うまい話は裏を読め

 7区のターミナル駅から、8区のターミナル駅までは在来線でおよそ6分。そこを西口から降りて徒歩数分、お世辞にも大きいとは言い難いオフィスビルに修二は連れて来られていた。


「ここの二階が、我が黒ノ巢本社となっている。さあ、ついて来い」


「えー……ここ、エレベーターないの? 階段歩きたくなぁい……」


 案内をするのは、先ほど出会った金髪赤メッシュ。そして、ぶつくさと文句を言っている女の子が、その妹。修二はその二人の後ろ、最後尾を歩く。


 妹をなんとか励ましつつ、階段を上ってすぐのドア、そこに金髪赤メッシュは手をかける。


「さあさあ諸君! たった今俺が帰ったぞ! 思い切り出迎え給え!」


 なんと威勢の良いことか。普段からこのテンションなのだろうか? だとすれば、あまりお近付きにはなりたくない、と修二は思った。


 そして、そんな金髪赤メッシュのテンションとは裏腹に、反応はなし。人っ子一人の気配もない。


「珍しいな、暁斗はともかく、凛や天花までいないとは……ん?」


 どことなく金髪赤メッシュの背中が寂しそうに見える。その時、どうやら彼は何かを見つけたようだ。


 それは、ホワイトボードに張り出されたメモ書き。金髪赤メッシュはそれに目を通すと、納得したように頷き、くるりとこちらに振り返る。


「どうやら今、我が愛しき社員たちは不在のようだが、逆に丁度良かったかもしれないな。ゆっくり話そうじゃないか。二人とも、こっちへ」


 そう言って、彼は二人を奥の別室に案内した。そこは決して広い部屋ではないものの、先程の部屋より少し高そうな机とソファが置いてある。ここは、応接室兼社長室だ。


「まあ座ってくれ。今、茶を淹れてやる」


「あ、どうも……ありがとうございます」


「兄さん、チョコパイあるー? 無いなら無いでいいけど」


 改めて、客としてもてなされることに緊張を覚える修二。それとは正反対に、まるで自宅にいるかのようにだらけきった女の子。


 隣の様子を見ていると、緊張しているのがバカらしく思えてきた。


 程なくして金髪赤メッシュがお茶とお菓子を用意して戻ってきた。女の子は遠慮なくチョコパイに手をつけるが、修二はとてもモノを食べていられる精神状態ではない。


「さて……まずは肩の力を抜いてくれ。そう難しい話をするつもりはないからな」


「はあ……」


 そう言われても、実際に力を抜けるかと問われれば、なかなか難しい。こんな状況、人生で一度経験するかしないかだろう。どうしたって身構えてしまう。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺は黒野時治。ここ、黒ノ巢商事株式会社の代表取締役社長だ。で、そっちが妹の黒野愛琉」


「社長……!? いや、その……その若さで!?」


 そんな胡散臭い見た目で!? というのは、声には出さず胸の奥で押し殺す。しかし、驚きまでは殺し切れなかった。


 若さで言えば、この春に高校を卒業したばかりの修二の方が若いのだが、その自分と比べてもそこまで歳の差は無いように見える。だからこそ、余計にその肩書きが大きく思えた。


「大袈裟な。今や俺やお前くらいの年齢で起業する若手実業家なんてザラにいるぞ。海外では10代のうちから、大学や高校に通いつつ会社を経営しているやつもいるしな」


「学校に行きながら……!? 想像したこともない世界の話だ……」


 もうなんかすでに恐ろしくなってきた。都会にはそんなやつがゴロゴロいるのか、と。それなら確かに、自分のような凡人が就職するのは苦労するはずだ。


 逆に言えば、自分は今、とんでもないエリート、上澄みの人間と話している……と、恐々としている。


「その社長さんが……この俺に、なんの用です?」


「社長が就活生に話す用なんて一つしかないだろう。単刀直入に言って、お前を我が社にスカウトしたい」


「……えっ?」


 修二は、自分の耳を疑った。話があまりにも唐突に進みすぎる。階段で言うなら五段は軽く飛び越えている。


 その情報に思考が飲まれそうになる寸前……一呼吸置いて、冷静さをギリギリで保つ。


「……話が美味すぎます」


 就活初日に、仕事の方からやってくる……なんてことが、ありえるだろうか。何もかもが、修二にとって都合が良すぎる。


 ここまで順調すぎると、より疑り深くなってしまうというもの。一層、金髪赤メッシュ……黒野時治への警戒心を強めていく。


「まあお前の言いたいことはわかる。都合良すぎるもんな? だが逆にこう考えてほしい。お前にとって都合の良い誘いをするのは、お前が俺たちにとっても都合の良い人材だからだ、と」


「俺が……? どういうことですか?」


「この狭いオフィスを見てもらえばわかる通り、うちは少人数経営の零細企業。現在、社員は俺を含めても四人しかいない。起業してからおよそ二年、多少仕事も増えてきたところで、そろそろ新しい社員を入れようかと思ってたとこなんだ」


 社長からしてみれば、まさに降って沸いた人材、というわけだ。募集をかけたり、それを見て集まった就活生に面接したりする手間が省けたのだから。


 だが、いかんせんそれだけでは根拠が弱い気がする。本当にそれだけが理由だろうか?


