2-5 懐かしい景色と猫ノ目筆頭
奥にいけば行くほど、建物が少なくなり、木々が多くなる。整備された石畳の道に観賞用らしい林。大きな池には橋がかかっていて、鯉が泳いでいる。
個人の家というよりは観光地といわれた方がしっくりくるような光景に久遠は目を奪われた。
雰囲気は公園に近いが、久遠たち以外に人の気配はない。考えてみれば当たり前だ。どれだけ広くてもここは私有地で猫ノ目の人間以外は入れないのだ。
だからこそ人の手が入っているのに人の気配がしない、独特の空気を感じる。歴史を感じさせる灯籠を見ているとここだけ時間が止まっているような気がした。
始めてきた場所なのに、なぜか懐かしいと思った。この光景を遠い昔に見たことがあるような気がして、久遠は目を細める。
母のお腹の中で、この光景を見たのかもしれない。
そんなことを考えてしまうほど、その景色は久遠の心を穏やかにさせ、初めてここが生まれ故郷であると実感させた。
「久遠様! いかがなさいました!」
立ち止まり、景色を眺めていた久遠は要のその声で我に返った。見れば要も守もずいぶん離れた場所に立っている。
ダンボールを抱えた要は塀に囲まれた建物の前に立っていた。その隣に並ぶ守は要と久遠を交互にみて、戻ろうかどうか迷っているようだ。久遠は慌てて走り出す。
「いま、行きます!」
久遠が走るのに合わせて、キャリーバックが揺れる。ヨルから非難めいた鳴き声があがった。一度立ち止まり、久遠はヨルに負担をかけないように丁寧に、それでいてできるだけ早足で進んだ。
「こちらが今日から久遠様に生活していただく離れになります」
要が立っていたのは想像以上にしっかりした造りの一軒家だった。
ぐるりと塀が家をかこんでいるため建物の屋根と立派な門。塀から飛び出た松の木しか見えないが、それでも十分立派なことがわかる。
「離れって、もっと質素な感じなんじゃ……」
「十分質素ではありませんか?」
物置をちょっと改良したぐらいを想像していた久遠は恐れおののいたが、守は不思議そうな顔で首を傾げている。育ちの違いを見せつけられて、久遠は久しぶりに居心地の悪さを感じた。
「見栄とか色々ありまして」
要が苦笑しながらダンボールを一旦置き、門を開ける。久遠は立派な門を見上げながら、見栄……。と呟いた。
「狩人は五家にとって神聖な存在ですので、あまりに質素な家に住まわせるわけにもいかないんだそうです。私としてはもうちょっと小さい方が掃除しやすくていいんですが」
ダンボールを抱え直した要が苦笑する。
「要さん……掃除するんですか?」
「私と道永様の二人暮しですから。道永様にさせるわけにはいきませんし」
失礼ながら意外だと思った。要の外見は家庭的なイメージとはかけ離れている。
その気持ちが顔に出ていたのか要が苦笑いを浮かべた。
「守人は皆そうですよ。小さい頃から狩人の世話をするべく家事もきっちり仕込まれますから」
そうだろ。というように要が守を見つめる。守はダンボールを抱えたまま胸を張った。
「料理、洗濯、掃除とすべて完璧にやってみせますから、なんなりと!」
目を輝かせる守を見て久遠は正直引いた。人に家事全般の面倒事を押し付けられて喜ぶ人間はだいぶ特殊だ。
「……ある程度は自分でできるので……」
守はショックを受けた顔をして肩を落とした。そこまでかと久遠は戸惑う。
「頼んであげてください。久遠様のために頑張って覚えたんですから」
要が苦笑いを浮かべてそういったが久遠はいまいち納得がいかなかった。
「……狩人にとって守人って雑用係なんですか? そんなに狩人って偉いんですか?」
ここに来てからずっと感じていた疑問だ。
五家の歴史書には色々書いてあった。それぞれの家に伝わる異能を使えるのは狩人だけだとか、生まれ持っての霊力量が多いだとか、ケガレを食べて浄化し、その力を蓄えられる存在だとか。作り話みたいなことが真面目な文章で書き連ねてあった。
それをいくら読んでも久遠には実感がわかなかった。自分に特別な力があるとは思えないし、普通の人間との違いだって分からない。ただ珍しい金色の目を持って生まれてきただけの子供だ。
ケガレを浄化できたのだってたまたま。そう思っている久遠にとって猫ノ目は意味のわからない場所であることは変わらない。
久遠の問いに要は眉を寄せ、守はなにかを言おうと口を開いた。それを遮るように流水のような声音が響く。
「狩人が偉いというよりも、人に敬われる偉い存在でいなければいけないんだよ」
その声に要が反応する。
要が開けた門の奥に気づけば人が立っていた。藍色の着物を来た成人男性だ。肩ほどの髪が歩くたびにサラリと揺れる。男性とは思えない優雅な仕草に目を奪われた。続いて、両目を隠すように巻かれた包帯に息を呑む。
