第5話 失意・・・そして・・・。

 交渉は完全な失敗だった。

 いや、金銭目的なら大成功と言えるだろう。

 だが真理沙まりさの一番の目的は手に入れた記事スクープを世に知らしめることが絶対条件だった。

 まとまった金は手に入れた、だが記事スクープは契約書によって抑えられてしまった。

 本当に世の中は上手く行かない事が多すぎる。


 俺達を裏切った中田なかたの心境はスクープより元部下達の安全を優先した行動だったのも理解できる。

 一般的に考えれば中田なかたの行動は立派な行動なのかもしれない。

 現に中田なかた真理沙まりさとは疎遠になる覚悟は出来ているのだろう。編集部を後にする際、俺の連絡先を尋ねて来た。

 こので何かあった際の連絡に俺の連絡先が必要な為だ。

 中田なかたに裏切られたと考える真理沙まりさ中田なかたからの連絡に取り合う事はおそらくないだろう。

 中田なかた真理沙まりさとの縁が途切れるのを覚悟で、あえて自分が憎まれ役を演じているのだろう。

 元々部下からの信頼が厚かった中田なかただ。

 良く言えば元部下達の危険回避の為、悪く言えば保守的になりそこにジャーナリストとしての矜持は枯れてしまっている。

 真理沙まりさ中田なかたへの心境は無論後者になっているだろう。



 真理沙まりさの態度は編集部から変化が無い。

 言葉は発せず時折ふらついている。

 見ていて危なっかしい。

 余程、今回の件でショックを受けたのだろう。

 無理もない、あまりにも大きな案件スクープだった。

 それが二度と世に出る事は無くなったのだ。

 どう声をかけたら良いのか、俺には全く見当もつかなかった。

 元々人間不信気味だった俺は正直人との接し方は良くわからない。

 喜怒哀楽がはっきりしている様に見える真理沙まりさだったが実は本心はかなり読み取りづらく何を考えているのかまるで理解不能だ。

 双子の妹である真里香まりか真理沙まりさとは真逆だった。

 喜怒哀楽は真理沙まりさほどはっきりしていないが、わずかな表情の変化ではあったが本音が表情にすぐ出てしまいなにを思っているのかが理解できた。

 関係をうまく進めようとするには真里香まりかの方が楽だった。

 何年も付き合いのある真理沙まりさだったが、今だ何を考えているのかは理解できていない。

 もっとも真里香まりかとの関係が特殊で、むしろ真理沙まりさとの関係の方が普通なのだが。




 真理沙まりさの事が心配だった為、俺は真理沙まりさを自宅まで送る事にした。

 普段勝気な真理沙まりさがあれ程落胆する表情を見せる事など今までに経験が無い。

 昨日から睡眠を取っておらず真理沙まりさの自宅は俺の自宅からは逆方面であり体力的には辛いと感じていたのだが、例の件でショックを受けている真理沙まりさを放置する事は出来なかった。


