第45話 黒き邪影

(さては寮盗人あらしか? けど、確かに部屋ん中からは、あいつの声が……)


 その時、ユーリは部屋の片隅にある、もう一つの扉に気づいた。

 感覚を集中させると、その向こうからは、確かに何かが動く気配を感じる。


 加えてさらに、何か“奇妙なマグスを放つ者”が近くに潜んでいる、という警告めいた感覚が、確かに本能に危険を伝えてくるのだ。


 もしや侵入した賊が、部屋の住人と鉢合わせしたということだろうか。

 居直り強盗、人質事件、そんな物騒な単語が、ふと頭をよぎる。加えて、昨日の夜にヘカーテから直接通話で聞いた、奇妙な事件のことも……


 近衛衛士として皇宮を守る、れっきとした魔装騎士が10人……無残に殺されたというのだ。しかもあまりに不穏なので表には伏せられているが、その死に方が異様だったらしい。

 なんと全員が、自らの意志で隣の者の掌を貫き、その鉄釘を鎖で縛って数珠つなぎになっていたのだ、とへカーテは淡々と語った。

 さらに、それぞれの背中を不気味なナイフで刺し合ってから、皇宮の高い防壁上に並び、全員が一緒に飛び降りたのだという……


 なにしろただですら出入りのチェックが厳しい、夜の皇宮内で起きた事件だ。いるのかどうかも不明ながら下手人らしき者も当然見つからず、現場はまさに、悪夢のような光景だったらしい。

 皇都の平穏を保つため、厳重に口止めされていたことから、ユーリはセリカたちには伏せていたのだが……


(クソがっ!)


 もはや躊躇ちゅうちょせず、ユーリは勢いよく、そのどこかの小部屋に通じているらしいドアを押し開く。


「おい! 何をやって……ん……?」


 一瞬、ユーリの眉が怪訝けげんそうにしかめられた。


 目の前に広がる光景。


 雪造ゆきづくりの女神像のような白い肌が、その表面を滑り落ちる水滴をまとって、惜しげもなくさらけ出されている。


 そのなまめかしい乙女の肌の上には、片時も手離さない習慣なのか、あの紅い宝石のペンダントが、魔銀まぎん細鎖ほそぐさりとともに、わずかに揺れていた。


 シャワーノズルから溢れる湯が流れ落ちるままに放置され、濡れそぼったタイルの床に、小気味よい雨音を立てつつ、小さな海を作り上げていく。


 そこにはふっくらと豊かに盛り上がり、それでもまだまだ成長途中らしい胸の膨らみも露わに、一人の少女が、絶句したまま突っ立っていた。


 最初はきょとんとしていた少女――セリカの顔が、たちまち羞恥心しゅうちしんで、紅色べにいろに染め上げられていく。


 ふとそんな彼女の足元、健康的な桜色の爪のすぐそばを、何か小さな影が滑るように動いた。続いて、浴室から逃げ出そうとするように、ユーリの足元へと、サッと走り出てきたものがある。


 鋭い視線で捉えてみると、それは黒光りする一匹の羽虫だ。


(むっ……!【黒鋼走り羽蟲(ダークアイアン・コックローチ)】……だと!?)


 一瞬虚を突かれたユーリだったが、こんな時にも、鍛え抜かれた歴戦の頭脳は、冷静に――幾分いくぶんかは現実逃避気味に――状況を分析し始める。


(大きさは……ふむ、見た感じ、約11サンチか。同種の標準タイプと比べても、かなり大きな個体……統率者ロード級か!)

 

 ここまで0.01秒。


(羽の黒の深み、色ツヤといい、栄養状態はかなり良いと見た。しかもこのサイズ……元から個室ここにいたとは考えにくいぜ。確かこの寮は、同じ一階に食堂がある構造だったはず……!)


 ここまで0.02秒。


(さてはあのあたりから、大きく成長したものがまぎれ込んだのか……? 隠れ場所と水気みずけを同時に求めんなら、このシャワールーム以上の適所は、そうはねえからな……!)


 ここまで0.03秒……

 一瞬でそこまで状況を分析しきったユーリは、常人ではとてもかなわぬ反応速度で、直ちに右手でマグスを練り始める。


(敵はとにかく素早い! ヘタに追い込むと、必死になって短距離飛翔かべジャンプを試みる可能性もある……なら!)


 「【零式炎焦波(ゼルスオムス)】!」


 突き出したユーリの右手人差し指から、蒼黒い炎がバーナーのように広範囲に噴き出した。炎はたちまちその邪蟲じゃちゅうを覆うようにして焼き焦がし、またたく間の滅殺に成功する。


(ふん、逃げ足がクソ速いなら、空間ごとってこったな……!)


