3-3 整理する猫と見守る先輩

「猫ノ目の事情を知った鳥喰筆頭、生悟くんが、久遠くんの稽古つけてくれることになってね。これを切っ掛けに猫ノ目と鳥喰の関係を少しでも改善したいんだ」


 道永は穏やかな口調で言うが、とんでもない無茶振りである。人見知りなうえに引きこもりだった久遠を知らない人に引き渡した挙げ句、その人と仲良くなってこいというのだ。守とだってまだ探り探りだというのに、なんという仕打ち。道永はコミュニケーション能力が高いから、コミュ症の気持ちなどわからないのだ。


「……生悟様って、スパルタで有名ですよね」

「そうなんですか!?」


 横から聞こえた守の声に久遠は勢いよく顔を動かす。知らない人というだけでも不安なのにスパルタ。時間があれば家に引きこもってゲームをしていた久遠の運動経験は体育ぐらい。その体育もほとんど輪の中に入らず隅の方で見ていた。同世代と比べても体力と運動神経は平均以下だという自信がある。


「久遠様はまだ体力もつけていませんし、いきなりよその狩人、しかもスパルタで有名な生悟様に指南いただくのは早急すぎではないでしょうか」

「そうですよ! 全く知らない人ですし!」


 久遠は道永から距離をとりつつ力強く主張した。距離をとろうとしても手はがっしりと握られているので、逃げられないのだが。これも見越して手を握ったのだろうかと道永に対する警戒心が強くなる。


「その点は、一般人と変わらないから無茶させないでって頼んでおいたよ」

「生悟はギリギリの見極めがうまいから、久遠様を潰すようなことはしませんよ」


 つまり潰れるギリギリまで追い込んで来るということである。そんな話を聞いて「喜んで」と答える人間はマゾだ。そして久遠はマゾではない。


「なんで急にそんなことになったんですか! 道永さんが俺の面倒見てくれるっていったじゃないですか!」


 久遠は守とつないだ手に力を込めながら道永をにらみつけた。涙目だったので迫力はない。そもそも道永に久遠の顔は見えていない。それでも道永は痛いところを突かれたという反応をした。


「私だって久しぶりに出来た後輩だから、久遠くんのことをちゃんと面倒みたいよ。でも、猫狩として満足に動けない私には限界があってね……」


 道永はそういって顔を伏せる。その姿は儚い。涙を拭ってあげたくなるし、大丈夫だと背をなでてあげたくなるような雰囲気があった。久遠の隣にいる守はその空気に当てられてあわあわしている。

 しかし久遠には通じなかった。


「それでも面倒みてくれるっていったのは道永さんですし、俺もそれでいいって言いましたよね。なんの説明もなく、いきなり約束をなかったことにするのは大人としてどうなんですか」


 車内の空気が凍る。話に関わってこなかった運転手ですら、バックミラー越しに驚いた顔で久遠を見つめている。要は振り返って久遠の顔を凝視していた。その顔には「意外とハッキリいうな」と書いてある。


「えっと、それは……」

「しかも、だまし討ちで連れてきて」


 道永が慌てて「ごめんね」というがすっかりふてくされた久遠はそっぽを向く。後ろで守が慌てている空気が伝わってきたが知ったことではない。要がやっちまったな。という顔で道永を見つめていた。


「そもそも、猫ノ目の問題にどうして鳥喰が出てくるんですか。今までは口出ししてこなかったのに」


 そう口にだしたことで久遠は変だと確信した。

 猫ノ目は久遠がくる前から窮地に陥っていた。それでも鳥喰は猫ノ目に手を差し伸べようとはしなかった。透子が会議をサボっても誤魔化してくれたのだから、筆頭の生悟という人は猫ノ目に好意的だと思う。それでも助けなかったのは個人の力ではどうにも出来なかったからだろう。

 その状況が変わった。つまり、猫ノ目に鳥喰が関わらなければいけない理由が出来たということだ。


「……道永さん、俺になにか隠していません?」


 そっぽを向いていた久遠は道永と目を合わせた。といっても道永には見えていないので、久遠が勝手に目を合わせたつもりになっているだけである。それでも金色の瞳を見開いて、じっと道永を見つめていると圧を感じ取った道永の表情がこわばった。


「……隠してるって?」

「なんで鳥喰筆頭が急に俺の稽古をつけてくれることになったんですか? 俺と接点なんてないですよね。道永さんが失明して、透子さん一人で巡回しなくちゃいけなくなっても助けてくれなかったのに」

「それは今後の久遠くんの活躍に期待してるという……」

「正直に答えてくれないなら、車から降りた瞬間にダッシュで逃げます」


 久遠の言葉に守と道永が固まった。車の中ですら逃げられないように手をつながれているのだから降りたところで手を離されるとは思えないし、逃げたところで体力のない久遠などすぐ捕まる。それでもこの状況から逃げたいという久遠の気持ちは伝わるはずだ。

 じっと見つめ続けていると道永はうめき声をあげた。横からそわそわと落ち着かない守の気配が伝わってくる。それでも久遠は道永から目をそらさない。ここでそらしたら負けだと思った。