 俺達は列車にて地下トンネル内で揺られていた。

 正直、一定で刻まれる列車の揺れで眠気はとっくにピークに達していた。

 ふと気づくと車窓の風景が明るくなっていた。

 列車は地上に出たらしい。

 俺は一瞬列車がどこを走っているのか理解できていなかった。

 車内アナウンスが流れ、目的駅を通過していない事に安堵していると真理沙まりさが俺に語り掛けて来た。


「あーあ・・・残念だっね・・・。」


 真理沙まりさは公表できなかった記事スクープの事を言っているのだろう。


「ああっ、残念だったな・・・。」


 俺は無難な返事を返した。

 真理沙まりさの今の心境が理解できていない事と襲ってくる睡魔からまともな返答に自信が無かったからだ。


「あたしにとっては今までで一番の案件だったのになぁ・・・。」


 真理沙まりさの言葉には力が無い。

 かといって愚痴を言っているようにも聞こえなかった。


「まあ、俺にとってもそーだよ・・・。」


 俺にとっては真理沙まりさ程ショックは正直受けていない。

 俺にはジャーナリストとしての気概は無いし、まかり間違ってこの件で名が売れても困るだけだ。

 俺はメディアに素顔を晒す事なんて遠慮したいし、そうはなりたくない。



「まあ、権利全部持っていかれたからもうどうにもならないよね・・・。」


 フリージャーナリストを自称する真理沙まりさにとっては今回の件は痛恨のミスだったのだろう。

 俺は何と返答してやったら良いのか考えあぐねいていた。

 だが俺の気遣いは真理沙まりさには無用の物の様だった。


「まあ、今回失敗したから次は失敗しないわ。」

「また別件を探すからね!」

「悪いけどあんたには付き合ってもらうから!」


 一方的である・・・。

 この女狐め・・・またあんな危険に巻き込むつもりなのか・・・。

 回答は控えたが、先程までの落ち込様を見ていた為、自分を取り繕う余裕を見せる事が出来ている真理沙まりさを見て少し安心した。




 真理沙まりさの家の最寄り駅に付きタクシーを拾い俺達は真理沙まりさの自宅へ到着していた。

 真理沙まりさの自宅は何棟も並ぶタワーマンションにあった。

 真理沙まりさがタクシーに乗り込んだら俺も家路に引き返そうとしていたのだが、ふら付く真理沙まりさを見て自宅まで送る事にした。

 真理沙まりさはタクシーから降車する際も足元がおぼつかない。

 見るに見かねて俺は真理沙まりさに肩を貸してやった。


「あら、あんたにしては随分お優しい事ね?」


 真理沙まりさはいつもの調子に戻っていた。

 全く、強い女だ・・・。


「まあ、部屋まで送るよ・・・。」


 無論完全な好意で出た言葉であった。

 俺は真理沙まりさの部屋に向かった。


「そうね、あの時の約束、今から返してもいいかもね。」


「約束?」


 正直そんな約束などした覚えは無かった。


「ひどい! 覚えていないの!?」


 真理沙まりさは芝居かがった様に言葉を続ける。


「 『生きて帰れたら、貴方に抱かれてあげるわ!』って言ったじゃない!」

「あたし、覚悟しているのにひどいわ!」


 真理沙まりさの表情は正直真剣とは程遠い表情をしている。

 完全に俺をからかおうとしているのが窺える。


「あのな・・・俺もそれに対して答えたよな・・・。」

「『不倫なんてまっぴらだ!』ってな!」


「あれ? そーだっけ?」

「あたしにはあの時のあんたがニヤついていた様に見えたけど?」


 事実無根である・・・、そんな表情した覚えはないしそんな余裕も無かった。


「まあいいわ、今日の所はお互い疲れているし約束は後日って事で・・・。」


「してない約束なんか果たす必要ねーわ!」


 まあ、真理沙まりさなりの強がりか冗談なんであろう。




 真理沙まりさを部屋まで送り俺は帰宅する為、列車内に居た。

 既に帰宅ラッシュの時間に入っていたが運よく座ることが出来た。

 俺は真理沙まりさの部屋から帰る際、真理沙まりさに言われた言葉を思い起こしていた。


「あまりあんたに言う事では無いと思うのだけど一様伝えておくわ。」

真里香まりかの事なんだけど、あの娘会社を退社したようなの・・・。」


 若く責任ある立場となり、新聞社に勤務していた俺より多くの給与を持って帰っていた真里香まりかが退職しているとは、俺は夢にも思っていなかった。


「退社って? いつ!?」


「あんたと別れてすぐみたいよ・・・。」


 その時の真里香まりかは海外へ転属が決まっていた。

 そこで数年勤務してある程度の実績を残すと栄転という名の本社勤務となり更に責任ある立場に上り詰める予定だった。


 それなのに何故・・・。


 俺は完全に思考が停止し、終点で職員に起こされるまで目を開ける事は無かった。

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