3-4 休憩する猫と出会い

 話をしている間も車は進む。いつのまにか見える景色も住宅街から、ビルが立ち並ぶ活気ある町並みへと変化していた。車や人が行き交う光景を久しぶりに目にした久遠は、目がくらむような錯覚を覚える。

 両親が死んでから遠のいた喧噪。懐かしさと同時に寂しさを覚える。たった一人で戻ってきてしまったのだなと久遠は車から見える光景をじっと見つめた。


 そうこうしている間に車は地下駐車場へと滑り込む。外の景色が見えなくなったことに久遠はほっとした。明るい光景よりも薄暗い地下の方が安心する自分に気づいて内心苦笑する。両親は明るい景色を見せようとしてくれたが、暗い夜の方が生まれつき好きだったのかもしれない。それが久遠の気質なのか、血に流れているという猫の好みなのかは分からなかった。


「このビルの一角に犬追が運営する警備会社があるんです」


 車の扉を開け、道永の手を取りながら要がそう説明してくれる。逃げないと約束したので久遠の手は自由だ。守はずっとつないでいたそうだったが、色々と理由をつけて断った。道永と要の前だけならまだしも、知らない人の前でずっと手をつないでいるのは恥ずかしい。


 全員が車から降りても運転手は動かない。久遠がチラリと視線を向けると軽く頭を下げられる。どうやら久遠たちが戻ってくるまでここで待機するようだ。なんだか申し訳なくなって久遠は深々と頭を下げた。


 そうしている間に先にエレベータに向かっていた道永たちに小走りで近づく。道永の手はしっかり要が握っており、その要の手を守が握っていた。久遠が見ていない間になにかにぶつかったり、転びそうになったのだろう。


「今回の議長は犬追なんですか?」


 守の問いに要が頷いた。

 定例会の議長は各家が順番に務めており、議長が場所を用意することになっていると道永に聞いた。大抵は各家の本邸に集まるのだが、時と場合によっては場所を借りたり、各家が運営している会社の一角を使うこともあるという。

 

「時間まで少し時間があるな。どこかで休憩するか?」


 腕時計で時間を確認した要が道永に問いかける。道永は「うーん」と声をあげてからキョロキョロとあたりを見回した。自分を探しているのだと分かった久遠は道永の隣に並び、驚かせないように声をかけながら羽織の袖を引っ張る。道永は久遠が近くにいることに安堵したような顔をして、久遠が引っ張った袖の方を見ながら口を開いた。


「久遠くんはどうする? 一階にはコーヒーショップがあるし、休憩スペースもあるよ。少し歩けば他にもお店があるし」

「俺が決めていいんですか?」


 そう聞けば道永はばつの悪そうな顔をする。


「久遠くんを不安にさせてしまったからね。無理矢理連れてきちゃったんだし、これから知らない人にたくさん会うんだから、少しぐらいリラックスしたいでしょ」


 事情を聞いて納得したのでもう怒っていないのだが、道永は気にしていたようだ。しかしリラックスしろといわれても、知らない場所にいる時点で久遠は落ち着くことが出来ない。人の気配や音、匂いにだって昔から敏感だった。これが獣の血に由来するのであれば、厄介な体質だと思う。


「……出来れば人に会いたくないです」

「じゃあ、休憩スペースに行こうか。お店よりは人が少ないはずだし、隅の方に座れば私や要が壁になってあげられるし」


 道永そういうと要に視線を向けた。行き先が決まった要はエレベーターのボタンを押す。やってきたエレベーターに四人で乗り込んで駐車場を後にする。すぐに開いたドアの向こうには駐車場に比べて明るい光景が広がっていて、久遠は思わず目を細めた。


 エレベーターを降りた久遠たちの前を人が通り過ぎる。それだけで久遠は肩をふるわせて、思わず道永の羽織をつかんだ。道永は大丈夫というように久遠の背中を緩くなでてくれる。


「要、案内して」


 要が道永の手を引いて歩き出す。要と手をつないだ守もついて行く。傍目から見るとずいぶん奇妙な一行だろう。周囲の視線が集まるのを感じた。


「金色……猫ノ目だ」


 そうつぶやく声が聞こえて久遠は再び体を震わせた。ぎゅっと道永の羽織をつかむと道永は器用に久遠の頭をなでる。大丈夫。そう言葉なく言われている気がして、少しだけ体の力が抜けた。


「目立つよなあ……」

「両目包帯の着物男に髪の毛逆立てた眼帯男だからねえ」

「眼帯男と手をつないでるのが白ラン着た美少年っていうのもなかなかのインパクトだよな」


 白ランの美少年という言葉に守が首をかしげた。どこにそんな人がという顔で周囲を見渡す。恐ろしいことに自分の容姿に自覚がないらしい。


「久遠様よりも俺たち色物集団の方が目立つから気にしないでください。なんならサングラスつけますか? 念のため持ってきているので」


 そういって要が上着の内ポケットから眼鏡ケースを取り出した。久遠はサングラスをつける自分を想像して首を左右に振る。似合わな過ぎて別の意味で目立ってしまいそうだ。


 休憩スペースはあまり目立たない場所にあった。道永がいった通り、利用している人も少ない。数少ない利用者は入ってきた久遠たちに興味がなさそうで、タブレットを真剣な顔で見つめていたり、スマートフォンに夢中であった。ここなら自分も目立たないだろうと久遠はほっとした。

