第27話 黒き鋼の獣

 そんなセリカに、ユーリはニッと笑って。

  

「おっ、そうこなくちゃな! 一回、後部シートに荷物じゃなくて、誰か乗せてみたかったんだよ」


「え、それって私が初めてってこと? ふふ、そうなんだ……」


セリカはなぜか、少し嬉しい気分になりつつ。


「で、ユーリ君が運転してくれるのよね、一応?」


「当たり前だろ。任せとけって」


「う、うん……」


 セリカはそう言って、バイ・ライドのがっしりした黒光りする車体を、改めてこわごわと眺め渡した。


 比較的庶民的な感覚を持つとはいえ、一応セリカは、ラベルナ大公家の令嬢である。

 ラベルナは基本、公都以外はのどかな田舎で、人口が少なめの島国ということもあって、落ち着いた雰囲気の公国だ。

 電理魔導馬やクラシック魔導車ならともかく、こんな最新鋭の荒々しい軍用車など、セリカは今まで、見たことすらない。


(あ、そういえばいつか、お父様が“ブイブイいわせてた”ころ、乗ってたって自慢してたけど……すっごいスピードが出るのよね? 勢いあまって、振り落とされたりしないかしら……)


 そんな彼女に向け、少し呆れたような表情を浮かべつつ、ユーリが言う。


「なんだ、妙な心配してんのか? 大丈夫だっつの、ちゃんとつかまってればな……」


「え?」


「腰だよ、腰。俺の、ココに掴まんの」

 

 そう言うと、ポンポン、と自分の腰のあたりを叩いて見せる。


「えっ!? ユ、ユーリ君の……腰に……?」


「ああ、なんだったらジャケットの飾りベルトでもいいぜ。だから、あんま気にすんなって。路面鉄道がトラブッてんだから、しゃあねえだろ。


歩きで往復してたら、まさに日が暮れちまう、ってヤツだからな」


「う、うん……そうよね。帰ってからの訓練時間だって欲しいもんね……」


 セリカはそっと生唾なまつばを飲み込みながら、決意の表情とともに、こくりとうなずいた。


※ ※ ※


「う……うっひゃあああああっっ……ユ、ユーリく……ちょ、速すぎ……きゃあああ、ちょっとぉぉっっ!」


 驚き叫ぶセリカの視界の横で、街の風景や街路樹といった皇都の景色が、凄まじいスピードで通り過ぎていく。

 ごうごうと吹き付ける風に髪をあおられ、セリカは風圧に思わず目を閉じた。


 性能はいさぎよいまでに、速さと走破性に極振きょくぶり。衝撃吸収機構しょうげききゅうしゅうきこうなどは極力はぶかれ、乗り心地はさほど重視されていないのが、この皇国軍用バイ・ライドたる【セルベロス】だ。


 その後部シートは、地面の凹凸でこぼこを走り抜けたり、風が吹きつけるたびに、わりに激しく揺れる。


 無論、先を急ぐユーリの運転がかなり荒っぽいせいもあるが……。


 露天の店先を通り過ぎた脇では、風にあおられた野菜や果物が道路に飛び散り、裏路地を駆け抜けると、ゴミ箱をあさっていた黒猫が慌てて毛を逆立てて、驚いたように逃げ去っていく。


 それでも、事故一つ起こすでもなく……どういう電理制御機構が付いているのか、この重量でありながら、【セルベロス】はまるで、すばしっこい黒豹くろひょうのように皇都を駆ける。


 道路だけでなく車体がぎりぎり通るかどうかの狭い路地、人や建物の間をもスイスイとすり抜けていくのだが、後ろに乗っているセリカとしてはたまったものではない。


「だ、大丈夫なのっ!? さっき、干されてたどこかの家の洗濯物が、風にあおられて飛んでいったような……!」


「風の悪戯か、でなきゃそれも、洗濯物さんの悲しき運命だろ……おい、それよりもうちょい、力を入れて俺の腰にしがみついてろよ。吹き飛ばされちまうぞ」


「う……で、でも……」


 さっきまではユーリのライダージャケットの飾りベルトをちょこんとまんでいたセリカだったが、さすがにそれでは、限界を感じつつある。


(し、仕方ないよね……? だって、本当に凄い風圧なんだし……!)


