第54話 急変暗転 ★★★
マルクディオと男は、細い路地の中へと消えていく。
急いでセリカたちがその姿を追い、路地の角へと滑り込んだその時。
「さあ、人目につかないココでなら、全てが話せるといったな? さっさと洗いざらい……ん!? な、何をするんだ……貴様! うぐっ!」
耳慣れた赤毛のドラ息子の声が響き、やや大きく視界が開けた小広場のようになったその場所に、マルクディオの棒立ちになった姿が見えた。
両手をだらりと下げ、正気を失ったかのように目が虚ろになっている。
そんな彼を見ながら、痩せぎすの男が、にやにや笑いつつ呟いた。
「くく、さすがはサガ様の秘術……効果絶大だな。クスリと“糸”の仕込みは手間だが、あとはこの
クイ、と顎をしゃくられると、マルクディオは抵抗もしない様子で、まるで操り人形にでもなったかのように、ゆっくりと歩き出す。
「けっ、『俺はあそこまで
多少は迷ってたようだが、結局はこの秘術に操られて最後の一線を越えた時点で、てめえの破滅は決まってたんだよ。お前にやれることは、あと一つだけだ……せいぜい、
痩せぎすの男が吐き捨てるように言うのに
そのままふらふらと幽鬼のような足取りで、彼の姿は、手近に停車していた辻馬車の中へと消えていった。
続いて馬車に乗り込んでいく痩せた男の手の中には、黒紫色の小さな宝珠が、不気味に照り輝いている。その不穏な波長に照らされた一瞬……男の痩せた手の甲には、赤い蛇と
「……っ!」
そんな一部始終を物陰から見ていたセリカとティガが、冷や汗を浮かべつつ、顔を見合わせる。
追うべきか、戻って助けを呼ぶべきか。
それから二人は、同時に思いついたように小声で
「ユ、ユーリ君に知らせよう!」
「う、うん……! ユリっちなら、きっとなんとかしてくれるはず……!」
皇都の守りを担当する鉄衛師団でも学園の魔導教官たちでもなく、彼女らの脳裏に“あの少年”の顔が思い浮かんだのは、なぜだったのか……。
だがその時。
そんな二人の背後から、不意に男の声が響いた。
「ちっ。街の様子見がてら、アジトに戻る仲間と合流しようと思ってきてみたらよ……。お嬢さん方、こんなところで覗き見たぁ、あまり品がよくないぜ……?」
「「ッ!!」」
セリカとティガがハッと振り返り、緊迫した表情とともにとっさに拳を構え、戦闘姿勢を取る。
「なんだ、やる気かい? だが今、ここで、暴れられちゃ面倒だからな……」
その声の主……小太りの覆面をした男は、ニヤリと笑いつつ、妙な仕草を見せる。同時にパリン、と小さな音がして、男が着ていた黒いローブの
それと同時、地面に叩きつけられて割れたガラス球の中から、何かが吹き上がってくる。それは、不気味な紫色とともにたなびく
「!?」
その霧を一口吸うやいなや、急に、セリカの足がもつれた。
暗転していく視界の端に、同じく声もなく、ティガが倒れ伏すのを歯がゆい思いで
セリカの意識は、そこでふっつりと途絶えた。
※ ※ ※
(……う、ううん……)
薄闇の中、ぼんやりと揺れる
その光は、壁に据え付けられた燭台のものらしい。
セリカは状況を思い出し、まずは、そっと全身の具合を確認する。
軽い頭痛は残っているようだが、意識ははっきりしている。どうやら、大事には至っていないらしい。
身体を動かしてみるが、特に痛みは感じない。しかし、腕と足が自由にならず、どうやら縄のようなもので拘束されているらしい、と分かる。
(……!)
