輪廻転生

Tacey・Ocean

輪廻転生-私は冷蔵庫-


 『ガチャ』

アイリンが私を開いた。

「......ん、あれぇ~確かこの辺にあっ、あったあった」

アイリンは私からバニラエッセンスの小瓶を取り出した。

『ガチャン』

アイリンが私を押すように閉じた。

「ねぇお母さん。やっぱり冷蔵庫変えようよ。もう古いし小さいし~」

アイリンは髪を流し舞わせ、私に背を向ける。

「まだ使えるわよ」

少し遠くから。リビングから返事が聞こえる。

「え~~。もったいないって、古い物を無理やり使い続ける方がもったいないよ。それに買いだめしすぎ」

アイリンがバニラエッセンスを数滴、ボウルの中に垂らした。

「も~」

アイリンがこちらを向いた。不満をこぼしながら、軽く膨れている気がする顔で、私を見る。


 アイリンは私の取っ手に手をかける。




 アイリンは私のアイドルだ。

本名を白石愛莉という。良い名前だ。

愛莉......あいり。あぁ愛してるよ。

愛って............愛なんだ。

莉......莉は......なんだっけなー............そうだジャスミンだ。花言葉はいっぱいあるけど......“愛らしい”とか“無垢”だったかな。

正しくアイリンにふさわしい名前だ。


 アイリン。友人や私からはアイリンと親しまれている。正にアイドルって感じ。




 私は開けられた。





 私は冷蔵庫。


 アイリンが生まれる少し前、私はとある倉庫にいた。

当時の最新機種として......鎮座するはずだったのに、既に最新機種の座を譲る一歩手前で作られた私は、倉庫でしばらく仲間と過ごした。

そしてある日、たくさんの後輩が私達の所へ来た時『私の時代は、もう終わったのか』と煌めく彼らを見ながら、力無く笑った。



 ある時、私の元へ、男が二人来た。

見ない日は無い馴染みの顔だ。

私達もとうとう廃棄か。一度で良いから使われたかった。生まれ変わるなら何が良いかな? 本田さんのP1が良いな。今凄いらしいし。

......しかしどうだ。二人は台車1つしかないじゃないか。これでどうやって私達を運ぶのだ。73往復するのか? これではまるで、煌めく彼らを運ぶ時と同じではないか? えぇ、あなた達は17日も連続で彼らを運んだ。それと一緒じゃないか。


 そうか。そのときなのか。

先頭の私は悟った。


 この暗い倉庫に、長らく居続けたからか、いざそうなってみると、感慨深くなってしまう。

それと同じく、共に過ごしてきた同期と離れてしまう事を......違う。先に行くという事に、申し訳なさを感じる。

私は後ろを振り向けない事を良かったと初めて感じた。

二人の男が私を持ち上げる。台車に載せられた私は、一瞬だが、彼らを見ることができた。

台車を入り口の方へ向けるその瞬間、彼らは確かに、嬉し気に誇らし気に、私を見送っていた。





 私は閉じられた。




 懐かしい。彼らは元気だろうか? ちゃんと誰かの元へ行ったのだろうか?

もし会えるなら、私は幸せだと伝えたい。

「お母さん。カカオパウダーどこ?」

私がここに来た時、アイリンはお腹の中だった。

新しい家族が増える。という喜びは冷蔵庫の私にも鮮明に伝わった。

今はもう11歳。大きくなったなー。

なんか......涙がでそう。


 そういえば今日のアイリン、やけに張り切ってるな。どうしたんだろう?

「ふふっ。みつき君喜んでくれるかな」

............。


 いつになく冷蔵庫の中は冷えていた。





「そろそろ冷蔵庫、買い換えません」

「私もさんせー」

「ん―。そうなのか?」

「愛莉も大きくなりましたし、以前より冷えづらくなった気がします」

「そうだよ」

「そっか。買ってどれくらいだったっけ」

「愛莉が生まれる時だから、もう11年ですよ」

「そうだよ。今はエコエコってテレビも言ってるし」

「あー。確かあの冷蔵庫、型落ちだったんだよな」

「そうそう。安売りされてたのよね」

「そうなの?」

「あの時は生活も苦しかったからな」


 リビングの声が聞こえるキッチン。

夜のバラエティーより笑う3人には、いつもより大きな冷蔵庫の音は聞こえなかった。





 私は役目を終えた。

生まれたままの中身の私は、電源を抜けられた。

常温になりつつ、私は二人の男に持ち上げられた。

幸せに人生を全う出来た事は誇りだ。




 私は......14年の命を全うした。







 目の前の少女は、一心に私を見つめる。

可愛い。

女の子らしい部屋に、ボタンを押す音が響く。

彼女はベッドに腰掛け、私を握る。

不規則に鳴る音が少し荒くなる。

私を持つ手にも少し力が入る。

「......むー」

険しい顔になったと思うと、すこし唸っている。

可愛い。

私から不穏な音が鳴った。その瞬間、強い浮遊感の後、強いGに襲われた。

「また負けたー」

彼女は後ろへ倒れこみ、声をあげる。

右手に持っている私は振り下ろされ、天を仰ぐ。


 アイリンと再会して早1年。

中学生になった彼女は、家でゲームをする事が多くなった。

私としては、毎日彼女と顔を合わせる事ができ、幸せなのだが......。

「ふ~......よし」

毎日毎日、何度も振り回されている。

彼女はうつ伏せになり、上半身を肘で支え、私を両手でつかむ。

目の前......本当に目の前に彼女の顔がある。

『ぁっ......ダメだよ、アイリン。まるで押し倒されたみたいに......動けない......そんな、見つめないで。ぁっ......あぁん』

体が熱くなった気がする。

「やるぞ」

彼女は私を強く握りこむ。



 幸せ。

幸せな時間が過ぎていく。

だからこそ、余計に早く感じた。

一瞬にも感じる幸せの中、彼女は私の電源を切った。

余韻に浸る事はなく。




 かの時の......休む間の無い人生と違い、今は彼女を直に感じる。

そして同時に、今の......この瞬間が、とても怖い。

次に目を覚ませば、次の日の夕方となる。

いつも思う。本当に今日は、明日なのかと?

いつまでも思う。本当に明日は、彼女を見ることができるのかと?





