1-4 少年と見えない不安
守は猫ノ目の門前で大きく深呼吸をした。
平日の昼間。本来なら学校で授業を受けている時間帯、守は家にいた。正確にいうと一度学校にいってから仮病で帰ってきた。
サボりなんて初めての経験だった。生まれてこの方、聞き分けが良い優等生として生きてきた守は遅刻も欠席もしたことがない。仮病なんてもってのほかである。
けれど今日はどうしてもこの時間に帰ってくる必要があった。
きっかけは昨日の夜だった。
今日も久遠と話すら出来なかったと落ち込みながら台所にお膳をさげにいったところ、すっかり顔なじみになった使用人から気になる話を聞いた。
なんと久遠がこっそり部屋を出ているらしいのだ。
使用人の何人かは久遠の境遇に同情し、守に対して協力的だった。守が学校にいっている間、様子を見に行ってくれていたようで、その時部屋に久遠が気配がないことに気が付いた。
どこにいったのかと探したところ、庭に出るために使われているサンダルが一足なくなっていたという。
猫ノ目の庭は広い。手入れされた庭には大きな植木や石などが数多く存在する。小柄な久遠が隠れるには十分だ。そのうえ久遠は一番人がいない時間、平日の昼間を狙って出歩いているようだと使用人は話していた。
久遠の部屋は人通りが少ない場所にある。それでも誰にも見つかることなく抜け出し戻ってきているさまはまさに猫。守はそんな久遠の行動に希望を見た。
外に出ているのであれば部屋の中に引きこもっているのは窮屈だと久遠も感じているということだ。ならばなんとかなるかもしれない。
守は両手を握りしめて気合を入れた。久遠を見つけて話がしたい。障子越しではなんの反応もしてくれなかったが、直接顔を合わせて話したら気持ちが伝わるかもしれない。
いや、伝わってほしい。そんな一縷の望みにかけて守は猫ノ目の門をくぐる。
猫ノ目に限らず、昼間の五家の屋敷は静かだ。夜に巡回に行くものは昼間に眠る。その眠りを妨げないように気を遣うのは五家では常識だ。
夜の巡回を行う者は昼間、使用人が働く場所から離れた部屋や離れをもらっているのだが、それでも自然とそういう文化が出来上がった。
ただでさえ、今の猫ノ目は人手不足だ。
狩人筆頭である道永が満足に動けなくなってからというもの、筆頭代理である透子が休むことなく巡回を続けている。
現状、猫ノ目で動ける狩人は透子のみ。他の五家が五人から十人で交代しながら巡回していることを考えると透子への負担が大きすぎる。
そういった事情もあり、猫ノ目は過剰なほどに久遠を歓迎した。できるだけ早く久遠に巡回に参加してもらいたいというのが本音だが、久遠の気持ちを考えると強制もできない。
巡回に参加しない口だけうるさい老人たちは、透子一人でも今まで問題なかったのだし、今後も大丈夫だろう。と早くも久遠にさじを投げてしまった。透子にかかっている負担などまるで考えていないのだ。
透子は意地で巡回を続けているだけだと守にだってわかる。このままの状況が続けばいつかは折れる。ケガレの浄化が追いつかなくなってきているという話も聞く。
ケガレを浄化するために五家は血をつなぎ、技をつないできた。それができなくなったとき猫ノ目は五家を名乗り続けることができるのか。最近そんなことを考えては守は不安な気持ちになる。このままでは猫ノ目は消えてなくなり、夜鳴市に居場所などなくなってしまうのではないか。そんな不安。
不安が大きくなるとき、守は久遠を思い出した。
久遠がいま感じている不安は守が抱くものと同じものだ。両親がなくなり、猫ノ目が自分の居場所だとは思えず、もう帰れない過去に帰りたいと願い続けている。
同じ不安を抱く者同士。亡くなった人は戻ってこない。その事実を久遠に突きつけるのは酷だと守は思った。
ならば守にできることは久遠に寄り添い、久遠が両親の死を受け入れるまで待つこと。猫ノ目を新しい居場所にすること。
