2-4 迷う猫と抗う人々

 お引越しは巡回に行く者たちが眠りにつく、人が少ない時間帯に行われた。

 久遠の荷物は要と守が分担して運んでくれることになり、前を行く二人はダンボールを抱えている。久遠が持つのは猫用のキャリーバックだけ。申し訳無さもあるがヨルを安全に連れて行くためだといわれたら受け入れるしかない。


 久しぶりに外靴を履いた久遠は要が用意してくれた帽子をかぶり外に出た。いつもこっそり抜け出していた久遠が堂々と敷地内を歩くのは初めてだ。

 隣に守がいるのも、今朝あったばかりの要がいるのも落ち着かず、久遠はキャリーバックの持ち手を握りしめた。


 猫ノ目の敷地は広い。始めてきたときも驚いたが、一ヶ月ほどたった今もなれる気がしない。久遠が把握しているのは部屋の周辺だけで、それ以外は未知の空間だ。

 しかも日本家屋が立ち並ぶ猫ノ目は久遠からすれば全て同じ家に見える。道を覚えるのも苦労しそうな空間を迷うことなく進む要の後ろ姿に久遠は尊敬の念を覚えた。


 キャリーバックに入ったヨルは久遠が歩くたびに揺れるのが落ち着かないのか、にゃーにゃーとか細い声をあげている。可哀想だとは思うが、要たちが暮らす離れは久遠が暮らしていた本邸から離れているというので我慢してもらうしかない。


「離れてはいますが同じ猫ノ目の敷地内です。ヨル様も慣れれば自由に行き来するようになると思いますよ」


 久遠の不安を感じ取ったのか要がにこりと笑う。初対面では眼帯や顔の傷、逆だった金髪で怖い印象をもったが話せば気さくな人であるらしい。

 久遠にあれこれと文句をいうこともなく、守のようにやけに持ち上げることもない。丁度いい距離感に久遠はホッとする。


「筆頭って、狩人の中で一番えらい人ですよね? それなのに離れに暮らしているんですか」


 前を歩く要が意外そうな顔で振り返った。久遠が筆頭という言葉を知っているとは思っていなかったらしい。

 隣で久遠の荷物を持った守がなぜかドヤ顔した。


「守に聞きましたか?」

「守さんにも教えてもらいましたが、誰かが置いてった本に色々書いてあったので」


 キャリーバックの中にいるヨルを見つめる。あの夜のゴタゴタが終わったあと、久遠は改めて五家の歴史書を読んだ。

 筆頭というのは複数人いる狩人のまとめ役だ。現役で高い技術を持ち、統率にたけたものが選ばれると書かれていた。


「透子様は効率重視で本邸住まいですが、他家の筆頭狩人はほとんど離れ暮らしですよ」


 そういって前を向く要を見て、他の狩人たちにもいろいろな事情があるのだと察せられた。


「共同生活を送ることで、狩人と守人の絆を深めるっていう目的もあるんです。日頃から一緒に生活していた方が連携は取りやすい」

「連携……」


 改めて狩人と守人という関係は戦うためにあるのだと突きつけられる。あの夜に向けられた殺意と咆哮。鋭い爪を思い出して久遠はゾッとした。


「久遠様の守人は守を推薦しておきました」


 要のその言葉に守の背筋が伸びる。ただでさせ姿勢がいいのに、今は天から糸で引っ張られているように伸び切って、若干固まっていた。


「ほ、本当ですか?」

「本当、本当。久遠様の意思によっては別の人になるけど」


 要はそういって意味深に笑う。歓喜で頬を赤らめていた守がとたんに不安そうな顔で久遠を見つめた。その視線に居心地が悪くなり、久遠は視線をそらす。


「……守さん以外を俺は知りませんし、これから知らない人が来るのはちょっと……」

「話してみたら気の合う奴もいるかもしれませんよ。同世代の追人も何人かいます」

「その人達全員と顔を合わせて、誰か選べっていわれるなら嫌です。俺は誰かを選べるような偉い人間じゃない」


 久遠の答えに要は目を細めた。様子を伺う猫、いや、虎みたいな雰囲気だ。


「守に異論はないよな」

「もちろんです! 光栄の極みです!!」


 目を輝かせて鼻息荒く承諾する守を見て、久遠は守から少し距離をとった。そこまで嬉しそうにする意味が分からない。久遠からすれば守は厄介事を押し付けられたようなものだ。金の目を持っていたとしても久遠は無知で、無力だ。それを守だって知っているはずなのに。


 助けを求めるように要を見ると、要は肩を震わせて笑っていた。久遠のダンボールを持っていなかったら、腹を抱えて笑っていたかもしれない。


「期待していますよ、新人コンビ。久遠様に猫ノ目の命運はかかっていますから」


 笑いながら聞き捨てならない言葉を投げかけられる。


「……俺以外にも狩人はいるんですよね?」


 この間までケガレという名前すら知らなかった自分と、守人になったばかりの守に命運がかかっているとはどういうことなのか。実戦経験がないに等しい久遠にケガレを退治できるとは思えない。この間のは火事場の馬鹿力。まぐれである。