 ぎゅっと目をつぶり、思い切ってユーリの腰に回した両手に、そっと力をこめるセリカ。


 異性の身体にここまで密着するのは、正直とても心理的な抵抗があったのだが……今はそんなことを言っていられる状況ではない、と少女の本能が理解していた。


 ただそんな感覚とは別に……いざユーリの腰に手をまわしてみると、意外な手応てごたえがある。


 外見的には細身なユーリだが、こうしてみると、予想外に広い背中と、その皮膚の下にしっかり鍛えられた筋肉の存在を確かに感じるのだ。


(ま、まるで締まったはがねみたい……男の子って、“こう”なんだ……?)


 そう感じてしまってから、セリカは慌てて上気してきた頬を冷やすように頭を振り、代わりに昨日、あの地下フロアで見た、トレーニング機器の数々を思い出す。


(でも、なんであそこまで身体を鍛える必要があるのかしら。ただの筋肉マニア、じゃないわよね……必要な部分以外、鍛えてる雰囲気じゃないし)


 それは、服の上からもはっきり分かる事実。ユーリの身体には、いわゆる“見せ筋”のたぐいが一切付いていない。


(身体がなまる、とか言ってたわよね。やっぱり、学園内の実戦授業とか実技試験に備えて、なのかな……?)


 セリカが内心で首を傾げていると。


「もうちょいで着くぞ」


 振り向いたユーリが、ごく平坦なトーンで、そんな声をかけてくる。

 ようやく【セルベロス】のスピードにも慣れてきたセリカは、そんな彼を、ちらりと見てうなずく。

 

「あ、うん……」


 答えたセリカとユーリの視線が、ふとぶつかり合った。

 こんな状況下だが、ユーリの深い紫の瞳は至極しごく落ち着いていて、別に強烈なスピードに興奮したり、快感に酔っている気配は欠片かけらもない。


(あ……この目。なんだか、ホッとする……でも、なんでだろ……?)


 いつかの事件――身もすくむ恐怖の中で、ユーリに救われた時の記憶。


 深い深い心の海の底、本能が憶えている。幼い自分の髪を撫でてくれた名も知らぬ戦士……トラウマのせいでぼんやりした部分はあっても、その雰囲気や瞳の色だけは鮮烈に……今もはっきりと心に焼き付いているのだ。


表層意識では、その少年の隠された姿を、影の英雄たる彼の数々の戦勲いさおしを、ほんの欠片かけらすら知らないというのに……


 我知らず、緊張スリルに張り詰めていた心がとろけていき、大きく奇妙な安らぎを覚えてしまっていた自分に気づき、ハッと意識を取り戻すセリカ。


 ただ……前を向いたユーリの表情はここからではうかがえないが、さっきの無造作な態度といい、彼の方は、特に何かを感じていることはなさそうだ。


(こういうシチュエーションじょうきょうにも、慣れてるってことかしら? ……でも、それはそれでなんか、ちょっとズルくない?)


 少々口を尖らせつつ、心にそんなことを思ううち、【ケルベロス】の後部シートが再び揺れて。


「ひゃっ……!」


 思わず彼の腰に強くしがみついたことで、また広い背中と筋肉の感触を感じてしまったセリカ……


 ますます頬が赤くなってくるのを自覚して、彼女は向かい風の中、せめて少しでも顔を冷やそうと、ぶんぶんと小さく頭を振ってみる……だが、残念ながら顔の火照ほてりは、すぐには冷めそうもない。


 そんな少女の心中を思いやることもなく、唸るような重低音を響かせる【セルベロス】は、さらに魔導変速装置マグス・スロットルを上げていく。

 

 そして……

 一人の落ち着いた蒼黒そうこく色の髪の少年と、清楚な白いワンピ―スをひるがえらせつつ、頬を桜色に上気させた少女を乗せて。


 まるで質量を持った漆黒の疾風はやてのように、黒きはがねの獣は、緑も鮮やかな春の皇都の街並みを、どこまでも駆け抜けていく。


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明日は少しボリューム多めの話になりそうです。


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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