 私は目を覚ました。

私が今日の日を、画面に写す。





「あっつー」

少女はアイスの袋を開け、中身を取り出す。

テレビは街頭インタビューを流し、今の話題をふりまいている。

頬張りながら座り、それとなく顔を向ける。

「iPhoneか」

「何? 買うの?」

少女は聞いた。

アイスを頬張る。

「最近話題だしな。同僚も何人か持ってる」

「じゃあ私にも買ってよ!」

少女は言った。

アイスを頬張る。

「まだ早いだろ」

「来年には高校生だよ。結局携帯も買ってくれないし」

「携帯も何も、家でゲームばかりだったじゃないか」

「けど高校生だよ。絶対みんな持ってるよ」

テレビはCMを流し始めた。

「でも俺と愛莉が持ったら、母さんも欲しいって言うだろうな」

「じゃあ皆で持てば良いじゃん」

CMは家族の繋がりを訴えた。

「そういえば勉強の方はどうだ」

「大丈夫だよ」

アイスを頬張る。

「......まぁ母さんと相談してだな」

「うん」

CMは新作のアプリを流し始める。

彼女はアイスを食べ終え、ごみを捨てる。








 私は目を覚ました。

私が今日の日を、画面に写す。

1年近くの時が過ぎていた。

ついさっき感じた温もりを、久しぶりのように感じた。

彼女の髪も伸びていた。


 カチカチ、カチカチカチと音が鳴る。

「どうしたの」

「何かボタンの反応が悪い.....て言うか効かない」

親指で右のボタンを何度も押す。

「よくゲーム機に当たってたからじゃない」

「当たってないよ」

「これじゃあiPhoneも、すぐに壊すかもな」

「そんなことないもん」

私は再び電源を切られた。

「久しぶりにしようと思ったけど、1番使うボタンが動かないんだもん」

彼女はゲーム機をクッションへ投げる。

「ほらまた」

「ねぇいつ買いにいくの」

「次のお父さんの休みの日よ」

「前もそれで疲れたって言って行かなかったじゃん」

「毎年この時期は忙しいからね」

彼女はしかめっ面をしながら、リビングを後にした。

1人残った女性は、クッションへ置かれたゲーム機を手に持つ。

「もう、愛莉ったら」

彼女は棚の一番下を開ける。中にはいくつかの箱が入っていた。

彼女はそこにゲーム機を入れ、静かに閉めた。






 私は自分がいなくなるのを感じた。

かの時と同じだ。

あの時もそうだ。トラックに乗せられ、運ばれている時と同じだ。

電源を抜かれても私は、意識はあった。なのに、途中で意識が薄れゆくのを感じた。

まさに今がそうだ。





 私は......3年の命を全うした。










 闇が深まる静かな夜。

時に心を静め、時に情を昂らせ、それは飲み込む。


「うぅ.......ふぅ......ふぅぁ、あっ......あぁ、んっ............」

薄明かりの部屋に、女性の声が漏れる。

甘く柔い声が唯一の音として鳴く。


 右の手のひらで、太腿の内側をなでる。

鼠径部の窪みを親指で這わせ、楕円を描くように優しく、ゆっくりと何度も。

淡い刺激に体を捩る。

手のひらを浮かせ、指先を下腹部まで這わせる。

臍の下を左右に往復する。幾度かの後、臍の周りを不規則に滑らせる。


「ああぁん............はぁ、ぅああっ、あっ......んっ......」

幼さが湿った声を漏らす。

湿て大人びた、薄く細く、繊細な陰毛を隠す。

薄く艶あるピンクの、小さな突起を、指で優しく押す。





 





