2-13 壊れた関係とこれからの関係
「協力する代わりにちょっとお願いと、教えてほしいことがあるんですけど」
交渉成立に緩んだ空気が流れたのを見計らったように生悟が両手を合わせて首を傾ける。人によってはあざといと評するポーズも生悟がやると違和感がない。先ほど殺気を向けてきた相手とは思えない言動に要は苦笑した。こういうところがあるから生悟のことを嫌いにはなれないのだ。
「お願いの内容によるな」
「朝陽が五家の歴史資料を集めるのにはまってるんで、猫ノ目の資料も閲覧できる範囲でいいんで貸してもらえたら嬉しいんですけど」
な。と生悟が朝陽に顔をむけると朝陽はお願いしますと頭を下げた。意外なお願いに要はただ驚く。
「別にいいけど、そんなの集めてなにしてるんだ?」
「趣味です」
「趣味らしいです」
真顔で趣味だと言い切る朝陽と笑顔でらしいと言う生悟に要は気が抜けた。民俗学にでも目覚めたのだろうかと思いつつ、特に問題もないので了承する。どうせ蔵でホコリをかぶっているのだ。貸すついでに整理すればちょうどいいだろう。
「聞きたいことっていうのは?」
「道永さん、ケガで療養中って聞きましたが、ケガレが原因ではなく意図的に目を潰したっていうのは本当ですか?」
要は目を見開いて生悟と朝陽を見た。朝陽は先ほどと変わらぬ無表情だったが、生悟の顔からもいつのまにか表情が抜け落ちている。真っ赤な瞳がじっと要を見つめる。狩人から発せられる圧に要は屈しそうになったがなんとか踏みとどまる。
「誰から聞いた」
「ただの噂ですよ。けど、要さんが片目をケガした後に道永さんが両目をケガして療養したっていうのは妙だなと思いまして。守人が片目をなくしたら狩人はケガに注意するものでしょう。短期間で両方同じ目をケガするなんておかしいとは思ってたんです。お二人の後、ほかに目をケガした者がいたって噂も聞きませんし」
道永がケガではなく意図的に両目を潰されたことは猫ノ目内でもごく一部しか知らない話だ。道永本人の意思によるものとはいっても人道には反する。他家が猫ノ目を非難するのは分かっていた。
本音をいえば要だって道永の目を潰した連中に怒りを覚えている。いくら本人の意思だといっても、どうして止めてくれなかったのかと。今更どうにもならないと分かっているが、包帯を巻かれた道永の顔を見るたび怒りと自分への失望が沸き上がる。
要は生悟と朝陽に気づかれないように奥歯をかみしめた。
そんな要を生悟は観察するように見つめている。
「視力を失った狩人が、聴力といったほかの五感が発達したという例は鳥喰にも残っています」
生悟が淡々と語った言葉に要は顔をあげた。
「ごく少数ですが霊力が上がった例もありました」
「……だから、道永はそれに賭けて……」
要は怒りのあまり拳を握りしめる。道永がそこまで追い詰められたのは自分のせいだ。自分が道永の目の前でふがいない姿を見せたから。だから道永は自分を責め、要に相談もしないで勝手に賭けに出た。
事情を知って駆け付けた要に道永が最初にいった言葉は謝罪だった。賭けにすら勝てないような弱い狩人でごめんと、両目を失ったばかりなのに全て自分が悪いと力なく笑っていた。あの時の道永の姿を要は忘れられない。自分がいかに弱く、道永の支えになれていなかったのか突き付けられたような気がした。
「あれは俺が悪い。俺が道永の守人として弱かったから、道永に選ばなくていい選択を選ばせた」
「本当にそうでしょうか?」
朝陽の言葉に要は眉を寄せた。あなたのせいではないといわれたら、朝陽は悪くないと分かっていても怒鳴り返したい気分だった。しかし朝陽は怒るでもなく悲しむでもなく要を見つめている。その研究結果を確認する学者のような顔に要はただ困惑する。
