3-7 新人猫と守人の仕来り
四郎を先頭にエレベーターへ向かう。目の見えない道永を気遣って要は道永の手を握る。しかし要の補助も安心とはいえない。障害物との距離を手で測る姿に、見かねた守が要の手を取ろうとしたところで、両手がコーヒーカップで塞がれていることに気づく。どうしようかと困る守の姿を見て久遠は声をかけた。
「守さん、コーヒーは俺が持ちますよ。両手が塞がってると何かあったとき困りますし」
守は戸惑った様子を見せた。久遠に自分の分まで持たせることに抵抗があるのだろう。それでも久遠がもう一押しすれば折れてくれると短い付き合いでも分かっていた。
「守人が狩人に物をもたせるなんてあってはなりません。そちらの守人が持てないなら、俺が持ちます」
音もなく近づいてきた四郎が守が両手に持っていたカップの片方を取り上げた。あまりに自然な動きに久遠も、カップを持っていた守も反応することが出来ずに固まる。
「自分の分は自分で持てますよね?」
「久遠様の分だって私が!」
「要さんを支えるなら持てないでしょう。それとも俺が要さんを支えればいいですか?」
要と四郎は知り合いのようだが、守と四郎には接点がないようだ。知らない相手に片目が見えない要を預けるのは抵抗があるようで守はしばし悩んだ。その様子を見て四郎がため息をつく。
「守人は主人を第一に考えるべきです。ここでの正解は要さんを俺に預けて、あなたは久遠様の隣に立つこと。慣れない場に不安を感じている主を放って、別の人間のサポートにつくなんて守人としての自覚が足りなすぎます」
淡々と告げる四郎に守の表情が強張る。徐々に青くなる顔色を見て、四郎の言葉が守に深々と刺さったのが分かった。
「そんなことはないです! 俺が要さんの側にいてほしいって頼んだんです!」
慌てて久遠は四郎と守の間に割って入った。四郎はじっと久遠を見下ろして、それから久遠の背後にいる守に視線を向けた。その目はゾッとするほど冷たい。
「どんな気分ですか。守らなければいけない主に守られる気分は」
背後にいる守が震えているのが伝わってくる。
「久遠様がお優しいのはよく分かりましたが、それではいけません。守人は主人を、狩人を守るために存在しているのです。自分の主よりも優先すべきものがあってはなりません。たとえ先輩だろうと家族だろうと、時には主の言葉であっても、主を守ることを最優先に行動しなければいけません」
威圧的な声に身がすくむ。守に向けられた言葉であったが、久遠にも向けられている気がした。これだけの忠誠を向けられる価値がお前にあるのかと。
「四郎、俺の不手際だからそのくらいにしてやってくれ」
要が四郎の体を押しやり、久遠と、おそらく守を背に隠してくれる。それに久遠はホッとして、同時に情けなくなった。
「久遠様に自覚がないのは仕方がないと思いますが、そこの守人もどきにないのは大問題では?」
「もどきって……お前、そんな真面目な奴だったか?」
「不真面目でありたいんですけどね、どうにも猫ノ目筆頭様は年下に甘いようなので、真面目にならざるを得ないんですよ。透子様に関しましても、随分自由にさせているようですから」
四郎の嫌味に要が顔を引きつらせたのが分かった。
「要さんなら分かるでしょう。道永様がお休みとなれば、筆頭最年長はルリ様と生悟様です。生悟様がちゃんと仕事すると思いますか?」
「……思わないな……」
「ええ。面倒くさいことは朝陽さんに投げました。ですが朝陽さんにもできない分野があります。それはルリさんに投げました。そうすると俺の仕事も増えるわけですよ」
「それは申し訳なかった……」
無表情のまま文句を言い続ける四郎に要の声が小さくなる。そばで聞いているだけの久遠ですら、申し訳ない気持ちになるほどの怨念がこもっていた。
「今回だって、事前に今日来ると言っていただければ、迎えを用意しましたのに……」
「あれ? 生悟くんには伝えたよね? むしろ生悟くんから今日来て、って言われたよね」