「道永、おとなしく白状した方がいいぞ。久遠様は俺たちが想像していたより聡明でいらっしゃる。信用失ったら冗談じゃなく脱走される」

「それは困る……」


 要の言葉に道永は肩を落とす。守は脱走という言葉に驚いた顔をして久遠を見つめた。久遠は肯定も否定もしなかった。猫ノ目に来たばかりの頃、本当に嫌になったら逃げようと思っていたのは事実だ。


「最初にいいわけしておくと、久遠くんを不安にさせたくなかったんだよ……」

「結果、俺は今とっても不安です」


 きっぱり言い切ると道永がさらに肩を落とす。要の「思ったより強いな……」というつぶやきが聞こえた。


「久遠くんがケガレに襲われた件、結界にほころびが出来ていて、そこからケガレが侵入したって聞いてたでしょ?」


 久遠と守はそろって頷いた。本来であればケガレが本邸に入り込むなどあり得ないのだが、点検に見落としがあったと知らない大人にずいぶん謝られた。久遠としては自分もヨルも無事だったし、結界と言われてもよく分からなかったのでそんなものかと思っていた。


「実はあれ、使用人を洗脳して誰かが意図的にほころびを作ったみたいなんだ」


 道永の言葉に守が固まる気配がする。見れば守は目を見開いて、口をあんぐり開けていた。せっかくの美形が台無しだが、言われた内容を考えるに驚くのも無理はない。

 久遠は状況を頭の中で整理して、小さく頷いた。


「道永さんは猫ノ目内に犯人がいると考えているんですか?」


 道永が驚き固まった。前を向いていた要も振り返って久遠を凝視する。背後の守や運転席の知らない人からも視線が集まって久遠は落ち着かない気持ちになった。


「なんでそう思うんだい?」

「えっと、どうやったら人を洗脳できるのか分かりませんけど、人の目があるところで堂々と出来ることじゃないと思うんです。でも外部の人間が人気のないところにいたら目立つでしょうし、リスキーです。となれば猫ノ目の人間が行ったと考えた方が自然です」


 久遠が話終えても誰もなにも言わない。不安になって久遠は守を見た。守はなぜか感動した様子で久遠を見つめている。


「久遠様! 素晴らしいです! 俺はそんなこと全く考えませんでした!」


 つないでいた手をぎゅっと握られて久遠は驚いた。興奮した守が目を輝かせながら顔を近づけてきたので距離をとる。至近距離の美形は怖い。


「守さんは猫ノ目の人間だから、身内を疑おうって発想がないんです。俺はここに来て日が浅いので守さんたち以外の人は知りませんし、愛着もないですから」

「それでも、すぐにその結論にたどり着けるのは冷静に物事を見ている証拠だよ。要のいう通り、変に隠さない方が良かったね」


 道永はふぅっと息を吐く。肩の荷が下りたように見えた。道永は道永なりに久遠のことを考えて黙っていたのだと気づいて、先ほどの言動が恥ずかしくなった。


「では、猫ノ目にいるのは危険だから鳥喰に協力を仰いだのですか?」

 守の問いに道永は少し考えるそぶりを見せてから、なぜか久遠を見つめる。


「久遠くんはどう思う?」

「俺ですか?」


 じっとこちらを見つめる道永を見て、試されていると感じた。久遠が現状をどこまで理解して、なにを考えているのか。道永は久遠という人間を知ろうとしている。

 久遠はそれが嬉しかった。いつも遠くで見ていた輪の中に入れたような気がした。だから久遠は真剣に考える。せっかく自分を見てくれた人を失望させたくはない。そんな気持ちで今まで聞いた話、知っている情報を整理する。


「……洗脳の件、鳥喰の人間が関わってるとか?」

「えっ」


 守にとっては予想外の言葉だったらしい。驚きの声が上がったが、道永と要、運転手からはなんの反応もない。


「驚いた。なんで分かったの」

「急に鳥喰が協力的になったのが不自然だったので。身内も関わってるとなれば猫ノ目に協力するほかないですよね。今後の信頼に関わりますし」


 要がヒューと口笛を吹いた。道永の口元も笑みの形を作る。よくできましたというように頭をなでられて、久遠はくすぐったい気持ちになった。


「く、久遠様……天才では!?」

 守が感極まった様子で震えている。そこまでのことかと久遠は首をかしげる。


「考えれば分かることだと思うんですけど……」

「それは考えても分からなかった守をバカにしてますよ」


 要の言葉に久遠はギョッとしていまだ変なテンションの守を見た。なんとかフォローしようと言葉を探すが守は久遠がなにかを言う前に、キリリと眉をつり上げる。


「久遠様にバカにされるのであれば本望です!」

「……それはどうかと思います」


 正直いって引く。距離をとっていた体をさらに道永の方に寄せると守はショックを受けた顔をした。「なぜですか!」と泣きそうな顔をする守に対して「そういうとこです」と答えることしか出来ない。

 久遠にとって守はまだまだ未知の生命体だ。


「頼もしい後輩が出来て良かったな、道永」

「ほんとにね」

 

 騒ぐ守と久遠を見ながら道永と要は顔を見合わせて笑った。

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