そのために猫ノ目をなくすわけにはいかない。猫ノ目までなくなってしまったら久遠は本当に居場所がなくなってしまう。
「……本当は私が変わって差し上げられれば良かったのに……」
守はそういうとため息をついた。
庭にある池をのぞき込む。そこに移ってる守の髪と瞳の色は普通の人よりも薄い。黒髪黒目が多いこの国で守は生まれつき茶色い髪と瞳をしていた。染めたわけではない。生まれつきの色なのに、多くの人と違うそれだけで途端に人は攻撃的になる。
そんな攻撃から守を守ってくれたのは「猫ノ目」の名前だった。猫ノ目に生まれる縁起の良い金色の瞳を持つ子供。その存在のおかげで、猫ノ目であれば茶色の髪や瞳の子供も生まれるだろうと夜鳴市の人間は受け入れてくれたのである。
しかし、猫ノ目の名を持たない人に対して世間は冷たかった。なんで猫ノ目じゃないのに茶色い髪なの。染めたの? と同じような髪色の子供が大人や子供に顔をしかめられる現場を守は見たことがある。
染めてこいと言われたその子は守と目が合うと「いいよな、お前は」と吐き捨てた。
あの時の顔と声を守は忘れられない。あれは猫ノ目に生まれなかった自分の姿だ。そう思った。
同時に、金色の瞳を持つ人々はどんな気持ちで生きているのだろうとも思った。いくら縁起の良い子といわれていても、金色の瞳は守の茶色い目とはまるで違う。獣の血を引く証。普通の人ではない証。それを生まれたときから取り外すことのできない個性として持ってきた五家の狩人たちは一体どんな風にみられてきたのだろう。
守が向けられてきた奇異の目を、守が向けられてきた怒りや侮蔑の目を、守よりもいっそう強く多く向けられて生きてきたのではないのか。それに気づいたとき守は怖くなった。ただきれいだと幼いころ純粋にみられた金色が、少しの衝撃で割れてしまうようなシャボン玉でできていたのだと気づいてしまった。
守らなければいけない。そう強く思った。周囲に傷つけられて壊れて消えてしまう。そんなのはあまりに悲しすぎる。
守。そう両親から名をもらったのだから、最初に守りたいと思った存在をなんとしてでも守り抜きたかった。
池から顔を上げて前を向く。餌をくれるのかと集まってきた鯉たちにすまない。と詫びを入れつつ久遠の部屋の方向を目指す。
サンダルがなくなっていた場所は聞いた。そこから久遠が移動できる範囲はそれほど広くはないだろう。久遠のことだから一目につかない場所にいるはずだ。
久遠よりも猫ノ目で過ごした時間は長い。久遠を見つけられないはずがないと守は鼻息荒く歩き出した。
とりあえず人気のない場所、人がめったに寄り付かない場所に向かって進む。久遠は猫ノ目の敷地内がどうなっているのかも、どこが人が寄り付かない場所かも知らないはずだが、そうした場所にいるだろうという確信があった。
血の濃い狩人は動物に近い行動をとることがある。鳥喰は高いところを好むし、蛇縫は寒さを嫌う。猫ノ目の狩人である透子と道永も時折静かな場所で日向ぼっこしている。
人の姿をとりながら獣の習性も持つ。それが五家の狩人である。
となれば久遠も透子や道永のように静かな場所を好むだろう。近頃は暑いから日陰で寝ているかもしれない。
そんなことを考えていた守は猫のたまり場があることを思い出した。
猫ノ目は猫を神聖視している。猫が捨てられていれば拾ってくるし、引き取ることも多い。特定の誰かが飼っているわけではないのだが、いつのまにか猫ノ目の敷地内にいつき、自由に過ごしている猫もいる。
野良猫だか飼い猫だかわからない同居人のような猫たちは、猫ノ目の至るところにたまり場を作っている。その一つがこのあたりにあると聞いたことがあった。
「たしか、使われていない蔵の裏だったな」
そこに久遠がいる。守はそんな予感がして足を早めた。
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