「五家にまつわる歴史資料を集めるのが俺の趣味です。当然、鳥喰のものはかたっぱしから読みました。その中にはたしかに狩人が過去に怪我をし、霊力が上がった例が記録されています」
「……だからどうした?」
結論の見えない話に要はだんだん苛ついてきた。朝陽は同じ守人として主人を守れなかった要を責めに来たのか。そんな八つ当たりじみた思いが浮かぶ。
「鳥喰の記録に残っているのは聴力を失って視力や霊力が発達した例。手足がなくなって補うように霊力があがった例。視力を失って霊力が上がった例は記録がありません」
「……五感や四肢を失って霊力が増した例があるなら、視力を失って霊力が上がる可能性だってあるだろう」
それがどれだけ低いものであったとしても、追い詰められた人間は希望にすがる。冷静になった後に考えればどれだけバカバカしいものだったとしても。
「しかし、これはすべて鳥喰の記録です。猫ノ目がケガをしたという記録は鳥喰には残されていません」
「だからそれがどうしたんだ。可能性の話だったら記録が残っていなくたって……」
「要さん、本当にそう思いますか?」
苛立つ要の頭を冷やしたのは生悟の声だった。生悟はじっと要を見つめている。他家の狩人とはいえ狩人は狩人。守人として仕えてきた要の本能が生悟の言葉をきけと訴えてくる。
「五家の狩人はそれぞれ特徴があります。鳥狩は攻撃力が高い。だから五感や四肢を失ってもそれを補うためにほかの力を得ようとする本能も強いのだと思います。他の家と比べても鳥狩がケガをする率は異様に高いです。接近戦が主ですからね」
「それと対称的なのが猫狩です。攻撃力が低い代わりに索敵特化した猫狩様はケガをしないよう後方で待機するのが習わし。他の狩人よりも猫狩様が使う異能、霊術は精細なコントロールが求められる。だからこそ万全な状態を維持できるよう細心の注意を払っていたと考えられます。つまり、五感や四肢を失った不完全な状態で戦える存在ではないのです」
生悟と朝陽がいわんとしている意味を理解し要は息をのんだ。つまり……。
「道永が目を失って霊力が上がる可能性は最初からなかった……?」
「猫ノ目の力は特に瞳に宿るといわれています。仮に霊力が上がったとしても、目を失った道永様が使いこなせるはずがありません」
「じゃあ! なんで道永は目を潰されたんだ! 全くの無駄骨じゃないか!」
生悟と朝陽にいってもどうにもならない。それが分かっていても叫ばずにはいられなかった。道永のうけた苦痛はなんだったのか。希望にすがって打ちのめされ、無力だと己を責め続けた時間はなんだったのか。
怒りで視界が赤くなる。勘違いや無知が生んだ悲劇。そうだとしても要には納得がいかない。一体だれが、道永にそんな出鱈目を吹き込んだのか。
「要さん、道永さんに目を潰せば霊力があがるかもしれないと言ったのは誰ですか?」
要と同じ疑問を生悟が問いかける。冷静な声に熱していた要の思考は少し冷えた。
「狩人の目を潰して勘違いでしたではすまされません。猫ノ目には五感や四肢を失ったら霊力が高まるなんて記録は伝わっていないはずです。そもそも猫狩がケガをすることなどないのです。そんな事態にならないように代々守人と追人が守っているのですから」
「つまり傷心する道永さんに嘘を吹き込んだ奴は、鳥喰に伝わる記録をもとにした可能性が高いです。俺はケガレが侵入した件もそいつが絡んでいると思っています。そうなるとこの件は猫ノ目だけの話じゃありません。鳥喰に、猫ノ目が不利になるような情報を売った奴がいるはずです」
朝陽と生悟の言葉に要は記憶をひっくり返す。誰が道永を傷つけたのか。当時の記憶を必死に思い出し、要は少しでも手掛かりを思い出そうとした。
道永がベッドの上から要を見つめている。包帯で顔半分を覆われても伝わってくる悲しみに当時の要は押しつぶされそうになっていた。けれど今なら、道永が語っていた言葉の違和感に気づくことができる。