四郎の私怨のこもった言葉を聞いて小さくなっている要の隣から、場違いにおっとりした声が響く。道永の言葉に四郎は目を見開き、固まる。それによって四郎の圧に押されていた一同も一呼吸おく余裕ができた。
「……朝陽さんもその場にいました?」
「いた……」
要の返答に四郎は額を抑えて天を仰いだ。
「わざと教えなかったな、あの愉快鳥」
聞いてはいけない言葉が聞こえた気がして、久遠はそっと目をそらした。要と道永は憐れみのこもった視線を四郎に向けている。
「……私達がいない間、生悟くんのお守りお疲れ様」
「ほんっとですよ!! 何度道永さんと要さんに帰ってきてくれと願ったことか!! 帰ってきてくれてありがとうございます!! もうどこにも行かないでください!!」
「熱烈〜」
四郎の勢いに道永はケラケラと笑った。要は肩の荷が降りたようでため息をつく。一定のトーンで文句を言い続ける四郎は怖かった。そんな相手に軽い口調で接することができる道永はさすがと言える。
空気が緩んだところで久遠は後ろの守を見た。守は四郎に言い返しもせずおし黙っている。守の性格からいって言われっぱなしを良しとするとは思えない。それでも黙っているのは四郎の言葉が守にとって言い返せるものではなかったからだ。
「守さん……」
「すみません、久遠様。ぼーっとしていました」
そういって守は笑ったが無理をしているとすぐに分かった。なにかを言うべきなのに、なにを言っていいのか分からない。
助けを求めて要を見れば、要は口元に人差し指を当てた。今は何も言うなということだと分かったが、本当にそれでいいのだろうか。
「それにしても、なんで生悟さんと連絡取ってるんですか。議長である犬追を差し置いて」
久遠が迷っている間も会話は進む。四郎はもはや守のことなど、どうでもいいようだ。言うだけ言って放置かと怒りが湧いたが、文句を言うこともできない。
四郎が言った言葉は正しいのだ。だから道永も要も否定しないし、守も受け止めようとしている。外で生きてきた久遠にとっては時代錯誤な考えだが、ここで生きていく以上、受け入れなければいけない。
守だけでなく、久遠も四郎にみとめられるような狩人にならなければいけない。
「久遠くんの稽古、生悟くんにつけて貰おうと思って」
久遠がひそかに決意を固めている隣で道永がのんびりとそんなことをいう。その言葉に四郎は再び固まった。
「稽古……? 生悟さんに? 正気ですか?」
そういうと四郎はじっと久遠を見つめる。上から下までじっくりと観察してから憐れむような顔をした。
「どういう経緯でそうなったかは知りませんが、ご検討を祈ります。無事に帰ってきてくださいね」
「無事に帰れない可能性があるんですか!?」
「スパルタだからなあ」
久遠の叫びに要が遠い目をする。道永は変わらずにこにこしているし、四郎は先程から可哀想なものを見る目で久遠を見つめている。
頼みの綱である守は先程から黙ったまま。久遠を助けてくれる人も詳しい事情を説明してくれる相手もいない。
味方がいない。それに気づいた久遠は早く守に元気になって欲しいと切実に思った。
「さて、そろそろ会場に向かおうか」
道永の言葉で止まっていた一同はエレベーターに向かって動き出す。ぼーっとしていた守はハッとした顔をして、要の手を握った。その姿に久遠は胸がいたんだが、やはりなにを言っていいのか分からなかった。
エレベーターに乗り込むと四郎がボタンを押す。四郎と道永は先程のやり取りなどなかったように雑談していたが、久遠と守、要の三人は黙り込んでいた。守は要の手を握ったまま宙を見つめて動かない。要は守を気遣わしげに見つめているが、やはりなにも言わなかった。きっとこれは守自身が乗り越えなければいけない問題で、見守るほかないのだろう。そうは思ってもそれでいいのかという疑問がぐるぐる回る。
守は自分を助けてくれたのに、自分は守に何もしてあげられない。それに気づいて、久遠の胸はズキリと痛んだ。
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