1-10 黄色の猫と明けない夜

 朝方、巡回を終えて帰宅した透子は人気のない玄関に眉を寄せた。いつもであれば透子たちが帰宅する時間に合わせて出迎えの者がいる。しかし、今日は人影すら見当たらない。奥の方に人の気配はするものの、誰かが出てくる様子はない。というのに、屋敷全体の空気は心なしか浮足立っているように思える。

 わけのわからない状況に透子は眉を寄せた。


「なにかあったんでしょうか」


 緊張した顔をした誠が透子の耳元でささやいた。透子は誠の問いには答えずに周囲を見渡す。人がいない以外、玄関に変わったところは見られない。巡回中も本家になにかあれば連絡が届くようになっているがそれもなかった。となれば大事ではなかったのだと思いたい。


「誰かいないのか!」


 透子は声を張り上げた。まだ夜の気配が残る家の中に透子の声が響き渡る。続いてバタバタと奥から人がかけてくる音が聞こえた。


「透子様! 申し訳ございません!」


 慌てて顔をだしたのはいつも透子の見送りと出迎えをしてくれる女性だった。その後ろからも見慣れた家のものが顔を見せる。いずれも巡回に出ている透子たちを気にかけ身の回りの世話をしてくれる人たちだ。

 いつも通りに透子たちにケガがないか、服に汚れがないかを見た女性たちは胸をなでおろし、お疲れ様ですと透子たちに笑みを向ける。いつも通りの出迎えにやっと一息ついたが、気になることがある。


「なにか問題があったのか?」

「それが大事件なんですよ!」


 女性はそういうと目を輝かせた。ほかの者たちも嬉しそうにうなずいている。大事件といっているが悪いことではないようだ。それに安心はしたものの、そうなるとなにが起こったのかまるで予想ができない。

 無言で眉を寄せる透子をみて女性は申し訳ありませんと苦笑いした。説明もなしに一人で盛り上がってしまったことに気づいたようだ。


「久遠様が一人でケガレを浄化なされたんです!」


 その言葉に透子とともに巡回に出ていた者たちは固まった。続いてざわめきが広がる。本当か? 嘘だろ。と小さなつぶやきが背後から聞こえてきたがすべてが遠い。透子と周囲に膜があるように周囲が不鮮明にみえる。それなのに声だけはハッキリと聞こえた。


「保護していた猫に憑りついたらしいのですが、助けに駆けつけたときには浄化が終わっていて、久遠様は憑りつかれた猫を抱えていたそうです。事情を聞けば光が見えたから持っていたおもちゃのナイフで刺したとか。これって猫狩様の異能ですよね! 霊力を使う訓練もいまだ受けていないのに使いこなせるなんて!」


 女性は自分のことのように誇らしげに語って見せた。ほかの者たちも久遠がケガレを退治したことを純粋に喜んでいるようだった。


 ケガレの弱点が光として見える。それは女性が言うとおり猫狩が持つ異能だ。

 透子だってその力は持っている。しかし獣の血が薄い透子はか細くしか光が見えない。見えるかどうかも体調に左右されるため弱点を攻撃するよりも霊術による捕獲や浄化が主な戦い方だった。

 というのに、ろくな訓練を受けていないのに久遠がケガレの弱点を突いて倒したという。しかもおもちゃのナイフで。


 巡回に出ていたものたちの空気が女性の話を聞くにつれて緩む。疑心が話を聞くにつれ喜びにかわるのが、顔をみなくともわかった。

 当然だ。一般人として生きてきた、霊力を操る練習も、ケガレと戦う訓練もなにも経験してこなかった久遠がたった一度の実践でケガレを浄化できたのだ。狩人不足で存続すら不安視されている今の猫ノ目にとって希望の光。喜ぶべきことである。


 それでも透子は周囲と共に喜ぶことができなかった。


「……見回りにいってくる」

「透子様?」


 ただ一人、喜ぶ周囲に混じらず透子を気づかわし気に見つめていた誠が戸惑った声をあげる。周囲も透子の様子に気づいたようで困惑した顔で透子を見つめた。その視線をすべてはねのけ透子は入ってきた玄関に向き直る。


「今帰ってきたばかりではありませんか……!」

「ケガレが敷地内に現れたということは結界にほころびがあったということだ。至急確認する」

「でしたら透子様でなくとも、私どもが」

「私が行く」


 返事も聞かずに歩き出す。有無を言わさぬ空気に周囲が困惑しているのがわかった。それでも透子は足をとめずに戻ってきたばかりの玄関を出る。


 外に出れば朝の陽ざしが透子を照らす。目を細めながら登る太陽を見つめても少しも気持ちが晴れない。

 朝日。それはケガレの闊歩する夜の終わりを意味する。今日も一日勤めを果たした。平和な朝がやってくる。そんな安堵を感じる光景だ。いつもであれば達成感とともに見つめられる朝の陽ざしが今日は透子の心をざわつかせる。


 門を出て猫ノ目の敷地を囲む塀にそって歩き出す。朝日とともに目覚める人もいる。猫の面をつけたまま出歩けば目立つのはわかっていた。それでも透子は歩みを止めない。結界のほころびを探すという名目も置き去りに、なにかから逃げるように速足で歩き続ける。


 なぜ。そんな疑問だけが頭の中を埋め尽くす。


 なぜ、黄色ではだめなのか。

 なぜ、金色はそれほどまでに優れているのか。

 なぜ、そんな力を持っているのに今まで戻ってこなかったのか。


 久遠が今まで外にいたのは久遠のせいではない。親のせいだ。親が猫ノ目の務めを忘れて久遠を連れて逃げたのが悪い。久遠は務めのことなんてなにも知らなかった。

 透子はそれを知っている。知っているのに納得がいかない。理不尽だとわかっている。それでもどうしても心がきしむ。


「金色が特別だというのなら……なんの訓練もなしにケガレを倒せるというのなら、何でもっと早く戻ってきてくれなかったんだ!」


 ついに頬を涙が伝った。黄色の目から涙があふれる。止めようと思っても止まらない。被った猫の面が重い。

 とっさに面を放り投げそうになったがなんとか踏みとどまった。それでも涙は止まらない。拭っても拭いきれず、透子は面を抱えてその場にうずくまった。

 顔を隠すように膝を抱える。それでも朝日が顔を照らす。それから隠れるように体を小さくしても太陽は追いかけてくる。


 思い出すのは兄と慕った道永の笑顔だった。猫狩になるべく幼いころから訓練に励むことになった透子を慰め、いつも泣き言を聞いてくれた。血はつながっていなかったが透子にとってまさしく兄と呼べる存在だった。疎遠になった両親よりもずっと慕ってやまなかった。

 なかなか霊力がうまく使えなくて泣き言をいった日も、ケガレが怖くて泣いた日も、周囲からの重圧に耐えきれなくて震えた日も、道永はいつだって透子のことを慰めてくれた。透子が唯一甘えられる相手だった。透子を見つめる道永の黄色の目が透子が一人ではないと教えてくれた。

 道永がいたから頑張れた。猫狩としての重圧にも耐えられた。

 それなのに……。


「もっと早く帰ってきてくれたら……兄上は目までつぶされなかったのに……!」


 嗚咽が漏れる。涙がこぼれる。透子がどれだけ泣いても朝は変わらずやってきて、ケガレがはびこる夜もやってくる。道永の目がつぶされてからも世界は何一つ変わらない。

 それが悲しくて苦しくて透子はただ泣いた。声を殺して、すべてから目をそらし、ただ孤独に泣き続けた。





「第一話 引きこもりの猫」終

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