「十兵衛だ……。道永に目のことをいったのは十兵衛だ」
十兵衛さんに言われた。そう道永が語ったとき、要は確かに違和感を覚えたのだ。なんで狩りにも参加したことのない十兵衛が自分も知らなかった話を知っている。そう要は思ったのに、視力を失った道永を支えるのに必死で、肝心なことを考えるのをやめていた。
会議の時も十兵衛は他の重鎮たちに比べて冷静だった。肝が据わっているのかと思っていたが、すべて自分が仕組んだことであったら納得がいく。御神体の噂について語る常軌を逸した姿を思い出し、要は舌打ちした。
「ソイツについては俺たちが探るので、要さんは冷静に」
「せっかくの情報源を逃がすのはもったいないですから、はらわた煮えくりかえってるとは思いますがどうかおさえてください」
「……分かってる」
どう、どうと暴れ牛でも落ち着かせようとするような生悟の態度に少し冷静になる。髪を乱暴にかき乱すとセットが乱れたが、今はどうでもいい。
「せっかく金目が帰ってきたっていうのに、同じ一族で足の引っ張り合いをすることになるとは……」
久遠の霊力量が多いと嬉しそうに語ってくれた道永の姿を思い出す。目が見える状態であれば道永はもっと久遠に構い倒しただろう。透子だって負い目を感じることなく、今頃は道永、透子、久遠の三人で仲良くお茶していたかもしれない。
「金目が帰ってきたから焦ってるのかもしれません。ケガレに襲われたのも金目でしょう? 対抗手段を持たない状態でケガレに襲わせ、殺してしまおうって計画だったのかも」
「どこまで卑怯なんだ」
そんなのが同じ猫の血を引く人間だと思うと反吐が出る。再び舌打ちする要に対して、生悟と朝陽は冷静だった。
「それならば金目の彼は早急に強くなってもらわないと困りますね」
「そうだな……自分の身は自分で守れるくらいになってもらわないと」
久遠のことは自分が守る。そう要は言えればよかったのだが、要の優先順位はどうしたって道永だ。道永は自分よりも未来ある子供を守れというだろう。それが猫ノ目にとっては正しい選択なのかもしれない。けれど、道永の守人である要に道永を見捨てることなどできない。
守は優秀な追人だが、守人としての経験は浅い。久遠が完全な初心者なことを考えると守だけでは不安が残る。しかし猫ノ目には久遠を護衛する人ですら足りない。一体どうしたものかと要は眉間にしわを寄せた。
「手っ取り早く、俺が実践経験させましょうか」
はーいと元気に手をあげたのは生悟だった。にこにこ笑っている生悟に要は目を瞬かせる。
「鳥喰から情報が流れたなら、それは筆頭である俺の監督不行き届きです。猫ノ目に多大な損害を与えた責任をとって、未来ある新米猫狩様の指南役を務めさせていただきたく」
「指南って……お前……」
要は笑っている生悟を見て顔が引きつるのを感じた。生悟は明るくて人懐っこく、後輩にも先輩にも人気がある。ただしそれは狩りをしていないときという注釈が入る。狩りをしているときの生悟は人が違う。日ごろの人懐っこい空気が消えうせ、一切の容赦がなくなる。要にいきなり攻撃してきたように。
「もうすぐ五家定例会がありますし、ちょうどいいですね。他の狩人様も集まりますし、久遠様に狩人の心構えを教えて鍛錬をするにはちょうどいいかと」
「だろー。俺さえてるよなー」
生悟がはしゃぐと朝陽は笑みを浮かべてぱちぱちと手をたたいた。先ほどまでの無表情がウソのような和やかな笑みである。すっかり乗り気の二人を見て、要は今頃寝ているであろう久遠を思った。
「久遠……すまない。最終的にはお前のためなんだ……」
無力な筆頭守人で申し訳ない。そう要は心の中で久遠に手を合わせた。
「第二話 三匹の猫」終
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