第6話 イラストレーター
週末、都内の個人経営の喫茶店でイラストレーターの〈にゃん太〉先生に会うために千鶴と二人で待っていた。
店内は落ち着いたクラシックが流れている。客の数は少なく俺たち以外では3,4人しかいない。店のエプロンを付けた店員も注文を取った後にはカウンターの後ろで食器を磨くばかりである。
「この店ってお前が選んだの?」
隣に掛ける千鶴に質問をする。店に入ってからずっとスマホをつついている。
「んー、いや〈にゃん太〉先生に指定された」
「へー、落ちつた良い場所だな」
「確かにね。イラストと書くときに使ったりするのかな」
「さすがにデジタルの今の時代には無いだろ」
「確かにー、てか〈にゃん太〉先生の人物像というかイメージ全然つかなくなってきたんだけど」
店内を見まわしながらの発言だ。
「兄貴は〈にゃん太〉先生の同人誌読んだ?」
「もちろん読んだぞ、まぁアレだったな」
〈にゃん太〉先生は商業誌でも活躍をしているがもともとはコミケなどで同人誌を執筆していた。内容はR18指定だが高い画力とかなり尖った作風で熱狂的なファンを獲得している。
「ヤバいでしょアレは。ドエロかったんだけど」
「お前読んだのかアレを」
「当たり前じゃん ”なな” のパパだよ。読まない理由がない」
「なるほどな」
〈にゃん太〉先生は顔出しをしていないのでどんな人物なのかがまるで分からない。ネット上ではかなりエロい作品を高い技術を持って描いているのことから拗らせた童貞などと言われていたりする。
「だから兄貴についてきてもらったんだよね。なんかされたら怖いし」
「さすがに白昼堂々何かしてくる人はいないだろ。それに〈にゃん太〉先生は連絡してもとても丁寧にやり取りしてくれるぞ」
「兄貴は可愛い妹がセクハラされてもいいの?」
「私は一向にかまわん!」
ガシッ‼ と机の下で脛を蹴られた。
〇〇〇
そうこうして待っていると約束の時間から15分ほどが過ぎてしまっていた。
「遅いな」
「すっぽかされたかなー」
「何か連絡とか来てたりしないのか?」
千鶴はスマホを操作しメールをチェックする。
「んー、特になしかな」
「まぁ道でも混んでるのかもしれないしもうちょっと待ってみるか」
「了解」
そういうと千鶴は追加で珈琲を注文していた。
「あっ、あの!」
すると俺たちの前に一人の少女がやってきた。
注文した珈琲だと勘違いした千鶴は空いたカップを差し出しながら顔を上げる。
しかし、何やら様子が違いそうだ。珈琲を持っていないどころか店のエプロンを付けているわけでもない。どうも店員ではなそうだった。
目元まで伸びた髪と大きめの眼鏡で表情はよくわからない。長めに伸ばされた髪はふわふわな印象で低い身長と相まって小動物のような感じだ。
「?はい、なんでしょう?」
千鶴は困惑した表情での受け答えだ。
少女はビクッっと身体を強張らせていた。
「えっと、もしかして〈子月なな〉さんですか?」
すると少女の口からまさかの ”なな” の名前が出てきた。
予期せぬ名前を聞かされて驚いてしまう。
「えっと、君は?」
俺からの質問を受けてスッと目をそらす。
「私は〈子月なな〉のイラストレーターをしている〈にゃん太〉と言います」
少女は千鶴に向けてはっきりとそう言った。
〇〇〇
「あ、あの、この男の人は誰なんですか?」
〈にゃん太〉先生はこちらと目を合わせようともせず千鶴に問いかけた。
「あ~、私の兄です。男の人が来ると思っていたので・・・」
素直に ”なな” の正体を教えるわけにもいかないので兄妹として紹介する。この辺は事前に打ち合わせていた。
「あ、そうなんですね。……」
釈然としないといった表情をしながらも何とか受け入れてもらえたようだ。
「えーと、〈にゃん太〉先生って女の子だったんですね! 私男の人だって思ってたんでびっくりしちゃいました!」
ラインを見極めつつ千鶴が質問をする。
「あ、私の知らない間にネットで勝手に男ってことになってました……」
おそらく読者の誰かが同人誌の内容で勝手に判断しての犯行だろうとのことだ。確かにあの内容をこんな小動物少女が書いてるなんて思わない。
「コミケとかでは違う人が売り子やってましたよね?」
去年参加したコミケで見かけた際には男の人が売り子をやっていたはずだ。
