3-6 見えない猫と悲しむ子供たち
「ひ、一目惚れなんて嘘だろ! 桜子! だって会ったばかりじゃないか!」
「一目で惚れるから一目惚れっていうんだよ。ついでに薫子も撮ってあげよう。はいチーズ」
わなわなと震える薫子に四郎がスマートフォンのカメラを向ける。ニヤニヤと笑っているのを見るに面白がっているらしい。助けてくれた時は救世主に見えたのに、今は厄介な人にしか思えない。この手のタイプが久遠は苦手だ。今まで嫌な思いをした経験しかない。
どうすればいいのかと戸惑っていると、休憩室の方から人が出てくる気配がした。
「久遠くん、大丈夫? なにかあったの?」
そういいながら現れた道永に久遠は慌てた。すっかり道永のことを忘れていた。すぐに道永の隣に駆け寄ってその体を支える。側に来たのが久遠だと気づいた道永はほっとした顔をした。
「道永さん……」
道永が騒ぎに巻き込まれなかったことに安心していると、四郎のつぶやきが耳に入った。見れば嬉しさと悲しさ、気まずさがない交ぜになったような顔をしている。それは四郎だけではなく、桜子と薫子も似たような顔で道永を見つめていた。
騒がしかった廊下が今は静まりかえっている。
「んー、その声は四郎かな? あと二人くらい人がいるよね……桜子と薫子?」
「はい」
「よく分かりましたね」
名前を呼ばれて桜子と薫子が嬉しそうな顔をする。しかしその顔はすぐに悲しそうに歪む。
三人の反応を見て久遠は気づいた。三人とも目が見えていた頃の道永を知っている。そして道永が失明した理由も知っているのだろう。
「二人とも中学生になったんだよね。嫌じゃなかったら、ちょっと触らせてくれないか」
見えないから。とは言わなかった。それでも二人に意図は伝わったのだろう。静かに道永に歩み寄った。右手を桜子、左手を薫子が握ると道永は柔らかく微笑む。道永の手がゆっくりと桜子と薫子の腕にふれる。見えない分、感触で二人の成長を測ろうとしているのだろう。
肩まで移動した手がセーラー服の襟に触れると、「大きくなったんだね」とつぶやいた。その優しい声に二人の顔が歪む。泣き出しそうな二人を久遠は気配を殺して見つめていた。
「ありがとう。ごめんね、女の子の体にベタベタ触っちゃって」
「いいんです。道永さんに久しぶりにあえて嬉しいので」
「中学の制服見せたかったので満足です」
そういう二人の顔はやはり泣きそうだった。
聡い道永のことだ。二人の様子にも気づいているだろうが、柔らかく微笑んでいるだけだった。何気なく口にした「ごめんね」という言葉に、泣かせてごめんという意味も含まれているのかもしれない。
「次、四郎! 同性だしハグくらいしても大丈夫でしょ!」
桜子と薫子にしたのとはまるで違うテンションで、道永が両手を広げた。先ほどまでの切ない空気が消える。狙ってやったのは分かるが、あまりの変わりように桜子と薫子が目を丸くした。
「同性同士でも相手が嫌がったらセクハラになるんですよ」
「えっ、四郎嫌なの。四郎からすれば年上のおじさんだけど」
ショックという顔をする道永に四郎がため息をつく。それから両手を広げる道永に歩み寄って、四郎の方から抱きついた。道永は満足そうな顔をしたが、四郎の体をペタペタと触るにつれて表情がこわばる。
「……四郎、いま何センチ?」
「百九十センチです」
「会わない間に大きくなりすぎじゃない?」
前にあったときはもうちょっと小さかったらしい。「えっ、嘘でしょ」といいながらペタペタと四郎の体を触っている道永は真顔だ。四郎はなんともいえない顔で自分の体を触る道永を見下ろしていた。
「四郎、タケノコみたいに伸びたんですよ」
「おかげさまで、成長痛がやばかったです」
「犬追は大柄な人が多いけど、えぇ……伸びるとこ見逃したのショック……。単身赴任の間に息子が立って歩けるようになってたような気持ち」
「道永さん子供いないでしょ」
あきれきった顔をしながら四郎が道永の背をなでる。道永は先ほどの冗談とは違って本気で落ち込んでいるようで、桜子と薫子も顔を見合わせて苦笑している。
「思ったよりお元気そうで何よりです」
四郎の言葉は噛みしめるようだった。その声と表情で、三人とも知っているのだと確信した。それでも何事もなかったように振る舞うのは道永に対しての気遣いなのだろう。
「ところで、要さんは? あとそこの猫狩様の守人は? お二人を放置してどこにいってるんですか」
次に口を開いた四郎は淡々としていて、先ほどまでの湿った空気は少しも感じなかった。その切り替えの早さに久遠は驚く。それから不機嫌そうに見える反応に戸惑った。
「怒らないであげて。私たちに気を遣って飲み物を買いに行ってくれたんだよ。一階のコーヒーショップにいったと思うんだけど……」
そういっている間に誰かが近づいてくる気配がした。道永が表情を緩めて顔をあげる。その反応で要が帰ってきたのだとわかった。