 奥にある四人がけの席に道永は腰を下ろす。その隣に座った久遠は息をはいた。


「飲み物買ってきます」


 久遠と道永が席に着いたのを確認すると要はそう道永に声をかけた。道永は軽く「よろしく」と手を振る。守は席に座った久遠たちと出て行こうとする要を交互に見て困った顔をした。久遠の隣にいたいが、要も心配だという顔だ。


「守さん、要さんがどこかにぶつかったら困るので一緒にいってあげてください」

「そうだね。せっかく買った飲み物ぶちまけたら大変だしね」


 久遠の言葉に道永も便乗する。それを聞いた守は力強く頷くと要の元にかけていった。その後ろ姿が猫というよりも犬みたいで久遠は微笑ましい気持ちになる。守の方が年上でしっかりしているのに不思議な感覚だ。


「要たちが戻ってくるまでおしゃべりでもしてようか」

「おしゃべり……」


 そうは言われてもなにを話せばいいのだろう。久遠は首をひねった。

 今の久遠の世界は狭い。離れの隔離された空間で道永と要、守、ヨルの三人と一匹だけと顔を合わせて生活している。外を自由に出歩いているヨルの方がよほど世界を知っているだろう。


「久遠くんはゲームが好きなんだよね。どんなのが好き?」


 気を利かせて道永が話題をふってくれた。道永はゲームなど興味がないだろうにと申し訳なく思いながら久遠は最近はまっているスマートフォンのゲームの話をする。道永は聞き上手で相づちを打ちつつ、気になることがあると質問してくれるので会話が途切れない。

 お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかもしれない。そう久遠は思う。気恥ずかしくて本人には伝えられないだろうが。


「いい加減にしろ! 用があるって言ってるだろ!」


 穏やかな空気が流れていた休憩スペースにその声はやけに響いた。タブレットやスマートフォンに夢中だった人たちも顔を上げ、何事かと周囲を見渡す。久遠と道永も声のした方に顔を向けた。

 女の子の声だった。たぶん同世代くらい。先ほどよりもハッキリ聞き取れないが、途切れ途切れに声が聞こえ続けている。女の子の声に対して男の声も聞こえた。


「よくない雰囲気だね」


 道永がそういって腰を上げようとした。久遠は慌ててそれを止める。目の見えない道永が向かってトラブルに巻き込まれた大変だ。


「心配してくれるのは嬉しいけど、放っておくわけにもいかないから」


 しかし道永は止まらない。道永以外の人はと周囲を見渡すが、休憩スペースにいる人は眉をしかめるだけで立ち上がろうとはしない。面倒ごとに巻き込まれたくはないのだ。


「お、俺がいきますから!」


 思わず声をはりあげる。周囲の視線が集まる気配がしたが、ひるみそうになる心をなんとか落ち着かせた。道永を行かせるよりは自分がいった方がいいに決まっている。


「久遠くん、無理しないで」


 道永は困ったようにそういったが、無理矢理席に座らせた。文句をいう時間を与えずに声の方へと向かう。

 心臓がドキドキと大きな音を立てる。声の方に近づけば近づくほど、女の子の声がハッキリ聞こえた。「しつこい」「どけ」という声が耳に入って、自然と久遠の足は速まった。


 自動販売機が設置してあるスペースに男性二人の姿があった。道を塞ぐように立っている男性の向こうから女の子の声が聞こえた。女の子は「邪魔」と声を張り上げるが、男性二人は相手にしない。怒る女の子を無視して、喫茶店にでも行こうと場違いな誘いを続けている。

 ナンパという単語が頭に浮かび、現実にあるんだと少し驚いた。


 男性は後ろ姿だけ見ても久遠より背が高い。声の感じからしても大人だ。子供の久遠が出て行って引いてくれるとは思えない。女の子に強引な誘いをするような輩の前に目の見えない道永を出すなど論外だ。

 誰か人を呼んでこよう。そう久遠は判断した。受付にいけば協力してくれる大人がいるかもしれない。それが無理でも犬追の警備会社と連絡が取れれば、人をよこしてくれるかも。


 そこまで考えた久遠はその場を離れようとした。離れている間になにかあったらと不安ではあったが、迷っている間に状況が悪化してもまずい。

 チラリと女の子たちを振り返る。戻ってくるまで無事でいて。という気持ちで見ただけだったのに、男性たちの体で見えなかった女の子と目が合った。


 透けるような銀糸の髪。宝石のように輝く青い瞳。触れたら消えてしまいそうな美しい存在が目の前にいる。


 目が合った瞬間、バチンとなにかがはまった感覚がした。それは相手も同じだったようで、二人で呆然と見つめ合う。その間にも女の子にゆっくりと男の手が伸びるのが見えた。

 駄目だと久遠は思う。他人が触れていいものではない。彼女は自分のものなのだからと獣の本能が叫ぶ。


「触るな!」


 気づけば久遠は女の子に触ろうとした男の手をつかんでいた。男が驚いた顔で久遠を見下ろす。久遠も自分のとった行動に驚いて、固まった。

 まずい。そう思ってももう遅い。知らない男の顔が不快そうにゆがんだ。

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