就職先は零細悪役企業でした。
遊佐慎二
我が社の朝は爽やかで賑やかなり
今春から上京したての新社会人、
学生時代からの習慣で、早起きは得意だ。そして、朝食もしっかりと食べる派である。はじめての一人暮らし、不慣れな料理をこなすためには、余裕を持って起床する必要があった。
「今日の朝は……焼き魚の気分だな」
不慣れとはいえ、自炊するメリットも多い。その日の気分によって好きなものを食べられるし、何よりも食費が浮く。決して貯蓄に余裕があるわけではない新社会人にとって、自炊は出来た方が絶対にいいスキルだ。
手際が良いとは言えないまでも、焼き魚に味噌汁、ふっくら炊けたごはんが出揃うまで、そう時間がかかったわけではない。
だが、一人暮らしのはずの修二のテーブルに並んだ朝食の量は、どう見積もっても多い。明らかに二人分はある。
「……さて、起こしに行くかぁ」
やれやれ、とため息をひとつ。そして、テーブルにつくことなく部屋の外へ出た。
向かったのは隣の部屋。修二は迷うことなく、その部屋のインターホンをプッシュした。
「…………」
が、反応は無い。わかっていた。わかっていたことなのだ。だから修二は、奥の手……合鍵を使用し、部屋へ入ることにする。
「ああもう、玄関の靴脱ぎっぱなしでこんな散らかって……こういうの気にならねぇのかな。毎度のことながら」
几帳面なので、自身の脱いだ靴のみならずこの部屋の主の靴も綺麗に揃え直しておく。
ただでさえ貴重な朝の時間。本来ならなるべく急ぎたいところなのだが、どうしても気になってしまう。綺麗になってから、ようやく奥の扉へ手をかけた。
「
この部屋の主……
肝心の愛琉本人はというと、ベッドの上で布団にくるまって動く様子もない。
「うー……やだ、ねむい……もうずっと寝るぅ。お仕事行きたくない……わたしはお布団と一体化して生涯を終えるんだぁ……」
「バカなこと言ってないで、さっさと起きる! そんで着替える!」
「あぁ〜、わたしのお布団が! なんで毎朝こんなひどいことするのぉー!」
過度に甘やかしてもいいことはない。布団を無理やり引っ剥がし、否が応でも起き上がらせる状況を作り上げた。
これでも自分と同い年というのだから驚きだ。まさかこんな、上京後まもなく人を甲斐甲斐しく世話する立場になろうとは……田舎から出立するバスの中では考えもしなかったことだ。
「うぅ〜、修二くん……わたしの着替えどこぉ?」
「もー! そのくらい自分で探しっ……」
「きゃあ! こっち見ないでよえっち!」
「俺にどうしろと⁉︎」
着替えひとつとっても一苦労。とにかく振り回されっぱなしで、それこそ幼稚園児でも相手にしているような気分になる。
低身長で童顔、さらに幼く見えるショートヘアなこともあり尚更だ。ぱっと見では中学生、下手をすれば小学生高学年ほどにも見えてしまう。そのくせ胸部の発育だけはやたらいいので目のやり場に困る。修二にとってはその部分だけが、かろうじて愛琉を同い年なのだと認識させるファクターとなっていた。
「修二くーん、着替えたぁ」
「はいはいよくできました。そんじゃ朝ごはん食べに行くよ」
そして、手を引いて部屋から連れ出し、先程朝食を準備した自室へ。
流石に食事くらいはズボラといえど自力でできる。食事中は気が休まる貴重な時間だ。愛琉自身も、食べている間に完全に覚醒したようだ。
「ごちそうさまぁ。修二くん、今日のご飯も美味しかったよ。また腕を上げたね?」
「お褒めに預かり光栄だね」
食事後は仲良く並んで食器の片付け。修二が洗った茶碗や皿を、愛琉はきれいに水滴を拭き取る係。
そうして朝の身支度を全て済ましたら、二人揃って出勤する。ちなみに、彼らの会社は最低限の身だしなみさえ整えられていれば服装に制限はない。
修二と愛琉の住むマンションから徒歩4分のところに最寄駅があり、そこから電車に揺られて約7分。この都市の中でも最大級の規模を誇るターミナルステーションで電車を降りて、その西口から出て徒歩3分のところにあるオフィスビルの2階が、彼らが今年入社した会社の本拠だ。
「おはようございます」
