2-7 迷う猫と猫ノ目の運命

「猫ノ目は五家の中で特に見ること、ケガレを発見することに長けている」


 道永の空気が変わった。先程までの人当たりのよいお兄さんから一転し、それこそ神様のような佇まいで久遠を見つめる。

 空気に飲まれた久遠は息を潜めて、道永の言葉を待った。


「過去には夜鳴市の全てを見渡せる猫狩様もいたと聞く」

「夜鳴市の全てを……」


 思わず声がもれた。久遠にはとても信じられない話だ。目がふさがっていても周囲の状況が分かるというだけでも驚きなのに、市全体が分かるというのは人間の力だとは思えない。

 それが事実だとすれば、五家の人間が狩人を重要視する理由も分かる気がした。


「ご先祖様は本当に素晴らしい方々だったんだ。それに比べて私はこの通り、生活すらまともに出来ない」


 道永は自嘲する。その姿に、そんなの当たり前だと久遠はいいそうになり、寸前で口をつぐんだ。

 目が見えない状態で満足に生活ができるはずがない。それは久遠の常識だが、過去に存在したという猫狩にはできたかもしれない。人間にできるわけがないというのは、道永の猫狩としてのプライドを傷つけてしまう気がした。


 久遠は気まずくなり膝の上においた両手を握りしめた。遠くから守と要の声が聞こえる。二人のところに行きたいと思ってしまい、すぐに逃げようとする自分に嫌気がさした。


「そんなわけだから、久遠くんにとっては頼りない先生になると思うけどよろしくね」

「え?」


 久遠の気持ちを知ってか知らずか、道永が明るい声を出す。顔をあげると先程までの重苦しい空気は消え、道永はやさしいお兄さんに戻っていた。

 コロコロと変わる雰囲気に久遠はついていけず、金の瞳を瞬かせる。


「久遠くんには霊術を覚えてもらわないといけない」

「……猫狩になるためですか?」


 気がすすまないのが本音だ。ケガレは恐ろしい。前々から怖かったが、ヨルに取り付いたケガレを見て余計に怖くなった。

 しかし、猫ノ目の現状を聞いた今、怖いからやりたくないなんて言える度胸もない。透子のきつい眼差しを思い出すと、なにも出来ない自分に価値はないような気がしてくる。

 ここにいると、自分もなにかすべきなのかもしれないという気持ちが強くなる。けれどそれは強迫観念のようなもので、久遠の本音とも言い難い。

 本心に従えば楽なのか、現状に流されれば楽なのか分からない。楽な方に逃げようとする自分に少なからず失望もある。


「霊術を学ぶのは久遠くんが生きていくために必要だからだよ」


 だから、久遠にとって道永の言葉は衝撃だった。頭をなぐられたような感覚と共に、視界が開けたような気がする。


「要にいろいろ言われただろうけど、気にすることはないよ。ここは久遠くんの生まれた家ではあるけど、育った家じゃない。久遠くんにとっては他人の家と変わらない」


 素直にうなずいていいものか迷ったが、道永の言う通りだ。久遠にとって猫ノ目はお邪魔しているだけの他人の家。久遠にとっての家は父と母と暮らしていたアパートの一室。もう帰ることの出来ないあの場所だ。


「僕はここに要がいる、家族も友もいる。夜鳴市で育ち、守りたいと思えるほどには情がある。だから五家の狩人たちはケガレを狩るのさ。大事な人と育った故郷を守るために」

「大事な人……」


 ヨルを助けなきゃ。そう思った瞬間を思い出す。無我夢中だったあのときの激情が狩人の戦う理由だとしたら、少しだけ理解できる気がした。


「久遠くんには夜鳴市に愛着もなければ守りたい人もいないだろう。両親を亡くして悲しむ君を猫ノ目は無理矢理連れてきた。そのうえで一族を救ってくれというのは虫が良すぎる話だ。遅くなってしまったが、一族の非礼を詫びよう。申し訳なかった」


 そういうと道永は深々と頭を下げた。久遠は慌てて腰をあげ、頭を上げてくださいと訴えるが道永は頭を下げたまま話し続ける。


「本来なら君をすぐに開放してあげるべきだ。けれど私は君を助けるほどの力を持っていない。できることといったら、君が選ぶ手助けをすることくらい」

「選ぶ……?」


 狩人になる他に道はないと思っていた。久遠がいくら嫌だと思っても、それ以外の選択肢などないのだと。だから諦める他ないのだと心のどこかで理解していた。だから久遠は道永の言葉に耳を疑った。


