ。
「気づいたら全部終わってたわ。久遠が元々いた家も引き払われてて、家具を売り払う時間はなかったみたいで倉庫にまとめて保管されてたけど、それもこっちで止めなければ処分されてたかも」
「証拠隠滅ですか?」
リリアの言葉にルリは神妙な顔をした。
「そうとれるわよね……。なんでこちらに報告しなかったのかっていっても主張が支離滅裂だったって聞くし、こうなると崖下に落ちた時にはすでに亡くなってたっていうのもどこまで本当か……」
「追跡に当たった人たちに話を聞くことはできないんですか?」
すでに大人が締め上げているだろうが、直接話を聞いてみないと分からないことも多い。追跡班は追人で構成されている。現役の筆頭犬狩であるルリに対しては本当のことを話す可能性もある。
そう思っての問いだったがルリは首を左右に振った。
「全員自殺したわ。久遠のご両親を死に追いやった責任を取りますって」
息をのむ。急に店内にながれる音楽が大きく聞こえた。周囲から聞こえてくるのは楽しげな女性の声。先ほどまでと場所は変わっていないはずなのに、周囲と大きな隔たりが出来たような気がする。
「……不自然ですね。全員、同じ日にですか?」
不安と怯えを見せていた美姫の表情が険しくなる。不安そうな表情が消え失せた美姫は黄色の異形の瞳も併せて独特の迫力があった。それを真っ向から受け止めたルリはひるむことなく頷く。
「美姫も怪しいと思う?」
「その方々を見ていないので確定は出来ませんが、支離滅裂な言動、同じ日に複数人が自殺と考えると何者かに洗脳などの術をかけた可能性があります」
蛇縫の筆頭らしい冷静な指摘にルリは「やっぱり」とつぶやいた。ルリも薄々その可能性を感じていたらしい。
「洗脳って霊術によるものですよね? それなら私たちは耐性があるはずです」
薫子の不安そうな言葉に美姫が首を左右に振る。
「耐性があるからといって術に絶対にかからないということはないの。かかりにくいだけ」
「詐欺の手口と一緒です。相手の不安をあおり、冷静な判断が出来なくなったところで言葉巧みに依存させる。そうすることで術の効果が上がります。かかりにくい人間でも時間をかければ操ることは可能です」
美姫の言葉をリリアが補足する。話を聞いた薫子、そして桜子は険しい顔をした。
「では、誰かが追跡班に久遠さんの両親を殺すように術をかけたと?」
「そして都合の悪いうちの追跡班は全員始末したと」
桜子の言葉を引き継いでルリが眉間にしわを寄せた。腕を組み不快そうに鼻をならす。四郎としても気分の悪い話だ。話す機会は少なかったとしても同じ一族だ。顔くらいは知っていた。そんな彼らが利用され使い捨てにされたと聞いて気分が良いはずもない。
「犯人の目処は?」
「ついてたら苦労してないわ」
「猫ノ目には伝えているんですか?」
「言うべきか、悩んでるのよ」
四郎の問いにルリは物憂げな顔をする。今後のことを考えれば情報は共有すべきだが、久遠に伝わればいらぬ心労をかけるだろう。両親が事故死したことすらショックだろうに殺されたと知ったら。犯人が誰かも分からないとなれば、あの大人しそうな子が受け止められるとは思えなかった。
「犯人も手口も分からない状態で他の家に伝えて混乱が起きても困るし、犬追家で秘密裏に探ることになってるんだけど、あなたたちには伝えておいた方がいいと思って。他の家で似たようなことが起こらないとは言い切れないし」
「それなら猫ノ目に共有した方がいいんじゃないですか?」
犯人の目的はよく分からない。久遠が運良く生き残っただけで、久遠が目的だった可能性もある。久遠に伝えないとしても道永や当主には伝えておいた方がいいのでは。そう四郎は考えたがルリの反応は微妙なものだった。
「私もそう思ってたんだけど、猫ノ目は猫ノ目でなにかあったみたいだし。これ以上道永さんの心労増やすのもどうかと思って」
