第24話 波打ち際。

「きゅうちゃーん! 海だよ海!」


 ゆいは波打ち際まで駆けていく。


「ちょ、ちょっと待って」


 秋の海はお世辞にも綺麗とは言えなかった。灰色にとの曇った海。


 だけど、オレの前で駆けている女の子は水が跳ねるようにとっても楽しそうだ。沈む陽の斜めの光がゆいを無邪気な影に変えた。



「キャッ! 冷たい!」


 

 ゆいが靴を脱いだ足を夕の波に晒した。そして手招きする。


「きゅうちゃんもこっちに来なよ〜!!」


 オレは意外と引いた位置にいた。別に海が怖いわけじゃない……。


 不思議と、思ったよりも冷静にいられたんだ。それは言えばいつも通りで、さっきまでの恋しい女の子ではなくて、幼馴染の女の子として。


 たぶん、ゆいが本当に小さな子どものようにはしゃぐから、かえってオレは冷静でいられたんだろう。


……いや、違うな。


「ああ、いま行くよ」


 オレは靴を脱いで、ゆいのもとまで行く。


「ちべたッ!」


 秋の海は思ったより冷たかった。でも、まだ少しの暖かさもあった。


「秋の海も悪くないよね!」


 ゆいは髪を耳にかけながら、よく見慣れたはにかむような笑顔を向けてきた。


「そうだな……「あ、貝!」


 勢いよく、元気な白の手を透明な海に突っ込んだ。やっぱり、ゆいにはどこか抜けきらない幼さがある……。


「なーんて、ほら! くらえェ!!」


 ゆいが掬ったのは貝じゃなくて、塩っ辛い海水。


「ぬわッ!!」


 まさかこの一歩近づけば互いの身体がぶつかってしまうような距離で、無造作に飛び散る海水を避けることなんて、反復横跳び七十回のオレでも不可能。


 にしても、ゆいも容赦なくて、バケツ……とまでは行かないけど、割とぐっしょり行く量の水をぶっかけてきた。


「しょっぱ! やったな!」


 だからといって、オレが反撃しない理由はどこにもないんだよなぁ?


