3-2 連れ出された猫と車

 その日、久遠は縁側にてヨルと猫じゃらしで遊んでいた。守は学校に登校しており、道永と要は用事があるといって朝から出かけている。

 離れに引っ越してから一週間ほど。見知った気配しかせず、静かな離れは思いのほか久遠の性質にあっていた。


 ヨルは久遠より慣れるのが早く、この家の主のような顔で家の中を闊歩している。押し入れの中や片付け忘れたダンボールの中など、ヨルのお気に入りの場所はあっという間に増えた。

 猫ノ目は猫の霊獣の血を引く一族だけあって猫を大切にしている。道永も要もヨルを王族のように丁重に扱うため、ヨルはすっかりごきげんだ。尻尾をピンとたて、悠々と歩く姿は元野良には思えない。


 そんなヨルは久遠と遊ぶのが好きなようで、気まぐれににゃーにゃーと体を擦り寄せてくる。今日も道永に借りた本を読んでいたところ、そんなものより私を構えとばかりに鳴かれたので猫じゃらしで遊ぶことになったのだ。

 

 猫じゃらしを右に振ればヨルの顔も右に、左いふれば左に動く。猫じゃらしに夢中な様子は愛らしく、自然と笑みが浮かぶ。

 頭を低くし、お尻を持ち上げ、目を丸くするヨル。そろそろ飛び掛かってくる。それに気づいた久遠は気を引き締める。

 遊びに夢中になったヨルは加減を忘れがちだ。本気で引っかかれたり、噛みつかれないよう、久遠にもかすかに緊張が走る。

 

 今だ! そう思った瞬間、なぜか久遠の体が浮いた。なにが起こったかわからず下を向けば、不満の声を上げるヨルが目に入る。


「ヨル様、申し訳ありません。久遠様に用がありまして」


 上から声が降ってくる。見上げれば片目を眼帯で覆った要の顔が見えた。いつの間に帰って来たのだろうと久遠は目を瞬かせる。それにどうして久遠の体を持ち上げているのか。


「久遠くん、無事確保!」


 要と同じく、いつの間にか帰ってきていた道永が穏やかに笑う。意味がわからず久遠は道永と要の顔を交互に見るが、要が渋い顔をしていることしか分からなかった。


「だまし討ちみたいになって悪いと思っているよ。でも、久遠くんは事前に言っていたら籠城したと思うんだ」


 道永がなにをいっているのかわからない。それでもこれから久遠にとって嫌なことが待ち受けていることは分かった。

 逃げなきゃという本能で体をよじる。しかし要の鍛え上げられた体はびくともしない。


 そんな状況を見て、ヨルが文句を言うように鳴き声を上げた。それは久遠を離せといっているよう。今の久遠の味方はヨルだけである。


「ヨル様、邪魔したお詫びにチュールを献上いたしますね」


 チュールという単語にヨルの威嚇の声は止まった。にぁあお。とハートマークでもつきそうな甘い声で鳴き、道永の足にすりすりと頭をこすりつける。


「ヨル!?」

「久遠様、チュールには勝てません」


 悲痛な声を上げる久遠になにかを悟った顔をした要。久遠を助けようとしていた意志はどこへやら、台所に向かう道永にヨルは嬉々としてついていく。上機嫌に揺れるしっぽを見て、もはや味方はいないのだと悟った。


「怖いところではないので大丈夫です」


 要は抵抗する気も失せた久遠を抱え直しながらそういったが、力を緩めないあたり説得力がない。


 売られていく子牛はこんな気持ちだったのかもしれない。小学生の頃、音楽の時間に習った歌が頭の中でこだました。


 

※※※



 要に抱えられたまま久遠は車まで連れて行かれた。車の後部座席に守が落ち着かない様子で座っている。学校帰りに捕まったのか制服を着たままだ。

 守も事情を聞かされていないらしく不安そうな顔をしていた。それが久遠の姿を見たとたんに明るくなる。その反応に久遠は少しだけ安堵した。

 守はヨルほど薄情ではないはずだ。


「守、久遠様の手をしっかり握って離さないように」


 守の隣に久遠を押し込みながら要はいう。守はよくわからない顔をしながら久遠の手をしっかり握った。こういうとき守の素直な性格は問題だ。久遠がなにか言う前に久遠の逃亡を防ぐように道永が座る。それから久遠の手をしっかり握った。見えていないというのが嘘みたいだ。


 要が助手席に乗り込むと車が動き出す。運転席には久遠が知らない人が乗っていた。降ろしてといったところで、この場で一番権力があるのは道永だ。久遠の主張が通るはずもない。