「で、来年度からそこの妹……愛琉を入社させるつもりではあったんだが」


「え? わたし? そんなの聞いてない! 兄さん、どういうことなの⁉︎」


 ここで突然、話は愛琉の方に矢印が向いた。当の本人は寝耳に水で、飲みかけの紅茶をテーブルに置いて立ち上がる。


「そりゃそうだ。今日呼んだのは、その話をするつもりだったからな」


「つまり兄さんはわたしを働かせようとしてるってこと⁉︎ なんておそろしいことを考えてるの⁉︎」


「……まあ、こんな調子なわけだ、我が最愛の妹は」


 兄妹の漫才のようなやりとりを特等席で見せられて、修二は呆然とすることしかできなかった。


 何からつっこんだものか、というよりかは、ただただ単純に言葉が出ない。一体、何を見せられているのだろうか。


「……失礼ながら、妹さんはなんなんです? ニート的な感じですか?」


 やっと絞り出した言葉がそれだった。オブラートに包もうとはしたが、包み切れずはみ出した。本当に失礼な感じになってしまった、と言った後で後悔する。


「ニート、ねぇ。まあ似たようなもんかな。愛琉は今年、高校を卒業するはずだったんだが……三年生に上がるタイミングですっかりやる気を無くして学校に行かなくなってな。出席日数が足りず留年……というか、自主退学しちまったんだよ。結局、この一年は特に何もせずフラフラしてたみたいだが……」


 再度、修二は言葉を失う。よく耳にはするが、実際に不登校になった人を見たのは初のことだ。それも、こんな明るい性格の女の子が、どうしてそうなってしまったのか。


 何か学校で、嫌なことが……そう、例えばいじめられていたのだろうか。少なくとも修二の地元ではそういった話は聞かなかったが、都会ではいわゆるスクールカーストのような、陰湿な文化が根付いているのかもしれない……と、そこまで想像力を働かせ、なんと声をかけたらよいかわからなくなったのだ。


「だって、学校ってなんにも面白くないんだもん。みんな同じような人ばっか……飽きるよね、普通に。わたし、つまらないことはしたくないから」


「そんな理由で……?」


 開いた口が塞がらなかった。少なくとも、今の修二には理解し難い思考をもって、彼女は学校を辞めたのだ。


「そんな? 違うよ。わたしにとって、それ以上の理由なんてないんだよ。せっかく一度しかない人生、運良くこうしてわたしたちは生きてるんだからさ、みんなと同じじゃイヤ。みんなより楽しく、しあわせに生きたいって思うのは普通のことでしょ?」


「それは……まあ、俺だって、できることならそうしたいけど」


 修二だけじゃない。きっと、誰しもがそう思っている。だが、誰もそうすることはない。


 人と違うことをするのは、恐ろしい。集団から逸れた個は、あまりにも脆い。そのことを幼くして皆思い知るからこそ、誰も彼もが個を殺して郡に紛れるのだ。


 それなのに……彼女、黒野愛琉は、いつだって己の個を尊重して生きてきたのだ。


「俺も愛琉の考えには、一定の理解をしているつもりだ……けど、かと言っていつまでも両親に甘えるわけにもいかんだろう。だから俺の会社で面倒見ることにしたんだ」


「ああ、なるほど……確かにこの様子じゃ、他の会社ではやっていけないですしね。ここまで露骨な縁故採用もなかなか無いと思いますけど……」


「でだ、修二。お前が我が社に入社した暁には、愛琉の世話係に就任してもらうつもりでいるんだが」


「は?」


 立場を忘れて、思わず素が出てしまった。何を言っているんだ? という困惑が半分と、もう半分は怒りにも似たなにか。


 裏があるだろうとは思っていたが、まさかこんな意味不明な無茶苦茶を言ってくるとは思わなかったのだ。


「……お言葉ですがね、あなたの妹さんなんですから、あなた自身が面倒見てあげればいいじゃないですか。そもそも、会ったばかりの男に大事な妹を任せる兄がいますか? 直接この会社の業務に関係があるとも思えないですし。ぶっちゃけ、正気を疑うお誘いです」


