2-11 猫狩二人と目指す道

 部屋の中に重苦しい空気が漂う。久遠はなんといっていいかわからず、目をさまよわせ、道永が机の上においた御札を見た。久遠がなんの苦もなく染めあげた黒。それを渇望してもできなかった人が目の前にいる。その事実に久遠は自分が悪いことをしたわけでもないのに逃げ出したくなった。


「各家には得意の戦闘スタイルがあるんだけどね、猫ノ目の場合は猫狩が安全地帯で待機して、守人がその護衛。追人がケガレと戦うっていうのが基本なんだ」


 空気を変えるように道永は明るい声を出した。驚いて道永を凝視する久遠を無視して、学校の先生のように話し続ける。


「猫狩は他家の狩人と違って戦闘能力が低い。その代わりケガレの位置を把握する力は高く、ケガレの弱点を見る異能もある。前線で戦うよりも後方で全体の指揮にあたった方が周囲も安心して戦えるんだよ」


 道永の話は久遠にも理解ができた。攻撃力が低い猫狩が生前戦にいたら守人や追人は気が気ではない。持って生まれた能力を活かすために出来上がった戦法が猫狩の場合は後方支援なのだろう。


「けれど、霊力が少ない僕は見れる範囲が狭い。弱点もケガレに近づかなければ分からない。猫狩なのに接近戦をする他ないんだ」


 ため息交じりの道永の声に、先程と同じく返事ができなかった。道永がどうしてそんな話をし始めたのか分からない。

 本当に御神体が願いを叶えてくれるのなら、道永はなにを願うのか。そんな話をしていたはずだ。それがどうして猫狩の戦闘スタイルの話になったのだろう。

 久遠はそんな疑問をいだきつつも口を挟まずに道永の言葉をまった。道永の口調は軽いものだが、取り巻く空気は変わらず重苦しいものだったから。


「接近戦をする他ない僕は当然危険も多い。それでもなんとかなったのは要のおかげなんだよ。要は僕と違って霊力量もあるし、戦闘センスもある。狩人としては劣等生な僕でも要がいれば大丈夫。そう僕は油断していたんだ」


 道永はそういうと包帯の上から右目をなでた。要が眼帯をつけている方だ。


「疲労すれば熟練の術者でも精度が落ちる。ましてや僕は術者の中でも弱い。油断なんてもっての他、疲れたなんて言い訳にもならないのに、あの日僕は背後にケガレが迫っていることに気づかなかった」


 道永はそれ以上言わなかったが十分だった。気づかなかった道永を庇ったのは要。その結果が……。


「要の右目は僕が奪ったんだよ」


 とっさに久遠は身を乗り出した。違う。と言おうと思ったのに、道永の顔を見たら言葉がでなかった。包帯で覆われた目は見えない。それでも道永が慰めの言葉を必要としていないことはよくわかった。


「なんでも願いが叶うなら、僕は要の目を返してください。そう願うよ」

「……自分の目はいいんですか?」


 久遠が要と過ごした時間はあまりにも短い。それでも要が自分の目だけが治り、道永が失明したままなのを良しとするとは思えなかった。

 それを久遠よりよく知っているはずの道永は笑みを浮かべたまま頷いた。


「僕の目はね、ケガレにやられたんじゃない。自ら望んでこうなったんだ」


 信じられない言葉に久遠は金の瞳を見開く。道永は苦笑を浮かべて下を向いた。


「自分が弱いせいで要の目は見えなくなった。その罪悪感から逃げたかった。僕は罰が欲しかった」


 そういって道永は机の上に組んだ両手を置いた。手が震えているのが恐怖なのか後悔なのか、久遠には分からない。下を向いた道永の顔は目を覆った包帯で見えなかった。


「だから確実性の低い話にすがったのさ。結果なんてどうでも良かった。自分を痛めつけられればいいという衝動で判断を誤ったんだ」

「……その話っていうのは?」


 道永はゆっくりと顔をあげる。包帯で覆われていても道永の眉が下がっていることは想像できた。皮肉げに歪んだ口元から道永の懺悔が伝わってくる。


「視力を失った狩人の霊力が上がった。過去にそういう例があったと聞いたんだ。盲目の人間は聴力が発達する。それと同じように霊力も上がる可能性があるという一か八かの賭け。もともと低かった可能性に無謀にも挑戦して、僕は見事に負けたのさ」


 軽い口調。しかし声は震えていた。泣き出しそうでもあり、叫びだしそうでもある。形にならない激情を無理矢理押し殺したような声だった。


「結果、僕は視力を失って要にはこっぴどく怒られて、泣かれた。透子には狩人の責務を背負わせて追い込んだ。猫ノ目の現状を作り出したのは僕だ」

「そんなことはないと思います」


 今度はちゃんと声がでた。かすれた弱々しい声ではあったが、久遠の声は道永にしっかりと届いた。戸惑った様子で久遠を見つめる道永に久遠は視線をさまよわせる。

 なんとか声を出せたはいいが、次の言葉が見つからない。それでもなにかを言わなければいけないと思った。


「タイミングが悪かっただけだと思います。もともと猫ノ目は人手不足だったわけですし、ケガレと戦うのは危険なことでしょう。誰が怪我をしたっておかしいくない。たまたまタイミングが重なって、悪い方向にむいてしまっただけ。道永さんのせいじゃないです」