 目の前の幼さが残る女性は、私を見ながら、自らの疼きを慰める。

私もアイリンを......いや、愛莉に見とれてしまう。

まだ大人とは言えずも、女を思わせる憂いた顔を、美しいとさえ思う。

まだ......私だけの顔。



 『彼は私の耳元の髪を耳にかけ、手指で透かしながら撫でる。

こそばゆく顔を横に逃がすと、彼は口元を耳に近づけ軽く息をかける。

暖かい刺激に逃げるように彼の顔を左手で抑える。

「ふふ。敏感だね」

その手を握られ耳元で囁かれる。

「ぃや......ちがう」

「じゃあ好きなんだ」

彼はやめてくれなかった。意地悪をするように、その後も何度も......』



 画面に映る文字に、彼女は魅入る。

頭に流れる情景に、彼女は焦がれる。

「あっっ、ああっ、あっ、あっ、あっッ!」

溜まり続ける快感に、とうとう声が溢れ始める。

「ああっ、あっあっあっッ......ああっ、あっ」

溢れ始めた声は止まらなかった。

全身を流れる快感に体が敏感になる。

布擦れにも過敏に反応する。

視界がフワフワし始め、画面の文字が溶ける。



 指の力が抜け、スマートフォンを手離した。

私は柔らかいベッドに放り出された。

「あっ、ふああぁッ!? ゃああッ」

絶えず聞こえる声に、熱と湿りを感じる。


 濡れた音が響き始める。

指に粘液が絡み、粘液がヒダに張り付き、ヒダが吸い付き、惜しげに鳴く。




 私の画面が少し暗くなる。

愛莉はいつもそうだ。その時が近づくと、私を遠ざける。

きっと小説の中の......違う.............いつかの未来の誰かを思いながら………………。

「ふぅ、ィ......ああっッ! ア"ッ、イク、あ" あっ......      」

誰も知らない彼女を、今すぐ抱き締めたい。キスしたい。触れたい。私だけに見せて欲しい。私だけのものにしたい。

私の画面が消えた。

本人だって知らない彼女が、すぐそこにいるのに......。

「      ............ふぅ。はぁ。はぁ。はぁ、ぁあっ、はぁ」

余韻が聞こえる。




 私はただ、そこで聞き続けるしかできない。

粘液の吸い付く音が再び鳴った。

夜は長いのだから。

私はただ、鳴らない通知を待つしかできない。







「でさー、そのまんま先輩んちに行ったらしいんだよ」

「で、どうしたのさ」

「それがさ、言わないんだよ、その先」

「それ絶対やってんじゃん」

「でしょー、絶対そうだよね」

本格的な冬が始まった学校の冬休み。

いつものクラスメイトと他愛ない話をする。

「愛莉はどうなのよ」

「クリスマスとか予定ないって言ってたけど」

「私は別に、いつも通りって言うか、家族とずっと一緒だったし」

「愛莉もかー」

「じゃあ、この中には処女しかいないわけだ」

「ちょっと、こんな所でハッキリ言わなくても」

周りにそこそこ人がいるので、さりげなく気にする。

空気を読んでくれたのか、誰とも目が合わなかった。

「でもさー、初体験の平均ってさ、どれくらいなの?」

「うーん? んん............。19歳位だって」

それくらいなんだ

「19!? もう来年じゃん。」

「多分19でって人は少ないんじゃない」

「えーと? あ、2年の夏!」

あーそうか。

「その辺が多そうだけどな。程よくこなれて、受験も無いし」

「もう受験だよー。大学で頑張ろう」

受験か。




 うむ。

相変わらずこの二人はけしからん。

いや、だいたいはこの愛莉と正反対な金髪のギャルっぽいこいつだ。

愛莉よ。初体験がいつなんて気にする事は無いのだ。とても大切なのだから、愛したに..................。


............しかし思えば、この二人のおかげで愛莉も活発になった。

カラオケも渋谷もプリクラも修学旅行も映画も何も、この二人がいたから。

私の中の写真には3人の思い出がたくさんある。

「ねぇねぇ。三人とも受験が無事に終わったらさ、卒業旅行とかどうよ?」

いつでも一緒にいる事ができた、この体はとても良かった。

「たまには良いこと言うね」

私はいつまで、愛莉と一緒にいれるだろうか?

「たまにはって何さ」

私はいつまで、次の転生ができるだろうか。

「3人で......旅行......か」

卒業旅行か......その時には、私はいないだろう。





「良いなー。もう終わって」

「泣いて喜んだのはどこのどいつだ」

「だってさー。私達は受験勉強の山場なのに、1人もう終わったんだよ」

「私だってたくさん課題出されて、大変だよ」

「でもー私もAO入試にすれば良かった」

「あんたの頭で行ける大学にAOないでしょ」

「ひどっ!」

寒い。今の私にこの寒さはきつい。

「受験終わったからスマホ変えるんでしょ」

「うん。今度ね。とっくに2年たったし、充電もも短くなったし」

「今の最新機種ってカメラが凄いってこの前Twitterで見た」

最新......か。

「最新機種になるかはわからないけどね」

「いいなー。私も欲しい。......あ、けどそしたら、旅行の写真は愛莉が撮れば良いじゃん」

「だから最新になるかはわからないよ」

「けど私らよりかは良くなるでしょ」

「そうかな」

「まぁ、その為には私らが受験終えないとな。心配な奴が1人いるし」

「私の事!?」

「ふふっ」

寒くて意識が飛びそうだったが、愛莉の声だけはハッキリと聞こえた。





「では、データの移行をしますので、少々お待ちください」

私の意識も移行できないだろうか?

「では、カメラのフォルダーとメモやファイルなど、全て移行します」

マジなんだけど、私も移せないか?

「えっと、では、アプリのデータ移せないので、バックアップ等は大丈夫ですね」

私のバックアップは何処へ?

「では始めます」

待ってくれ、心のじゅんb

カチ というチープな音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には私の頭は真っ白になった。

気持ちいい。気もするし、スッキリする。気もするし、良くわからないが、色々なものが、引っ張れるような、引き抜かれるような、形容しがたい、何か感覚が私を支配した。

そして同時に、また、あれがきた。

意識がうとうとする。

まどろみのような、身を預けたなら、とても心地よいのだろうが、しかし私は逆らいたい。

そんな意思は、ことごとく砕かれ、私は落ちるように......消えた。





 私は......2年半の命を全うした。








 夏も真っ只中な暑い日。



 正に成長期と言えるこの時、久しい日光浴を楽しんでいる。

のんびりと過ごす。この体も良いものだ。




 扉の振動を感じた。

誰だろうか?

今日の4回目の振動、誰かが帰ってきたのだろう。


 足音が近づく! 愛莉だ!!