挨拶をしつつ、事務所内へ。エントランスを超え、まず足を踏み入れることになるのは、執務スペース。皆のデスクが置いてあり、大抵の場合ここで仕事をする。会議室も兼ねている。
そこでホワイトボードに本日のスケジュールを書き込んでいる、長い黒髪をハーフアップにした女性。彼女こそが、この会社の副社長にして総務を担当するまとめ役、
「凛ちゃん、おっはよー!」
そんな彼女の背後から、愛琉は急に抱きついたのだった。
「……愛琉、会社では凛ちゃんはやめなさい。ここでは私と貴女は上司と部下、公私はきちんと分けるようにと何度も言っているでしょう」
「でもぉ、わたしにとって凛ちゃんは凛ちゃんだしぃ……いいじゃん別に。どうせわたしたちしかいないんだしさ」
愛琉と凛は物心つく前からの幼馴染で、小中高と学校も同じだった。なので、愛琉は修二に対するそれ以上に凛には心を許している。
凛としては、もっとしっかりしてほしいと思っている反面、半ば諦め気味でもある。もっと厳しくしなければとわかってはいるのだが。
「おややっ⁉︎ ずるいですよ凛さんばっかりあいるんと仲良くして! 私も仲間に入れてくださいよぅ!」
「あっ、
「これは別に、私からどうこうしたわけでは……」
愛琉と凛の間に割って入った……という表現は些か正しくはない。何故なら彼女は、部屋の壁に設置された大型モニターの中にいるからだ。
動画投稿サイトで登録者100万を超える人気ストリーマー、それが岩戸天花の持つ肩書きである。
「あーもう、あいるんは今日もかわいいですねぇ! ほらほらこっちおいでー、よしよししてあげますよー!」
「えっへへー、天花ちゃんだってかわいいよー! あ、昨日踊ってみた動画見たよ! 天花ちゃん、ダンスも上手なんてすごいね!」
「わぁ、見てくれたんですか⁉︎ うれしいです! 実はですね、あのダンスは凛さんが教えてくれたんですよー!」
「ほんと? 凛ちゃんすごーい!」
「私は別に、何もしてません。ただ、見たまま思ったことを口出ししただけで……」
一気に騒がしくなる会社内。暗い雰囲気よりはいいのだが、いかんせん唯一の男性である修二は少し居心地が悪い。
異性が苦手、というほどではないが、学生時代に女子との交流がほぼ皆無だった彼にとって、この会話に混ざって盛り上がるのは困難。
なので、一人だけあまり乗り気でない凛に向かって話しかけることにした。
「あの、凛さん。今日はまだ、あのお二人は……」
「あのおバカさんたちはまだですよ。いつものことではありますけど……もう少し時間に余裕をもって行動してもらいたいものです」
あのお二人、というのは、言わずもがなこの会社の社員たちのことである。そして、修二にとっては同性の先輩にあたる。
ほぼ毎日、社員の中ではワースト一、二を独占する出社時刻が遅く、修二よりも付き合いの長い凛からは既に諦められていた。
「おはようございまァァァっす! 今日はどう⁉︎ 間に合った!? まだギリセーフっすよね⁉︎」
と、ちょうどそのタイミングでエントランスの扉が勢いよく開かれ、息を切らしながら出勤してきた噂のひとり。
全力で走ってきたのか、髪は乱れ顔に汗が滲んでいる。そんな姿すら絵になる、大手男性アイドル事務所の所属タレントたちにも引けを取らない甘いマスク。彼こそが修二や愛琉の一年先輩、
ただし、先輩とは言っても、年齢は暁斗の方がひとつ下なのだが。
「おはようございます、暁斗さん。まだ59分なので、就業前ですよ」
「ほんとに? っしゃあ! どうです凛さん、俺だってやりゃあ出来るんですよ!」
「だったら毎日やってほしいものね」
暁斗が遅刻せず出社したのは15日ぶり。それを知ると、グッとガッツポーズをして誇らしげだ。それを見せつけられた凛は、非常に冷めた態度であったが。
「……ちなみに、一応聞いておきますけど。今日は何をしてこの時間に?」
「えぇと、今日はー……車に轢かれそうになった女の子を助けて、細身の兄ちゃんの落としたコンタクトレンズを一緒に探して、誤ってホームの下に転落したおばあさんを助けて……」
「よくもまあそんなに困ってる人と遭遇できますよね、暁斗さん……」
いつも凛から問われる遅刻の理由。今日も例に漏れず聞かれると、暁斗は次々今朝の出来事を列挙していく。