次いでごくりと唾を飲み込みつつ……セリカはなんとか自由になる頭を動かし、恐る恐る視線で確かめてみるが、着衣には乱れはないようだ。
ほっとして息をついたのもつかの間……乾いたカビ臭い空気が一気に入ってきて、セリカは小さくせき込む。
その拍子に、ほんの少しだけ腕の拘束が緩んだので、彼女は改めて、身体をもじもじと動かす。
その途端に感じる硬い石の気配……どうやらここは石造りの建物の中で、自分は冷たい床に転がされているのだ、と分かる。
数度試してみて理解したが、身体を縛る縄は、マグスの集中を妨げる特殊魔鋼が継ぎ目に使われていて、この状態ではスムーズに魔術が発動できないようだ。
隣には、同じように拘束された、ティガの身体が倒れているのが見えた。
(ティガ……! よかった、どうやら二人とも無事みたいね……!)
横たわる親友の胸が、規則正しく上下しているのを見て、セリカは安堵の息を漏らした。
それから、改めて動く限りの身体で、周囲を観察してみる。
壁の燭台には淡い蝋燭の灯りがともっているが、建物自体が古びていて、ずいぶん年季が入っている感じだ。
この部屋はかなり広く、数メルテル四方というところだろうか。
壁も床も、全体が石できていて、壁には、妙な画が描かれている。
題材は、妙なかぶりものをした神官のような男と巫女……それが一般人っぽい男女に、どこか洗礼の儀式めいた祝福を与えているらしい図案だ。
近くには変わった形の古代の燭台のほか、パンや妙な食物の乗った皿や細首のワイン壺などが描かれている。
神官たちの奥には、石造りの女神像のようなものと、それを祭る小さな祠の姿があった。
(何かの秘密儀式……かしら? それに妙に肌寒い……あ! 湿ったカビ臭い空気といい、ここはきっと地下じゃないかしら。だとすると、異教の地下神殿の跡地とか……?)
手足を拘束されたままで芋虫のように
続いて、今は昼だろうか、夜だろうか。自分たちが意識を失ってどれくらい経ったのか、とそんなことを考えているうち……床に転がっていた、チカリと光る何かに目が留まる。
ワインか何かが入っていたのだろうか、それは細く小さな空き瓶のようだった。
セリカはそれを無言で見つめ、なんとか這いずりながらその傍に身体を寄せていった。
……それから、どれくらい経ったのか。
部屋に現れた人の気配に、上半身を起こして壁にもたれかかっていたセリカは、思わずハッと身を固くした。
狭い石枠の入り口から、錆びた鉄扉を開けて、身を折り曲げるようにして部屋に入ってきたのは……三人の人影だ。
一人は痩せぎすのあの男、もう一人はその仲間らしい少し太った男。続いて最後にふらりと現れたのは……
(マ、マルクディオ……!?)
赤毛のその姿は、見間違えるはずもない。しかしセリカが視線を向けても、彼はぼんやりと突っ立ったままだ。その目にはまるで生気がなく、ほとんど歩く死体のようである。
「なんだ、お目覚めかい。俺ら特製の
そんなセリカを見て、黒いローブの痩せぎすの男が皮肉に笑い、太った男が同じく、
「ああ、赤毛のコイツが気になるのか? 無駄だよ、今は意識が俺たちのコントロール下にあるからな。ほとんど操り人形みたいなもんさ……しばらくは正気には戻らんぜ」
さきほど見た小さな黒い宝珠を
「か、彼と私たちを解放しなさい……! 今ならまだ、間に合うわ! そのうち皇都を守る鉄衛師団がここに……」
言いかけたセリカの台詞を奪い取るように、小太りの男が続ける。
「駆けつけてこねーよ。奴らは今、皇宮と軍本部の守りで大わらわだ。しかもここは暗黒街の外れ、隠れ潜むにはうってつけの、俺たちの
男らは、セリカらが学園生だとは思っていないらしい。今日は平日であり、マギスメイアの生徒なら、学園に出ているはずだと考えたのだろう。確かに普通なら、白昼堂々暗黒街をふらついているなど、停学中の不良生徒であるマルクディオ以外では考えにくいが……。