扉が開く。

お帰り、愛莉。今日は早いね、私にお水をちょうだい。そしていっぱい撫でて。

「どうぞ」

愛しの愛莉。......と男が1人。

............。

「おじゃまします」

良く分かってるじゃないか。邪魔だと思うなら今すぐ帰れ。

「この前来た時と変わらないね」

「そうだね。けどちょっと変わったよ」

「本当?」

男は部屋の真ん中辺りで、くるくると見回す。

そのまま3回廻ってワンと鳴け。

「あ! これ、この前の写真」

部屋の角の机男が近づく。

「うん」

愛莉もその後ろに寄る。

机には3つの写真立てがある。

愛莉とその他二人の女の写真が2葉。山梨県への旅行の写真と、遊園地で写真。

そしてもう1葉は、この男との写真。

「嬉しいな。この時の愛莉ったら」

「もう、その先は良いよ」

そうだ。しつこい男は嫌われるぞ。

「ふふ」

「あはは」

二人は目を合わせ笑った。

その姿はとても......。




 男は私に気づく。

「このドラセナも少し大きくなったね」

歩みながら言う。

「夏になったら急に大きくなったよ」

愛莉も近づく。

「嬉しいな。大切にしてくれて」

「それはもちろん」

愛莉が彼に触れる。




 私を買ったのは、紛れもない。この男だ。

愛莉の20歳の誕生日に、この男は私をプレゼントした。

20歳の愛莉は、すっかり大人となり、身間違えるように綺麗だった。それでも、私を貰った愛莉の笑顔は、正しく愛莉だった。


 この男は、なかなかに良いセンスだと、私は思う。

付き合いたての頃だったと聞く。

それでドラセナとは......重いと言えば重い。だがそれだけ真剣な想いだったのだろう。

そして愛莉には、それがロマンチックの写ったのだろう。

まぁしかし、それだけの男なのならば......愛莉を幸せにしてくれるだろう。


「もう日光は良いかな」

「そうだね」

愛莉が私の丸っこい鉢を丁寧に持つ。

東側の窓辺に移された。

「そろそろ水もあげないと」

「私があげても良い?」

嫌だ。

「もちろん」


 こんな成長日和に愛莉以外から水を貰うとは。

目の前の二人は、微笑む。


「来週、ここで花火大会があるから行こうよ」

彼女はスマホの画面を見せる。

「えっと。土曜日だね、良いよ」

彼は微笑む。

「やった」

「......その......浴衣とかって、着るの?」

彼は気恥ずかしそうに、目線を外す。

「あ......浴衣、か。着たこと無いんだよね」

時計の秒針が響く。

「......じゃあさ、二人で着てみない?」

彼は彼女の目を見る。

「う、うん。......着たい」

彼の左手に自分の右手を重ねる。

時計の針が鳴る。

「......あ、あのさ......その............きょ、今日......」

息を吸う。

彼女はうつむきながら、言葉を続ける。


「まだ......あ母さんもお父さんも帰ってこないの」


 愛莉の好きな小説に、そんなセリフがあった。

確かその後、その子は熱を帯びた瞳で彼を見るのだ。

愛莉は......うつむいたままだった。

「え、えっと、その......それって」

「......」

時計に自由を与えた。だがそれも一瞬だった。

「愛莉」

抱きしめた。

「優」

愛莉もまた優を抱きしめた。




「その......あの......私、初めてなの」

彼女は顔を赤くしながら言う。

「そ、それは自分も」

彼も言う。

『あの、あ......』

二人が被る。

「......服、脱ごうか」

彼から切り出す。

「え? う、うん」




 二人ともスゴい......ドギマギしてるな。

水が乾き始める。

愛莉の初めてが......この男か......この男なら。

無言でそれぞれ服を脱ぎ始める。

二人が上着を脱ぎ終え、目が......合うことなく二人がそそくさと背を向ける。

おいおい、それで良いのか?

「あっ! あの、あれ......コンドーム、自分持ってない」

あ、そうだ。いくら何でも、さすがに生は不味いぞ。

「あ......えっと、その......私......買ったよ」

え!?

「え!?」

初めて一致した。

「あ、ありがとう」

まぁ......これで、問題ないだろう。

「服、脱いだよ」

「わ、私も」

二人は振り替えり向き合う。

二人の姿は夏の明かりに、カーテンでは隠しきれない。

愛莉は胸と下を手で隠し、横を向く。

優も前を見れず、目を泳がす。

「あ、えっとコレだよね」

ベッドの上に置かれた箱に気づく。

「う、うん」

優はベッドに上がり箱を取り、開ける。

愛莉も背を向けるようにベッドに腰かける。

「えっと。これ? か......何かついてるのか」

もたつきながらも、自らのそれに被せる。

「......えっと」

優は腰かける愛莉に近づく。




「あ、あ、あん、あ」

「愛莉、愛莉!」

......予想外だった。期待しすぎた。

優しい。確かに優しい。ただ優しい。

まず前戯からダメだった。

まぁ、お互い初めてだから仕方無いのだろうが......。

愛莉も愛莉だ。傷つけない為なのだろうが、して欲しい事を我慢して、“うん”しか言わなかった。

「愛莉」

こいつは愛莉botか?

「あ、あ」

愛莉の自慰を知っていれば、尚更、聞いてられない。演技も良いところだ。

あえぎ声botの方がエロい。

「愛莉」

こいつに愛莉が普段どんな小説を読んでいるか見せてやりたい。

私がスマートフォンだったならば、私が朗読してやっていた。

「愛莉......いくよ」

「う、うん。優」

シュール。

「う、愛莉」

愛莉が抱きつく。

「愛莉」

あ......結局こいつだけイキやがった。




 二人は手を繋いでいる。

シングルのベッドは、ちょうど良く密着する。

「痛く、なかった?」

「う......うん。最初だけ。......その後は......気持ち、良かったよ」

「良かった。自分も気持ち良かった」

彼は手を離し体を横に向け、彼女の方を向く。

気づいた彼女は顔を横に向ける。

彼は彼女の髪を撫でる。

「ふふ」

彼女も体を横に向ける。

向き合った二人は目を合わせ、そしてキスをする。





 夏も真っ只中な暑い日。

今日は日陰で涼む。

のんびりと過ごす。この体も良いものだ。

部屋の扉を開けられると、愛莉が小さいコップを持って、私に近づく。

中に入った水を私に注ぐ。

「思ってたのと......違ったな」

ポツリと呟く。

「優しくて......愛してくれて......心地良かったけど......」

水を注ぎ終える。

「けど、優......可愛かった」

注いだコップの縁の水を拭き取る。

「ふふっ」

いつもよりたっぷり水を注がれた。

「あなたも可愛いよ」

葉を撫でられる。





 私は何故、ここにいるのか?

改めて思う。

私は初めて生物になった。

生まれてすぐに意識はなかった。生まれた時は、まだスマートフォンだった。もしかしたらゲーム機だったかもしれない。

あいつが買う少し前に、私は目を開けた。

私は命ある物にもなれる。ならば......。


 私はいつも、愛莉の側にいる。

私は......愛莉を幸せにできる。

愛莉の幸せの為に、私は今、いるのだろうか?


 私は、今、確かに、愛されている。 けど、だからこそ、動植物へのそれではない、あなたの愛がほしい。そして愛したい。


 それは叶うだろうか?







 春も終わるかと言うとき、愛莉は泣いていた。

暗い部屋で、1人、泣いていた。






 闇も深まった部屋で、スマホの明かりがまっすぐ照らす。

卑しい音が鳴り響く。

渦巻く感情がかきならす。


 今日、水は貰えなかった。






 愛莉がベッドに腰かけ、スマホをいじる。

ふとした時、顔だけをこちらに向ける。

疲れたような、しかしどこかスッキリしたような顔をこちらへ向ける。


 少し力無くした私を、無表情に見て、私へ近づく。

私はまた、微睡みのような感覚に襲われる。





 私は......1年の命を全うした。









「よし」

彼女は言う。

『・・・・・・』

「ぅん」

私のスピーカーからの声に答える。

PCの画面が目まぐるしく動く。武器を持ったキャラクターが、目の前の人を撃つ。

「ふぅ。また勝ったね」

彼女は机の上の缶を持ち口に近づける。

『・・・・・・』

「ふふ、そうだね」

毒々しいパッケージのそれを飲み干す。

『・・・・・・』

「ん? あぁ、うん。そうだね。うん。うん......じゃあ、また明日」

彼女は私を外し、机の上に置き立ち上がる。

「んんーーー......はぁー」

伸びを終えた彼女は、部屋の電気を消し、出ていってしまう。


 愛莉は、今日も明日も......。





 闇が深まる静かな夜。

丑一刻も終わる時、彼女はベッドに入る


 明日も朝が早いと言うのに、こんな夜遅くまで。

私が来た時には既に、いや、来たことでよりひどくなったようだ。

ご両親も心配している。





「うーーん......はぁ......」

久しぶりの2連休だー。......昨日3時に寝たのに、結局6時か。

「ふぁぁーーーぁ」

時計を確認すると、反射のように欠伸をした。

誰かやってるかな?

