第二話 三匹の猫

2-1 黄色の猫と猫ノ目会議

 そろそろ日が暮れようとする時間、猫ノ目家の座敷は緊張した空気に包まれていた。

 床の間を背にして座っているのは当主である猫ノ目誠治郎せいじろう。壮年らしい貫禄と緩むことなく伸びた背筋。着こなした紺色の着物と灰色の羽織がよく似合い、その場にいるだけで空気を引き締める存在感を放っている。


 誠治朗の左右に並んでいるのは着物や仕立ての良いスーツに身を包んだ猫ノ目の重鎮たち。年は老人から壮年、性別も様々だが猫ノ目の中で発言力を持つ存在であることは共通している。


 誠治郎と向かい合うように座っている透子は誠治朗や重鎮から発せられる圧に息をつめた。

 こうした会議で狩人は面をつけることが習わしだ。透子も、隣に並ぶ道永も猫の面をつけている。それでも面を貫くような視線を感じて体がこわばる。

 しかし、緊張を表に出すわけにはいかない。透子と道永の後ろにはそれぞれの守人。さらに後ろには追人。その中でも班長を務めるものたちがそろっている。狩人として情けない姿を見せるわけにはいかなかった。


「ケガレが猫ノ目の敷地内に侵入したと聞いたが」

「はい。久遠が浄化したとのことです」


 透子よりも先に答えたのは道永だった。清流のような澄んだ声が部屋に響くだけで透子は少しほっとした。

 すでに話を聞いていたのか誠治朗の表情に変化はない。しかし重鎮たちの中にはあきらかな喜色を浮かべる者がいた。その反応に透子は奥歯をかみしめる。


「結界に亀裂が入っていたと聞いたが」

「私が確認しましたところ、滅多に使われない倉庫付近の結界石が動かされていました」


 次は透子が答えた。透子の言葉に微動だにしなかった誠治朗の表情が動く。重鎮たちにもざわめきが広がった。その反応に事の重大性を改めて感じる。結界石が動かされるなど本来起こってはならないことだ。


 結界石とは名前の通り結界の役割を果たす石である。霊術を通しやすい霊石を使い、それに術を埋め込み各所に配置する。それにより術者が結界を張り続けずにすむという利点があるが、今回のように少し動かされただけで結界に亀裂が生じるという欠点も存在する。そのため結界の点検は定期的に行われており、前の点検は一週間前だった。


「動かされていたということは、動かした人物に心当たりが?」

「確認しましたところ、外部から雇った使用人でした」

「そいつの処罰は?」


 透子に問いを投げかけたのは重鎮の中でも特に発言権のある人物、十兵衛じゅうべえだった。和室に似合わない高級スーツ、髪をオールバックにした壮年である。誠治郎とは違う睨めつけるような鋭い視線に透子は姿勢を正す。


「退職してもらいました」

「退職ぐらいで片付く問題か! ケガレが侵入したんだぞ!」


 透子の答えに別の重鎮が騒ぐ。それを皮切りにそうだ、そうだと声が上がった。先ほどまでの静かな様子が嘘のように喚きだす重鎮たちに透子は仮面の下で顔をしかめた。

 誠治郎もことの発端である十兵衛も沈黙している。それをいいことにある者は大声で、あるものは嫌味ったらしく、好き勝手に自分の意見を口にする。


 彼らは透子が生まれる前から猫ノ目を支えてきた。それは紛れもない事実である。

 ケガレを浄化するという猫ノ目の務めは表向きにはされていない。多くのものにはケガレの姿を見ることすらできないからだ。

 それでもケガレの危険性は国も把握している。対応する組織も存在する。しかし夜鳴市の場合は他と比べてケガレの発生数が多すぎるため、少々霊術が扱える程度の人間では足手まといになる。そうした理由から五家が中心に活動しているのだが、そのためには資金がいる。そして国からもらえる資金だけでは十分とは言えない。


 ではどうするか。自力で稼ぐほかない。

 そうした金銭面の問題を主に解決してきたのが目の前の重鎮たちだ。元追人や元守人もいるのだが、彼らは狩りのことをよく分かっている。大げさに騒ぎ立てるのは狩りに参加できるほどの霊術の才能はなかった、狩りの現場を知らない者たちである。


 面倒だと透子はいつも思う。巡回に参加する才能はないくせに、猫ノ目を支えているというプライドがあるせいで口だけは出したがる。さっさと引退してほしいのが本音だが、資金が足りずに狩りが出来ない状況となっても困る。ある程度は相手を立てなければいけない。