ルリの言葉に一同は顔を見合わせた。猫ノ目に問題が起きたという話は聞いていない。ある意味では問題だらけだがルリが言っているのはそういうことではないだろう。
「あなたたち変だと思わなかったの。急に生悟が指導なんて。今まで鳥喰は猫ノ目にノータッチだったじゃない。生悟が手を貸したがってたの抑えてたのに、急に手を貸すのを許すなんておかしいでしょ」
「言われてみれば……」
生悟は猫ノ目の現状を憂いて鳥狩を貸し出すことを当主に提案していた。しかし、五家を統一したい重鎮たちや猫ノ目の歴史や猫狩のプライドを重んじる当主たちにより実現には至っていなかった。それがここに来て、急に協力が実現した。
「鳥喰と猫ノ目が協力せざる終えないなにかが起こったと考えるのが自然でしょ。そんな状況に犬追の洗脳騒動を伝えていいものか……」
「判断に困りますね」
何が起こっているのは知らないが、事態が落ち着いてからと考えるルリの気持ちは分かった。ただでさえ猫ノ目は弱っている。久しぶりにあった道永は痩せてしまった印象だし、一人で最前線で奮闘している透子は限界も近いだろう。
向こうはどう思っているか分からないが四郎にとっても道永は兄で、透子は妹だ。身内が苦しんでいる姿を見たいとは思わない。
「なんで久遠さんばかり、つらい目にあうのでしょう」
桜子が両手をくんで泣きそうな声で囁いた。皆が物思いにふけっていたこともありその声はそれぞれの耳にハッキリ聞こえた。いつも冷静で物静かな桜子らしからぬ感情に揺れた声に蛇縫二人は顔を見合わせ、ルリも意外そうな顔をする。薫子は半身の変化に気づいたのか不快そうに眉を寄せた。
四郎もあの現場を知らなければ驚く側に回っていただろう。ハッキリとこの目でみたからこそ奇妙な高揚感がわいた。狐守の巫女として生まれた使命を全うしようと、表情を消し、人格を表に出さないように生きてきた桜子がたった一つの出会いで大きく感情を揺さぶられている。その姿は見守ってきた兄から見ると嬉しいものだった。
「気になりますか。運命の相手ですもんね~」
おどけた口調でいうと桜子が四郎を見た。青い瞳が見開かれる。そういう子供らしい反応もここ最近では見ることがなかった。小さな頃を思い出して四郎は愉快な気持ちになる。
四郎の言葉を理解した桜子の白い頬が赤く染まった。「違います!」とやけに大きな声で否定したせいで、周囲の視線が集まった。すっかり狩人たちから興味を失せていた客たちが声に反応して再び興味をしめす。四郎は彼女らに対して曖昧な笑みを浮かべて頭を下げた。
「運命の相手って、えっもしかして! 噂の!」
先ほどまでのシリアスな空気はどこにいったのかルリが両頬に手を当てて、目を輝かせる。美姫とリリアも遅れて気づいたのか身を乗り出して桜子を見つめた。
女子は甘い物と恋バナが好きである。小さい頃から一緒に育った妹分の初恋となれば興味がわかないはずもない。
「違います。あれは、そんなんじゃなくてっ!」
桜子は必死に否定しようとするが必死になればなるほど自白しているようなものである。頬はますます赤くなり、両手を意味もなくあわあわと動かしている様は普段の桜子とはまるで違った。
「本当にあるのねえ、一目惚れ。いいなあ桜子。私も一目で恋に落ちるような体験してみたいわあ」
すっかり乙女モードにはいったルリが謎にくねくねした動きをしている。仮に運命の相手がいても、一目で恋から冷めそうな醜態をさらしているのだが大丈夫だろうかと四郎は考える。指摘したらどつかれそうなので口には出さないが。
「どんな感じなの! 雷が落ちるみたいなとか、一目で分かるとか聞くけど」
「噂は聞きますけど、本当に恋に落ちた方は身近にいませんでしたからね」
美姫とリリアがそろって身を乗り出し、桜子を凝視する。桜子は四つの輝く瞳に責め立てられて、果実のように真っ赤な顔で目を泳がせていた。