枕元のスマホを確認する。

鼻歌を奏でながら指を動かす。

あ、ヌーさんがいる。

立ち上がり部屋の隅、ベッドの脇の段ボールから缶を一つ取りあげる。

歩きながらプルタブを開け、パソコンの電源をつける。

「ふぅー」

ゴクゴクと喉を鳴らしながら、毒禍しい刺激を通す。通り道への生温い違和感が体を覚ます。

真新しいヘッドセットをつけ、マウスを鳴らす。




「あっッ!? んんーもう少しだったのに」

『ドンマイ。ナイスだったよ』

『そうそう。ヌーなんて真っ先にキルだぜ』

「ふふ、そうだね、ヌーさんに悪いね」

『おいおい』

画面の向こうの仲間と談笑する。

広い世界の唯一の楽しみに思える。

『そういえばさ。また皆で会わねぇ』

「オフ会? いいよ、会おうよ」

声が一段高くなる。

『前回から人数も増えたしよ』

『えぇー』

「ダメなんですかヌーさん」

缶の中身を飲み干す。

『結局前回、俺が1人で苦労したんだぜ』

『まぁ、リーダーだしな、今回もよろしく』

『えー、嫌だよ』

本当に嫌そうな声がした。

『うーん、それじゃあしょうg......』

「私、手伝いますよ」

また皆と会える。

『え? アイちゃん手伝うの?』

『本当?』

「うん」

『ならまぁ......良いか』

「やった」

缶の中身を飲もうとして、飲みきった事を思い出す。

『じゃあ、グループに書いてだ』

「何人くらい来るかな?」

いっぱい来れば良いな。

空き缶が2つ、机に並ぶ。


 ふと視界の端にデジタルの数字に映る。

「私、一旦抜けるね」

『あぁ、わかった』

「一時間後位にまた来るよ」

『はいよ。それくらいだったら皆居るだろう』

マウスを鳴らし、真新しいヘッドセットを外す。

空になった缶を持って、部屋を痕にする。

階段を降りてリビングに入り、台所へむかう。ところで。


「あいり!」






 騒がしい店内にいくつもの匂いが混ざっている。

「生ビールです!」

店員のが両手にたくさんのジョッキを持って声を張る。

固い塊の音が鳴る。

「はいビールの人!?」

同じテーブルのものすごい達が、次々と手を挙げ声を上げる。

「ウーロン茶とカルーアミルク、カシスオレンジ2つです」

8つのジョッキを捌く前に残りの飲み物が来る。

同い年位の隣の男性と手際よく、飲み物を渡す。

「えーでは皆さん。それぞれの飲み物は手元に届きましたね」

向かって斜め右の男性が立ち上がり、周りに確認する。

各々が確認に答える。

「えー皆さんお集まりいただきありがとうございます。えー2回目となるオフ会が開催できてとても嬉しいです。えー私とTatuMeさんと2人で始めてこのグループも、えーTwitter等でね、仲間を募集して、今では20を越える位になりました。えーこうして画面越しマイク越しではない、リアルでのこうry......」