「ケガレと戦う術者を排出する家系は五家以外にもあると聞くけれど、五家のように分かりやすく外見に現れるのは稀らしい」
男性は穏やかに話しながらゆっくりと久遠たちに近づいてくる。
「そこに人々は神秘と希望を見た。今より昔、電気が普及しておらず、ケガレが今より遥かに多かった時代。ケガレに家族を奪われるのがそれほど珍しくなかった時代。その時代を生きた人々にとって、五家の狩人は正しく救いだったと聞く。だからこそ五家は現代まで血をつなぎ、夜鳴市にて確固たる地位を築くことができた」
ダンボールを置いた要が男性の手をとった。支えるように体に手を回し、久遠の方へと誘導する。
久遠の目の前にやってきた男性はゆるく微笑んだ。男の人に違いないのに柔らかな笑みは中性的で、初めてみる人種に久遠はどう対応していいか分からなかった。
目の前にいるのに目が合わない。それも久遠を動揺させた。
微笑む男性の目線は久遠より高い位置にある。その姿をみて守が悔しげに顔をしかめた。
「なんて言われても、現代の僕らには関係ないし、実感とかわかないよねえ。実際」
静寂を打ち破ったのはおどけた声だった。先程の神秘さを感じさせる振る舞いとは一転し、男性はケラケラ笑いながら手を上下にふる。おばさんが井戸端会議とかでよくしているやつだ。
「道永……。途中まではいい感じだったのに……」
「いやー、先輩ぶろうとしてみたけど無理だねえ。猫狩様モードでずっととか、肩が凝って死んじゃう。死因肩こりとかなさけなさすぎる」
「それは止めてくれ。泣けばいいのか呆れればいいのか迷う」
男性――道永を支えたまま要は顔をしかめた。道長の方は支えられたまま愉快そうに笑っている。
一気に軽くなった空気に久遠は目を瞬かせ、助けを求めて守を見た。守は目を見開いて固まっている。久遠より衝撃が大きかったらしい。
「ほら、猫狩様モードしか見てなかった守が固まってる。イメージ崩してやるなよ。可哀想だろ」
「一緒に住むんだから遅かれ早かれだよ。家の中で演技したくないから離れに住んでるんだし」
「そうだったんですか!?」
衝撃から立ち直ったらしい守が叫んだ。声の方に顔を向けた道永は屈託なく笑う。
「だいたいの狩人はそうだよ。守人との関係性を深めるためとか建前、建前」
「狩りの最中キリッとしてるやつほど、家帰るとグダグダだよな」
「生悟君とか差がすごいよねえ。狩り中会いたくないもん」
「ガチのときはホント別人だよなあ……」
なにかを思い出したのか要が体を震わせた。その振動が伝わったらしい道永がケラケラと笑う。
話についていけない久遠は視線をさまよわせ、最終的にキャリーバックの中にいるヨルを見つめた。ヨルはいつまで私をここに閉じ込めておくつもりだ。と不満たっぷりな顔で久遠を見上げている。そんな目でみられても。と久遠は思った。
守はダンボールを抱えたままブツブツとなにかを呟いている。思い描いていた想像やら理想が崩れ去った衝撃と戦っているようだが、素直に怖い。
「守人は狩人にとって雑用係ではないよ」
どうしようかと困っていると道永の静かな声が響く。大きな声ではないのに自然と耳が拾ってしまう声だ。
気づけば久遠は道永を見つめていて、守も呟くのをやめていた。
道永はおだやかに微笑んでいる。包帯で見えない瞳も緩んでいる様子が想像できた。
「神聖視され、時には神として崇められる狩人を守人は一人の人間にしてくれる大事な存在なんだ」
ね。と道永が要へと顔を向ける。久遠とも、守とも合わなかった視線がその時はピタリと要の目線にあっていた。見えなくても要の顔がどこにあるのか、それだけは分かるというように。
「よくとまあ、そんな恥ずかしいセリフいえるなあ……」
要は気恥ずかしそうに目をそらすが道永を支える手は離さない。
「せっかく出来た後輩だからねえ、出来るうちに先輩ぶっとこうと思って。若者は成長が早いから、あっという間に先輩ぶれなくなる」
「生悟といいルリといい、筆頭になるの早かったもんな……」
「後輩が優秀なのは嬉しいけど、複雑だよね……」
道永と要はなんともいえない顔をする。そんな二人を見ながら久遠は内心首を傾げていた。ちょこちょこ出てくる名前の主は誰なのか。
「鳥喰と犬追の筆頭です」
戸惑っている久遠に気づいたのか守が補足してくれる。
まだ見ぬ他家の筆頭の名だと聞いて、久遠は目の前にいる猫ノ目筆頭とその守人を見つめた。
「……こういう人たちがあと四組いるのか……」
五家が揃ったらどうなってしまうのだろう。猫ノ目だけでも久遠にとっては戸惑う存在なのに、これが残りの家ごとにいるだ。猫ノ目の筆頭を見る限り、ほかの筆頭も普通の人とは思えない。
他家の人間と会う機会など早々ないと知りつつも久遠は不安を覚えた。
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