さすがに可哀想になってきて、そろそろ助け船をだすか。そう四郎が思ったところで、
「一目惚れ、運命などといい加減にしろ! 桜子は!」
ドンッと薫子がテーブルをたたいた。テーブルの上に乗っていた皿がかすかな音を立てる。店全体に響くような鋭い声。女性たちの賑やかな声が消え失せ、おしゃれな音楽だけが空気をよまずに流れている。
しんと静まり帰った空間で、怒鳴り声をあげた薫子は次の言葉を発せずにいた。開いた口が重たいものに押しつぶされるように閉じる。強い意志を感じる眉が下がり、青い瞳が泣きそうに歪んだ。
「……すまなかった。お手洗いに行ってくる」
「ちょうど良かったわあ。私もメイク治したかったの」
固い薫子の言葉にのんびりとしたルリの言葉がかぶせられた。薫子が放っておいてくれという顔で睨んでもルリは動じない。にこりと完璧な笑顔を見せて、「さあ、行きましょう」と薫子の手を引いた。薫子が言いだしたのではなく、自分が薫子を付き合わせるのだというように。
「皆さん、ごめんなさいね。この子、ちょっと調子が悪いみたいなの。私たちのことは気にせず楽しい一時をお楽しみくださいね」
桜子の手を引いて立ち上がったルリは店全体に響く声でそういうと周囲に笑顔を見せ、軽く頭を下げた。近くにいた女性客から感嘆の声が上がる。背が高く、所作が美しいルリは女性に好かれる存在だ。
ルリのおかげで店内に和やかな空気が戻る。周囲も話の続きを再開したようで、さざめきが戻ってきた。しかし、四郎たちが座った席は未だ沈黙に包まれている。
薫子が口に出さなかった言葉をここにいる者たちは察していた。泣きそうな薫子の顔と震える声。それで察するなという方が無理なのだ。
薫子はおそらくこう言おうとした。「桜子は巫女なんだから」と。楔姫に体を受け渡すことを使命とする巫女が運命の相手に出会ったとしても恋が出来るはずもない。その先に待っているのは間違いなく別れだ。
「みっともないところを見せたので、失望されてしまったのかもしれません」
先ほどまでの赤みが引っ込んで、いつもの無表情に戻った桜子が淡々と告げる。すっかり見慣れた姿のはずなのに、年相応の姿を見た直後のためかいつもよりも痛々しく見えた。
「そんなことないよ桜子ちゃん。薫子ちゃんは誰よりも桜子ちゃんのこと大好きなんだから」
「そうですよ。桜子様のことを心配したからこそです。私たちの方こそ桜子様の立場を考えずに浮かれてしまって申し訳ありません」
深々と頭を下げるリリアに桜子は「いいんです」と微笑む。巫女となるべくして育てられた純粋無垢な微笑み。それが桜子の本質ではないと知っているからこそ、四郎はその笑みが嫌いだった。
けれど、周囲はそれを桜子に求める。次の巫女の器になるのだから、純粋で美しく、高潔でなければいけないと。
その姿を見ていたくなくて、四郎はポケットからスマートフォンを取り出した。ちょうど通知が来ていたことを幸いにとタップする。今頃は鳥喰家に着いているだろう朝陽からのメッセージだった。
『久遠様に桜子様が楔姫様の巫女だとお伝えしたらひどく落ち込まれてしまって。お二人は今日会ったばかりだったよね? 俺たちが来る前になにかあった?』
思わず舌打ちが漏れそうになる。現実逃避くらいさせてほしいと八つ当たり気味に思いながら、四郎は今日撮ったばかりの写真を朝陽に向かって送信した。
そこには真っ赤な顔でお互いをチラチラみている桜子と久遠が写っている。その姿は年相応の恋する少年少女に違いなく、誰が見たってこの二人はこれから付き合うのだろうと想像が出来る写真だった。
けれど二人が結ばれることはないのだ。いや、結ばれたとしても未来がないのである。
久遠の母親が生まれて間もない久遠を連れて逃げた気持ちが四郎には分かる気がした。
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