 つっかえ、つっかえ久遠は言葉を続けた。こんなに長いこと喋ったのは久しぶりな気がする。たどたどしくて、まるで説得力がない。慰めになっているのかも分からない。それでも苦しむ道永を見ているのは嫌だった。


「君だって、僕のせいで巻き込まれているんだよ? 僕が動ければ、透子が君にきつく当たることも、周囲からプレッシャーをかけられることもなかった」


 道永の言葉に久遠は想像する。道永が元気であれば透子は今ほど久遠を睨まなかったかもしれない。透子と初めて会った時、道永も一緒にいて透子を諌めてくれたかもしれない。他の人もなにも分からない久遠に過度な期待などしなかったかもしれない。

 けれどそれはすべて、もしもの話。道永がいたって透子は久遠を睨んだかもしれないし、周囲は久遠に期待したかもしれない。


「道永さんのせいじゃないです。むしろ、道永さんが療養中だから俺はここでのんびり道永さんに指導してもらえるんですよね」


 久遠の言葉に道永は驚いた顔をした。そんなことは考えてもみなかったという反応だ。


「道永さんが現役だったら、俺の教育係は別の人だったでしょう。狩人は忙しいですから」

「……そうなるだろうね」

「そうしたら、守さんだって守人になれたか分からない。要さんから守さんを推薦してくれたって聞きました」


 猫ノ目に来たばかりの頃、久遠の気持ちを考えてくれる人はいなかった。金色の瞳を嬉しそうに眺めるばかりで、久遠を両親を失ったばかりの中学生だとは扱ってくれなかった。久遠が心の準備ができるまで待ってくれたのは守だけ。久遠を人の視線にさらされる息苦しい場所から連れ出してくれたのは道永と要だ。

 来たばかりの頃に出会った久遠の気持ちを考えない強引な人たちを思い出せば、守以外が守人にされることも十分にあり得た。要だって他の人間を選ぶことも出来ると言っていたのだ。久遠が気後れするような、実力だけを重視した年上が守人になる可能性だってあった。それを阻止してくれたのは目の前の道永に違いない。


「こんなことを言ったら道永さんは不快かもしれませんが、俺は道永さんとこうして話せる時間があってよかったです。俺に選ぶ時間をくれたのは道永さんだけなので」


 犬追は両親の死に放心する久遠を有無を言わせず猫ノ目に連れてきた。周囲は久遠にすぐさま狩りに出ることを期待した。ケガレは容赦なく久遠を襲ってきた。

 人間も人間でないものも久遠を待ってはくれない。選べ、進めと選択肢ばかり突きつけてくる。わけが分からず窒息しそうだった久遠に一呼吸する余裕をくれたのは道永だ。


「俺は道永さんの言う通り、夜鳴市に知り合いもいないし、思い入れもありません。五家の使命だって実感がわきません。それでも、ここにいる以上なにかはしなくちゃいけない。そう思っていました」


 両親を失った子供の久遠は大人の力なくして生きてはいけない。独り立ちできない久遠には選べる選択肢なんてないに等しい。それでも理由くらいは自由に決められる。


「俺は猫ノ目じゃなくて守さんや要さん、道永さんに恩返しするために頑張ります。俺に出来ることなんてたかが知れてると思うけど、優しくしてもらった分くらいは返したいです」


 ぼんやりとしていた気持ちが口に出すごとに固まっていくような気がした。

 獣の血を引く狩人の使命と言われても久遠にはよくわからない。金の瞳なんて不気味なものにしか思えない。それでも、自分を助けてくれた人ぐらいは信じたいし、助けになりたい。


「よろしくお願いします」


 久遠は昨日道永がそうしたように、畳に両手を置いて頭を下げた。道永にその姿は見えなくとも気配でなにをしたのかはわかったのだろう。慌てた様子で声をあげる。


「いや、僕の方こそお願いしなくちゃいけない立場だから顔あげて! それに、いいの?」


 顔をあげた久遠の視界に心配そうな道永の顔がうつる。


「この間より、もっと怖い思いをするかもしれないよ」

「……たしかにケガレは怖かったですが、俺はもっと怖いものを知っていると思い出しました」


 久遠の答えに道永は虚をつかれた顔をした。不思議そうに久遠を見つめる道永に、久遠は小さく笑う。寂しさを隠しきれないその笑みが道永に見えなくて良かったと思いながら。


「知らない間に自分の居場所がなくなる方が、ケガレよりもよっぽど怖いです」


 道永の話を聞いて思い出した。ケガレは久遠だけを襲ってくるわけじゃない。守だって、両目が見えなくなった道永だって襲うかもしれない。

 両親がいなくなった寂しさを埋めてくれるかもしれない人たちに出会えたのに、再び彼らがいなくなってしまったら。それを想像するだけでも久遠はもう耐えられない。

 前と違って久遠はもう知っている。自分には戦う力がある。守れる力がある。それを知ったうえで、なにもせずに見ていたら絶対に後悔する。


「猫ノ目の務めはよくわかりませんが、大事な人を失いたくない気持ちはわかります」


 自分でも驚くような力強い声がでた。戸惑う久遠に道永が微笑みかける。先程までの重苦しい空気が抜けた、ホッとしたような、それでいて泣きそうな笑みだった。


「そうだね。もう失わないために二人で成長しよう」


 道永が久遠に向かって手をのばす。その手を久遠は迷いなく取った。


 猫ノ目に来てから迷ってばかり。なにをどうしていいか分からなかった久遠だがここに来てやっと、自分の目指す方角が見えた気がした。

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