第64話 冥王龍
地下神殿の跡地は、いまや半分がた、異界に飲まれようとしていた。
大気の色をも変えてゆらめく亜瘴気の中で 小山のような冥王龍が、真っ赤な三つの瞳で、ユーリを見下ろす。
その身体は、さっきまで開いていた“門”のスケールに比べて、驚くほど大きい。
空間にねじれが生じているのだ……そして、そのねじれはいずれ、必ず拡がっていく。
気づくと、この冥王龍が現れ出た穴は、いつの間にかその化け物にふさわしいサイズへと、拡大されていた。
次にはさらに強大な存在が、這い出てくる可能性は高い。そうすれば、さらにその穴のサイズは増大し……それが何度か繰り返された時には、この一帯は魔領域と完全に同化するはず。
やがては魔領域の
(放っときゃ、文字通り皇都全部が飲まれてもおかしくない、か……)
ユーリが内心でそう呟いて、冥王龍を見上げる。
途端、冥王龍の尾が大きく蠢いた。
まるで巨木の幹をそのまま振り回したかのような、無造作な薙ぎ払い。
それが、まっすぐにユーリを目掛けて襲ってくる。
挨拶代わりの一撃にしては、あまりに強烈な一撃……ユーリが身体を沈めてそれを
同時にふと、ユーリの視線がちらりと横に逸れた。
何者かが、瓦礫の影で動く気配が感じられたのだ。
見ると、黒いローブの影が、崩れかけた壁の影から走り出てくるところだった。
「……!」
それはどうやら、サガの配下の一人らしい。ティエルトの雷撃で昏倒した状態だったのが、さきほど冥王龍が放った一撃の衝撃の余波を受け、息を吹き返したというところだろう。
だが、その男はもはやユーリを付け狙うどころではなく、冥王龍を見て、一目散に逃走を図ったようだった。
それを視界の端に捉えたか、不意に冥王龍の口ががばり、と開く。首の根本から出た何本もの触手めいたものの先にある口も、同様に大きく開かれたと思うと……
それらがそろって、空気を震わせる大咆哮を放った。
「ぐぎゃああああああっ……!」
それを聞くや、ローブの男は頭を押さえ、狂乱の表情を浮かべて床に倒れると、そのままのたうち回る。
そんな哀れな犠牲者に向けて、冥王龍の首元から異形の触手がするすると伸びると、その身体を易々と巻き上げ、
たちまち、恐るべき牙元に運ばれたその身体が食い裂かれ、周囲を断末魔の悲鳴が見たし、飛び散る鮮血が地面に滴った。
(ケタ違いの【
ユーリはそれを見て取るや、マグスで身体を覆い、その強烈な
今、彼の身体にたゆたうそのマグスの色は……炎の赤や冷気の青とは異なる、
「幸い今なら、目撃者も観客もゼロのボーナスタイムだ。なら、こっちも出し惜しみはナシで対応しねえとな……!」
ユーリがまとっている緑色のマグスによって紡がれるのは、風の魔術……【風遮の鎧(ウィンド・フィルト)】。闇のマグスに汚染された大気の震えごと、【恐声】を遮断するものだ。炎と氷は“得意属性”に過ぎないと不敵にサガに言い切ったユーリの、本領発揮である。
そう……魔領域に赴く以前から発現していた彼の【同時魔変回路】が、そのあまりにも異常な状況の中で、彼自身とともに成長を遂げていないわけもない。
結果、ユーリは……いまや、高位魔術以下ならば、光属性以外の全属性魔術を操れるに至っているのだ。
冥王龍は苛立ったように再び咆哮すると、己の威風にも微動だにしないユーリを、その赤い瞳で強烈に睨みつけてくる。
続いて、カッと
全てを腐らせ、呪毒と酸で侵すその息に向け、ユーリは二振りの魔剣を振りかざす。
たちまち刃に
それはまるで、
周囲の地面の成分から錬成された特殊鉱物とマグスが混ざって生まれた魔術防塁と、冥王龍が吐き出す闇の吐息。
その二つがぶつかり合い、嵐のような暴風が周囲に吹き荒れる。
その
そんな最中にふと、冥王龍の幾本もの触手が、奇妙に揺らめいた。
その先端で、見る見るうちに紡がれていくのは、闇のマグス……
幻魔も
ユーリの地魔術の防壁と闇のブレス、二つのマグスがちょうど相殺され、周囲に一瞬の静寂が訪れた直後。
ものの数秒で魔術が発動するや、ユーリの身体の周辺が……いや、この一帯全体が、たちまち闇のカーテンめいたものに覆われていく。
それは円形闘技場の壁のように、冥王龍とユーリの身体を、その内に閉じ込めてしまった。
「ほう、逃げ場も助けもなしってか……まさに、ここで
ユーリの呟きに対し、ゆらめく闇のマグスの向こうで、冥王龍がまるで
続いて、うねる触手が伸びてくると、先端にある赤い口が開き、一斉にユーリに襲い掛かる。
それはまるで、黒い無数の
ユーリはそれを躱しざま、足にマグスをまとう。
(こいつが見た目通りの伝説級だとしたら、たぶん……!)
そう、その黒い鱗は、強烈な魔術耐性を有している可能性が高い。おそらくは、いつか対峙した魔銅製のゴーレムのように、生半可な魔術を通さないだろう。
ならば……
ユーリは、地面に食らいついた触手を蹴りつけると、その反動を利して、空中に飛翔。さらに襲い来る触手をまるで土台のように踏みつけると、新たに跳躍を重ねる。
それを繰り返し、どんどん巨大な敵の首元へと、駆けあがっていくユーリ。
同時に、邪魔をする余計な触手は、二本の魔剣をひらめかせて、鮮やかに切りさばいていく。
……そして最後、ついに取り付いたのは、冥王龍の頭部である。
ユーリは長剣を掲げると、その片目を、深々と刺し貫いた。続いてユーリの身体から、白いマグスが弾けると、刃を伝って、蒼白い雷の力が流れ込んでいく。
「【雷流衝追破(ブリッツ・ペネトレイター)】……!!」
たちまち周囲に轟く、凄まじい
赤い目の一つを焼き潰された冥王龍が、尾を荒々しく振り上げつつ、巨大な咆哮をあげた。
この化け物でも生物じみた痛みを感じるのか、触手が苦悶の証のように、うねうねと舞い踊る。
「多少は効いたか……! だが……!」
音もなく地面に降り立ち、そんな冥王龍の姿を見上げていたユーリは、そこで言葉を切り、顔を歪めた。
その視線の先では……冥王龍の触手が、新たな
いずれも、先程ティエルトとの戦いに倒れた、サガの手下たちの変わり果てた姿である。そして、わざわざ周囲に飛び散った瓦礫の中から、冥王龍がそれを拾い上げた理由は明白。
がりがり、ぼりぼり、ばりばり……と。
妙に周囲に響く
同時、犠牲者たちの身体から滴る血とともに、新鮮なマグスが一気に冥王龍の身体に流れ込んでいき……その巨大な幻魔は、深い美味と愉悦を示すように、高々と吠えた。
気がつくと、ユーリが焼き潰したはずの目と、切り払った触手は、何事もなかったかのように再生し、治癒してしまっている。
「ちっ! ティエルトめ、まったく余計なもんを残していってくれたぜ。このバケモンのための手弁当かよ……!」
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当分は偶数日の朝7:00か夜19:00ごろ、更新予定です。
※今日はこれから「モンスターズインク」を見る予定です! 面白いといいな…!
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