第21話 闇の中、無限に連なる


 固唾かたずを呑んで、その光景を見守るセリカとティガの目の前で。

 ズ、ズズズズ……という重低音じゅうていおんが地下に反響するとともに、ひんやり冷たい床と壁が、振動で小さく震えた。


 今、重々しい音を立てつつ、地下通路とその先を仕切る鋼鉄のシャッターが開いていく。


 たっぷり数秒かけて、ようやく全てが開けきったその向こうの空間には、漆黒しっこくの闇が広がっていた。


「すまんすまん、一瞬ヤバいかと思ったけど、電理キー、単に机の上に置き忘れてただけだったわ……ま、入れって」


 セリカらに軽口を叩きながら、そんな広大な闇の中に、ユーリが一歩、足を踏み入れた瞬間。


 あるじの帰還を察知したらしい自動センサーが、天井近くに綺麗にそろって並んだ照明魔晶灯ましょうとうを、一斉いっせいに点灯させていく。

 よどんだ深海の闇に一気に海上から光が差し込んだように、パッとフロアが明るくなる。


 それから――セリカとティガは、眼前の光景に思わず息を呑んだ。


「うわっ……ここ、広っ!? ちょっとした運動部の大部室……リラックスルーム付きの練習場くらいの広さがあんじゃん!」


 口を、握り拳が入るほど大きく開けて、ティガが叫ぶ。 


「シャッターのところに来るまでの通路にも、いくつかドアが付いた小部屋があったのに……地下にまだ、こんな広い空間が!?」

 

 セリカも、そんな風に驚きを隠せない様子だ。


「俺も最初は驚いたがな。調べたとこ、ほとんど小さい校舎一つ分くらいあるスペースが、そのまま地下に存在してるって感じみてえだ。結構ビックリ、だろ?」


「へえ。実験施設の跡地あとち、か何かなのかな……それにしては、ほとんど引っ越しの後みたいだけど……」


 セリカがそう言って、きょろきょろとあたりを見回す。

 その言葉通り、広さのわりに、この地下空間はかなりガランとしている印象だ。

 あちこちに妙な機械や器具、ガラクタっぽいものの姿がある程度で、空間全てが有効活用されているとは言いがたい。


 古びた椅子やテーブルといった最低限の調度品ちょうどひんめいたものも置いてあるが、表面にはほこりをかぶっているようだ。

 ユーリ一人では、それを使うこともまれなのだろう。


「部屋っていうよりは、すごく大きな物置ものおきみたいな感じね……」


「実際、学園や博物館附属ふぞくの倉庫だった時期もあるらしいぜ。ま、今は俺が個人的にいろいろ気に入ったもんを、運び込んでるけどな」


 ユーリが事もなげに言う。

 実際、ここにはガラクタに見えて、そうでもないものが相当数そうとうすう、存在している。

 それらはいずれも、ユーリが自ら、ヘカーテ司令のコネで入手した軍関係の品物や、なけなしの財布をはたいて買い込んだ、貴重な魔導機器といったたぐいだ。


 それも、全ては“ある目的”のためなのだが……今のところ、ユーリはそれをセリカとティガに告げるつもりはなかった。

 

「ふ~ん……ユーリ君の私物、かあ。上の部屋には、あまりそういったモノ、見当たらなかったのにね」


「上は、あくまで学生生活がくせいぐらしに必要なもんだけで、まとめてあるからな。言ってみりゃ、リビングルームみてーなもんだ」

 

「なるほどね。あら? ねえ、あそこは……?」


 ふと、そんなフロアの一角にあるスペースに気づいて、セリカが尋ねた。

 彼女が視線を向けているのは、天井から鎖で吊るされたサンドバッグに、マグス・トレーニング用の訓練機器めいたものがいくつか。

 後からユーリが自ら作り足したらしいスチールの棚には、いくつか訓練用具のようなものまで乗っている。


「ああ、ガラクタ置き場の他に、ジムっぽく俺が勝手に使ってんだ。いつも鍛えとかねえと、こんな楽園がっこうじゃ、いい加減身体もなまっちまうからな」


 皇国十二魔将の頂点たる位階……神龍魔将しんりゅうましょうと呼ばれた軍人時代は、日々当然のようにトレーニングを欠かさなかったユーリである。

 それは彼にとって、毎日の食事をしたり顔を洗うのと同じく、習慣の一部であり意識するまでもない、といった態度で発せられた言葉だった。


 だが、セリカはともかく、根が単純なティガは、それをあくまで言葉通りに受け取ったようだ。

 おそらく一般の年頃の男子たちが、一種の見栄みえや暇つぶしに行なう、趣味の肉体トレーニングと同様にとらえたのだろう。


「すっご! ケッコウ鍛えてんだ!? じゃあさ、ユリっちって、実は脱いだら細マッチョ系? いや~ウチ、実はちょっとだけ、そーいうのにかれるとこがあるんよ〜」


 と、あくまで軽いノリである。


「筋肉つきにくい女子ウチらと違ってさ、男子はやっぱり鍛えがいがあんだよね~。あとあと、細マッチョな人にはさ、やっぱメタルフレームの眼鏡めがねがイイよぉ! ウチ、自分にないモノに弱いんよ~。ホラ、自分が勉強とか苦手だから、クールな知性ある雰囲気にキュン♪ ってくるのっ……!」


 うっとりと目を閉じ、ほんのり桜色に染まったほお両掌りょうてのひらで押さえ、照れたように上ずった声をあげて乙女ぶるティガ。


(ティガって、そ、そうだったんだ……)


 セリカとしては、わりに面食いで優男やさおとこ好みだと思っていた親友の意外な? 一面を発見した思いだ。

 しかもおどろきついでになんとなく、細いフレームのお洒落な眼鏡をかけたユーリのイメージを想像してしまい……


(あ……)


