第65話 魔術自在の神髄(オール・ラウンダー) ★★★


「死肉喰らいめ、がっつきやがって! そんなら次は俺がお前に食らわせてやるよ、魔術のフルコースをな……!」


 ユーリが吐き捨てると、両手の魔剣に新たに橙色のマグスが通され……


「【大砂獄流(ガイアズ・シュトロム)】ッ!!」


 半ば異界に変じかけていた床が変質し、突如として流砂が出現する。

 世界における物質の原子状態ありかたを改変し、強引に形質変化させる地属性の大技である。


 巨大な身体をうねらせながら、巨大流砂に足を取られまいとする冥王龍。

 それが真っ黒な尾を打ち振るや、マグスが発生。

 ユーリの地魔術を打ち破るための黒いマグスが浸透し、足場をアスファルトのように漆黒に固めていく。


「まあ、そんくらいは対抗してくるよな。だが……てめえが這い上がるまで、待っててやるほど気が長くないんでな!」


 言い終えるや、長剣と短剣を左右に構え直したユーリの瞳が、怪しく輝く。

 やがて、短剣の先からほとばしった氷のマグスと、長剣から吹き出す碧緑の風のマグスが混然一体となる。

 突如として冥王龍の周囲の大気が猛烈な寒気へと変じられ、あろうことか、氷雪の嵐が吹き荒れ始める。

 その風は、氷の刃すらも交えて冥王龍の表皮を切り刻みつつ、その身体を、びっしりと張り付く霜と銀氷で覆い始めた。

 冥王龍は戸惑ったように尾を打ち振り、咆哮をあげるが、四方八方を取り囲む雪嵐の包囲網からは、もはや逃れるすべはない。


「さあ、そろそろ棺桶に入んなよ……! 【冷葬凍風(ブリザス・コフィン)】!」


 それは、氷と風の魔術を同時に発現させて織りなす、ユーリのみが操れる独自魔術である。

 冥王龍は苦しげに首をもたげ、怒りとも絶叫ともつかぬ猛り声をあげる。

 だが、そんな声になどいささかも頓着とんちゃくせず、ユーリはさらに、恐るべき氷の力と風の力を操る両剣に、マグスを込めていく。

 それに伴い、冥王龍の巨躯は、たちまち不動の氷像と化し、ビキビキと音を立てて凍り付いていった。

 

 ……どれくらい経っただろうか、巨龍がどおん、と地響きとともに地上にくずおれる。もはやその長大な身体はぴくりとも動かず、周囲にはただ、静かに冷気の名残りの霜が舞い散るのみ。


「ふぅ……」


 ユーリは小さく白い息を吹き出し、両手の剣を下ろした。

 その瞬間……ふと、倒れ伏していた冥王龍の首が急速にもたげられる。

 間髪容れず、氷の棺を強引に押し割って、冥王龍はがばりと顎を開いた。

 

 どす黒い口腔の中に林立する牙を剥き出しにして、その巨体が、死力を尽くして跳躍――ユーリの身体を一飲みにせんと、身体をくねらせつつ、跳ねるように上空から襲いかかる。

 直後、まるで魚群を喰らい尽くす巨鯨きょげいのように、その顎が地面ごと獲物を齧り取る。

 

 そして現れたのは、悪夢のような光景――

 ユーリの上からすっぽり襲い被さった冥王龍の顎が、そこに立っていた彼の上半身を、丸ごと飲み込んでしまったのだ。

 その口腔の先からは、飛び出た二本の脚が、カカシのもののように突っ立っている。

 だが、その獲物を呑みくださんと黒い喉が蠢いたまさにその時、冥王龍の動きが、ぴたりと止まった。

 その顎が……不気味に揺れ動いたかと思うと、突如、大きく二つに裂けた。


 続いてその頭全体が、まるで内部で巨大な爆弾でも炸裂したかのように、一気に弾ける。黒い血とも体液ともつかぬものが周囲にぶち撒けられ、空中から黒炭色の飛沫となって降り注ぐ。


 そんな黒い雨の中、やがて人影――傷一つなく立っているユーリの姿――が立ち現れてくる。


「闇と炎の力の融合魔術、【華爆饗宴(ヘルズフラワー)】……! 魔術耐性がある鱗に覆われた身体も、内側からなら簡単にぜ破れんだよ。わりぃが、てめえ程度の相手となら、地獄の果てで、何度も死合ったことがあるんでな……!」


 冥王龍の血のぬめりは、ごく薄くユーリの身体全体を覆った【風遮の鎧(ウィルム・ガンド)】によって隔てられており、髪や身体には染み一つついていない。


「ちっ、だが……この匂いだけはどうにも慣れねえぜ」


 ユーリは誰にともなくそう呟いた。


「とりあえず穴には応急処置して……それから、ま、あとは始末隊ガニシリウスに任せるか」


 ユーリはそう続けながら、まだ赤い光を溢れさせ続けている“門”に向け、掌を翳す。

 冥王龍は倒したとはいえ、魔領域に通じるそれは、まだ健在だ。

 魔領域と“門”の関係は、いわば亜瘴気という空気が詰まった巨大な風船に、小さな穴が開いたのと同じである。


 魔領域からこちらの世界に吹き出してくる亜瘴気によって周囲の異界化が進むたび、その穴はより大きくなっていく。もちろんさっきのように、幻魔が自ら穴を強引にこじ開けることでも、魔領域へ通じるその通路は拡大してしまう。


 それが巨大になっていくのを防ぎ、縮小させるには、マグスで空間の歪みを精密に測り、魔重力による歪曲波数を打ち消す魔力的な“魔鍵式”を作成して閉じねばならないのだ。


 そのための訓練を積み、特殊装備をいくつも有する軍の始末隊ガニシリウスには及ばないが、ユーリもまた、見様見真似みようみまねでその技術を覚えてはいる。そのため、いわば“応急手当”程度ならばこなすことができるのだ。

