2-8 新米狩人と新米守人

 慌ただしい引っ越し一日目が終わり、久遠は新しい自室で息をついた。前の部屋と同じく畳の和室だが、窓際に書き物用らしい机と座椅子。押し入れの他にも洋服ダンスが用意されているのに加え、ヨル用の真新しいキャットタワーに猫グッズ。それらが並ぶ部屋は久遠を歓迎しているように見えた。


 今日来たばかりの部屋には違いない。それでも、以前に暮らしていた必要最低限のものしかなかった寒々しい部屋より、この部屋の方が居心地がいい。道永と要が久遠のために用意してくれた。それが部屋から伝わってくるようで嬉しさと気恥ずかしさで落ち着かない気持ちになる。


 ヨルの姿は部屋の中にない。猫用キャリーバッグから出た直後、持ってきた寝床に飛び込んで警戒していたと聞いたが、敵がいないと理解してからは自分の家のように散策をし始めたらしい。荷物を運び終えた要と守が久遠のもとに現れた頃には外に出かけていたようだ。


 そんなわけで、なれない環境で共に寄り添おうと思っていたヨルはあっさり久遠を置いていった。いつでも帰ってこれるように窓は開けているから問題ないが、寝るには早い。どうしようかと久遠は部屋の中を見渡す。

 少ない荷物は昼間のうちに整理を終えてしまい、やることがない。家の間取りは要に教えてもらったし、夕飯もお風呂もいただいた。スマートフォンで見たい動画もないし、五家の歴史書はめぼしいところは読んでしまった。


 考えることが面倒になった久遠は押し入れの方を見た。そこに布団が入っていることは聞いている。新しい環境で、以前いた場所のように自堕落な生活を送ってもいいのだろうかと考えたが、今日は引っ越しもしたし久しぶりに守以外とも話した。自分にしては上出来ではないかと一人で納得して、さっさと寝ようと押し入れに近づいた。


「久遠様、お時間よろしいでしょうか」


 押し入れに手を伸ばす途中、引き戸の向こうからこちらをうかがうような声が聞こえた。守の声だと気づいた久遠は押し入れに背を向け戸を開ける。そこには予想通り、守が落ち着かない様子でたっていた。


 お風呂上がりなのだろう。髪がしっとりと濡れている。Tシャツに短パン姿の久遠と違い、守は白いパジャマに身を包んでいた。わざわざパジャマに着替えているのも、その色が真っ白なのも育ちの良さを感じる。やはり守は久遠とは別世界に生きてきた人だ。


 久遠と目があった守はうろたえた。なにか用事があってきたのだろうになかなか話し始めない。久遠が首を傾げると守は意を決したように声を張った。


「く、久遠様! 私とおしゃべりしてくれませんか!」

「……いいですけど?」


 勢いに驚きつつ久遠は承諾する。あとは寝るだけで暇を持て余していたし、断る理由もない。相手が要や道永だったら少し考えたが守なら問題はないだろう。

 久遠はそんな風に軽く考えていたが守はなぜかものすごく喜んでいた。感激のあまり目を潤ませる姿をみて久遠は少し身を引く。選択を誤ったかもしれない。


「久遠様ともっとお話ししたかったのですが、時間がなく……」

「守さんは学校いってますしね」


 引きこもっている久遠とは違い、守は毎日学校にいっている。昼間は学校で忙しいし、夕方に帰ってきてからは鍛錬があり、夜には巡回にも参加しているらしい。他の高校生と比べても多忙なのだ。それなのに朝晩久遠にご飯を運んできて、ケガレに襲撃された夜以降は時間を見つけて久遠と話をするようになった。スマートフォンでメッセージもたびたび送ってくれる。とてもまめな性格だと久遠は驚いていた。


「久遠様、学校に行きたいって気持ちは……」

「……本当はいかなきゃいけないんですよね……」


 守を部屋の中に招き入れ、押入れの中から座布団を取り出す。自分の分と守の分を用意すると向かい合うように座った。久遠は落ち着くという理由で体育座りだったが、守はなぜか正座だ。背筋を伸ばし、じっと久遠を見つめてくる。


「守さんは学校でもそんな感じなんですか」

「そんな感じとは?」

「すごく姿勢がいいですよね」


 久遠の言葉に守は照れた様子で下を向いた。


「正しいふるまいは姿勢からだと先輩方に言われまして……」

「先輩って追人の?」

「はい。私に稽古をつけてくださってる方です」


 守は楽しそうに笑った。その笑顔は久遠と年の変わらない少年のものなのに、立ち振る舞いや稽古に励む姿は今まで久遠が見てきた高校生とは違う。ちぐはぐな印象を呑み込めず、久遠はじっと守を見つめた。