「守、シートベルトつけてあげて」


 いつのまにかシートベルトをつけていた道永が守に頼む。守は言われたとおりに久遠のシートベルトを締めてくれた。久遠の手を離せばいいという発想はないらしい。本当に素直すぎるのは問題だ。


「……俺はどこに連れて行かれるんですか……」


 車は出発してしまったし、もう逃げることはできない。となれば心の準備くらいはしたい。そんな久遠の気持ちが伝わったのか、道永は笑みを浮かべた。


「五家定例会議だよ」


 道永の言葉になぜか守の体が強ばる。握られた手に力が入り、驚いた久遠は守を見つめた。


「定例会議って筆頭狩人が集まる、あの……」

「その定例会議。別名、筆頭会議」


 道永の言葉に守の瞳が輝いた。久遠の手をぎゅっと握りしめると眩しいほどの笑顔を浮かべる。


「久遠様! やりましたね! 筆頭会議に出席できるなんて!」

「……そんなすごいことなの?」

「すごいことですよ! 各家の筆頭狩人とその守人しか出席できない特別な会議なんですよ!」


 浮かれきった守は久遠の手をぶんぶんとふった。久遠は守にいわれた言葉を咀嚼して、道永の顔を見る。


「なんで筆頭しか出席できない会議に俺が?」


 各家の筆頭が集まるということは重要な会議なのだろう。帰ってきたばかりで知らないことの方が多い久遠が参加していいとは思えない。


「謝罪しないといけないことがあってね」

「謝罪?」


 久遠と守の声が重なった。「息があってきたね」と道永が微笑ましげにいうが今はそれより話の続きが気になる。


「私が参加できない間は透子に代理を頼んでいたんだけど、透子は無断欠席していたみたいなんだ」


 道永は肩を落とす。それに守が「えぇ!?」っと声を上げた。守の反応を見るに知らなかったらしい。


「それって問題じゃ……」

「問題だよ。他の子たちが誤魔化してくれてたんだけど、限界があるからね」


 道永が肩をすくめる。それは謝罪が必要だ。誤魔化していたのがバレれば透子だけの問題ではなく、参加していた筆頭全員の問題になる。そんなリスクを背負っても他家の筆頭たちは透子をかばってくれていた。御神体の問題で揉めていると聞いたが、筆頭たちの間では友好関係ができあがっているようだ。


「なんで透子さんは会議に参加していないんですか?」


 それだけに不思議でもある。

 久遠の疑問に道永が困った顔をした。助手席に座っている要もなんともいえない顔をしている。


「透子は金眼に生まれられなかったことに対する劣等感が強くてね。他家の狩人を前にすると必要以上に強くあろうとする癖があるんだ」

「鳥喰に領土の一部がわたったことでその癖が悪化してな、鳥喰筆頭と揉めたらしい」


 道永の言葉を要が引き継ぐ。

 領土の一部がわたったという話は初耳で、久遠は守を見つめた。


「私も詳しくは知りませんが、現状の猫ノ目では元の領土を巡回することは不可能と見た五家当主会議での決定だったようです。猫ノ目の状況が回復するまで、一時的処置だと」

「ってことは領土はそのうち返ってくるんですよね」


 久遠の言葉に道永も要も難しい顔をした。


「久遠くんが一番若い猫狩なんだ。つまり、猫狩は十四年生まれていない」

「他の家は年に一人は生まれているのにな」


 重苦しい空気に久遠は息を呑んだ。猫ノ目にやってきた日、皆が浮かれていた意味をやっと理解する。猫ノ目にとって久遠は最後の希望なのだ。


「猫狩が生まれなければ領土返還どころか、猫ノ目はお取り潰しだ。現状、動ける猫狩は透子様だけと考えれば、組織としてはほぼ崩壊している」

「鳥喰が領土の一部だけで済ませてくれたのは温情なんだよ。鳥喰と蛇縫で半分ずつにしようという案もあったんだ」


 道永の言葉に守が息を呑んだ。そこまで猫ノ目が追い詰められているなんて想像もしていなかったのだろう。


「透子さんはそれを知って……」

「猫ノ目を守ろうと必死なんだよ」


 私の不出来のせいで。そう道永は口にしなかったが空気が語っていた。道永のせいじゃないというのは簡単だったが、それで気が晴れるとは思えない。

 現状を変える手立てが今のところ見つからない。久遠が巡回に参加できるようになってもたかが一人。お家復興は絶望的といえる。


「他家と協力する道はないんですか?」


 猫狩が生まれにくいのが遺伝子的要因だとしたら、それを改善するのは難しいだろう。となれば仕組みを変えるほかない。


「そこで久遠くんの出番さ」


 道永が笑う。包帯で隠されていても見たことのない瞳が緩んでいるのが分かる。


「俺……?」

 予想外の言葉に久遠は固まった。

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