 ちょっとだけ分かるような気もした……が。

 ちらりとユーリの方を見て、賢明なセリカは、そんな妄想のことは絶対に黙っていようとガッチリ心に決めた。


 なにしろ、ユーリはそんなティガに、氷点下レベルの冷たい目線を向けていたからだ。


「はぁ? お前の性癖なんざ知らねーし、心底どうでもいいんだよ。だいたい鍛えてようがなんだろが、身体カラダは身体ってだけだろ……魔装と一緒で、生き残るための武器の一種に過ぎねえ」


「あ……その突き放したクールな言い方、ちょっとイイかもぉっ……!」


「うっせえわ、もう黙っとけお前。鍛錬は鍛錬、それ以上でもそれ以下でもねえっつーの」


 ティガの態度を、そう一刀両断したユーリ。

 実際、彼としては、あくまで日々の鍛錬は「自分が思う“合理性”に沿っているからそうする」というだけのもの。

 それは全て、ただ「生き残る」という目的だけのため……ごくシンプルな“作業“なのだ。


 実際、過酷な戦場で生き残るために一番有効なのは、そういった地道じみちなことなのである。

 むしろ、その種の努力を呼吸をするように行え、日々むことなく、無限に積み上げ、積み立てたものだけが、絶対強者のいただきに到達できるのだ。


 逆説的だが、そもそも魔領域や幻魔との戦いで生き残れなければ、ユーリのような超人的な境地には到達できない。

 そして同時に、その領域に達した者は、それこそ飛躍的に生存率を上昇させることができるのである。


 新兵ならば数日で命を落とすことすらある、過酷な幻魔との戦い……それを、ユーリはねじれた時間の中で三十八年……約1万数千日、27万時間以上、繰り返し続けてきた。


 木刀の素振すぶりですら、毎朝毎晩、数十年もの時間を費やせば、おのずと一つの「作法」「道」とでもいうべきものに通じるようになってくるという。

 ましてや、ユーリは電理魔術の母たる“始まりの魔女”ラケイアを別格としても、「皇国始まって以来の英才」と呼ばれた少年だ。


 その精神的修練のきわまりぶりは、皇国の各種神教しんきょうにおける、大教主クラスの“功徳くどく”にも近いもの。

 もはや、凡人ならば見上げただけで目もくらむ、天にも届く巨塔の様相ようそうしているのだ。


「え~、鍛錬は鍛錬って……そんなもの? ユリっち、アタシたちの特訓は、熱血系じゃなくて効率重視でやるって言ってたじゃん? だから、何か必勝法とかあんのかな~って……違った?」


 ティガは不思議そうに言うが、ユーリはそれに対して。


「そりゃ、即効性を持つメニューってのはいろいろあっけどな? やっぱそれは、局地的で限定的なもんなんだ。本当の意味で汎用性があって効いてくんのは、“基礎の繰り返し”なんだよ……言ってみりゃそれだけが、真に高みに到達するための、“唯一絶対のコツ”だ」


「……!」

 

 ティガとは異なり、セリカは何か感じ入ったように、ユーリの言葉を黙って聞いている。

 さすがに彼女は聡明だけに、ユーリの言葉の深いところまで、きちんと察しているのだろう。


(へえ、打てば響く、ってヤツか……やっぱスジいいな、お姫様こいつは)


 そんなセリカの態度を横目に、ニヤリと笑ったユーリは、あえて二人に言い聞かせるように。


「言うならば、そーだな、んだよ……自分が、誰に恥じることもなく堂々と胸張って言える“本当の本気”。そういう風に難しいコトに向き合って、真の意味で積み重ねたもんは、な……?」


 人類未曽有みぞうの1000万体以上の幻魔討伐数……それとてユーリに言わせれば、別に派手でお手軽めいた、特別な魔術や異能の連発といったものだけで、一朝一夕いっちょういっせきに成しげたものではない。


 細かくその行程こうていを分解していけば、無数の回避&攻撃行動の積み重ねがあり、敵対幻魔の分析、一つ一つ状況に応じた魔術の使用、それに加えて戦術の的確な選択といったシンプルな“作業”が無限に連なり合っている。


 延々えんえん淡々たんたん営々えいえいと……三十八年、幻魔ひしめく地獄のような異界で、重ねて重ねて積み重ねた……それだけが、唯一絶対の高みに到達する道。

 それをユーリは気負うでもなく、世界の不変の真理として、受け入れているからこそ、である。


 ただ、その淡々とした態度の裏にあるすごみと深みを悟り、改めてハッと息を呑んだのはセリカのみ。

 能天気のうてんきなティガは、あまり深く考えていない様子で、いかにも単純で彼女らしい感想を漏らした。


「なんかユリっち、ちょっと良いこと言ってる気もするけど……うん、分からん!」


「ちょっと、ティガ……!」

 

 あっけらかんと笑う親友を、ひじで小突くセリカ。


 ユーリはそうだろうな、と軽く笑って。


「いやまあ、しゃあねえか。確かに効率最優先でやるなら、知らなくてもいいこったしな」

 

 そう、当たり前だ。彼女らに今回与えられた猶予ゆうよ時間は、三十八年でなく“一週間”なのだから……。だから、彼は小さく肩をすくめて。


「そんじゃ、さっさと今回の本命……実地訓練ってヤツに入るか。お前ら、ちょいと気合入れてな?」


 そう言ってユーリは、二人をちらりと一瞥いちべつする。


「「は、はいっ」」


 背筋を伸ばして元気よく発せられた二つの返事が、綺麗に重なって、部屋に響いた。


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明日は、「新宿スワン」の続きを読みたいです!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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