「リーダー長い」

どっと笑いが起きる。

「えーとね。今後は、定例会と称して、こうして皆さんと定期的に会いたいと思います」

同意と賛同が声がちらりと上がる。

「それでは乾杯」

『乾杯!!』

グラスの音が鳴る。


「アイさんってもう長いんですか?」

料理もそこそこに軽くアルコールを回す。

「うーん。1年位かな。始めてすぐにこのグループに入って」

体が仄かに熱くなる。

「あ、じゃあそんなに長いわけではないんですね」

「そうだよ」

やんわりと耳が遠くなる。

「アイちゃんプレイ時間は凄いけど、始めたのは最近だよね」

「趣味みたいなものですから」

大きな笑いを投げる。



 楽しい時を過ごす。

時間が飛ぶような錯覚は、そうと知りながら、そうは思えない程に早かった。

「そろそろお開きかな」

ヌーさんは時計を見ながら言った。

もう終わりか......。

惜しげにスマホの画面を確認する。

「楽しかったね」

「明日はいつ頃ログインしてます?」

それぞれが終わりの会話をしている。

嫌だな。終わりたくないな。

ヌーさんが店員さんを呼んでいる。

もっと皆と......。

それぞれが身支度を始める。

「あ、あの......」

私はヌーさんに近づき小さな声で話しかける。

「せっかく皆集まった訳ですから、行ける人達で二次会とかどうですか」

「うーん、二次会か......事前に二次会のお知らせもしてないし、時間もこれ以上遅くなると帰れない人も出てくるし」

ヌーさんからは作り笑いを向けながら言った。

「そう、ですか」

「飲み足りなかった?」

「いえ、そういう訳ではなく。ただ、もっと皆と、お話をしたかった、というか」

心に思った事をポツポツと言う。

「そうか......あ、アイちゃんってどの当たりに住んでるんだっけ?」

「多摩です」

「俺の家も隣の市だからさ、その辺りでさ、良ければ二人で飲みに行かない?」

「本当ですか」





「お疲れ様です」

「アイちゃんこそ手伝ってくれてありがとう」

静かなバーで酒を交わす。

「いえ、私はただ、皆さんと会ってワイワイしたかっただけなので」

「そう? けどそしたら、今みたいに二人でってのは、そんなにって感じ?」

キレイナ見た目に心弾む。

「そんな事は無いです。楽しかった事の延長っていうか。なのでここまで来ると人数とか関係無いって言うか」

カクテルの自由な発想に味わう。

彼がおすすめしてくれたベルベットハンマーを舌と喉で感じる。

「そう? なら良いけど。......それ度数強いけど大丈夫?」

「大丈夫です。バーってたくさん種類があるじゃないですか。知らない味に出会えて良かったです」


 その後、酔いからなのか踏み込んだ話を始めた。

いや、話と言うよりも、彼は終始聞き手に回っていた。

本当に酔いなのか、それとも彼が聞き出し上手なのか。思い出したく記憶も、気づけば話していた。


 ふと、酔いが一周回って覚めた感覚になる。

食事後の昼の眠気さが、突然無くなるような、目が覚めたような感覚。

なぜ私はここにいるのか。ふと考えれば、この状況がいけない事だと気づく。

けど私は......。


 2杯目のカクテルを注文した。 グランドスラムという名に惹かれ。






 愛莉が帰って来たのは朝だった。

まだ静かな朝、陽も覗き始める薄暗がい朝。

昔とは違う彼女に、2ヶ月が過ぎてもなお慣れることはなかった。

刹那的な彼女は、きっといつまでも。

ベッドに横になる彼女は「んーんふふふ......んー」と二日酔いと出来事を合わせたような、変なうめきを上げ、眠りについた。





 悲劇はいつも突然だ。

そうでなければ茶番になってしまうから。

「嘘............うそ......ウソ」

彼女は呟きながら繰り返した。

「何で......どうしよう」

驚きに驚いている。焦りに焦っている。

彼女のスマホを持つ手は震えている。





「もしもし。............愛莉です。......はい」

電話の向こうの男性は、至って普通だった。

「あの日から、あなたと過ごしたあの日から............」

向こうの雰囲気が変わった。

「先日、病院に行きまして......はい............はい」

向こうからため息が聞こえる。

「はい。それは分かっています。はい。私は..................」

その言葉に向こうの安堵が伝わる。

「それに当たりまして、治療費は........................」

向こうから抗議の言葉が来る。

「はい。そうです。ですから......」


電話を切ったスマホは、長い時間の電話をした事を示した。

「私は......名前も知らない」

彼女はお腹を擦りながら泣いていた。





「はぁー」

何日もずっとため息しかしていない。そんな気がする。けどそれだけ、私は軽くなった気がする。けどやっと、終わりが見えた気がする。

涙の痕を拭う。

「はぁー」

私は立ち上がり、机の方へ歩く。

パソコンの電源を入れ、机に座る。

「はぁー」

こんな気分でパソコンを立ち上げるなんて。

「皆と......お別れか」

ポツリ呟いた。決心もついた。


 いつもの画面を開いた。しかしいつもの画面ではなかった。

「お別れも......書けなかった」

拭った痕を涙が伝う。


 愛莉がまた、涙を流す。

泣いた愛莉を、また、見る事になった。

もう、見たくない。

もう......見たくない。


 ふと、意識が遠くなる。

あぁ、まさかこの時を、嬉しいと思うなんて。

自嘲してしまう。




 私は......6ヶ月の命を全うした。









 散らかった部屋。

狭い暗い部屋に、女性が寝っ転がっている。

下着姿の薄いラフな格好でスマホを弄る。

「はぁー」

暗い部屋にため息が響く。

体勢を変え、横から仰向けになる。

力が抜けるように、スマホを持った左手を床に預ける。

両目の上に右腕を乗せる。


 いつまでそうであっただろうか。

しかしそれは、突然に打ち破られた。

スマホから音が鳴った。


 電話なんて滅多にない。

スマホの画面を見る。

知らない番号だった。

間違い電話だろうか。

だが、どこか見覚えがある気がした。

いつもなら出ないのに、その時は......。

「......もしもし」




「もしもし。愛莉?」

大人の女性の声。聞き覚えのある声。

「美咲......だよね」

「うん。久しぶり」

私は久しい声に棚の方を見る。

「うん......どう、したの」

「久しぶりにさ、会いたいなって思って。愛莉ったら同窓会にも来ないし。舞も会いたいってさ」

その名に、棚の中にある2葉の写真に想いを馳せる。





 久しぶりの東京に妙に心臓が踊る。

人混みに一瞬、クラっとする。

時間を確認し、座れる場所を探す。



 ベンチを見つけ、座り、膝に肘を置き、手に顔を預け目を瞑る。



 いつまでそうだったのだろうか? 時間を確認する。

ちょうど良い時間だった。

時間を確認して、待ち合わせ場所に向かう。




 待ち合わせ場所に着いて少し経った頃、美咲がやってきた。

「久しぶりー」

挨拶もする間も無く抱きついてきた。

「ぅわ? 久しぶり」

私も彼女を両手で抱きしめる。

ひとしきり抱き締め合った後、惜しげに離れる。

「あいりー。会いたかったよー。何年ぶり? 少し痩せたんじゃない?」

「そう、かな? 卒業旅行以来だから..

....ちょうど10年くらいかな」

美咲の勢いに少し押されそうになりながら、答える。

「10年......10年かー」

「美咲は少し変わったね。前より勢いがあるって言うか」

「そう? そうかな。けどだったら舞を見たら驚くよ。もう変わっちゃってさ」

本当? と返す前に声と衝撃が襲った。

「あーいーりー!」

覚えのある声に振り向くと、覚えのない女性がいた。


「あいりー」

振り向くと、今度は正面から抱きつかれた。

えっと......舞だよね。

まぁ、とりあえず。

「......誰ですか?」

「舞だよっ!」

昔と真逆のショートの黒髪に、驚きつつ、離れた彼女を確かに良く見ると、面影がある。

「ふふ、これで3人揃ったし、どこかでゆっくり話そうよ」

「賛成!」

「うん」




 かつてのように三人が集まった。

「それで舞ったら......」

かつてのような大人びた落ち着きではない。

カプチーノを飲みながら、気品もある笑顔を向ける。

「愛莉はどうなの......」

かつてのような笑顔を向ける。

カフェモカの甘さがにじみ出た、声を投げ掛ける。

「私は......」

かつてのように楽しむ事ができない。

レッドアイもどきの苦さを味わいながら、話を合わせた。





 カフェでの時間を終えた私達はショッピングにデパ地下を訪れた。

二人に着いていくままにブランド服の店に入った。

そこまで広くない店内に、ゆったりと服が展示されている。

「あ......この服いいな」

美咲が足を止める。

「おぉ、似合いそうじゃん」

「買うの?」

「ちょっと試着をしようかな」

美咲はサイズを確認し、1つを手に取る。


 舞と二人で、先の方を見に行く。

「おっ! これ愛莉に似合いそうじゃない」

舞が1着の服の前で止まり、手に取る。

「ほら」

白を基調とした大人しいながらもする、所々にアクセントを置いた服を私に重ねる。

「美咲! ほら、愛莉っぽい」

後ろから自分の試着服を持った美咲が、舞の横に来る。

「うん、良いじゃん」

「そ、そうかな」

確かに私の好きなデザインではあった。しかしどうにも乗り気にならなかった。

「二人で試着してくれば良いよ」

二人に誘導されるように試着室に向かう。

「お。これ好きかも」

試着室へと向かう途中、舞が立ち止まる。

「二人は試着してて。私この辺見てるから」

「......はいよ、分かった」

美咲が答えた。

「行こう」

「......うん」


 試着室に入った。

ハンガーを壁に掛ける。




「愛莉、どう?」

「......まだ、もうちょっと」

「......そう。先に買ってるね」

「分かった」




「あいりー」

声の呼び掛けとほぼ同時にカーテンを開ける。

「おおっと。どうだった?」

舞は笑顔を向ける。

「うん。ちょうど良かったよ。舞は?」

紙袋を持った美咲が、舞の後ろから近づく。

「私は良いかな。ちょっと違った。」

近づいてくる美咲に舞が気づく。

「美咲は買ったんだ」

「うん」

「......私もこの服、買う」

二人が今日一番に笑った気がする。






 ふと目が覚めれば、ハンガー掛けられていた。

今回は何だ。鬼か蛇か?

