出会いの季節、波乱の予感

 時は3月。年度の終わり、卒業やら引越しやら、忙しない時期でもある。そんな日に、田舎からこの国の首都へやってきた青年が一人。


「ここがこの国の中心、T都……! 高い建物、コンクリの地面、止まらない人の流れ……何もかも想像した都会以上の都会だ……」


 千桐院修二。地元での就活に失敗し、ここT都で再起を賭ける崖っぷち就活生。昨日、高校の卒業式を終えてすぐに実家を飛び出し、はるばる首都までやって来た。


 家族の大反対を押し切り、中学一年の頃からコツコツ貯めた貯金だけを頼りに無計画で上京してきたのだ。今日の夜を過ごす宿さえない。


 だがそれでいい。あえて自分自身を厳しい状況に追い込むことで、実力以上の能力を発揮しようという考えのもとで彼は動いている。


「さぁて、どうするかな……実家に逃げ帰るわけにもいかねーし、先ずは住居の確保か。即日入れるとこってあんのかなぁ」


 仕事の前に、家を探すのが先決だ。しかし全く土地勘のないこの大都会で、不動産屋を見つけるところから始めなければならないが。


 しかし彼には文明の利器がある。今となっては国民の誰もが持つスマートフォン、その中にインストールされている地図アプリを使えば、目的地までのルートはバッチリだ。


「……マジか」


 ただし、十分に充電されていれば、の話であるが。


 スマホが使えない以上、この見知らぬ土地に頼れるものは何もない。いきなり想定以上の大ピンチ。


「どっか充電できるとこ探すのが先か……幸先悪ぃな。まあ、自業自得なんだけどさ」


 急いで家を出たとはいえ、事前に充電をしていれば済んだこと。そして、いくら暇だったからとはいえ、T都に来るのに利用した深夜バス内で無駄にスマホを使わずにいれば済んだこと。


 後悔はいくらしても足りないが、今は時間が惜しい。とにかく足を動かす他に選択肢はなかった。


「お、あれ確かスタヴァの看板だよな。あそこなら充電用コンセントくらいあるだろ」


 修二の地元にスタヴァ……いわゆる大手カフェチェーン店はなく、当然入ったことなどないが、どういう店かのイメージくらいはある。


 都会人なら誰もが利用し、コーヒーを嗜みつつ友人たちと談笑したり、あるいはエリート会社員がパソコンで案件をこなしたり……概ねそんなところだ。


 特に後者、パソコン作業をする場であれば、充電くらい出来るようになっているはず。そう推測するのも自然なことだ。


 ということで、緊張しながらも早速スタヴァに入店してみた修二。しかし、彼が最初に見たのは、制服を着た店員さんでもコーヒーのメニュー表でもなく。


「なぁにがグランデじゃ、なぁにがフラペチーノじゃ! どれもこれもメニューがわかりづらすぎるんだよォ! そんなわかりづらいメニューを出す不親切なコーヒーショップは、この悪の組織〝デストロイ・カンパニー〟がぶっ壊してやる!」


「え……なにこれ。悪質なコスプレ野郎?」


 どう見ても悪そうなアーマースーツに身を包んだ、いかにも悪人ヅラの大男の姿であった。


 悪質、というより、理不尽極まりないクレームをつけ、その手には何やらいかつい銃のようなものが抱えている。店内は阿鼻叫喚……とはならず、意外にも他の客は冷静だった。


 修二は何一つ状況が理解できていない。


「なんだこの状況……なんであんな目立つやつが騒いでんのにみんな無関心なんだ? 店員は何やってんだ、早く通報しろよ……てか店員どこだよ。髪の毛の先からつま先に至るまでやべーやつ放置してんじゃねーよ……」


 これが都会のスタンダードなのか、それとも今回がレアケースなのか。上京後1時間以内の修二には知る由もない。


 だが、少なくとも彼にとっては異常な光景だった。いずれはこのようなトラブルに巻き込まれても無関心でいることに慣れなければならないのだろう。早速洗礼を浴びた気分になる。