「……即売会ではお父さんが売り子をやってくれているので」
相変わらず俺とは目を合わせてはもらえない。
(お父さんマジかよ……)
目の前の少女の親子関係に戦慄を覚えてしまう。
「あー、そうだったんですね」
兄貴は黙ってろし、と千鶴からアイコンタクトで抗議を受ける。すいません。
「うん! で、〈にゃん太〉先生さっそく仕事の話になるんですけどいいですか?」
「あ、はい。一応こんな感じなんですけど……」
鞄からタブレットを出して描いてきたというデザインを表示させる。
三枚のデザインが表示されていて一枚目は書き直しになった元々のデザインだ。オーソドックスなサンタ衣装で「サンタといえばこれでしょう」といった衣装になっている。
二、三枚目のデザインはまだラフ画だ。
「一応これが前のデザインで、こっちが新しく書いたものになります……前のデザインだと3Dで見たとき普通過ぎると思ったので、こちらの二枚を新しく描きました」
「へー、めっちゃいい感じですね!」
「ああ、良いな。前のよりも攻めてる感じがしてるし、どうせ3Dでやるならこっちのほうが良い」
「……ありがとうございます。私的には二枚目の薄着な衣装がおススメです」
〈にゃん太〉先生の指した二枚目のデザインはミニスカでビキニスタイルの ”なな” だ。
「露出がすごいな」
「えー、可愛いじゃん。これくらい攻めても良いと思うけど」
「……さすが ”なな” さんですね。私もどうせなら露出を増やしたいと思いました。はい」
「あ、ああ。そうですか」
完全に千鶴のことを〈子月なな〉だと勘違いしてるな。
(まぁ、そうだよなぁ)
「……ちなみに三枚目は3Dにするのがかなりしんどいと思うのであまりおススメしません」
確かに三枚目のデザインは作画コストの高そうなドレススタイルだ。かなりレースがありひらひらとした衣装なのでこれを3Dで動かそうと思うとかなり難しそうだ。
(これは二枚目にさせるためにこのデザインにしたのか?)
「個人的には三枚目が好きだけど、確かに今からだと3Dが間に合いそうにないな」
「……お兄さんはどういう立ち位置なんですか?」
お前何様だよ。と言われてしまった。
「あ、いや。ごめんなさい」
「……いえ、別に。できれば ”なな” さんの意見が聞きたかったので」
(う、うーん。これは真実を伝えるべきなのか?)
「ま、まぁ。兄貴の意見も私的には聞きたかったし、ね。」
謎のフォローに〈にゃん太〉先生が眉をひそめる。
「それで ”なな” さんの意見を聞かせてくれませんか?」
さっきよりも幾分はっきりと意見を聞いてきた。三枚目は時間的に間に合いそうにないので実質一枚目と二枚目から選ぶことになる。
「そうですねー。私的には二枚目が良いと思います」
「……っ、ありがとうございます! ではこれでデザイン進めたいと思います!」
俺の意見は改めて聞かれることなく決定してしまった。
(まぁ、俺も二枚目で異論はないけどさぁ)
「それでは、さっそく作画に入らせてもらいます。できたらいつものアドレスにデータを送るので確認してください」
そそくさとタブレットを鞄におさめ帰る準備を始める。
「あ、あの! 今日はなんで会って打ち合わせしてくれたんですか?」
俺が聞きたくても聞けなかったことを千鶴が代わりに聞いてくれた。
「……今までは男の人が連絡をしてきたので会うのは少し怖かったんですけど、でも今回は ”なな” さんから直接連絡が来たので、女の子が相手ならと思いまして……」
なるほど、こっちは〈にゃん太〉先生が男だと思っていたので気にしていなかったが〈にゃん太〉先生からしたら男からいつも連絡が来るので実際にあったりはせずメールでのやり取りだけに限定していたようだ。
「……でも、男の人がついてくるとは思いませんでした、今度は ”なな” さんと二人でお願いできたらありがたいです」
( ”なな” さんと二人だと俺とになっちゃうんだけどね)
「考えておきます」
返事を聞くと〈にゃん太〉先生はペコリとお辞儀をして店を後にした。
俺と千鶴両方が何とも言えない表情で見送るしかなかった。
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