第55話 闇の中、輝く想いは ★★★
まずは、セリカの魔術が炸裂。
大きく振るわれた炎の鞭が、痩せぎすの男の顔面をもろに打ちすえた。
「ぐわ!」という悲鳴とともに、銀色のドルカ・ナイフを取り落とした男は、慌てて掌で顔をこするようにして、魔術の炎を消そうとする。
その隙にセリカは素早く懐に入り、男のみぞおち下に急所蹴りを食らわせた。
男は大きく
思わぬ逆襲に慌てた小太りの男は、何とか自分のドルカ・ナイフを抜いて反撃を試みたが……こちらは脇からティガの放った雷弾に腹を直撃され、大きくよろける。
続いて飛び込んだティガが、その足を綺麗に
受け身も取れぬまま、石の床に身体を叩きつけられる太った男。
続いて流れるような動きで、ティガはそのまま男の顎を一発、雷流をまとった拳で打ち抜いて、的確に気絶させた。
「ふぅ……増援もいないみたいだし、これで一段落、かな。それにしても近くに小瓶があって、助かったわ……」
セリカが息を整えつつ、小さく呟く。
彼女は縛られた状態のまま、口で咥えた瓶を壁に叩きつけて割ることに成功していた。
続いて壁にもたれかかえるようにしつつ、そのガラス片に縄をこすり付けることで、なんとか戒めを解こうとしていたのだ。
そんなところに、男たちがやってきたというわけだ。
あわや、と思われたが、彼らが余計なおしゃべりをしている間に、セリカの狙いはなんとか果たされた。
それから、すでにセリカが起こしておいた
「いや~、間一髪だったよね、マジで! それにしてもコイツら……何者なん?」
「さあ……でも、あの蛇と
ちらりと、呆然と壁際に座り込んでいるマルクディオに視線を送るセリカ。
目の前でこんな騒ぎが起きているというのに、その表情はまったく無関心で、虚ろなままだ。
「一種の洗脳状態とかなんかな? そういえば、あの男が持ってた黒い
ティガが恐る恐る、崩れ落ちた痩せぎすな男の身体からこぼれて地面に転がった、妙な黒紫の宝珠を見つめる。
その時。
不意に、赤さびた鉄扉が軋む音が、室内に響いた。
同時、開いたままの入り口から、どっと一陣の
「ッ!」
セリカとティガが振り向くと、いつの間にか……新たな黒いローブの影が、音もなく入り口の前に立っていた。
その顔に着けられている不気味な仮面が、
「なんだ、このザマは……わざわざ闇の宝珠を貸し与えたというのに、貴様らは、アジトの守りもろくにできんのか……!」
「サ、サガ様……!」
「こ、これは、そ、その……」
セリカとティガを一吹きで立ちすくませた邪悪な風に
「言い訳無用だ……クズどもが……」
その男の、奇妙に掠れた低い声を聞いた時……セリカはほとんど戦慄めいた悪寒が、ぞっと己の背筋を這いあがってくるのを感じた。
「しょうがない。始末はこっちで付けてやる……お前たちは、さっさとソコをどけ……」
仮面の特殊な仕様なのか、くぐもり、人間離れした印象を与える不気味な
「わ、分かりました……ありがてえ」
小太りの男は慌てたように痩せた男と互いに肩を支え合うと、ふらふらと立ち上がり……仮面の男が差し出した手を、震える掌で握る。
その時……ゆらり、と仮面の男の全身から、黒紫のマグスの気配が立ちのぼる。
続いて、仮面の男の伸ばした掌に集まったマグスが、あっという間に闇の色を
その直後……その光景を見たセリカたちは、絶句したまま動けなくなった。
目の前で、腕伝いに紫炎が走り、二人の男の身体が発火する。
その全身が紫にカッと燃え上がり、そのまま灰と化して崩れ落ちていく。
「ぐ、ぐああああっ……!!」
「ぎゃあああっ!」
続いて発せられた二つの絶叫は、地獄の亡者の
そして、わずか数十秒のち……はらり、と黒いローブの一部だったらしい切れはしが床に落ちたが、それもたちまち
ひっ、とティガが顔面蒼白になり、小さく
セリカもまた、目の前で見せられた、およそ非現実的で残酷な光景に、息を呑むしかない。
「フン……無能どもが。いくら儀式の
仮面の男はうんざりしたように呟くと、指を一本立て、新たにマグスを操作する。
それだけで背後の
それから男は、セリカたちに再び、仮面越しに冷たい視線を向けて。
「さて……次は、貴様らの番、か……」
およそ人間味を感じさせない、その奇妙な
落ち着いた声音だが、それはまるで、地獄の底から響いてくる魔鬼のものであるかのように、今のセリカたちには不気味に聞こえた。
「あ、あなたは……一体!?」
「う、ウチらはこう見えても、マギスメイアの……」
少し震え、やや今更とも思えるその言葉は、男の冷たい声にあっさり
「うるさい。俺が何者でもよかろう。どうせ、お前たちはここで」
消えるのだからな、という男の言葉が終わるか終わらないかのうちに、その仮面に覆われた顔に向けて、セリカが放った灼熱の火球が撃ち放たれた。
男の危険さを察知して、ほとんど本能的に行使した、炎の電理魔術による先制攻撃。だがそれに対し、仮面の男は無造作に手を伸ばし、
たった、それだけ……なのに、セリカの火球は瞬時に出現した黒い障壁の前で、いともたやすくかき消されてしまった。
(強固な魔術障壁! しかも、あれは……闇属性……!?)