「……ねえ。早く注文してくれる? なにもしないなら、わたしに順番譲ってよ」


 その無関心を象徴するように、背後から注文を急かす声。そして同時に、修二にとってはT都で聞く初めての自分に向けられた声。


 こんな状況で普通に話しかけてくることには正気を疑ったが、無視をするわけにもいくまい。後ろを振り向いてみると、そこにいたのは自分より頭ひとつ以上も背の低い女の子。


 都会の子供は一人でもスタヴァに入るのか……と思いつつも、それを声には出さず、ひとまずこちらの第一声は。


「注文なんてしてる場合じゃないだろ、どう見ても。ほら、ここは危ないから、俺と一緒に逃げよう」


「……なに言ってるの? 悪の組織が悪いことするのなんて当たり前じゃん。帰りたいなら一人で帰って」


 至極真っ当な忠告をしたつもりだったが、やはりここでは自分の方がおかしいらしい。


 女の子はぐいぐい修二を押し除け、カウンターにあるタッチパネルにて手際良くコーヒーとケーキを注文。それを見て、修二は再び彼女を呼び止めた。


「ねぇ、君っ! ちょっと待ってくれ!」


「……なに? 順番抜かされて怒った?」


「……俺にスタヴァの注文の仕方を教えてくれないか」



…………



 数分後、すっかり静かになったスタヴァ店内にて、修二は先ほどの女の子と相席してコーヒーとケーキを頂いていた。


 あれからほどなく、ヒーローと呼ばれる連中が来て、不審者を外に連れ出した。外では何やらバタバタしていたようだったが、注文したコーヒーが出来上がったのが先だったので、そこから先は見ていない。


「つまり、さっきのが悪役企業……と、それと戦うヒーローってやつか」


「そうだよ。君、ほんとになにも知らないんだねぇ」


「地元にはあんなの居なかったから……存在は知ってたけど、まさかあんなにそのまんまなビジュアルで活動してるとは思わなかったんだよ」


 悪役企業。修二とて、その名を知らないわけじゃない。ただ、そのような名前から、いいイメージを持っていたわけではなかった。


 しかし、実際に遭遇してみれば、人的実害はゼロ。騒ぐだけ騒いで、ヒーローが来たら外で戦うという、悪にしてはやたら律儀というか、少し迷惑な客くらいの印象だった。


「スタヴァの注文の仕方がわからないなんてさ。T都もはじめて?」


「地元にこんな洒落た店なかったよ。それに店員もいねぇし……まさか接客全部無人化だなんて想像してなかった」


 ずっと店員が見当たらなかったが、それもそのはず、接客スタッフはゼロ。注文は全てタッチパネル、会計もAIの案内する無人レジにて行われる。


 急激に発展した機械、AIによって、人々の雇用は激減した。企業は人件費を極限まで削減するため、それらを次々に導入していった。結果、露頭に迷う人々が増えた。


 修二も例外なくその影響を受けた一人。田舎に雇用がなければ、都会なら……と思っていたのだが、どうやらその考えは甘かったらしい。


「で、はじめてのスタヴァはどう? 美味しいでしょ」


「コーヒーの味はよくわからないけどね。それより君は……砂糖入れすぎじゃない? それ何個目?」


「だってコーヒー苦いんだもん。こういうのは、甘ければ甘いほどいいの」


 もともとクリームのたっぷり入ったフラペチーノに、さらに追加でスティックシュガーを入れまくる。見ているだけで胸焼けを起こしそうだ。


「甘さにも限度があると思うけど……君は、よく来るの? ご家族は今日は一緒じゃない?」


「わたしのこと子供扱いして……これでもわたし、18だから」


「18……!? まさか同い年だったなんて……」


 童顔、低身長、中学生かそれ以下だと思い込んでいた少女が、まさかの同い年。確かに、一部はとても発育がよろしいようだったが、まるでその可能性を考えてはいなかった。


 人を見た目だけでは判断すまいと心がけてはいても、結局はこんなもんである。自戒。


「今日はたまたまこっちにいるんだよ。最近はあんまり近所から出ないし……今、この辺に兄さんがいるらしいから」


「お兄さんが? 君は、そのお兄さんに会いに来たのか」


 子供扱いで若干機嫌を損ねはしたものの、もう一つの方の質問には答えてくれた。


 どうも彼女は兄を訪ねてきたらしい。どうも言い方が引っかかるが。


「そうなの。でも兄さんてばひどいんだよ、自分から会いに来いって言ったくせに、オフィス行ったら今所用でいないって。だから7区まで迎えに来たはいいけど、この辺詳しくないから迷っちゃって。だんだん面倒になってきて、とりあえず休憩しようかなって」


 なんとなく不安になるような話し方だ。これはもしかしなくとも、迷子というやつなのではないだろうか。


 本人はまるで気にしていなさそうな口ぶりなのが、余計に修二を心配させる。


「なら、あんまりゆっくりしていられないんじゃない? お兄さん待ってるんじゃないの」


「えー、どうしよ。疲れたしもう帰ろうかな。兄さんにはうちまで来て貰えばいいし」


 どの程度この街を歩いて兄を探したのかを修二は知らないが、この少女の本質を垣間見た気がした。おそらく、本当に彼女は家に帰るつもりだ。


「……というか、一緒には住んではないんだね。そんな大事な用があれば、わざわざ外に呼びつけて話すこともないだろうに」


「わたし、兄さんがどこ住んでるかも知らないんだよねぇ。兄さんは二年前に海外から帰ってきてからは、一人暮らししてて。ちょいちょい会ってはいるから、さみしくはないけど」