 ニヤリと人差し指を立てつつ、そんな風にえつに入るユーリ。

 だが、そのそばで再び、少女の大きな悲鳴が上がったことで、ようやくハッと我に返ったのだった……


 その直後、集まってきた女生徒たちが見たのは、顔を真っ赤にしてうつむくセリカと、所在なさげに憮然ぶぜんと立っているユーリの姿だった。


 それからユーリは誤解だという自身の言葉はもちろん、なんとか彼をフォローしようとするセリカの言葉すらろくに聞こうとしない、いきり立った女子軍団に囲まれることになり……


 ようやく戻ってきた寮母にもにらまれながら、たっぷり数時間、来賓室らいひんしつで事態の釈明に追われることになったのだった。


 ようやくユーリが解放された時には、周囲はすっかり薄暗くなってしまっていた。


(ふぅ、まったく……ティガが忘れ物なんざしやがったせいで、とんだ災難だったな。しかも出がけに探し物だかで部屋散らかしていきやがったせいで、思い切り非常事態と勘違いしちまったじゃねーか……)


 苦い表情を浮かべつつ、ユーリは考える。


(だが、確かに妙な気配がしたのも事実なんだよな。あんな羽虫がマグスを発するはずもねえし、セリカのとも違うみたいだったが……あれはおそらく闇属性の……? いや、やっぱ俺の勘違いか?)


 その直後、ユーリはふと、小さな物音を聞いた。反応して耳を澄ますと、やや離れたところで、確かに足音が聞こえる。


(なんだ、女子寮の魔女どもが、また追ってきたんじゃねえよな? もうお説教はたくさんだぞ……)


 すっと物陰ものかげに身を潜め、そちらをうかがうユーリ。

 その視線の先、現れたのは……


(暗くて顔が見えねえが……服装からすると、女子じゃなくて男子生徒か? あっちには模擬もぎ訓練場くらいしかねえはずだが?)


 その人影は、なんだか不安定な足取りで、ふらふらと歩いている。

 ユーリが不審に思って見守るうち、やがてその人影は、何かにハッとしたように我に返った様子で、周囲をきょろきょろと見回す。

 やがてそのまま、ユーリが観察していることにも気づかず、怪しい影は、暗がりの中を男子寮のほうへと走り去っていった。


(ふん……誰だか知らんが、あのふらつき具合。深酒ふかざけか妙なクスリでもやってからの、夜遊び帰りか? とんだ不良野郎だな……)


 ユーリは内心で独りごちる。いっそ後を追おうかと考えてから、ふと立ち止まり。


(ま、いいか。俺は別に指導教員じゃねーんだしよ。学生の気ままな夜遊びくらい、どうでもいいよな。それに今日は厄日やくびみてえだからな、余計なことに首突っ込むのはもう一切やめだ。とにかく、女子寮のメス悪魔どもじゃなくて良かったわ……!)


 ユーリはそのまま、ぶらぶらと夜の構内を散策がてら、自分の部屋へと帰ったのだった。


※ ※ ※


 周囲に濃い闇のとばりが下りた、マギスメイア内。

 今、表の道と構内をへだてる高塀たかべいを軽やかに乗り越え、街のほうへと滑るように走り出ていく影がある。


 その人影の姿は頭から足先まですっぽり黒いローブに覆われていて、学園の生徒などではないのは明白だった。


 影から影をぬうようにして夜の街を行きながら、人影――その男は、そっとほくそ笑む。


(ククッ、操り糸を付けた人形・・が、上手く動いてくれたな。あの赤毛のドラ息子め、停学中とはいえ、ご丁寧に学園のマグスレットライセンス付きでどこでも大手を振って入り込めるんだから、便利この上ねえぜ……!


 おかげで、“仕込み”は無事終わったが……とはいえ、あの蒼黒そうこく色に妙な銀髪のガキはなんだ? 


この学園の素人学生にしちゃ、どうにも鋭すぎる感覚だ……! あの羽虫を走り出させて気を引かせなきゃ、危うく窓の下に俺が潜んでるのが、バレるところだったぜ。ったく、冷や汗かかせやがって……)


 ここまで考えたところで、男は休みなく足を動かしながらも、しばし思案し。


(あのガキのことを、やはりサガ・・様に、お伝えするべきか? 俺たちの“計画”の邪魔になるかも知れねえしな……)


 そんなことを思っている間にも、彼は黒い影のように走り続け……やがて暗黒街の外れに辿たどり着いた。


 そしてその姿は月明かりの下、廃棄墓地の近くにある、うち捨てられた異教の古い礼拝堂跡地へと消えていく。

 

 半分崩れかけた建物の中へ入った男は、銀色の奇妙な形のナイフを取り出すと、こけむした壁石の隙間にそれを差し込み、何かの装置を操作した。


 たちまち壁の一部がぽっかりと開き、びた門扉もんぴが現れる。

 それをくぐる瞬間、男の手の甲が、崩れかけた窓から入ってきた月の光に、一瞬チラリと照らし出される。


 そこには、赤い蛇と髑髏どくろをかたどった不気味な魔紋まもん刺青いれずみが、確かにくっきりと浮かびあがっていた……


-----------------------------------------------------

求む、挿絵イラスト…!


★★★【読者の皆様に、よろしければ……のお願い】★★★

皆様の応援のおかげで無事、本作、11000PV突破しました! 

よろしければ目次下の★にて評価いただければ、更新と誤字修正その他、もっと気合入れて頑張れますので、なにとぞなにとぞっ! (クレクレしまくりですみません…!)


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る