 ……だが。


(なんだ? この“門”、魔重力の歪曲波数が分からねぇぞ……⁉︎)


 しばらく穴の周囲でマグスによる走査を行なった後、ユーリは内心で舌打ちした。すぐに思考を巡らし、その原因に思い当たる。


(ふむ……どうやら自然発生じゃなく人工モンだからか? “鍵穴”の形が歪んでんだな。なるほど、それも含めての魔領域の“兵器化”かよ……)


 ユーリは顔をしかめた。鍵穴の形がかたどれなければ、それを封じる魔鍵式など作成しようがない。より精巧な技術を持つ始末隊が来るまで待つべきか? だが、この穴の広がりようでは、そんな時間はとても……。


「はぁ、言わば、動き出したらもう解体不可能な超破壊爆弾ってとこか。まったく【獄門開闢器パンデモス・コーザー】とは、よく言ったもんだぜ……」


 ユーリは吐き捨てるようにそう口にすると、再び舌打ちして表情を歪めた。

 そう、こうなってはさすがにお手上げだ。

 ……並みの魔装騎士ならば、だが。


「仕方ねえ」


 その一言で、済ませる。

 ユーリは首を小さく回すと、地面に魔剣を突き刺してから、かざした右掌の手首を掴むようにして、左手を添える。続いて小さく気合の声を吐きだすと、ユーリの全身に、あの灰色のマグスが漂い始めた。


 続いて……再びユーリの髪色が灰銀色に変わったかと思うと、その異様な力は、全てユーリの右手に集中していく。


 そこから異界の穴を覆うように、ぐんぐんと流れ込んでいく灰色のマグス。

 力技、である……それも、究極の。

 現れ出た異界の門を、抹消の……虚無のマグスで喰らおうというのだ。世界に生まれたほころびを、さらに巨大な虚無の力でもって削り取り縮小するという荒業。


(ぐっ、日に二度目・・・・・のガチ発動は、さすがにキツイが……! やり切るしかねえな……!)


 ユーリの心臓がどくどくと早鐘のように鳴り、悪魔と死神が胸の奥で跳ね踊るような不気味な鼓動を、得体のしれない痛みとともに全身に伝えてくる。彼の額にじっとりと汗がにじみ、この戦いで初めて、はっきりとユーリの顔に、疲労の色が現れ出てきた。


 ……幻魔の王と癒着しかけた彼の心臓から生み出され、世界へと送り出される虚無のマグス。それはコントロールを一つ失えば、己の身体そのものをこの世界から飲み込み、消し去ってしまいかねない……まさに、ウロボロスの顎と尾の関係に等しい、究極最後の危険すぎる切り札なのだ。


「う……うおおおおおっっ!」


 ユーリが一声、雄たけびのような気合とともに、一層右手に力を込めて、前へと一歩進み出る。その左手には、いつしか拾い直してポケットに入れてあった、あの緋石の……セリカの紅玉のペンダントが、そっと添えられている。


今やそれは、灰色のマグスにそのまま飲まれようとするユーリの姿を、なんとか世界に押し留めようとする一縷いちるの希望の光のように、淡い薄銀苺色うすぎんいちごいろに輝きながら、神秘的な光でその身を照らしていた……


 ……それから十数分後。

 ユーリは地面に片膝を突きつつ、ようやく一息ついた。

 その目の前で……確かに、眼前の穴の拡大は、最低限までに押しとどめられていた。


 並みの魔装騎士なら、百人、千人分……いや、それ以上だろうか。凄まじいまでのマグス量を惜しげもなくつぎ込んだ、ユーリでなければ到底成し得ない荒業である。


(いつかヘカーテが言ってたっけか……『物量ちからおしは、ときに最大最高の戦略』ってな……)

 

 ユーリはここで、ついに地面に倒れ込んだ。

 カラン、と音を立てて転げ落ちた紅玉のペンダントを再びしっかりと手の内に握り込みながら、そのまま仰向けに寝ころぶと、手足を伸ばして大の字になった。


 見上げた視界に飛び込んでくるのは、崩れた天井の向こう。皇都の空を黒いビロードのように覆う夜空だ。

 丸く巨大で、まるで天を覆い尽くすかのような銀色の月。

 そのすぐかたわらには、春の夜を彩る星々が、静かに輝いているのが見える。


(ハッ、あの赤いのは一等星のガルバラス……それに、二等星のベネルカに、さまよえる二重星アレプトか。今ならちょうど全部を結べば、子龍しりゅう座が浮かび上がるな……。しっかし、あんな星々を結んで夜空に図形を描くなんざ、大昔の人間もずいぶんロマンチックなアタマをしてたもんだぜ……)


 そんな風に、少々場違いなことを考えながら、ユーリは無言で雄大な春の夜空を見上げる。それから少年は、さすがに疲れ果てたとでもいうように、そっと目を閉じた……


 そして、結局。

 “神雷”ティエルトが先導する鉄衛師団と選りすぐられた精鋭始末隊が、無残に崩れ去った暗黒街外れの地下神殿跡に到着したのは、それからしばらく後のことになった。 


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★★★【読者の皆様へ】★★★

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

本作第一部はこの後、エピローグを挟んで、終了となります。

第二部以降については、プロットは作ってあるので、反響次第になるかな……と。


もし少しでも「面白い」「続きが読みたい」と思われた方は、大変お手数ですが、「スマホなら目次&広告下、PCなら画面右サイド側」に表示される★にて評価いただければ、とても嬉しく思います。

 

第一部最終エピソードは、14日木曜日の朝7:00か夜19:00ごろ、更新予定です。よろしくお願い申し上げます。

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