 やはり、呼び出された件については、全く重大に考えていないようだ。


 本人がそういうのであれば、所詮はスタヴァの注文の仕方を教わった程度の仲である修二は、兄と妹の話に首を突っ込む義理も義務もない。


「君は、T都に何しにきたの?」


 と、今度は逆に修二が質問を受ける。スタヴァの恩もあるし、先に質問したのは修二側。これに答えないほど不義理ではない。


「仕事を探しに来たんだよ。地元じゃほとんど求人が無くて……」


「ふぅん、そうなんだ。大変だね」


 自分から聞いてきたくせに、修二の話にはあまり関心を示さない。あまりグイグイ聞かれても困るので、むしろありがたいのだけれど。


 さて、話し込むうちに、修二はコーヒーもケーキも食べ終えた。女の子の方はまだ半分以上も残っているが、最後まで見届けることもないだろう。


「じゃあ、俺はこれで。今日はありがとう」


「そっか。就活がんばってね。……あ」


 修二が席を立とうとしたその時、ふと女の子の視線が外に向いた。何かに気がついたらしい。


 釣られて修二もガラス張りの壁を見ると、そこには金髪赤メッシュとデカサングラスがよく目立つ、派手な格好の男が張り付いていた。


「うわぁ⁉︎ また悪の組織か!?」


 先ほどの大男とは趣が違うが、怪しい人物であることには変わりない。修二の中では、即座に悪役認定。中々に上背もあるため妙に迫力がある。


 その目はサングラスで隠れてはいるが、どうも口元が笑っているようで、それがまた修二の目には不気味に映る。


「今度こそヤバいって! 明らかにこっち見てるし! 君、絶対狙われてるから! 早く逃げた方が……!」


「兄さん! 兄さ〜〜ん!」


「兄さん!? アレが!?」


 女の子の口から発せられた兄さんという呼称に、修二の脳は混乱が止められなくなっていた。どうしてもこの二人を兄妹と関連づけられなかったのだ。全く似ていないし。


 だが、嬉しそうに手を振る女の子が嘘を吐いているとは思えないし、そうするメリットもない。アレが彼女の兄だと認める他ないだろう。


 まだ修二の思考が整理し切らない間にも、どうも女の子は兄をジェスチャーで店内へ招いたようた。気がつけば、怪しげな金髪赤メッシュが、席の隣に立っていた。


「よう愛琉! 凛から連絡があってな。お前がこちらに来ていると聞いたので、この兄が迎えに来たぞ」


「兄さん、よくここがわかったね。わたし、もうこの辺の道わけわかんなくって……帰っちゃおうかって思ってたよ」


「はーっはっは! 愛琉の行動パターンくらい、兄にはお見通しだ! ……だが、愛琉が男とお茶しているのは流石に予想外だったぞ」


 血の繋がった仲の良い兄妹らしく、金髪赤メッシュは終始カラッとした笑顔で話していた……のだが、一転して修二に対して棘のある視線と言葉を向ける。


 その迫力に思わず息を呑む。確かに彼の見た目は非常に胡散臭いが、その彼からしたら怪しいのは修二の方である。大事な妹に知らぬ虫が寄り付いていたとなれば、ピリピリもする。


「ああ、えっと、これは成り行きで……そう、妹さんに助けてもらったんです! 相席してるのも、たまたま他が空いていなかったというだけで……」


 嘘は言っていない。ここは正直に、誠実に、ありのままを伝えて誤解を解くに限る。


「ほんとだよ、兄さん。この人、今日T都に来たばっかりなんだって。スタヴァのことも悪の組織のことも、なーんにも知らないみたいだったから、教えてあげてたんだよ」


 心強い妹からの援護射撃も加わって、金髪赤メッシュの表情が和らぐのを感じた。


「なんだ、そうだったのか。その荷物の量からして……観光ってわけじゃなさそうだな。上京したての新社会人ってところか」


「あ、はい。その通りです……って言っても、仕事も家も、これから探すところなんですけど」


「ふゥん……?」


 そして金髪赤メッシュは、品定めするように修二のことをじっと見る。なんだかその目に圧を感じ、修二の体は緊張で固まり、ピクリとも動けなかった。


 10秒ほどその時間は続いたが、ふっと視線が途切れたのを感じ、同時に修二の全身の力も抜けた。


「よし、決めたぞ。お前、名前は?」


「せ、千桐院修二、です」


「そうか。では修二、どうせこれから暇だろう。少し付き合え」


 そこまで強引な口振りではなかったが、修二はその誘いを断ることができなかった。何故なのかはわからない。だが、その男のサングラスの奥の瞳に吸い込まれていくような、引力のようなものを感じ取ったのだ。


 そして、彼の妹がケーキを食べ終わった頃を見計らい……修二はその女の子と共に、金髪赤メッシュに連れられて行くのであった。

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