「キャア!! やったなぁ!」

「ちょっ! ならば戦争だ!」


 オレたちにとって、こんなのは日常茶飯事みたいなもので、子供のお遊戯みたいなもんなんだが……。


 傍からは、イチャイチャしているカップルに見えてしまうんかな……。いや、



「もう、きゅうちゃんせいでスカートがぐしょぐしょだよ……」


「……オレの方が浸水被害大きいからな?」


 オレの方は一応、加減して足元を中心に攻めたけども、ゆいの方は容赦なくて、もう俄か雨のパパラッチにでも出くわしたかのように、服の重さは二倍くらいになった。


 二人は波打ち際から少し離れた、乾いた浜辺に並んで腰を下ろした。



「フフフ、服、乾くといいね」


「乾かなかったら、電車に乗れんしな……。言っとくが、乾くまでゆいも帰らせんからな!」


「ええ〜。きゅうちゃんが勝手にはしゃいでびしょ濡れたんじゃん」


「ゆいがそれ言います?」


 風向きが変わった。そして紅の地平線が地球の向こう側に吸い込まれていって、星々の夜勤が始まった。


 ラジオのノイズに似ていて、でも不思議と心地よい海をゆらりとする波の音だけが聞こえてきた。とっても静かなだ。


「次は山に行こっか」


「え? いまから?」


「まさかぁ〜! いまから登ったら遭難しちゃうよ。また今度の話だよ」


 今度……か。


「なぁ、ゆい」


「にしても……ほーんとに人が少ないよね」


「……………」


「まるで……」


 夜の光に反射した海の光がもう一度、ゆいの瞳できらきらと反射した。


「まるで?」


「まるで世界にわたしたち二人だけしかいないみたい」


――世界でオレたち二人だけしかいないみたい。


 ゆいは一番かわいい角度で頭を傾けて、にこりとはにかんだ。少し頬が紅く見えたのは、気の所為なんだろうかな。


「いいよね。海は。ずーっと遠くまで広がっていそうに見えて。寂しさが全然寂しくならないんだもん」


 風が二人を煽るけど、不思議と寒くはなかった。こんなにも服は濡れているのに。こんなにもオレの目は潤んでいたのに。


「きゅうちゃん。もう少し、ここにいようよ。服が乾ききったあとでもさ」


 ゆいは歯を見せて笑ってみせた。ゆいの服は薄かったこともあって、もう乾いていそうだった。


「意外と久しぶりだよね。こんな広いところで二人ぼっちになるって」


「ああ……」


「今日はわたしを連れ出してくれて嬉しかったよ」


「ああ……」


「またいつかここに来ようよ。二人だけで」


「あぁ……」


「……きゅうちゃん?」


 オレはゆいの隣で一人ぼっちで立ち上がった。


「ゆい、ごめん。オレ、行かなきゃ」


「……え? どこに?」


「……オレもよくわからない。でも、ここじゃないと思うんだ」


 ゆいも遅れて浜から立ち上がる。困惑した表情でオレを見る。

 その双眸にオレも両目を合わせた。


「ゆい、オレはいつかお前を迎えに行く。きっとそう遠くない未来で」


「…………?」


「だから、もう少しだけ待っていてほしいんだ」


 オレは返答を待たずに振り向き、反対側の方へ歩き出した。


 だけど、すぐに歩みは止められる。


「ま、待ってよ、きゅうちゃん。どこに行くの?」


「…………」


「なんで一人でいくの?」


「…………」


「どうして、わたしを置いていくの?」


 握られた手に小さな震えが伝わってくる。優しく握ってくれてはいるけど、振りほどくことが出来ないくらいには強く握られて。


『ゆい―――ごめん!』


 でも、オレは手を振りほどいた。

 一度もゆいの方は振り向けないまま、浜辺を全力疾走した。

 蹴るたびに砂が沈むのが本当にうざったい。

 駆けても駆けても進まない気がしたから。



「「うわぁぁああああああああああああ」」



 皮膚を切るような風に逆らって、両耳を手で覆って、ずっとずっと遠くまで駆けた。


 永遠に広がる砂浜にやがて足を持ってかれて、派手にコケた。


「…………っ!」


 砂浜は柔らかいから、転んだときは一層痛かった。

 血も出ないし、骨も折れない。


 だからいたかった。



「「おい! くそ女神! いるんだろ! 出てこいよ!!!!」」


 オレは砂浜の上で叫んだ。だいたい解ってるんだ。

 

 ここに来るまで人っ子ひとり会ってない。駅まで行く途も、電車の中でも、海を前にしても。



 これは現実リアルじゃない。でも、夢でもない。

 

 五感も意識もはっきりしている。この鼓動だって手を当てりゃ聞こえる。

 寂しい空気の匂いも、生暖かい陸風がオレを撫でる感触も。



 と、突然海が闇色に染まって、砂浜の砂、一つ一つがどろどろに溶けてなくなった。

 星もストロボ写真みたいになって、身体がふわりと浮かび上がる。



「な、なんだなんだ!?」



 オレという人間がむき出しの存在になる気分で。



――気がつけば眼前に憎き某女神の姿が。



「おい、くそ女神。なんのつもりだ! こんな趣味の悪い幻を見せやがって!」


「いいえ。それは幻ではありません。現実です」


 相変わらず、この女神さんはオレが考えてもいない想像もついていないような衝撃的な事実を淡々と、ためもせずに言ってのける。


 エンタメを弁えた女神さんもそれはそれで嫌だけど、こいつもこいつで大概だよ。


「そ、それはどういうことだよ」


「あら、あまり取り乱さなくなりましたね」


「うるせーな! もうちょっとやそっとのことじゃ驚かねぇし取り乱さねぇよ」


「あら、そうでしたか。それはとても良いことです」


「もういいよ、早く――なんだよさっきの現実ってのは!」


「ええ。あれはいずれ来たるです。それをあなたに見てもらいました」


「は? 来たるって……あの日はループの最終日じゃないか」


「はい。仰る通り、日付ではそうなのですが…………」


 今度は女神はためやがるので、逆にオレは心当たりを発見してしまった。

 悪い予感だ。


「な、なぁ。女神さんよ」


 だから、何か言われる前にこっちから口を開いてやった。

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