最近になって身構える事を覚えた。

愛莉が買いに来るのか? 通販か? それとも恋人か? 

ふと誰かが近づいてくる。

黒髪のショートの女性が私の前で立ち止まる。

清楚とまで言わずとも、大人しさと主張のバランスがとれた、ちょうど言い形容詞が思い付かない綺麗な女性だ。

「おっ! これ愛莉に似合いそうじゃない」

愛莉という言葉に、声の向けられた方を見る。

以前よりも痩せたように見えるが、それは確かに愛莉だった。

愛莉!! という喜びと同時に、妙に聞き覚えが有った声の主を再度見る。

「ほら」

その声の主にハンガーを持たれ、愛莉に背を着ける。

真っ正面のその人物を見れば見るほど、ある人物に似てきた。

「美咲! ほら、愛莉っぽい」

聞き覚えのある名を言う。

そして、私の前に現れたもう1人で確信した。

ショートの黒髪は、あの金髪ギャルもどきだった。

前言の誉め言葉は撤回しよう。


 しかし、まさかあの二人が。

驚いた。少なくとも、愛莉と一緒いる時は、一度も会っていない。連絡すら取っていたのか分からない。


 けど......嬉しかった。







 試着室に入った。

試着......しちゃく!?! ま、待ってくれ。私を......きるの?? それはちょっとまだ早いと言うか......心の準備が。

「はぁ」

ため息が......聞こえた。

愛莉は目を閏わせていた。

「ふふ............ははは......」

ほとんど息の、微かな笑いを漏らす。

「何で......楽しめないんだろう」

目の前に居ても、聞き逃しそうな程の呟き。

彼女は試着室の壁に背もたれ項垂れる。




「愛莉、どう?」

一緒に試着していた美咲の声だ。

「......まだ、もうちょっと」

深呼吸をして、いつもと変わらない声を出す。

「......そう。先に買ってるね」

目を擦る。

「分かった」

涙を拭うように。




 愛莉は何度も深呼吸をする。

そして意を決したように、いつもの愛莉を振る舞うように、カーテンを開く。

あいりー。という舞の声と重なり、愛莉も少し驚いた。

舞......そして遠くに美咲も見える。


 愛莉は変わらずに二人と話をする。

「......私もこの服、買う」

二人は笑った。


 愛莉は私を、試着することは無かった。








 紙袋に入れられた私は、周囲を見ることはできなかった。

二人と別れた後の愛莉は、まっすぐと家へ帰ったようだ。

そしてどうやら、1人暮らしを始めており、山梨県に引っ越したようだ。

電車の乗り継ぎを経て、家についた頃には、外は暗くなっていた。


 彼女は私を紙袋から取り出す事なく、眠りについたようだ。






 あの日から5日が過ぎた頃、私は紙袋から外に出ることができた。

目の前の愛莉は、やはり以前より痩せており、疲れた顔をしている。

そして部屋を見渡す。


 狭い室内だった。

1人暮らしなら十分なのだろうが、やはり以前に比べれば狭い。

そして、袋の中でも感じていた、暗く......重い......。

その部屋の雰囲気は想像以上だった。


 部屋が酷く乱雑だった。

服が何着も床に敷かれ下着も見える。

まとめられた段ボールの束が何個も壁に立て掛けられ、唯一のテーブルの上はゴミと思しき物が半分を占める。

見れば見るほどに目につく。

かつての愛莉の部屋とは、何だったのかと思ってしまう。




「はぁー」

ため息が妙に響く。

紙袋の中でも何度も聞いた。

愛莉は私を持って立ち上がり歩く。

洗面所の鏡の前で、私を自分に重ねる。

薄暗い中で彼女は長い時間それを続けた。

「やっぱり......ダメだね」

彼女は呟きと共に腕をおろす。

袖と裾が冷たい床に垂れる。

「私には......もったいない」

声が寂しく響く。


 バサッと音を立てて、私は投げられた。

床に広がる私。

彼女は壁に背を預け座る。




 幾時かが過ぎたとき、不意に這うように私に近づく。

「......二人とも......指輪つけてた。......二人はどこまで知ってたのかな......私の事。そういう話はしなくて......さ。私に合わせてくれてた」

溢れるような声を聞く。

「ふふふふ......はははははは............はぁー」

彼女は私から離れると、どこからか袋を持ってくる。

「二人には悪いけど、私にはこれを着ることはできない」

その袋は大きく、中には既に布が入っていた。

私はそこに押し詰められた。

「私も変わらないと、いけないよね。変われるかな。変われる......かな」





 朝になると部屋も寒くなる時期になってきた。

私は袋に入れられ、部屋の隅にいた。

その中で、愛莉の生活を見ることができた。


 平日の昼間は、恐らく仕事なのだろう。いつもいなかった。

帰ってくると、インスタントな食事を済ませ、眠るまでの間、ずっとスマホを触っている。ゲームのようだ。

土日もやはり、ずっとスマホを触っていた。

必要最低限の生活以外は、そんな感じだった。


 自堕落......と言えば、まだ良かった。

果たしてどこで、狂ってしまったのだろう?





