2-9 盲目の猫と消せない願い

 縁側に座った道永は夜空を見上げていた。夜の空気が肌を刺す。真っ黒な視界でも夜の湿った匂いや秋に変わろうとする冷たい風は感じることができる。

 大きく息を吸い込むと、冷たい空気が鼻から肺、そして体全体に広がっていくような気がする。夜と一体になったような感覚に道永はふふっと笑った。


 道永は夜が好きだ。夜はケガレが湧き出る恐ろしい時間だが、血が沸き立ちソワソワと落ち着かない気持ちにもなる。目が見えなくなり、狩りから遠ざかれば遠ざかるほど体が疼く。だから、狩りにいけないとわかりつつ、こりもせずに夜風にあたりに来てしまう。


 これは血に流れる獣の本能なのかもしれない。

 子供のように足を揺らしながら、道永は見えない星空を見上げた。

 自身の身に流れる獣すら満足させられない。そんな自分に自嘲的な笑みが浮かぶ。


「なにか羽織れっていつも言ってるだろ」


 呆れた口調でいいながら近づいてきたのは要だった。道永が驚かないようにとわざと足音をたてながら、ゆっくりと近づいてくる。そうした小さな気遣いを感じるたび、道永はなんとも言えない気持ちになる。


「まだ夏だから大丈夫」

「そう油断してるとあっという間に寒くなるんだよ。それに、ケガレが侵入した直後なんだから警戒しろって当主様にも言われてるだろ」


 要はそういうと道永の肩に羽織をかけ、道永の隣に腰掛けた。一枚羽織っただけなのにかけられた部分が温かい。思ったよりも冷えていたことに気づいて道永は羽織が落ちないように手でつかんだ。


「要も守もいるし、期待の新人久遠くんもいるからね、なんとかなる」

「お前のポジティブ思考は長所だけどな、楽観的なのは短所だ」


 そういいながら要は道永の額を小突いた。加減はしてくれているが、身構えることができない分、見えてた頃より痛く感じる。それを要に伝えるつもりはない。

 そんなことは知らなくていいことだ。


 要の気配はぼんやりとしか分からない。それでも霊力を持っている分まだマシで、家の壁や柱はさらによく分からない。

 霊術を使いこなせない道永にとって、霊力を持たない人間とそれ以外の差は動くか動かないか。その程度だ。もっと自分に霊力があれば、霊術を使いこなせればといくら思おうと現状は変わらない。ぼんやりと分かるだけでも全く見えない人間よりはマシなのだ。そう思うことしかできなかった。


「守くんはなにを借りに来たの?」


 先程守が二階から駆け下りてきて、要の部屋に走り込んだ気配がした。要と二人きりで暮らしていた時にはなかった慌ただしい空気に道永は驚いた。そして嬉しくなった。


「久遠様と将棋をするって将棋盤とコマを借りにきた」

「将棋かあ、楽しそうだねえ」


 しばらくやってない。という言葉は飲み込んだ。それを言ったら要が気にするとわかってのことだったが、隣の気配が少し揺れる。

 言わなくとも伝わってしまうのは、こういうときは厄介だ。


「久遠くんは将棋得意なのかな」

「ゲームが好きだって守がいってた。たぶんスマホとかゲーム機でやる奴のことだと思うけど、将棋もできるらしい」

「今どき将棋なんて意外だねえ」


 古い物を好む五家では将棋や碁などを好むものは多い。道永も小さい頃から当たり前に遊んでいたため、小学校にあがって一般的ではないと知り驚いた。


清美きよみさんが教えたんだろう」


 その言葉に空気が固まった。冷たい夜風が吹き抜け道永は軽く身を震わせる。要がもっと着込めと羽織を直してくれた。


 猫ノ目清美。十代にして班長を務めた優秀な追人であり、久遠の母親である。猫狩りになる前の道永に優しくも厳しく稽古をつけてくれた。当時、筆頭を務めていた猫狩とその守人とも仲が良く、道永と要にとっては憧れの人だった。


「要の初恋の清美さんが久遠くんの母親なんてね。不思議な縁だ」

「……俺の初恋情報必要だったか?」

「重要じゃない?」

「久遠様には絶対いうなよ」


 目が見えなくとも要がこちらを睨みつけてくるのがわかった。道永はくすくすと笑いながら、わかったと返事をする。

 最初から久遠にいうつもりはない。自分の母親を幼い要が好いていたなんて、聞いても困るだけだろう。ただでさえ、久遠は両親がなくなった事実を受け止められていないように見える。