「いますが、私の主君である道永様は療養中。狩りに出られる状況ではありません。私も片目が見えない状態に慣れていません。実践に参加しても足手まといになるだけでしょう」


 要は苦笑いを浮かべてそういった。軽い声音と表情に対して空気は重かった。口にした言葉と本音は違う。それが伝わってきて久遠は顔をしかめる。


「いま道永様の代わりに狩りを行っているのは透子様です。お会いしたことは?」

「……猫ノ目に初めて来た日とケガレに襲われた日に」


 久遠はそういいながらキャリーバックの中のヨルを見つめた。久遠の不安に気づいたようにヨルがにゃあと鳴く。


 透子に出会ったのは二回だけだが、久遠を睨みつけた表情はハッキリ覚えている。

 猫ノ目に来た当初、誰も彼もが久遠を歓迎する中、透子だけは敵意のこもった目で久遠を見つめていた。憎悪すら感じる眼差しに久遠は恐怖を覚えた。

 久遠をそんな目で見たのは透子だけだ。それでも久遠は自分は歓迎されていないのだと感じた。


 ケガレに襲われた次の朝、状況説明をしろと現れた透子は初めて会った日と同じ……いや、それ以上に憎悪のこもった目で久遠を見つめていた。その視線に久遠は恐怖を覚え、すぐさま守の後ろに隠れた。その態度すら気に食わないという顔で透子は久遠を睨みつけ、その後は一切久遠に視線を向けなかった。


 守も数日前の透子を思い出したのか表情が険しくなる。久遠と守の空気が変わったのを感じて、要は苦笑いを浮かべた。


「透子様は悪いお方じゃないんです。ただ、真面目すぎるのと、今はお一人で巡回を行っているので余裕がないのです」

「……巡回って普通は何人で行うものなんですか?」

「他の家は狩人が十人前後います。一夜二人から三人ほどの狩人が交代で本来は行うものです」

「それを一人でやってるんですか!?」


 想像もしていなかった現状に久遠は目を見開いて、守を見つめた。守は渋い顔をしてうなずく。


「透子様にはお休みいただくようにいっているのですが……」

「気の抜き方を知らないんですよ。まあ、俺たち大人が頼りないからなんですが」


 そういって要は苦い顔をした。

 

 久遠は透子の鋭い目を思い出した。始めて会った、久遠に近しい色を持った相手。もしかしたら仲良くなれるのではと考えたことを思い出す。期待を塗りつぶすような圧にそんな考えはすぐ消えたが、今にして思えばあの敵意は本当に久遠に向けられたものだったのだろうか。


「久遠様が猫ノ目になんの義理もないのは承知しています。突然、ケガレと戦えと言われて戸惑っていらっしゃるのも」


 要は久遠と向き合うと真面目な顔をした。


「久遠様に頼ることしか出来ない自分がどれほど不甲斐ない人間かも分かっています。それでも、私には久遠様にすがる以外に方法が思いつかないのです」


 要と向き合うとどうしたって顔の半分を覆う傷跡と黒い眼帯が目に入る。あの夜に久遠を襲ったケガレの鋭い爪を思い出す。あの爪に当たっていたら、久遠は片目だけではすまなかっただろう。

 それを考えると恐ろしくて仕方がない。なぜ自分が。そんな気持ちは消えてなくならない。

 それでも要にその気持ちを伝えられる度胸もない。何もかもが中途半端で久遠は自分が嫌になった。


「なんて、ダンボール持ちながらいうことじゃないですね。どうか忘れてください」


 要はわざと軽い口調でそういうと、久遠に背を向けて歩き出す。その背がとても辛そうに見えるのに、久遠にはかける言葉が見つからない。


「……久遠様……」


 守が気遣わし気に久遠の顔を覗き込む。ヨルがキャリーバックの中から慰めるように鳴いた。


「……大丈夫です」


 なにが大丈夫なのか自分でもよくわからないが、久遠はそう答えて歩きだす。すぐさま守が隣にならび、心配そうな顔で久遠を見つめている。要に追いつくと、先程の話なんてなかったように明るい笑顔で話しかけてくれる。


 よくわからないまま知らない場所につれてこられた。両親の死を悲しむ自分に寄り添ってくれる人は誰もいないと思っていた。本当は久遠がそう思っていただけで、守はずっと寄り添おうとしてくれていたのではないか。怖いと思った透子は、突然現れた要は、久遠にはわからない何かを失わないために必死なのではないか。


 失うのは怖い。それを久遠はよく知っている。だから自分もなにかすべきだ。そんな気持ちもある。それと同じくらい、小さな世界に閉じこもっていた自分になにができる。そうも思うのだ。


 久遠は考えるのを放棄して、無言で要の後に続いた。今はそれだけしか自分にできることはない。そう思った。

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