2-2 黄色の猫と盲目の猫
それをどこの誰が、いつ言い出したのかは誰も知らない。けれど五家の誰もが知っている。
夜鳴市の守りの要。五家がそれぞれ祀りあげる御神体をすべて集めれば、願いが叶う。
子供が考えた荒唐無稽な夢物語。そう透子は思っている。しかし、驚くべきことに真面目に信じているものが存在する。特に、霊術を扱えず、狩りを行わない者たちは御神体というものに夢を見すぎているフシがある。
「まさか、あれを本気で信じている者がいると?」
誠治郎が苦笑とともに告げる。皆も本気で信じているわけではないだろ? と重鎮たちを見渡すが、重鎮たちは曖昧な表情で顔を見合わせた。その反応からみて、もしかしたら。そんな思いが少なからずあるのだと伝わってきた。
「偉大な楔姫様が残された御神体だ。私達には想像も出来ないような神秘な力があるに違いない」
十兵衛は冗談なのか本気なのか分からないことを笑みを浮かべて口にする。その反応をみて誠治郎は顔をしかめた。
「御神体に力が宿っているのは事実だとしても、願いを叶えるなんていうのは荒唐無稽すぎる。それを本気で信じて、猫ノ目を潰そうと考える者がいるとは思えない」
「事実かどうかはどうでもよく、きっかけがほしいだけかもしれない」
十兵衛の言葉に空気が張り詰める。
「今の猫ノ目は死にかけといっていい。狩人は三人だけ。そのうち一人は霊術の訓練すら受けていない。たまたま偶然ケガレを浄化出来たようだが、次も出来るという保証はない」
冷ややかな声で告げる十兵衛に透子は膝の上にのせていた手を握りしめた。
久遠に向ける感情は嫉妬もあれば怒りもある。ろくに訓練もしていないのだ。偶然だと思う気持ちは透子にもあった。しかし、それを第三者、ケガレに対峙したこともない人間に言われると腹が立つ。
「だからこそ、早急に対策を立てなければいけないのです。今はそのための会議でしょう」
血がのぼった頭を冷やしたのはまたしても道永の声だった。一切姿勢を崩すことなく、堂々と前を向く道永の姿は透子には眩しく見えた。
「偶然であれば訓練をつめばいいだけのこと。久遠に才能があることは今回証明されました。久遠の存在は猫ノ目にとって光明です。なんの対策もせず、再び久遠が危険にさらされるようなことがあってはなりません」
道永の言葉に重鎮たちはうなずいた。十兵衛もその点には異論ないらしく、なにも言わない。気に食わないという態度を隠しもしないのは腹ただしいが、現状は十兵衛を納得させる材料がないのも事実だ。
この先の猫ノ目を左右するのは久遠である。そう誰もが思っている。それが伝わってくる反応に透子はなんとも言えない気持ちになった。
「では、早急に守人を決めなければ」
「守人につきましては、私は守を推薦します」
重鎮の一人が上げた声に道永は答えた。それにざわめきが起こる。
「守とは、たしか久遠様の世話をしていた……?」
「ここは実力や経験を考えて班長から選んだ方が」
「いえ、守が適任です。久遠とコミュニケーションを取れているのは守だけです」
猫ノ目内にケガレが侵入してから三日たった。部屋が破壊されたため久遠は別の部屋に移ったが、移った先で再び引きこもっている。未だ守以外の人間を警戒しているらしく、あの夜以降顔を見せることはない。そのくせ、ちゃっかり部屋を抜け出し猫たちと昼寝してるというのだから図太いのか繊細なのか透子には判断がつかなかった。
「守人は狩人が自ら選ぶもの。久遠が守以外を受け入れないのであれば、守が守人になるのが一番です」
道永の言葉は説得力があるように思えたが重鎮たちの反応はよくなかった。
貴重な金目だ。強い人間を側につけたい気持ちはよく分かる。ただでさえ猫ノ目はケガレに狙われやすく、現に先日狙われたばかり。やっと戻ってきた金目があっさり死んでしまっては目も当てられない。
守は真面目で優秀だが実戦経験が足りない。
狩人に仕える守人は幼い頃に選ばれ、一緒に訓練をつむ。そうすることで絆を結び、連携をみがく。久遠が行方不明の間、守人ではなく追人として狩りに参加していた守では他の守人と比べて頼りないというのは透子にも理解できた。
しかし久遠は守しか選ばないという確信もあった。同じく獣の血を引く道永も同じことを感じているのだろう。
「久遠も術者としては赤子も同然です。守と一緒にこれから成長していくことでしょう。焦っても良いことはありません。先を見据えていきましょう」
「そんな悠長なことを言っていられる状況か」
十兵衛が道永を睨みつけた。味方をしたいわけではないが十兵衛が言う通り猫ノ目には余裕がない。久遠の成長をのんびり待っている間に領土を他家に奪われたのでは話にならない。
不敵に笑う真っ赤な瞳を思い出して透子は舌打ちがもれそうになった。
「焦って失敗しては意味がないでしょう。やっと生まれた金目です。黄色とはわけが違う。焦って目を潰してみたけれど、ほとんど効果がなかったなんて私と同じことになっては取り返しがつきません」