「……久遠様は外に出たくないですか?」

「……いつかは出ないといけないのは分かってますし、ずっとこのままじゃいけないのも分かってますけど」


 外にいい思い出はない。道をあるけばじろじろと目をのぞきこまれた。学校にいけば同級生にいじめられた。気味が悪いと見知らぬ大人にハッキリ言われたこともある。


「夜鳴市で久遠様を悪く言う人なんていませんよ。なにしろ神聖な猫狩様ですから」

「ただ目が金色なだけの、引きこもりの子供ですよ?」

「そんなことはありません!」


 守は身を乗り出して断言した。守の茶色の瞳がじっと久遠を見つめる。その力強い瞳と口調に久遠は自分がとても小さな人間のように思えた。


 母と父は何度も守と同じことをいってくれた。久遠は変な子でもないし、気持ち悪い子でもない。金色の瞳はとても美しいし、誇りに思っていいのだと。人との違いを悲しまなくていいのだと。それは素晴らしい久遠の個性だと何度も何度も、久遠に繰り返し伝えてくれた。

 それでも久遠は自分に自信が持てない。ここにきて金色の瞳で生まれた意味を知っても、特別なのだといわれても、そんなわけがないと自信のない自分がいう。同級生にいじめられ、大人に罵られて育った小さな久遠が「勘違いするな」と釘をさしてくる。


 思わずため息をつくと守がビクリと肩を震わせた。先ほどの剣幕がウソのようにあわあわと視線をさまよわせている。この世の終わりとでも言うような絶望しきった顔を見て、久遠は苦笑した。


「守さんって、時間余ってるときなにしてますか?」

「え……自主練と勉強ですが」


 きょとんとした顔で、ものすごくまじめな答えを返されて久遠は面食らった。


「……遊んだりしないんですか?」

「たまに先輩方に外に連れ出されることはありますが、自分で行くことはないですね」

「ゲームとかやったことあります?」

「ないです」


 断言する守を見て久遠は目を見開いた。時間つぶしにスマートフォンでゲーム、家でも据え置き機やボードゲームで遊んでいた久遠からすると守は未知の生命体に思えた。


「そんなにまずいでしょうか……」


 久遠の反応を見て不安そうに守が聞いてくる。久遠は慌てて首を左右に振った。時間の使い方や趣味は人それぞれだ。久遠が口を出すことではない。


「俺はよく両親と遊んでたし、時間あったらゲームしてたので、やったことない人がいるんだなって驚いて」

「久遠様はどんなゲームをしていたんですか?」


 守が目を輝かせる。久遠はいくつか有名なタイトルをあげたが、守はどれも聞いたことはある程度のあいまいな反応をしていた。同じ国で生きてきたはずなのに、ここまでの違いが出るのかと久遠はただ驚いた。


「私にもできるでしょうか。久遠様が好きだというならやってみたいです」

「……家にはあったんですけど……」


 両親と暮らしていたアパートは迎えに来た人、道永の話によると犬追の人にせかされて最低限の荷物だけまとめて出てきてしまった。あの場にあったものがどうなったのか久遠は知らない。スマートフォンが当たり前に使えていることを考えると細かい手続きは犬追の人がやってくれたのかもしれない。

 両親がいたアパートの一室を思い出して久遠は胸が痛くなる。それを見て守が気づかわし気に久遠の顔を覗き込んだ。


「道永様に確認してみます。もしかしたらどこかの倉庫に移動させているかもしれません」


 思わず久遠は顔をあげた。いきなり顔をあげたことに守は目を見開いた。


「本当ですか!?」

「は、はい。考えてみればもっと早くそうすべきでしたね。こちらの配慮が足りず申し訳ないです」

「いいんです。なにか一つでも戻ってくるなら」


 久遠は服の上からおもちゃのナイフを握りしめた。今、母との思い出が詰まっているのはこのおもちゃのナイフだけだ。もう会えなくても、会えないのだと突き付けられるだけだとしても、両親の思い出の詰まった品々が久遠の知らない場所で処分されるなんて耐えられない。

 泣きそうな顔で縮こまる久遠を見て守まで泣きそうな顔をした。


「……ご両親とどんなゲームをしたんですか」

「対戦ゲームもしましたし、ボードゲームもしました。あとオセロとか将棋も」


 将棋という言葉で守が目を輝かせた。


「将棋でしたら俺も少しはできます!」

「本当ですか!」


 やっと見つかった共通点に久遠と守はそろって目を輝かせた。守は嬉しそうな久遠を見ると居てもたってもいられないという様子で立ち上がる。


「猫ノ目で嗜む方は多いので、道永様もお持ちかもしれません! お借りしてきます!」


 久遠が止める時間もなく、守はすぐさま部屋の外に出て行った。階段を駆け下りる音が響いて久遠は目を丸くする。


「そこまで急がなくても……」


 しばし驚いたまま守が消えた方向を見つめていたが、次第におかしくなってきた。久遠は思わず声をあげて笑う。


 にゃあ?


 ヨルの声が聞こえて顔をあげれば、窓から入ってくるところだった。笑っている久遠に不思議そうな顔をして、窓枠から華麗に着地するとテクテクと近づいてくる。


「ヨル、守さんが一緒に遊んでくれるって」


 ヨルのやわらかい毛並みをなでながらいうと、ヨルは再びにゃあ。と鳴いた。それが良かったね。と言っているように聞こえて、久遠はうん。と頷いた。

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