3-9 五家と古くさい仕来り

「ところで、なんで四郎はコーヒーなんて持ってるの? 私達の分にしては数が足りないけど」


 久遠と守が挨拶を済ませたところで、ルリが四郎の持っているコーヒーカップに首を傾げた。その会話を聞いた守が思い出したくないとばかりに顔をしかめる。


「これは久遠様の分なんですが、そこの守人は久遠様の側にいることより要さんを支える事の方が重要みたいなので預かりました」


 わざとらしくにっこり笑う四郎に守の眉が釣り上がる。猫であったら毛を逆立てて威嚇していたに違いない。しかし四郎は涼しい顔をしている。いじめっ子の気質だなと久遠は思った。


「あんたねえ、新人には優しくしなさいよ」


 事情を察したルリは呆れた顔をするとパン、パンと手を叩いた。大きな音に久遠が驚いている間に人が駆け寄ってくる気配がした。そちらへ視線を向けるとスーツを着込み、サングラスをかけた屈強な男が二人、こちらへ向かって走ってくる姿が視界に入る。

 あまりの恐ろしさに久遠は守の背に隠れ、守は久遠を庇うように前に出た。襲われる。そう思った瞬間、男たちは久遠と守を無視してルリの前で止まり、綺麗な敬礼の姿勢をとった。


「ルリ様、御用でしょうか」

「道永さんと要さんの補助について、安全に会議室までお送りするように」


 ルリの言葉に二人は「はい!」と声を張り上げる。すぐさま道永と要の手を恭しくとる姿は屈強な見た目とは違って丁寧だ。予想外の出来事に久遠は呆然とその様子を見守った。


「ルリ、ここまでしなくても大丈夫だって」

「大丈夫じゃないから気を使われたのでしょう? 後輩の好意に甘えるのも先輩の務めですよ」


 「連れて行って」というルリの言葉に従って男たちは道永と要の手を引いて歩きだす。要は恐縮していたが、道永は楽しそうに隣を歩く男の体をペタペタと触り、筋トレ方法を聞いていた。喋り方は癒し系なのに図太い。


「えっと……あの人たちは?」

「うちの従業員」


 そういってルリは歩きだす。それに従うように黙って様子をうかがっていた蛇と狐の四人があとに続く。四郎は「もう持てるだろ」といって久遠のコーヒーカップを守に渡し、守は苦渋の顔でそれを受け取った。


「この階は犬追の警備会社しか入ってないから、人の目を気にせず気楽にしてもらっていいわよ」


 先頭を歩くルリが振り返ってウィンクする。ちょうど通りかかったスーツ姿の、これまた屈強な男性がルリを見て頭を下げた。それに「お疲れ様」と笑顔で声をかける姿は慣れている。後ろに続いた狐と蛇たちも挨拶したが、頭を下げたのは守人だけで狩人二人はルリと同じく声かけるだけだった。


「……狩人は頭を下げちゃいけないんですか?」

「久遠様、わかってきましたね。その通りです」


 久遠の問いに四郎がかすかに口角をあげる。満足そうな顔をみて、久遠は不思議な気持ちになった。


「五家のしきたりって窮屈で古臭いですよね」


 たしかに獣の血を引き、異能を持って生まれる狩人は特殊だろう。それでも久遠は自分が特別だとは思えない。

 ルリは周囲の敬愛の視線も堂々と受け止めているが、同じ狩人である美姫は居心地が悪そうだ。桜子と薫子に至っては、どちらも銀髪に青い瞳。見た目だけならどちらも狩人に見える。それなのに役職の違いだけで周囲の対応も変わるのだ。


「く、久遠様……」


 守の焦った声に我に返る。先に行ってしまったルリたちを見ながらぼんやりしていた。正気に戻った久遠はそこで自分の発言に気がつく。

 四郎に対して五家を侮辱するようなことを言わなかっただろうかと。


「五家は古臭い……」


 慌てて四郎を見上げると、四郎は唖然とした顔で久遠を見下ろしていた。そこにあるのは怒りというよりも驚き。そんなことを考えてもいなかったという、今まで見た中では一番幼い表情。どういう反応なのか分からず、慌てる久遠に笑い声が聞こえた。


「い、いや、失礼。雑だの不敬だの、立場をわきまえていないだの、散々言われた俺よりも罰当たりなことを平然というものですから」


 必死に笑いを堪えようと肩を震わせながら四郎は途切れ途切れに話す。怒っていないのは良かったが、笑い出した理由はよくわからない。久遠は守に説明を求めたが、守も不可解そうな顔をしていた。


「外で育った久遠様から見て、五家はおかしいですか?」


 地面に膝を付き、久遠を見上げて四郎はそう問いかけてくる。久遠は素直に答えていいのか分からず、チラリと守を見つめた。守は久遠を後押しするように頷く。


「……俺から見ると五家は変です。狩人は獣の血を色濃く継いでいるといわれても、俺は自分が特別だとは思えないし、普通の人間だと思っています。それを神様みたいに扱う習慣も、偉い人として振る舞えっていうのもよく分からないです」