「君が本気で猫ノ目から、夜鳴市から逃げる選択をするなら霊術はできる限り覚えておいて方がいい。君をここまで連れてきたのは犬追。五家を出て、逃げた狩人を連れ戻す役目も担う家だ。彼らから逃げ切るには彼らを知り、対抗手段を持たなければいけない」

「俺が逃げたら猫ノ目は……」

「滅びるだけだよ」


 滅びる。その言葉に久遠は息を呑む。しかし頭を上げ、姿勢を正した道永は憑き物が落ちたような顔をしていた。


「猫ノ目だってなんの策も打ってこなかったわけではない。外部の血を入れたり、逆に血を濃くしたり。楔姫様のお力もお借りしている。それでも一向に猫狩は産まれない」

「楔姫って……大昔に鬼を封印するために死んだっていう」

「肉体が滅びただけだよ。魂は未だこの地にある。狐守は代々、楔姫様の魂を体に降ろす巫女の役目を仰せつかっていてね、今代の巫女も務めを果たしていらっしゃる」


 道永はそういって悲しげに微笑んだ。その表情の意味が久遠にはわからない。


「そんな話……信じられない」

「たしかに嘘みたいな話だね」


 冗談だ。そう道永が言い出すのではないかと、久遠は道永の顔をじっと見つめた。しかし道永はいくら待っても久遠の望んだ言葉を口にしなかった。


「我々だって一般人からみたら人知を超えた存在だ。そんな我々から見ても楔姫様は別格。そんな方の力をお借りしても猫狩は減るばかり。きっと僕らは滅びる運命なのさ」

「運命……」


 道永の言葉を久遠は繰り返す。言葉を覚えたての子供みたいに、よく意味もわからないまま、理解しようと必死に。

 滅びる。それが猫ノ目の運命。それが本当なら自分はなぜ生まれたのだろう。

 胸の奥、体の深いところで何かが否定する。それは違う。そんなのは運命じゃないと。

 しかし久遠はそれを口にすることが出来なかった。自分でもなんでそう思うのかがわからないから、言葉にできない。それでも心はなにかを訴え続ける。頭と心がバラバラになったみたいで気持ちが悪い。


 久遠は胸をおさえて深呼吸した。


「そんなわけだから久遠くんが気にすることじゃないんだよ。猫ノ目のことは僕がなんとかするから、君は自由に好きなことをすればいい」


 道永は明るい声で笑う。無理をしているように見えて久遠は顔をしかめた。


「……道永さんがそういってくれても、他の人はそうは思わないでしょう」

「うーん、痛いところをつかれた」


 道永は腕組みをし、おどけた様子で首をかしげた。その仕草が芝居がかっていて、久遠の眉間のシワが深くなる。そんな久遠の空気に気づいているのか、気づいたうえで無視しているのか道永は明るい口調で話し続けた。


「それでも、僕が久遠くんの味方であることは変わらない」


 その言葉は久遠の胸にすんなり染み込んだ。今日あったばかりの人なのに、なぜか疑う気にならない。同じ獣の血を引く存在だからなのか。道永が久遠に対して友好的だからなのか。よくわからないまま久遠は道永から目をそらした。


「……とりあえず、道永さんの言う通りにします。どうしたらいいのか、今の俺には分からない」


 猫ノ目から本気で逃げたいのかどうかも今の久遠には分からない。逃げるとしたらヨルは連れて行けるのか。守はどうなるのか。そんな考えが頭に浮かんで決められない。となれば、現状は道永に従っておいた方がいいのだろう。もう少し猫ノ目の現状を知ってからでも遅くはない気がした。


「遠慮なく僕を利用して」


 道永は楽しげにそういった。言っている言葉と内容が噛み合わず、久遠はどう反応していいか分からない。

 要といい道永といい、久遠が今まで接したことのない大人ばかりで対応に困る。


「これからよろしくね、久遠くん」

「……こちらこそお世話になります」


 ゆっくりと伸ばされた道永の手を握る。その手は父に比べると細くて頼りない。それでも温かく、久しぶりに感じる人のぬくもりに久遠は鼻の奥がツンとした。

 上から要と守、そしてヨルの鳴き声が聞こえる。騒がしいそれを聞いて道永が天井を見上げて微笑んだ。


「久遠くんたちが来くれたおかげで、賑やかになりそうだ」


 そういう道永の声は弾んでいる。久遠たちを歓迎しているのはたしかだ。今はそれだけでいいと久遠は選択を保留にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る