「うん、至極真っ当な意見だ。やはり修二、お前は信頼に足る男だと確信したよ」


 既に猜疑心を隠すこともしない。今すぐ応接室から飛び出してしまうかもしれない、そんなピリピリした雰囲気だ。


 それでも時治は、余裕のある態度を崩さない。どころか、嬉しそうに口角を上げたようにも見える。


「その真っ当な感性の持ち主にこそ、妹を預けるに相応しい! ますます気に入ったぞ、千桐院修二!」


「いや、だから……!」


「もちろん、愛琉の世話は会社の業務とは関係のない仕事だとも。だからこそ、会社で支払う給与とは別に報酬を支払おう! ついでに、上京したばかりで住む場所にも困っているんじゃないか? 俺の知り合いの経営するマンションを紹介しよう。無論、今日から部屋に入れるよう話は通しておく」


「っ……!?」


 畳み掛けてくる時治が提案する好条件の嵐に、修二の心は吹き飛ばされそうになっていた。


 住処を確保できるのならば、これ以上有難いことはない。探す手間も省けるし、時治の知り合いというのならば、悪いようにはされないはず。追加報酬も今の修二にとっては魅力的だ。それで怪しさが完全に掻き消えるわけではないが、揺らぐのには十分すぎる。


 その修二の表情から好機と見た時治は、さらにもう一押し。


「いきなり入社するのが嫌なら、まずは今月中、研修の名目で仕事に慣れるといい。流石に研修中は正社員と同じ額は出せないが、ちゃんと給料も出そう。もし合わないと感じたら、その日のうちに辞めてもらって構わん。ああ、もちろんマンションにはそのまま住み続けてもらっていいぞ。追い出すような真似はしない」


 ここで、修二の中で張っていた緊張の糸は、完全に切れてしまった。もう妹の世話だの、社長が怪しいだのはどうでも良い事柄と成り果てた。


 T都での家と、好条件の働き口。それに勝る勧誘文句は、おそらくこの世の何処にも存在しない。


「……少しでもこの会社の労働環境がやばいと思ったら、すぐ辞めますからね」


「はーっはっは! その返事が聞きたかった! ではもう今日は帰るといい! 最低限、生活基盤を整えるには時間が必要だろうからな。一週間後に、またここで会おう」


 そう言いながら、時治は一枚のメモを修二に手渡した。そこには例のマンションの住所が記されている。ついでに、この会社と時治自身の電話番号も。


 修二はその紙を見つめ、納得したように頷いた。そして、いつの間にやら差し出されていた時治の手を力強く握り返し、互いの思惑が一致したことを示したのだ。


「ちょっと待って⁉︎ なんか二人だけで話がついちゃってるけど、わたしは納得してないよ⁉︎ いくら兄さんの会社だからって、そんないきなり働くなんて……」


 そう、この場にいるもう一人、黒野愛琉だけが、一つも納得できていない。


 一応自分も関わっている話のはずなのに、一切愛琉の意見が伺われることはなく、時治と修二の二人のみで話が進んでいた。愛琉が修二という監視付きでこの会社に入社することが、当然であるかのように。


「悪いが愛琉には拒否権はない。少なくとも自立できるまでは……許せ愛琉! お前のためを思ってのことなんだ!」


「まあそういうことで。君の面倒見るのも俺の仕事なんでね。頼むよ愛琉ちゃん、俺のボーナスのために働いてくれ」


「えっ、ちょっ……修二くんてば意外と強引!? わたしはっ、今の家以外のどこにも住みたくないのにぃーっ! はーなーしーてぇーっ!」


 そして、愛琉の声に耳が傾けられることはとうとうなく、強制連行されていった。実はこれが最適解だったりするのだが、そのことを修二はまだ知らない。ただ、本能的にそう感じ取ってはいたから故の行動だろう。


「それじゃ、一週間後に」


「おう、愛琉を頼んだぞ、修二!」


「会ったばっかりでなんでそんな息ぴったりなの二人とも⁉︎ これ実は兄さんの仕込みじゃないの⁉︎ わたしを強制労働させるためのヤラセなんじゃないの⁉︎ ねぇ聞いてんのぉーッ⁉︎」


 愛琉の叫びは、虚しくオフィスのエントランスの外へと消えていった。


 無論、ヤラセなどは一切なく、この流れになったのは純度100%の偶然……この出会いが、彼らとこの会社に何をもたらすことになるのか。この時点でそれを知る者は、ただ一人としていない。

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