第61話 滅殺の牙 ★★★


 異教の地下神殿……大広間の中、愉悦ゆえつの色を浮かべていたサガの顔色が、ふと、変わる。


「……!」


 周囲を染め上げる赤い霧となって、空中に漂うその血の色が、一気に変化したのだ。新鮮な酸素を含んだ赤から、闇を煮詰めたような色へと、一瞬で……まるでカーマインの絵具に垂らされた一滴のブラックが、全てを黒に染め上げていくかのように、どんどんと闇色やみいろを濃くしていく。


 あろうことか、色だけではない。不気味なことに、質感までも変化を遂げていた。

 まぎれもない液体だったはずのそれは、いまやとろけた飴のような……いや、意志を持つ軟泥なんでいのようにうごめいているではないか。


(これは……!)


 サガの背筋がすっと冷たくなった。それは、この異常事態に対する、本能的な警戒反応だ。

 そんな彼の目の前で、なおも蠢く黒泥こくでいは、たちまち一匹の異形の姿を取り、一気に牙をく。人智を超えた異質な原理で生まれ出たとも思えるその姿は、漆黒の巨獣きょじゅうであった。


(ば、馬鹿な……! こんなことが!)


 あるはずがない、と理性がどこかでささやく。

 ほとんど無意識のうちに、サガの右腕が動いた。さっきユーリの首を切り落とした凶器、魔杖の仕込みやいばを振り上げ――そしてサガはそれを、眼前の巨狼ではなく、己の太腿・・・・へと、力任せに突き立てた。

 

 ――たちまち脳髄へと走る、激烈な痛み。それとともに、サガの瞳に色が戻ってくる。同時、視界の中にぼんやりと浮かび上がる景色は……


 気が付くとそこは、先程まで彼がユーリと対峙していた大広間。

 そして、あろうことか……さっき、確実に首を切り落としたはずの相手ユーリは、傷一つなく、己の眼前に立っていた。


 しかも、サガ自身はといえば、石床の上に無様ぶざまに座り込んでいる。右手には、血に濡れた白刃はくじん付きの魔杖を握ったままだ。立ち上がろうとして、再び全身を駆け抜けた激痛に、サガは反射的に太腿に触れる。その掌が、べったりと己の血で汚れ……


(さっき太腿を刺した、傷だけは“本物”……! すると、ここはやはり……!)


 しばし呆然とするサガを見下ろしつつ、悠然と両手を組みながら、ユーリが言う。


「……ちっ、他人の後ろ暗い想い出を、じっくりねっとり視姦しかんしてくれやがって。精神の中に土足で踏み込むとは、まったく下衆げすな邪法だな……悪いが、そっくりそのまま“返させて”もらったぜ」


「……なっ! そ、それでは、精神操作にかかったのは……?」


「そう、お前のほうさ。とはいえ、ついでに見せてやった幻覚の中でも、とっさに自分の身体を傷つけることで術を解除したのは、さすがだけどな。だが、覚えとけ……闇の深淵をのぞき込むなら、お前もまた、覗き返されるリスクを負うってことをな……!」


「あ、あり得ぬ! 通常魔術ならともかく、私の切り札だぞ……!?」


「ああ、確かに切り札、相当なもんだ。だから、イチから対抗策を練り上げるのは俺でも当然無理だったぜ? だが術式を解析操作し、対象反転させるくらいならな……弱点なんだよ、互いの精神魔術回路を一度は通じさせる以上、そこんとこを警戒すべきだったな……!」


「術式を切り返しただけでなく、幻覚の効果まで加えただと⁉︎ や、闇属性も持たぬ貴様が、なぜそれを……! 仮に【同時魔変回路】の力だとしても、せいぜいは二つ……炎と氷、程度の……」


「ふん。誰がそう言った?」


「な、何……ま、まさか!?」


 ユーリは小さく笑って。


「【同時魔変回路】でひと時に操れるのは、魔装武器の力を借りてもせいぜい二つダブル・マギアが常識だって? いいや、違うね……俺にとっちゃ、炎と氷はただ“得意属性”ってだけさ」