「そこまでする必要はありません。調べたところ、結界石を動かした使用人は何者かに洗脳された可能性が高いと思われます」


 喚く重鎮たちを黙らせたのは道永の声だった。声を荒らげたわけでもないのに頭に直接響くような道永の声音、そして言われた内容に重鎮たちは黙り込む。

 一瞬、座敷が静寂に包まれた。


「そんなことがありえるのか?」


 十兵衛が探るような視線を道永に向けた。道永は迷いなく頷く。


「猫ノ目の血筋ではありませんが、見る力がある者でした。しかし霊力に対する抵抗力は極めて低い。過分な霊力を受ければ錯乱し記憶の混濁や洗脳といった症状が出てもおかしくはありません」


 霊力と一言でいって性質は様々である。同じケガレを相手にしても人によってはぼんやりとした輪郭しか見ることができず、人によってはきれいに並んだ歯やぬらつく舌まで見ることができる。見ることよりも聞くことに特化したものもいれば、気配を感じることに特化するものもいる。そうした差は生まれつきのもので、鍛錬による強化にも限界があるといわれている。


 見る、聞く、感じる力は向上することもある。しかし生まれ持っての霊力量、抵抗力は変わらない。五家の人間は備わっている力が多いが、一般人は見えない者の方がほとんどだ。見る力があったとしても霊術を使えるまでの霊力量を有していない者が多い。

 持っていないのだから当然抵抗もできない。しかし感じる力だけはあるため、防御もできずに一方的に攻撃されてしまう。中途半端に見える人間は全く見えない人間よりも危険なのである。


「使用人は結界石を動かしてほしいと頼まれたことは覚えていました。日付も時間もどこで言われたかもハッキリと。理由に関しても点検で問題が見つかったからだと説明されたと申しておりました。けれど、誰に言われたかは全く覚えていませんでした」

「……意図的に消されたか」

「おそらくは」


 道永の返答に誠治朗が難しい顔をした。


「自分の姿だけを相手の記憶から消すなんてことが可能なのか?」


 十兵衛の反応は道永の言葉を疑っていた。

 狩りの経験もなければ霊術も扱えない。五家の人間でありながら狩りに関しては完全なる素人が偉そうな態度で道永を見下す。それにどうしようもなく腹が立ったが透子は己の感情を抑えた。

 後ろから誠の心配するような視線を感じた。


「霊力に対する抵抗が低い一般人に大量の霊力を浴びせれば相手は錯乱します。そこで自分の姿は忘れろと洗脳したのではないかと。確実性はありませんが不可能ではありません」

 道永はそこで言葉を区切ると誠治朗と重鎮たちの顔を見渡した。


「おそらくは同業者の犯行です」


 再び重鎮たちがざわめきだす。元守人である誠治朗や、狩り経験者は予想していたのか静かなものだった。その他は面白いほどにうろたえる。狩り経験者以外で冷静に見えるのは十兵衛だけだった。


「同業者ということは、他の家の犯行か」

「そうとは言い切れません。夜鳴市の外にも霊術によりケガレを狩る術者は存在します。五家以外の術者が侵入した可能性は十分にあります」


 そう道永はいったが、その可能性は低いことを狩りに参加したことがあるものほど知っている。夜鳴市のケガレの強さは他とはまるで違う。中途半端な術者であればすぐに引き返すだろうし、知性のあるものであれば五家のどこかに接触する。隠れて潜伏できるほどの術者がいないとはいえないが、そこまでして猫ノ目の結界を壊す得があるとは思えない。


「よその者が猫ノ目を狙う理由は?」


 十兵衛の冷静な問いに道永は答えられない。透子だって同じだ。


「理由のわからないよそ者よりも、他家が猫ノ目を滅亡させるために仕向けた。そう思った方が現実的だ」


 十兵衛が低い声でいうと、誰もが険しい顔をした。背を向けているために見えない守人や追人たちからも重苦しい空気が伝わってくる。


「猫ノ目を滅亡させて、他家になんの得があるというのです。仕事が増えるだけでしょう」

「なにをいっているんだ。ご神体があるだろう」


 道永の言葉に十兵衛は迷いなく返した。自分の考えが正しいと確信している顔だ。


「鳥喰、蛇縫、犬追、狐守のどこかが、ご神体を集めて願いをかなえようとしてる」


 決して大きくはないその声が、部屋全体を震わせた。

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