魔炎や暗黒の力を操る闇属性は本来、防御向きではないはずだ。
だが男はそれを軽々と扱い、瞬間的に空中へと、黒い障壁を構築してみせたのである。
ティガの
(“使い手”、だわ……! まずい……)
セリカの背筋に、冷たい汗がしたたった。
有無を言わせぬ強者のみが持ちうる迫力。さっき部下二人をあっという間に処分した手並みといい、この仮面の男は、ただ者ではない。
「はあっ!」
その横あいから、先手必勝を期したセリカに
そのまま
だが仮面の男は、それを半歩下がって軽々と
ティガの一撃は、回避されることを見越したフェイク。
ブンッ……と空気を切り裂く
直後、ガシン、と砂袋を鉄棒で打ったような、鈍く重い音が周囲に響き渡った。
ハッとしたセリカが見ると、男の掌がティガの蹴りを受け止めている。
ティガはなんとか蹴りぬこうと足に力を込めている様子だが、男の掌もその身体も、まるで地面に根を張った大木でもあるかのように、ピクリとも動かなかった。
すかさず男の掌がぎりぎり、と
「うあっ……!」
次の瞬間、ティガの体勢が大きく崩れ、逆さまになった顔と垂れ下がった髪が空中で揺れた。
黒紫のマグスをまとった男の腕が、ティガの足の甲を掴むと、その身体を軽々と宙にぶら下げたのだ。
相手が少女とはいえ、腕一本でそれを為すとは、恐るべき
「
仮面の男は答えず、そのままぶん、と
ぐはっ、と喉から息が漏れたところを、まるで悪ガキが子猫でも弄ぶかのように、腕をもう一振りして、床に叩き落とす。
ティガはそのまま、ぴくりとも動かなくなった……失神したのだろうか。いや、もしかして……
石の床に流れ出る赤いものを見た途端、親友の安否についての最悪な想像がセリカの頭を駆け巡り、その顔から血の気が引いていった。
そう、この相手は……違う。
学園の不良生徒たちやさっきの荒くれとは、文字通り“戦闘者としての格”が。
セリカにはそれが、はっきりと感じ取れた。いや、感じ取れてしまった。
それゆえに、身体が言い知れぬ恐怖と戦慄に支配され、完全に
「……さて」
仮面の男が無感情な呟きを漏らすと、こちらに向き直る。
途端、再び男の身体からどっと闇色のマグス風が吹きつけ、セリカの足が震え始めた。
「あ、あ……」
男が一歩、足を踏み出した。そして、また一歩……確実に近寄ってくる死の足音。
ティガは頭から血を流し、横たわったまま微動だにせず、マルクディオは廃屋の片隅で、虚ろな表情で人形のようにうずくまっているばかり。
セリカの額に、汗の玉が沁みだす。背筋は震え、歯がガチガチと鳴った。
もはや思考はまとまらず、マグスを練る精神力すら、集めた端からすぐ、身体中の毛穴から
(わ、私……! こ、こんなところで……終わる……!? 本当に終わっちゃうの……? 嫌だ、嫌だよ……)
セリカは、ぎゅっと拳を握り締めた。
その時、なぜか……セリカの脳裏に、一人の少年の、涼やかな顔が浮かんだ。
それから同時……いつかあの少年が言っていたこんな
『この“残酷かつ冷徹な世界の本質”の前じゃな……誰だって、無限の闇の海を前にして広がる
あの時、あのレギオン・バトルの第一回戦の決着後。
そんな風に、
『けどな? だからこそ……どんな
そんな……表向きは冷徹に未熟な自分達を叱咤しつつも、どこかで優しく諭すような、静かな声。
あの声を聞きたい、もう一度……
彼の指導を受けたい、まだまだ、この先もずっと……
同時にまるで
優等生の顔も、公女としての仮面も全て脱ぎ捨てて、あの部屋で、親友と一緒に汗を流し、訓練に明け暮れて過ごした時間。
共に臨んだレギオン・バトルでの緊張、勝利の興奮。
あの祝勝会で初めて酒に酔い、溜め込んでいた全てを解き放ってしまって、思わず赤面したあの時間。
なぜか女子寮に唐突に現れた彼に驚き、シャワー室で同時に立ちすくんでしまった……少し間の抜けた絵面の、あの光景すら。
今は全て、どこか懐かしく、愛しい。
だから、もう一度……
強く、強く想う。理屈ではない、心の底で……
セリカは、セリカ・コルベットは、今こそ、己の内に芽生えていた感情を、はっきりと理解する。
いつの間にか生まれていた想いに、絆に、初めての気持ちに、一糸まとわぬ裸の魂とともに、四肢を
(そうだ! ……負けない! 絶対に負けるもんか!! 生きて、私は
無垢な
(生きて、
セリカは……ラベルナの公女たるセリカ・コルベットは……
かくして、歯を食いしばるように……全身にのしかかる
震える魂を最後の気力で支え、今にも感情の
「うああああああああっ!」
喉から絞り出されたそれは、叫びというよりも、
絶望に塗りつぶされた感情の中、浮かび上がってくるたった一筋の光……小さく笑った少年の横顔と、彼が投げかけてくれた、数々の言葉に。
祈るように、すがるように……
セリカが全ての想いを
ふと心臓の上に、どこか恐怖に凍えきった心を温めるような、わずかな熱を感じて……セリカは、ハッとする。
自分の胸に下がっている、片時も手放さない習慣の、あのペンダント。
生みの母の形見であり、紅玉と魔銀の鎖で
それらは、赤と白銀色が混じり合った不思議な色合いの光を伴って、薄ぼんやりと輝いていた……
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★★★【読者の皆様に、よろしければ……のお願い】★★★
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