 ある時、愛莉は掃除を始めた。

「はぁー......じゃない。よし」

どうやら私は、古布として捨てられるようだ。

それでも、彼女の何かが変わるなら......、

薄れ行く意識の中、私はそう思った。




 私は......1ヶ月も命を全うした。









 ふと目覚めれば、私は鳴いていた。

ミーンミンミンと鳴いていた。





 自分でもうるさいと思った。

セミには悪いが求愛する気はない。

鳴くのをやめてもミーンミンミンと聞こえる。

近くに幾匹かのセミがいるようだ。




 私はいつも愛莉の近くにいる。

前回から、どれくらいの時間が経ったのかは分からない。

そして私はセミだ。

例えば子どもが私を捕まえて、そのまま家に連れていかれ『お母さん見て見て! セミ捕まえた』と愛莉に再開してもおかしくない。

しかし私はセミだ。

初めて自らの意思で動くことができるようになったのだ。

ならばそれは、探せと言う事なのだろう。

私は彼らを置いて木を飛び立つ。





 駅を見つけた。

それは愛莉の家の最寄り駅だった。

これで見つけられる。

私は駅の近くの木で見張る事にした。





 夕日が覆い始める時、やはり愛莉はやってきた。

彼女を追う。

15分程歩きつづけ、彼女はとあるアパートに着く。

2階建の1階奥の部屋の鍵を開ける。

私は裏に回り、網戸にしがみついた。




 カーテンが開けられた。

愛莉は私にすぐに気づいた。

少しばかり目を合わせ続ける。

が、すぐにその目は離れる。


 彼女は掃き出し窓を開ける。

私は部屋の中を見る。

以前と比べ物にならない程、整理整頓されていt......。

すぐにカーテンが閉められた。

彼女の変化がとても嬉しかった。

風がカーテンを揺らす。





 ある日の事。

その日も私は網戸にしがみつく。

カーテンが開けられた窓越しに中を見る。


 その日は愛莉の元に男がやってきた。


 彼氏......なのだろう。

それも愛莉の変化だった。

二人は休日を満喫しているようだった。







 それは突然だった。

二人は話していた。

話していた。


 急に二人の表情が変わった。

男は不機嫌な顔をして、愛莉は怯えたような顔をして。

男は立ち上がる。

「ーーーーー!?」

男の声が聞こえた。

窓越しで聞き取る事はできなかった。

窓越しでも聞こえる事はできた。

愛莉の口が震えながら、同じ形を繰り返す。

男は愛莉の足を蹴った。

愛莉はやはり何かを言っている。

男は愛莉の髪をつかみ激しく揺する。

「ーー! ーーーーーーー!?」

愛莉は膝立ちのような体勢で涙を流し、しかし無抵抗だった。

男は突き飛ばすように髪を離す。

尻餅を着く。




 しばらく二人は離れた場所にいた。

愛莉はその場から動かず、微かに震えながらうずくまっていた。

男はキッチンと洗面所を行き来していた。




 男はコップに水を入れ飲み終えると愛莉の元へ近づく。

隣に寄り添うように、肩に手を添える。

何かを語り掛けている。


 不意に愛莉は顔をあげ、男の胸に顔を埋める。

男は愛莉を抱く。





 奇妙で、そして嫌な物を見てしまった。

思い出したくもない。胃や腸を内側から撫でられるような嫌悪が渦巻く。

吐き出せるなら吐き出したい。


 私は逃げるように、フラフラと飛び立つ。

適当な木を見つけ、そこにとまる。


 ないた。私はないた。

種の存続の為ではない。ただ個の叫びを。

きっとその声は、とても汚い嫌な声だっただろう。




 気づけば鳴くこともできなくなり、地面へと落ちていた。

羽をバタバタと動かしても飛ぶことはできない。

この気持ちともお別れが出きるならそれが良い。



 私は......2週間の命を全うした。







 暗い。暗い。暗い中をガタゴトと揺らされる。

私は何なのか?

何かが塗りつけられ、何かに包まれている。

暗い。

時に声が聞こえる事がある。

やはり私は何なのか。




 ひどい揺れの後、ガリガリと引っ掻くような音がした。

つままれるように持ち上げられた。

そして薄明かり差し込んだ。

少し痛かった。


。ったようだ。


 男が私の袋の開けたようだ。

その男は全裸で、私は見覚えがある。

愛莉に暴力を振るったあの男だ。


 男は私を広げる。

長い爪が私を時々引っ掛ける。

痛い痛い! 爪くらい切ろよ!


 男のソレは大きく反り立ち、時おりビクついていた。

とりあえず私は考えない事にした。


 包み伸ばされた私の前に全裸の女性が布団に寝転んでいる。

愛莉だった。

少し膨らんだ胸を上下させる。

くびれた腰が妖艶で、綺麗な肌だった。

綺麗な肌だからこそ、アザのような痕が際立っていた。

それを見た瞬間、嫌悪が再び込み上げた。


 透明のローションが愛莉の割れ目に垂らされ、男が馴染ますように指を入れる。

あっさりと終え、股を開いた愛莉の正面、私をぬめついた割れ目に押し当て入れる。



 生暖かいヌメヌメしている。

ひだが擦られる。

音が鳴り響く。

外の様子は分からない。



 不意に私の中が膨れる。

そして、白いドロリとした液体が、リズミカルに鼓動のように出てくる。

だがそれを受け止める事はできなかった。




「!?!? 待って! ゴム、破けてる!?」

膣の違和感に私は声をあげた。

すぐに彼から離れ、自分の膣と彼の着けたゴムを確認する。

やはり破けていた。


 まずい......まずい。

「......ごめんなさい。今日は......もう」

「......まてよ」

「アフターピルもらわないと」

私は立ち上がろうとした時、お腹に強い衝撃を覚えた。



 愛莉のお腹殴った。

その事実を受け入れるのに時間がかかった。

男は破けた私を外すと、ゴミ箱へ投げ入れた。

「ーーーーーーー......」

声が聞こえる。

だが遠くなる意識に、何を言っているかは分からない。



 私は......1日の命を全うした。












ぬくもりにつつまれる

しあわせがあふれる

あいにみたされる


ここちいい

ぷかぷかする

きもちいい

ふわふわする


いつまでもここにいたい

えいえんにすごしたい

いっしょにいたい





いしょに......いたい

おもいだした

わたしはあなたにあいたくて

あいしたくてあいされたくて

しあわせにしたくて

わたしは




冷たい部屋に落ちた。

命の声は求める。



「ぉぎゃああぁ............ぉぎゃああぁ............」

わたしは......あなたのこども

あなたにあいたかった。

これであいせる。あいしてもらえる。

わたしはあなたとしあわせになるためにこれまで




「......ごめんなさい」

愛莉は泣きながら言った。

彼女は右手のそれを、私に振り下ろした。


わたしは......じんせいをまっとうした

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輪廻転生 Tacey・Ocean @TaceyOcean

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