どうも暁斗は困った人を見過ごせないタチで、急いで会社に行かなければ、と頭ではわかっていても、彼の目や耳が少しでも困っている人のSOSをキャッチすれば、そちらを助けに行ってしまう。特にそのつもりがなかったとしても、彼の五感は勝手に困っている人を見つけ出してしまう。月夜見暁斗は、そういう人間だ。
「まあ今日は遅刻ではないわけですし、何も言わないことにしておきましょう。明日からもこの調子で励むように」
「え……!? もしかして俺、凛さんに褒められちゃったりしてます!? もっと褒めてください! そしたらきっと明日も遅刻しませんから!」
「褒めてはないです。調子に乗らないで」
人助けが理由なので、普段から凛も遅刻に対しては強くは言えないでいた。もちろん、その素晴らしい行いと遅刻してくることそのものは話が別。怒るに怒れないというだけで。
だが、暁斗にとっては時間に厳しい凛からのお小言を回避したのは久々のこと。ついついテンションも上がってしまうというもの。凛との温度差は広がるばかりだが。
「アキ君が来たってことは、あとはしゃちょーだけですね。でも珍しいですね、しゃちょー、いつもは時間ぴったりに出社してくるのに」
「そうですね。もうこの場にいてもおかしくない時間のはずですが……」
「天花ちゃん、凛ちゃん。兄さんならもうそこにいるよ。ほら」
未だ姿を見せない残りの社員もう一名についての話題を出すと、ふと愛琉が指を差した。
その指が向いた先というのが、オフィスの窓がある方向であり……その窓に、一人の青年が張り付いていた。
「何やってんですか社長!?」
「いやー、窓に鍵が掛かってる可能性を失念していた。開けてくれてサンキューな、修二」
大慌てで駆け寄ると、窓を開放し中へ招き入れる修二。しかし社長と呼ばれた彼は、まるで焦った様子もなくへらへらと笑っていた。
赤メッシュの入った金の髪、でかいサングラスにファー付きのコート、とにかく派手な見た目のその青年こそこの会社の代表取締役社長。名を黒野
「窓から登場するなんて……! すげー! さっすが社長だぜ!」
「ええ、すごいですね! すごいバカです!」
社長の出社模様を見た社員たちの反応は様々。暁斗は羨望の眼差しを向け、天花はいい笑顔で面白がっている。凛はもはや絶句して何も言えないようだ。
「その通り! 俺はすごい! すごい俺には、すごい登場の仕方がよく似合う! ……だが、社内に入った時には出社時刻を僅かに過ぎていたな。次はその問題を解決して臨まねば……」
「普通にエントランスから入ってきてほしいんですけど?」
実際は間に合っていたが、事務所内へ足をつけた時には時間オーバー。社長なだけはあって、変なところで真面目な部分を見せる時治。
凛のもっともなツッコミは、一切聞こえなかったことにした。
「さて気を取り直して、今日も元気に朝礼といこうか諸君! 凛、今日の予定は?」
「10時から8区ショッピングモール、ウェストランド本店様との打ち合わせです。13時からは17区東部方面、矢田川通り工事現場にてデニムレンジャー様との合同業務が入っております」
ひとたび朝礼が始まれば、先ほどまで呆れ返り怒りすら表情に見えていた凛も一変。淡々とスケジュールを読み上げ、スムーズな会となるようサポートする。
そんな彼女だからこそ、時治は全幅の信頼を寄せているのだ。
「合同業務……ってあれか、薄れてきた道路のライン引き直すから、あえてその近くで戦闘して人や車を迂回させてくれっていうやつ。うん、出動予定の者は怪我のないよう気をつけるように! それじゃ朝礼のラスト、いつものように我が社のスローガン言ってみようか!」
各々が業務を把握したところで、さっさと朝礼もまとめに入る。長ったらしいのは、時治の性には合わないのである。
時治の合図に合わせ、社員一同大きく息を吸って……そして、大きな声でスローガンを口に出す。
「「「「「「世界を笑顔にする悪事!!」」」」」」
そう、ここは零細悪役企業
彼らは今日も、自分の生活費のためにコツコツと悪事で働くのである。
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