 久遠が話している間、四郎はじっと久遠を見つめていた。久遠の言葉一つ一つを聞き逃さず、ゆっくりと噛みしめるように頷く。


「俺は夜鳴市から出たことがありませんし、五家の仕来りの中で生きてきました。学校ではクラスメイトと話が噛み合わないことがあります。数百年前からずっと変わらない仕来りは不自由で時代遅れだと自覚はあります」


 四郎はそこで言葉を句切り、小さく息を吐き出してから久遠と目を合わせた。久遠とは違う一般的な黒い瞳。そこに自分の金色の目が映り込んで、久遠は落ち着かない気持ちになった。


「けれど、狩人様を守るために必要な仕来りです」

「守るため……?」

 予想外の言葉に驚く久遠の目を見ながら四郎は静かに頷いた。


「久遠様は外で嫌な思いをしませんでしたか? 人とは違う目の色で不自由な思いをしませんでしたか?」


 四郎の言葉に久遠は体をこわばらせる。小さい頃から浴びせかけられてきた言葉の数々が頭に浮かぶ。嫌な思いも不自由な思いもたくさんしてきた。


「人は自分とは違う者を差別し、恐れます。狩人様の髪色と目の色は差別の対象です。狩人様の存在が浸透している夜鳴市内でも心ない言葉や害意をすべて防ぐことは出来ません」


 桜子と薫子に声をかけていた男たちを思い出す。彼らは桜子と薫子が狐狩だと知っていた。知っていたからこそ人気の無いところで声をかけたのだ。今になって怖くなる。桜子と薫子は久遠がいなくても男たちを退けられた。けれど、もっと幼い子であったらどうだろう。


「久遠様、化物と神様の違いはなんだと思いますか?」

 突然の問いに久遠は答えられなかった。そんなこと考えたこともない。


「化物も神様も人間からしてみれば同じ異形です。人間が持たない力を持ち、人間には理解できない思考で存在している。けれど俺たちは化物と神様を区別しています。その違いはなんだと思いますか?」


 なおも問いかけてくる四郎の問い。これは真面目に考えなければいけないものだと久遠は考える。


「……人にとって友好的かどうかですか?」

「その通り。人間に愛され、受け入れられれば神様。人間に嫌われ排他されれば化物です。つまり、五家の狩人様が人間と共存するためには受け入れられ、愛される神様であり続けなければなりません」

「そのために五家は狩人を神のように扱うんですか」

「ええ。とくにこの国は右にならう民族が多いですから、俺たちが神のように扱い、神秘的な存在なのだと奉り続ければ差別する者は減ります。といっても、昔よりも文明が発展し情報社会になりましたから色々と難しいんですが、だからといって俺たちが奉ることをやめたらおしまいです。それこそ狩人様は異端に成り果てます」


 四郎はそういうと息をついた。


「久遠様からすれば意味が分からないでしょう。それでもやらなければいけないのです。多くの人はケガレの存在を知りません。狩人様が存在する本当の意味を知りません。だからこそ知っている俺たちが敬い、伝え、お守りするほかないのです」


 生まれたときから髪と目の色が違う。異端である存在。それを周囲の人間に溶け込ませるためにできあがった五家の仕来り。久遠が想像するよりもずっと深い意味がそこにはある。


「……知らずに馬鹿なことを言ってすみません」


 頭を下げようとした久遠を四郎は手で制した。その意味が今の久遠には分かる。久遠は金色の瞳をした猫狩だから守人である四郎に頭を下げてはいけないのだ。


「本来なら専属の守人が教えることですから、俺に謝罪するよりもそこにいる守人を叱咤してください」


 四郎の言葉に黙って話を聞いていた守がうなり声を上げた。四郎は悔しげな顔をする守を楽しげに眺めてから立ち上がる。悪い人ではないのだろうが、良い人とも言いがたい。不思議な人だと久遠は四郎を見上げた。


「あなたたち、まだそんなところで話していたの」


 あきれた声に顔を向ければ、ルリが少し離れた場所に立っていた。両手を腰に当て立つ姿は妙に様になる。その後ろに狐守と蛇縫の姿はない。道永たちと一緒に先に会場に向かったのだろう。

 

「四郎、後輩いじめはかっこ悪いわよ」

「いじめてなんかいませんよ、先輩からの叱咤激励です。猫狩様はみんなお優しくて、守人に甘いですからねえ。守人同士でそこはカバーしないと」

「もっともらしいこと言ってるけど、反応が面白いから遊んでるだけでしょう。ごめんなさいね、この子、根性がひん曲がってて」


 四郎の隣に並んだルリはそういいながら四郎の脇腹を小突いた。軽い調子でやったように見えたが鈍い音がする。四郎が無言で脇腹を押さえて震えていることから見ても、かなりの威力だ。美しい見た目からは想像できない力に久遠は引きつった顔をした。


「会場に案内するわ。他の子たちは先にいってるから急ぎましょう」


 未だ動かない四郎の腕をつかんで、引きずるように進んでいくルリの姿に久遠と守は顔を見合わせた。ルリは怒らせてはいけない。その意見を共有するとすぐさまルリの後を追った。

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