朝ごはんを食べ損ねました

 昇りはじめたお日様の暖かさと車窓からのひんやりとした風がとても心地よい列車の中からおはようございます。


 人類の普通から蛇の道へと進み始めたアサヒです。






 学園都市がどこにあるのか私は知りません。


 この列車にどれくらいの時間座っていればいいのかもわかりません。


 先頭車両から煙が流れてこないので蒸気機関車ではないようですが、長い時間補給無しで走るなんて魔法という物は恐ろしい限りです。






 さて、突然ですがお腹が空きました。




 せめて花だけはと懇願したのに受け入れられず暴れた日、お父様がお屋敷の庭を岩山か月の表面のような殺風景に模様替えなされたあの日から味付きの水のようなナニカしか口にしてませんでしたので、先程売店で買ったお弁当がとっても楽しみなのです。




 ああ、早く開けたい。


 このお弁当はわたしが初めて自分の意志で買った料理になるのです。


 とてもいい香りは何が入っているのでしょう。字は読めますが中身を見ずに買ったのでわかりません。




 列車の旅は始まったばかり。


 真っ先に開けてしまっては楽しみが減ってしまうのもまた事実。


 でも…だがしかし…食べてしまいたい…








 いつ開けようかとソワソワしていたのですが、気が付くと周りは同年代の子供で溢れていました。


 途中停車してないのにどうやって乗ったんでしょうか。不思議です。




 人が増えれば自然と賑やかになりますし、入学の前から親交を深めようというのはいいんじゃないかと思います。


 大勢の大人から色々言われた挙句に見知らぬ土地へと島流しに遭ったわたしとしては静かなほうがいいんですけども。




 他人の関係はサスペンスな物語のようなエンターテイメントです。


 聞き耳を立ててみると、後ろの席でなにやら雲行きの怪しい発言が飛び交っていました。




 取り巻きを数人連れた男の子曰く、自分は何かの組織の偉い人の息子であり家督を継ぐ長男で偉い。だから従えと。長いものに巻かれろという言葉があるように強い者に付き従えば身を粉にして仕える奉公の見返りとしてそれなりの褒美はあるでしょう。でも偉いのは貴方のパパ上で貴方自身じゃない。虎の威を借りる狐っていうやつですね。


 座っている二人組の男の子達が反論します。学園は生徒である以上は平等であると。それも納得できます。人種も身分も関係なくお金さえ出せれば全てを受け入れるというのが学園都市ですから。湖から掬ったカップ1杯と雨水を必死に集めたカップ1杯はどちらも同じ量のお水なのです。




 議論は平行線ですが身振り手振りをはじめどんどんエスカレートしていました。各々好き勝手に騒いでいた他の子も成り行きを見守っています。






 そんなことよりもお弁当ですよ。他人の喧嘩で少々味は悪くなるかもしれませんが、ほぼ水のようなスープよりは絶対においしい。


 偉い人の息子だとか、名前を言うと洗脳を受け配下にされてしまう悪い魔法使いの呪いを退けた少年だとかどうでもいいんです。


どうでもよかったんです。




 自分の要求が通らないことに苛立った偉い人の息子が、隣の座席を殴りました。その座席に居たのは他でもないわたしです。


 不幸なことに、わたしはそろそろ頃合いだろうとお弁当の蓋に手をかけていたのです。




 自分の思考を加速させる魔法や動きがゆっくりに見える魔法があるという話も本で読んだことがあります。きっとこういう感じなんでしょう。


 綺麗に飾られた料理が床に落ちるまでの一瞬は、とてもとても長く感じられました。






 関係のなかった喧嘩、傍観者が一転して当事者の一人となりました。


 我慢していたのでわたしはお腹が減っています。そこにこの蛮行。


 家で色々あったので人を好きではなく、正直周りの目を気にせず口喧嘩に及ぶような脳みそ筋肉な単細胞と関わりたくはなかったのですが、わたしの初めての外食をダメにしたという悪事は断じて許せません。裁かねばなりません。




 とはいえ、本当に些細なものですので命まで奪うほどでもありませんし、そんな力がわたしに無いのもわかっています。


 怒られても子供の喧嘩と鼻で笑われる程度に、それでいてやってはいけない事をしたとわからせるような報復を。


 書庫で得た知識は数知れず。わたしは考えました。




 そういえば、女性が主人公の物語で道でヤンキーなる生き物に絡まれた時に助けに入った想い人が腕を捻り上げていましたね。あれでいきましょう。


 使用人達が布を絞っていたように腕をぐりっとねじってしまいましょう。


 そうと決めたわたしは席を立ち、興奮止まぬ喧嘩に無言で割って入りました。








やりすぎだったんでしょうか。




絹を裂くような悲鳴というやつが響き渡り、騒々しかった車内が静まり返りました。


両腕を綱のように編み込まれた偉い人の息子が床を転げまわっています。動くと余計痛むというのにバカなんでしょうか。






 わたしが覚えた魔法は呪文も杖も、カエルの干物や薬草といった媒介も大掛かりな魔法陣など準備も必要としません。


 ただそうあってほしいという願望を形にするだけです。簡単です。


 皆それを使えるからこの列車に乗り、これからその魔法の正しい使い方を覚えるものだと、ついさっきまでそう思っていました。




 それはどうやら違ったみたいです。


 無から魔法が使えるのはあり得ない事で、人を傷つける事はちょっと懲らしめる程度の事でもやってはいけない。それが常識だったみたいです。




 これからわたしは権力者の嫡子を傷つけた事で入学を断られ、家に帰されるのでしょう。


あの家にはもう入りたくないので、手切れ金として渡された通帳のお金が尽きたらそこまでです。




 大人が集まってきました。状況を野次馬から聞いて回っています。


 腕を編まれてしまった偉い人の息子の状態を確かめているのはお医者さんでしょうか。もしかすると学園の先生かもしれません。


 わたしの人生は早くもこれまでみたいです。皆様長らくのご愛顧ありがとうございました。








 再び騒然となりだした車内でそんなことに思考を巡らせていたところ、声を掛けられました。




 集まってきた大人達の一人、30代ぐらいでしょうか。男性の方。


 一人だけローブのようなものを羽織り、周りと比べると逆に目立つ地味な恰好をしていらっしゃるおじさん、またはお兄さんです。


 話しかけてきたと言っても、「僕と来てください」と一言だけ。




 抵抗する必要はありませんし、お誘いを断る理由もありません。


 いずれ始まるであろうわたしへの批難の声のことを考えると、むしろ好都合です。




 わたしは席を一つ占領していた旅行鞄と、落としてしまってもう食べれないお弁当を持ってその場を離れました。




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