「か、彼とはこの前、盛り場で知り合ったばかりなの……! 一杯おごってくれて、妙に羽振りが良かったから……」
セリカはしめたとばかり、そんな嘘を並べる。彼らに自分たちの素性を知られては、油断を誘えないと判断してのことだ。
……生真面目な自分の性格を知っているだけに、あまり嘘に自信はなかったセリカだが、幸い今は制服姿ではないこともあり、なんとか男はそれを信じたらしい。
「なるほど、あんたら、街の不良娘かい。だがこんな
「くくっ、この赤毛、マジで間が抜けたツラだよな……実際のとこ、こういう頭カラッポのガキが、一番手づるに使いやすいんだ。こいつが欲しがったんで、ブツのついでに
痩せぎすの男が
「!」
続いて彼は、顔色を変えたセリカを威圧するかのように、それを光にかざして見せながら、じっとセリカを見つめて。
「それにしてもこの女、改めて見ると凄え
「もちろん、あり得ないわよ……! けれどあなたたちも、その下品な口の利き方、もう少し改める気はないのかしら……?」
虚勢を張るかのように、気丈に眉をひそめて言い放ったセリカに、今度は太った男が、ニヤつきながら言う。
「おっ……この美人ちゃん、なかなか小生意気なコトを言ってくれるじゃねえか。うひひ、赤毛のガキを血祭りにあげた後、おめえらは別のやり方で、ヒィヒィ言わせてやってもいいんだぜ?」
そんな下卑た物言いをたしなめるように、痩せぎすの男が割って入る。
「おいおい、てめえはちょっとイイ女を見ると、すぐソレだ……サガ様に言われてんだろが。少なくともこの赤毛のクソガキは大事な“素材”だってよ」
「ああ、分かってるさ。だが……まさか電理魔術全盛のこの時代に『古代の暗黒魔法儀式』なんざを最後の仕上げに使うとは思ってなかったがな」
「仕方ねえんだとよ……そもそもこの計画の最終段階が、サガ様が文献を
「へっ、『魔術の才ある
「まあ、確かにな。だがまあ、こんなんでもマギスメイアの生徒なんだから、そういう役には立つんだろうが。それも一人じゃ寂しいだろうからな、生贄の足しの女二人と一緒に昇天たあ、
「あ、あなたたちはっ……!」
「ふふ、お嬢ちゃん……もうちょいだけ待ってなよ。ギンヌン・ガンプス
圧倒的な優勢に加え、たかが女一人と
だがそれは……学園の最優等生の一角たる
「そうね、ちょうど今、唇もほぐれて、詠唱ぐらいはできるようになったところよっ! さあ……準備はいいわね?
セリカの静かな台詞が、
「なっ⁉︎」
「うおっ……!」
男二人の驚いたような声があがった瞬間、セリカの手足を縛っていたロープがはらりと落ち、すっくと立ちあがった彼女の腕から、炎の鞭が伸びる。
「【炎熱薙ぎ(フレイム・タン)】!!」
続いてその横で、さっと飛び起きたティガが、切れたロープを払い落とすと、両腕の先に集めた雷のマグスを解き放つ。
「【雷剛弾(ボルティック・ボルト)】!!」
「て、てめえら、いつの間に! まさか、こいつら……赤毛と同じ、マギスメイアのっ!?」
「クソ! あの制服を着てやがらなかったから、てっきりそこらの……!」
「街娘でなくて残念ね! そう、マギスメイアの学園生よ! 今日は確かに平日だけど、あなたたちが引き起こした予想外のトラブルのせいで“特別休暇中”だったの!」
ほの暗い地下の
ほぼ同時に放たれた二つの魔術光が、焦った男たちの表情を、ゆらめく蝋燭の炎よりもずっと明るい赤と白の輝きで、
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★★★【読者の皆様に、よろしければ……のお願い】★★★
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