失明した道永は聴力が上がったらしい。一番聞き分けられるのが要の足音で、「私も猫らしくなった」と冗談なのか本気なのか分からないことを言っていた。そんな道永が反応したのだから要に違いないと久遠は廊下を見る。
ちょうど角を曲がって要と守がやってきた。手には紙コップを二つずつ持っている。なにかを話ながら歩いてきた二人は廊下にいる集団を見て目を見開いた。
「四郎、でか!?」
「久しぶりにあって、真っ先に言うことがそれですか」
要の大声が廊下に響いて、四郎が顔をしかめた。道永が「うわー、見たかったー」と悔しそうな声をだす。目が見えないことをこんなに悔しがった道永は初めてだ。それが後輩の成長した姿というのは微笑ましいと思えばいいのか、ちょっと変と思えばいいのか困る。
「久遠様、なにかあったんですか」
見知らぬ三人の姿を視界に収めた守が慌てて久遠に走り寄ってきた。中でも身長が高い四郎に探るような視線を向け、それとなく久遠を後ろにかばう。完全にアウェーな空気だったため、守の登場に久遠は少し安心した。
そんな久遠と守の様子を四郎はジロジロと見下ろしている。値踏みしているみたいな視線に久遠の体がこわばった。
「おーい、四郎。無言で見下ろすな。元々目つき悪かったのに、背が伸びて余計に威圧感増してるんだから。守は威嚇するな」
ゆっくり歩いてきた要がそういって、道永の手に紙コップを握らせた。道永は紙コップを口元まで持って行くと一口。美味しいと満足そうにつぶやく姿は家にいるときと変わらない。
だけに、奇妙だ。そのままくつろいだ様子で雑談を始めそうな道永と要の様子に慌てて久遠は要の服を引っ張った。
「あの、要さん、こちらの方々は……」
「えっ、お前ら自己紹介してないの」
驚いた顔で要が周囲を見渡した。桜子と薫子は顔を見合わせ、四郎は「そういえば」とつぶやいている。
「ちょっと色々あったみたいでね。私もなにがあったかは詳しくしらないけど」
道永はそういいながらコーヒーをまた一口、口に含む。待っている間に喉が渇いていたのかもしれない。
「非礼をお詫びいたします。猫狩様」
突然、四郎と薫子がその場にひざまずいた。驚いた久遠は助けを求めて守を見るが、守も驚いた様子でひざまずく二人を見つめている。桜子を見れば、桜子は薫子の後ろで静かにこちらを見つめていた。その顔にはなんの感情も浮かんでいない。
「私は犬追筆頭守人、犬追四郎です」
「私は狐守筆頭守人、狐守薫子です。後ろにいらっしゃるのが私の主、狐守桜子様にあらせられます。先ほどは助けていただき、誠にありがとうございました」
「いや、俺はなにも出来てないので」
助けてくれたのは四郎だし、その前に薫子が自力でなんとかしていた。あんな怖い目にあって男たちが戻ってくるとは思えない。
しかしひざまずいた二人は顔を上げないし、返事もしない。動かない二人に嫌な汗が流れる。助けを求めて道永を見れば、道永は要と一緒にコーヒーを傾けながらのほほんとしていた。完全に楽しんでいる。
「二人とも、久遠くんは五家の作法とかまだ分かってないんだからそのくらいにしてあげて」
「……教えてないんですか」
「いやー、それどころじゃなくてねー」
道永の言葉で四郎が顔を上げ眉を寄せる。その隣で薫子も微妙な顔をしていた。
「君たちが幼い頃から時間をかけて当たり前にしたものを、数ヶ月そこらで身につけられるはずがないでしょ。久遠くんは夜鳴市の外で生きてきたんだから」
のんびりと告げる道永の言葉に四郎と薫子は納得したようで立ち上がる。その姿を見ながら久遠は考えた。
先ほどのようにひざまずくのが守人で、ひざまずかれるのが狩人なのだろうかと。主従関係だとは聞いていたし、狩人は敬われるものであるとも聞いていた。それでも実際に目の当たりにすると戸惑いの方が大きい。
「では、積もる話もありますし移動しますか。また狐守のお嬢様方が
四郎の言葉に道永、要、守の三人が固まる。なにがあったのかという視線をはねのけて「早く移動しよう」と薫子が桜子の手を引いた。心配されるのが嫌だったのか、異能を使ったことがばれるのが嫌だったのか、薫子はあっという間に姿を消してしまう。
「追いかけなくていいんですか?」
久遠の問いに四郎は頷いた。
「二人とも会議場がどこかは分かってるので。しかし、飲み物を買いに来た一瞬で絡まれるとなると対策が必要ですね」
面倒くさい。という顔をしながら四郎が歩き出す。道永と要はすでにコーヒーを飲み終わったらしく、要が自動販売機横のゴミ箱に道永の分も捨てていた。
ほら行くよ。と視線でうながされて久遠と守は顔を見合わせ、歩き出す。一口も口をつけていないコーヒーを受け取る気もならない。
まだ会議は始まっていないし、鳥喰、蛇縫、犬追の狩人には会っていない。それなのに早くも帰りたくて仕方なかった。
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