「な! 貴様程度の小僧が!? し、信じられん……! 炎、氷、闇の……さ、三属性トリプル・マギア、いや、もしやその先・・・までも……!?」


 サガは顔を大きく歪め、思わず絶句する。

 一方でユーリはふと、その唇の端に浮かんだ笑みを消し去ると、自嘲するように、ぽつりと呟く。


「俺は……魔領域あそこから帰ってきたんだ。果てなく広がる生温いマグス浸液しんえきの海で、異形のくじらの歌を聴いたことはあるか? 赤い双月そうげつが輝く龍骨りゅうこつの砂漠をさ迷い、無数の口と赤子あかごの眼を備えて熱風に揺れる、地獄の薔薇ばらを見たことは? そう、たかがお前程度に、俺の全てがはかれるはずもないだろう……」


「ぐ、ぐぬぅっ……!」


 もはやサガは、顎先あごさきから脂汗あぶらあせを垂らしつつ、低いうめき声を漏らすのみ。


「ま、その“切り札”とやらをこの目で確認できて、安心・・したぜ……皇国の名のある魔装騎士を多数ほふった“子供呪爆弾こどもじゅばくだん”。トチ狂ったギンヌン・ガンプスが追い詰められて出した手にしても、あまりに洗脳されたガキの数が多すぎるって噂だった……。その下卑げびた秘術があんなら、全部納得できるぜ。ああ、確かに……てめぇのようなクズなら、ガチでれる……!」


 ユーリが冷たく言い放つと、すらりと二本の魔剣を構えなおす。

 途端……彼の瞳の色が変わった。冷獄のようにこごえ、深淵の色をたたえた冥青色ダークブルー……同時、その身体から噴き上がるすさまじい質量の魔力圧オーラ


そのひるがえる髪に混ざった銀灰色が、どんどん広がり……彼の髪全体を、くすんだ銀一色に染め上げていく。


共感門封鎖完了エンパス・ディバイド……わりぃが、“断罪”させてもらうぜ、てめぇは終わっていけ、そのままな……」


 かざした右手から、魔剣に宿っていく不気味な力。今や、己の脳の共感神経を司る部位を自ら麻痺させ、対象への一切の共感を絶ったユーリは、一欠けらの憐憫れんびんもなく相手を消し去れる一個の殺戮機械さつりくきかいと化した。同時、ユーリの右腕の骨と心臓に癒着・・・・・・・・・・した“幻魔の王の一部”が、破滅を求めて吠え狂う。


 次の瞬間、交差させて宙を裂くように振り下ろしたユーリの左右の刃から、灰色の光が弾ける。それはまさに二本の竜牙のごとく、まっすぐ前方を薙ぎ払って駆け進んだ。


「【無限の果てにたゆたう虚喰牙(オメガ・エグゼキューション)】……!!」


 人類が未知の、異界にのみ存在するマグス……それはいわば、電理を超えた極理きょくり。あまりに永く、地獄の底を這いずり回ってきた少年の魂の芯に刻まれた――絶望の闇すら超える、虚無の深奥しんおうから引き出された力。


 その滅びを司るマグスは、文字通り灰色の、全てを無に帰す滅消めっしょうの大波となって、サガを襲った。


-------------------------------------------------------------------

★★★【読者の皆様に、よろしければ……のお願い】★★★

「スラムダンク」を、ようやく読破……!

皆様の応援のおかげで本作、PV23000、フォロワー250人を突破しました! 直近だと、異世界ファンタジー部門で【403位】を確認しております(もうとっくに変化しているかもですが)


また、余勢をかってカクヨムコンテストにも応募中です! なのでよろしければ、「スマホなら目次&広告下、PCなら画面右サイド側」に表示される★にて評価いただければ、更新と誤字修正その他、もっと気合入れて頑張れますので、なにとぞっ! 


年末年始の間、当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ、毎日更新予定です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る