部屋の空気が凍った。先程まで不満をあらわにしていた重鎮たちが気まずげに目をそらす。誠治郎と十兵衛ですら顔がこわばった。
その空気を分からないはずもないのに道永はゆっくりと重鎮たちを見渡した。
猫の面に隠れて見えない道永の目。それは仮面をとっても見ることは出来ない。仮面の下にあるのは包帯。そのさらに下にある目は潰され、もう光を映さない。
同じ過ちを繰り返すつもりかと道永は穏やかな笑みを浮かべたまま周囲に問いかける。いっそ怒りや憎悪をぶつけてくれればいいのに、あくまで穏やかな物腰。それが恐ろしくてたまらない。
笑顔を浮かべてはいるけれど、本当はひどく恨んでいるのではないか。目を潰されることを免れた自分のことを責めているのでは。そんな考えが浮かぶ。指先からじわじわと体が冷たくなっていく。透子は逃げ出したくなった。
「久遠のことは私にまかせていただければ。筆頭という立場をもらっておきながら、透子に任せきりになっていますので。少しばかり尽力させていただきたく」
そういって両手を畳につき道永は頭をさげた。後ろに控えていた道永の守人まで習うように頭を下げる。
「……久遠様の件は道永に一任する。異論はないな」
異論の声はあがらなかった。あげられるはずもない。
重い空気の中、道永は口元に笑みをうかべて感謝を口にした。目を潰される前と変わらぬ穏やかな声。目を細めて柔らかく微笑む道永の表情を思い出し透子は唇を噛み締めた。
「他に話すべき議題がないなら、これで終了とする」
誠治郎の宣言に誰も何もいわなかった。好き勝手に喚いていた姿が嘘のように重鎮たちはおとなしい。全員が罪から逃げるように道永から目をそらしている。
透子も隣の道永を見ることが出来ない。
「……ないようなので、これにて終了とする。解散」
締めの言葉を聞くと重鎮たちは逃げるように立ち上がった。みなそそくさと部屋をあとにする。透子も逃げ出したい気持ちになったが逃げてはだめだと拳を握りしめた。隣に座っている道永は姿勢を正して前を向いている。
目が潰れてからというもの道永がなにを考えているのか透子はわからなくなった。なにを考えているのか聞くことすら怖くなった。
叱られるのを待つ子供のように身を縮こませて座っていると誠治郎の声が響く。
「道永、このあと時間はあるか。話したいことがある」
「問題ありません。透子にすべて任せてしまっているので、暇で申し訳ないくらいです」
道永はそういうと透子へと顔を向けた。けれど目が合うことはない。道永の視線は透子の少し横にそれている。それに胸が苦しくなる。
「負担をかけてすまないね。私の霊力が足りないばかりに」
「……そんなことはありません。兄上は素晴らしい狩人です」
「ありがとう」
道永が微笑む。前と変わらない微笑み。そのはずなのに透子の心はざわついた。罪悪感で胸が痛い。合わない視線に耐えられなくなり、透子は立ち上がった。
「夜の準備もありますので、これで失礼いたします」
「そうだね。夜まで時間もあるし、ゆっくり休んで。無理はしないでね」
「お気遣いありがとうございます」
透子が頭をさげると誠も同じように頭を下げる気配がした。ただ罪悪感で行動している自分に合わせなくともいいのに。頭を下げてももう道永には見えないのに。そんなことを思ってしまい、思った自分に透子は奥歯を噛みしめる。
「追人の皆様方も有難うございます。今宵もよろしくお願いします」
気持ちをごまかすように後ろを振り返り、未だ正座している追人たちに声をかける。透子の言葉に追人たちは頭を下げ、追人の総指揮を取る男がもったいなきお言葉と声を張った。
その言葉も態度も今の透子は素直に受け取ることが出来ない。今は透子に向けた言葉も態度も、そのうち久遠に向けられる。そんな予感に透子の心は端の方からジリジリと焦げ付いていくような気がした。
「それでは失礼いたします」
もう一度道永と誠治郎に頭を下げて、透子は座敷をあとにした。透子に続いて誠が、その後に追人たちが退室する気配がする。それを背中で感じ取りながら透子は歩みを進めた。
いま猫ノ目を支えているのは自分だ。しっかりしなければいけないのは自分だ。だがそれはいつまでなのか。久遠が力をつけたら自分はどうなってしまうのか。
考えれば考えるほど体が重くなる。足からズブズブと沈んでいく感覚。いま自分がどこに立っているのか分からなくなる。
「透子様……、夜まで休まれた方が……」
「大丈夫」
誠の不安そうな声に透子は反射的に答えた。
大丈夫、大丈夫。そう自分に言い聞かせ続ける。足も動くし手も動く。目だって見える。だから大丈夫。自分はまだ戦える。猫ノ目にとって必要な存在だ。
そう何度も何度も言い聞かせる。そう言い聞かせるたびに心が悲鳴をあげる。
透子はそれに気づかないふりをした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます