第60話 卑劣なる術中

 サガが魔術で作り出した黒いとげはどんどんと伸び、今にもユーリの血肉を切り裂くかに思えた。だが……


「唇ゆがめてドヤ顔なとこ、おあいにくだが……不自由なのは大嫌いなんでね、どうにかさせてもらうぜ」


 ユーリが二本の魔装武器マギスギアを床に突き立て、右手をかざす。

 やがてその腕の先に、集まり始めたのは……


(な、なんだ!? この魔鋼製拘束器カースド・ウィッカーマンで、マグスはろくにコントロールできないはず……いや、そもそもこんな“灰色”のマグス波オーラなど、かつて見たことが!?)


 そんなサガの内心の動揺を見てとって、ユーリは不敵に笑う。


「ビビるのも分かんぜ、てめえほどの腕前ならえるはずだもんな……! おあいにくだが、こいつは普通・・のマグスじゃねえんだよ」


「な……マグスならざるマグス⁉︎  そ、そんなものがあり得るのか!?」


「おいおい、そりゃあ、魔術者として不見識ふけんしきってもんだろ。だいたいマグスを活用する電理魔術の力だって、かつて、未発見のまま眠ってた時代はあっただろうが。そもそも幻魔と魔領域に関する種々の謎だって、未だにろくに解明されちゃいねえ……人類の知恵なんざ、所詮しょせんそんなもんさ」


 そういうと、ユーリは、灰色の鈍い光に覆われた右手を、一振り。

 ただそれだけで……マグスの枠柵わくさくは黒い棘ごと破壊され、ユーリの足元へと四散した。そのまま、おりの残骸は全マグスを失ったかのように、薄っすらとその形を霧散させていく。


「馬鹿な……あり得ん! その枠柵は一本一本が独自の魔術式と強固な概念魔錠がいねんまじょうで守られているんだぞ!?」


「そのあり得ねーことが目の前で起きてるんだ、納得しろよ」


 続いてユーリは、床に突き立てておいた二本の魔装武器マギスギアを手に取ると、一瞬の間に、檻の上にかぶさっていた、鳥籠のような器具を微塵みじん切りに刻んで粉砕する。


「ッ! 特製の魔鋼製拘束器カースド・ウィッカーマンまで……! マグスを通さない魔装武器マギスギアで、こうもあっさりと……!?」


 サガの焼けただれていない半分の顔に、驚愕の色が走った。


「ククッ、その驚きぶり……ようやく人並みのツラになってきたじゃねえか。そう、常に理外・・の世界ってのは、俺らが想像できる常識・・かたわらにくっついてひろがってんだよ。おごりは視野を狭くしちまうぜ、サガさんよ……!」


「う……うぬっ!」


 ここに至り、ようやくサガは、理解し始めていた。目の前の少年、ユーリの底知れぬ力を。


 だが、サガとてそれなりの強者である。そんな想定外の事態を目の当たりにしつつも、彼の頭脳は、冷静に計算を始めていた。ここはベル・カナル地区のはずれとはいえ、あくまで皇都内だ。


 そのうち、鉄衛師団や増援が駆け付けてこないとも限らない。いや、そもそも最初の石室いしむろに残してきた五人の部下が、いつまで経っても合流してくる気配がない以上……計画には大きな狂いが生じているのは間違いなかった。


 そこまで思案を巡らした後、一瞬の動揺はすぐさま抑え込んで、サガはあえて、己を落ち着かせるかのように、内心でニヤリと笑って見せる。


(こうなったら仕方ない、あれ・・を使うか……!)


 サガはローブの懐に手を入れると、秘密の内ポケットから、そっと小さなロッドを取り出す。先端に禍々まがまがしい宝珠と小さな装置がはめられたそれは、まさに“魔杖まじょう”。


 ローブ下の胸甲にはめ込んである魔術宝珠アーティファクト型の魔装核まそうかくとともに、彼の得意とする闇系統のマグスの錬成および、魔術式構築の速度を強化してくれる魔装武器マギスギアである。


(我が特質ギフト最大出力フルパワーで放てば、こちらの魔装武器マギスギアもタダではすまんだろうが……他に手はないっ……!)


 掌に包み込めるほど小さいそれを握り込み、サガはすぐさま、はぁっ、と大きく息を漏らす。すっと合わせた彼の両掌を、再び闇のマグスが包み込んだ。


 一瞬、ユーリが眉をひそめ、彼の動きへと対応する体勢を取るのが見える。

 サガはそんな彼を内心であざ笑いつつ、身体のアストラル経路チャンネルの芯から闇の力を練り上げていく。


 それらをゆっくりと二つの魔装武器マギスギアに通しながら、掌を胸の前で合わせ……サガは、黒いローブ姿の輪郭を覆うように揺蕩たゆたっている闇のマグスの塊を、一気に空中へと解放する。


 同時、サガの瞳にゆらりと黒紫くろむらさき色の光が宿り、それがたちまち、爆発したように大広間に弾けた。その光はまるで小さな黒陽こくようのように周囲を照らし、あらゆるものを不気味な暗紫色に染め上げていった――


 それから一秒も立たぬ間。

 ガシャリ、と何か重い物が床に落ちる音が響いた。


(かかった……! 精神操作薬クスリはもちろん、操魔針糸いとを撃ち込む下準備もなしの、かなり強引な手だったが! さすがにこの“最大出力”なら、精神外殻せいしんがいかくを圧倒できたか……!)


 その音を確かに己の耳でとらえつつ、サガは、満面の笑みを浮かべる。

 彼の眼前には、ユーリが……両手の魔剣を石床の上に取り落とし、呆けたような表情を浮かべて、ぼうっと突っ立っている。


 あろうことか、まるで木偶デクにでもなってしまったかのように、その目からは意志の光というものが、完全に失われていた。


【精神掌握】……サガが使用したのは、彼自身のマグスの特質に闇属性の高等魔術を組み合わせた、独自の秘術である。それは相手から意志の力を奪い、果ては自在にコントロールするものだ。


 だが、その手順はかなり困難で複雑なものだ。

 まずは対象者の心の内面を守る精神外殻を打ちくだくか、特殊な薬物などで無力化した上で、闇のマグスで造った操魔針そうましんと、あやつり糸にあたる特殊精神経路を相手の精神内部に形成する必要があるからだ。


 だからこそ、サガたちが皇宮で起こした魔装騎士や侍女たちの虐殺事件も、“あの程度”で留めなければならなかったのだ。


 衛士の詰め所や食堂の飲食物に仕込んだ薬物を利用し、サガ自らが操魔針を撃ち込んだのだが、場所が場所だけに長居はできず、深いところまで精神を支配することは不可能であった。


 そのためサガは、哀れな犠牲者たちに"他者を害させる”のではなく、比較的対象者が従いやすい"己を害する”という命令に留め、陽動に使うのが最適解だと判断したのだ。その程度のコントロールであれば、己の秘術の力を込めた小さな黒宝珠をキーアイテムとして、部下達でも行うことができるのだから。

 

 だが、ユーリを前にして、そんな余裕はもはやなかった。だからこそ、セオリーと手順を無視して行ったのが、さっきの死力を尽くした"最大発動”だったのである。


 強大すぎる闇のマグスを強引に通したせいで胸甲にはめ込まれた黒宝珠アーティファクトはかなり劣化し、魔術式構築補助用として使った魔杖も、二度と使いものにならないだろうが……これほどの相手を術中にとしたとなれば、結果は上々。


 ぴくりとも動かなくなったユーリの身体を眺めつつ、サガはニヤリと笑う。


「やれやれ、こんなところで切り札を使うことになるとはな……」


 必勝を確信した笑みを顔に浮かべ、サガは呟いた。


「見上げた小僧だったが、ここまでだ。後は、さらにその心をのぞきき込み、深く深く支配の糸を潜り込ませて、全てを操ってやろう。


まずはさっきの小娘と己の心臓を、その手でえぐり出させてやろうか。いや、いずれ鉄衛師団の衛士どもが現れた時、派手に差し違えさせてやるのもよいかもな……」


 そううそぶきつつ、サガはユーリのもとへとゆっくりと歩を進めていく。一歩、また一歩。やがてユーリの眼前まで歩み寄ると、さらに精神支配の術式を深く刻み込むべく、サガはその瞳を覗き込んだ。


 精神世界同士にマグスの橋架きょうかが掛かるように、視界が混じり合い、やがて溶け合っていく……やがてサガの脳裏に、まるで幻写灯げんしゃとうのように、奇妙な光景が浮かび上がる。


 そこは、一面の赤い砂漠。そして、この上なく奇妙な色をたたえている空。

 それなりの猛者であるサガは、すぐに気付く――これは異界だ、と。

 この少年の精神の中、ひときわ深く記憶階層に刻まれていたのは、あろうことか「魔領域」の光景だった……


(こいつ……この年で、魔領域帰りか……! そうなると皇国の魔装騎士でも相当の上位者、道理で一筋縄ひとすじなわではいかぬわけだ。だが、それだけに意のままに操れるようになれば、この上なく便利な手駒てごまになるかもな……)


 サガはそんなことを考えつつ、さらに深く、ユーリの意識の深層領域へと「足を踏み入れて」いく。


 その道中に流れ込んできたのは、巨大な感情の迸り……それは、恐怖と絶望、そして凄まじい怒りだった。

 次いで、サガが覗き込んだその光景は、異様なものだった。


 異界の奥深くだろう、どこか古代の神殿めいた朽ち果てた廃墟で、少年が対峙しているのは……巨大な影。


 その身体はちょっとした巨人を思わせるほど大きく、たっぷり10メルテルはあるだろうか。肌は石膏のように白く、半裸の上半身には両の乳房がなまめかしく、豊かに膨らんでいる。


だが、その下半身は、まさに異形。妖艶ようえんな女の腹のくびれ、その中心に位置するへその下から先には足がなく、代わりにびっしりと鱗に覆われており、一つの尾へと繋がっている。まさに這いうねる大蛇を思わせる姿である。


 加えて、さらに異様なのはその頭部だった。まるで能面のようにのっぺりした顔面には眼らしき器官はなく、ただ女の細く高い鼻梁びりょうと、左右に大きく裂けた口があるのみ。


頭部の天辺てっぺんからは無数の蒼い触手が伸び、まるで逆立った頭髪のように揺らめいている。だがよく見るとそれらの髪の一本一本の先端に、ぎょろりと動く人の瞳を備えた、眼球とおぼしきものが付いているのが見て取れた。


 それらがうねうねとあざけるように動き回りながら、眼前の小さな獲物を、油断なく見据みすえている。剣山のように細かい牙がびっしり並ぶ口からは、蛇のように先端が裂けた青黒い舌がチラチラとのぞき、同時に白い霜のように輝く冷たい息が、絶えず吐き出されていた。


(こ、これは……凍獄怪蛇コキュートス・ゴルゴーンに似ているが……!? いや、この巨大さは、魔領域の奥深くに潜むという伝説級の……始祖種しそしゅ一柱いっちゅうか!?)


 サガの顔に驚愕の色が浮かぶ。それこそは、冷気と氷のマグスを自在に操る、強大な人類の敵対者。並みの魔装騎士など、息のひと吹きか、ほんの微力な魔術の一撃のみで、生きたまま氷漬けの柱とされてしまうだろう。


 その過去の幻視ビジョンの中……少年、かつてのユーリは、その神話の怪物じみた容貌ようぼうの幻魔に、真っ向から対峙していた。その背後には、横たわる一人の女性の姿がある。豊かで長い髪と皇国の軍服姿から、それはロムスの女性軍人であろうと察せられた。


「セレス……大丈夫?」


「……ええ、なんとか。寒い……」


 血の気を失った女の唇がかすかに動き、まだ幼さが残るユーリの呼び声に応える。

 ユーリ……かつての彼は、彼女を後ろ手にかばうようにして、その巨大な幻魔に相対している様子だった。


 だが、守るべき相手なのだろうセレスと呼ばれた女の半身は、もはや軍服とともに霜に覆われており、まさに氷の柱と化そうとしていた。恐るべき幻魔の魔術か、マグスによる特殊攻撃を受けたのであろう。おそらくこのままでは、彼女は古代の呪いじみた氷の棺の中に、永遠に閉じ込められることになるはずだった。


 そんな息詰まる光景の中、ユーリの瞳は、あろうことか絶望の涙にぬれている……だが、それは悲しみと同時に残酷な敵対者への怒りにも彩られ、まさに赤々と燃えているかのようだ。だが、そんな姿をあざ笑うかのように、不気味な女怪じょかいが、冷気のブレスを吐きつけた。


 その氷風が届くか届かないかの、その瞬間。ユ―リが身構えると同時、ユーリが掲げた軍の支給武装である小剣から、カッと光が満ち溢れ……


 そこでサガの視界は、まるで鏡のように砕け散る。

 続いて、無数に散ったガラスの破片に映し出されるかのように、次々と現れる幻像の群れ。そこに映し出されていくのは、ひたすらに、ただひたすらに続く無数の戦闘光景。


 異空間の中で、少年はほふり、仕留め、幻魔の血とその身体を構成する魔塵まじんの欠片にまみれながら、無限にも思える時間を、生き延びていく。


 そこに、高揚感などは微塵みじんもない。ただ、大切な何かを失った悲しみを、怒りを、憎むべきかたきたる幻魔にぶつけるかのように。

 やがて、ひとり異界をただよいさ迷う、果てない孤独感だけが冬の霜のように降り掛かり、その精神を凍てつかせていく。

 そんな風に心の血を流しつつ、淡々と積み重ねられていく空虚な無数の勝利……


 その果てに……いつしかユーリの身体は、そのあらゆる戦闘能力は、恐るべき高みに到達していた。そう、人ならざる領域に、手が届くまでに。


 今、サガが覗き込む最後の幻視……そこには、地獄の魔王を思わせる、巨大な敵に対峙するユーリの姿がある。だがその顔には、もはやかつて涙を流していた少年の面影はない。ただ、唇に皮肉な笑みを浮かべ、小さくわらったのみ。

 その表情に、底知れぬ何かを感じ取り、サガの背中にぞくり、と悪寒が走った瞬間。

 そこで、幻視は完全に途切れた。


 ……現実の色を持った視界が、ようやくサガの元に戻ってきた。

 ユーリがその内側に抱える壮絶な記憶の前に立ち尽くし、一瞬呆然としていたサガは、改めて目前の少年を見つめ直す。


 その姿は、相変わらず、物言わぬ人形のようになったまま……だが今、彼の過去を垣間かいま見たことは、サガの心中に怯えにも似た感情と嵐のような不安のざわめきとともに、一つの決意をもたらしていた。


こいつ・・・厄介やっかいだ……いや、危険すぎる。精神を掌握して自在に操る、だと……? 馬鹿な、うっかりすればこちらが手綱たづなを引きちぎられ、喉笛のどぶえを噛み裂かれかねん。むしろ、今の内にさっさと……)


そう、首をねて、終わらせる。

 冷酷にして熟練の傭兵たるサガは、そうと決めれば、もはや微塵みじんも迷わない。

 彼は直ちに行動し、身動き一つしないユーリに向けて、魔杖をすらりと振りかざす。途端、その先側がおおいのように外れ、中から滑るように白刃はくじんが現れ出た。


 次の瞬間、仕込まれていたその刃が、空中に閃く。

 同時、鮮血とともにユーリの首が無造作むぞうさに落ち、頭を失った身体が床に膝を突くと、がくりと脚を折ってくずおれていく。


 断ち切られた血管から生温なまあたたかい血液が勢いよく噴き出すその音を、むしろ心地よく聴きながら、サガは口元を歪めて笑った。


-------------------------------------------------------------------

★★★【読者の皆様に、よろしければ……のお願い】★★★

皆様の応援のおかげで本作、PV22000、フォロワー250人を突破しました! 直近だと、異世界ファンタジー部門で【403位】を確認しております(もうとっくに変化しているかもですが)


また、余勢をかってカクヨムコンテストにも応募中です! なのでよろしければ、「スマホなら目次&広告下、PCなら画面右サイド側」に表示される★にて評価いただければ、更新と誤字修正その他、もっと気合入れて頑張れますので、なにとぞっ! 


年末年始の間、当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ、毎日更新予定です。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る