「清美さんの形見だっていうおもちゃのナイフ……どうだった?」

「間違いない。あれは霊石が混ぜられている。おもちゃに見えるけど立派な霊具だ」


 道永の言葉に要は息を飲んだ。


 久遠がケガレを浄化した。その知らせを聞いた時、道永は歓喜を覚えたと同時に怪しんでもいた。本当になんの訓練も受けていない久遠がケガレを浄化できたのかと。それは当主である誠治郎も同じだったらしく、道永はある可能性を提示された。

 それが清美が久遠に残したという形見。それになんらかの細工がされていたのではないかという可能性。


「直接見たわけじゃないけど間違いない。霊具として十分に使える霊力がこもっている」


 霊石は霊力を溜め込む性質がある。その性質を利用して結界石はつくられている。霊具も機能としては似たようなもので、霊石を混ぜた特殊な武器を術者が長年持ち続けることで霊力を溜め、武器へと変貌させる。術者が長期間使い込めば使い込むほど霊具は力を増すため、五家には年代物の刀やらクナイやらが多く残っている。

 久遠はそういった仕組みは知らなかっただろうが、清美に言われた通り、肌見放さずおもちゃのナイフを持ち続けていた。結果、久遠の霊力がおもちゃのナイフに溜まり、霊術を仕えない人間でもケガレ一匹倒せるだけの霊具となった。


「久遠くんは私よりも異能を使いこなす才能がある。それを考慮しても、清美さんが用意していた霊具なくしてケガレを倒すことは難しかっただろう」


 久遠も知らない間に用意されていた武器が適切な形で使われた。それが、あの夜久遠が無傷でケガレを浄化できた理由である。


「清美さんはどこまで考えて準備してたんだ……。さすがを通り越して怖くなってくる」


 要が体を震わす気配がした。それに関しては道永も同意見である。だからこそ不可解で仕方ない。


「そこまで準備していて、なぜ清美さんは久遠くんを連れて逃げたんだ……」


 道永の言葉に要の空気が変わる。道永は膝の上においた手でトントンとリズムを刻んだ。


「五家にいずれ見つかり連れ戻される。それが分かっていたから久遠くんに霊具となるおもちゃを渡した。だけど、肝心のケガレのことは教えなかった……」


 清美であれば久遠に稽古をつけることは可能だ。当時の猫狩筆頭が引退すると同時に清美も追人をやめた。それでも班長まで上り詰めた実力者である。ブランクを踏まえても、久遠にケガレの気配を察知し逃げる方法を教えることは難しくなかったはず。


 しかし久遠はケガレという名前すら知らなかった。

 意図的に教えなかった。そうとしか思えない。五家から逃げ切れる自信があり、おもちゃのナイフは万が一のときの保険だったと考えても逃げる対象のことすら教えなかったのは不自然だ。


「清美さんから直接話が聞ければな……」

「それは誠治郎様もおっしゃっていた」


 久遠の両親が事故死したと聞いた時、誰よりもショックを受けていたのは誠治郎だった。久遠の捜索にあたっていた犬追の部隊に直接話も聞きに行ったようだが、事故である以上の返答は得られなかったらしい。

 誠治郎は清美のことを信頼していたし可愛がっていた。久遠を連れて逃げた後も評価は落ちず、なにか理由があるはずだとこぼしていたのを聞いたことがある。犬追とは別に個人的に探していたのも知っている。


 私が犬追より先に見つけていれば……。そういって畳を殴りつけた時の鈍い音を道永は忘れられない。


「本当に事故だと思うか……?」


 要が声を潜めて問いかける。かすかに上の、久遠を気にかける気配がした。道永も霊力を張り巡らせ、周囲に誰もいないことを確認する。


「仮に事故じゃないとして目的は? 猫ノ目が衰弱して犬追になんの得があるんだ?」

「……御神体の噂を盲信している奴が強行に走った可能性は?」

「……その可能性を否定できないのが嫌になるね」


 道永は大きく息を吐き出した。

 いつから言われ始めたか分からない。詳細すらよく分からない。それなのに途切れることなく根を張る、御神体をすべて集めれば願いが叶うという噂。それを信じているものが少なからず存在するという事実。気分が重くなることばかりだ。


「そこまでして叶えたい願いってなんだろうな」


 要のつぶやきが耳に入り道永は顔を向けた。要の顔は見えない。それでも要が夜空を見上げているのはなんとなく分かった。


「道永はあるか? 信憑性のない噂にすがってまで叶えたい願い事」


 要の言葉で真っ先に浮かんだのは、要の失った右目。それがもし、元に戻るというのなら……。


「ないかな」

「だよなあ」


 道永の本心に気づかず、要が伸びをする。その姿に道永はホッとして、見えない夜空を見上げた。

 浮かんでしまった醜い願いなんて、要は一生知らなくていい。この想いは飲み込んでしまおうと道永は思った。

 

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