第19話 そして、救いの手は交差する

 のどかな日差しが差し込んでくる、マギスメイアの午後。

 絢爛けんらん大食堂から少し離れた中庭で、仁王立ちのユーリは両腕を組み、セリカとティガに言った。


「それじゃ、早速今日の放課後から本格的な訓練に入るぞ。なんせ時間がねえから、促成栽培そくせいさいばいだが」


「栽培って……ウチらは、野菜か何かなのっ!?」

 

 思わずツッコんでしまったティガに、腕を組んだユーリは、ビシリと。


「いいや、違うな……!」


 ユーリはカッと両目を見開き、皇都で人気の電理アクションコミックなら、大ゴマに登場して圧倒的集中線を背負うかのごとき勢いで、ズバッと言い放つ。


「今のお前らは野菜どころか、養豚場ようとんじょうでブタにブーブーかじられてる野菜クズ以下だッ! 野菜の方がまだしも、大事なビタミンを提供して、もっと人類と世の中のお役に立つんだからなッ!


 そう、言うなれば今のお前らは、なまちろ蛆虫うじむし以下、皇都のゴミ溜めをいずりまわるクソ虫だッ! だから魔装騎士の頂点、超一流の俺様が、わざわざ手間暇てまひまかけて一人前にしてやるッ! ティガ・レイスハート三等兵ッ! 分かったら、返事はッ!?」


「ア、アイアイサー! ユリっち教官!」


(さんとう、へい……? 妙なノリね、何かの物真似ものまね?)


 小首をかしげたセリカの呟きは、ティガとユーリが生み出す奇妙な場の空気によって完全に封殺され、ユーリは何も聞かなかったかのように、言葉を続ける。


「よぉしッ! それが分かったら、その半人前の口からクソみてえな寝言を垂れる前と後に、サーと言えッ!」


「アイアイサー! ……って言ったじゃん、さっきもう」


「まあな、そろそろ真面目にやっか。いいかセリカ、これは一種の通過儀礼で、いわば軍隊式の定番おやくそくってやつなんだ……


何かを始めんのにまずはカタチから入るってのは、おのずと集中力が高まって、精神面でも効率いいからな!

 さて、まずは、お前らのちゃんとした学内順位を言ってみろ」


「ウチは……前の月例試験だと400番前後くらいかな……」


「なんだ、さっき、白銀令嬢サマの前で、ちょっと見栄みえ張ってたんじゃねーか……“中くらい”どころか完全に下位だろが、それ。せいぜい一つ星シングルスターだな」


「ち、違うっつの! ……調子が良ければ、平均くらいだもん! そもそもユリっちは、どーなんよ!」


「俺か? 俺は学年順位なんて飛び超えたスペシャルナンバー……いわば理外りがいの存在、規格外の番外だ。何もわかっちゃいねぇバカどもが勝手に作った物差し……無価値な月例試験なんかでうつわはかられるほど、落ちぶれちゃいねえよ」


「そんな厨二病みたいな言い訳はいいから、何位くらいなん?」


「……秘匿ひとくさせてもらう。俺の在位階梯ざいいかいてい情報は、現在、皇国軍第一級の禁則事項きんそくじこうでな」


「だから厨二病ソレやめろし! あれっしょ、多分成績ダメすぎで言えんヤツっしょ⁉︎ 


うう、さっきはな~んか、頼もしそうに見えたのに……あんときピキュ~ンってひらめいた、ウチのオトコを見るかん、狂っちゃってたのかなぁ……?」


 ティガはぶつぶつ言いながら、セリカに視線を振る。


「でもでも、セリィは、大体いつだって一ケタ……三ツ星トリプルスターだもんねっ?」


 ティガのすがるような眼差まなざしを受けて、セリカは苦笑しつつ。


「うん、まあ、ね……一応、入学試験の戦技部門はトップ、この前の月例試験の総合部門じゃ2位、かな。

 でも、総合面ならトップは常にクーデリアさんね。それに、さっきも言ったけど、属性と得意戦術の相性が悪いから……

 桁だけなら同じ一桁のトリプルスター級同士とはいえ、悔しいけど、この差は急には埋めがたいかも、ね……?」


「うう……」


 がっくりと肩を落としかけたティガの肩をどやしつけるように、ユーリは。


「おい、臆病風おくびょうかぜに吹かれた弱音よわねは、そんくらいにしとけよ? 言っただろが、俺がついてんだ。じゃあ次に、一応お前らの“得意属性”を確認しとくぞ。セリカは炎で、確かお前ティガは……」


「うん、かみなり属性だよ」


「お前ら、魔装武器マギスギアは持ってるよな?」


「それも大丈夫! 学園の購買部で買った量産品だけど……ウチのは、雷拳手甲サンダーグラップルだね」


「私も、一応は実家から持ってきてるわ。優雅炎剣フレインベルジュ……お父様が若い頃、使ってたっていう業物わざものだけど」


「よし分かった。お前ら、放課後は時間あんよな? ちょい付き合ってもらうぞ。けどいっぺん寮に帰って、ちゃんと魔装武器取って来てからな……そう、16時に、博物館棟の前に集合ってとこか」


「う、うん……でも、よく考えたら訓練しても、アイツらに勝てるとは限らないよね? もし、もしだけど……負けちゃったら……」


 今更いまさら、少し不安になってきたらしく、そっと眉根を寄せるティガに対し。


「よく考えなくてもそうだろが。セリカはともかく、こっちにゃ足を引っ張りかねん不安要素おまえがいっからな?」


「ちょ! 言い方っ!」


 口を尖らせるティガに、ユーリはニヤリと笑って。


「ただ……お前らの勝負は、所詮しょせん学生レベルだ。理詰めでガチガチに煮詰まったバトルチェスみたいな、プロ同士の試合せんとうとはちげえんだよ。だから、いつだってまぎれが起こる……ましてや相手は慢心しまくりときた。なら、本人の頑張りと心がけ次第でどうにかなる可能性が、ちっとはあるだろ?」


 さらに、このレギオン・バトルの対戦形式は、3VS3の勝ち抜き戦――トリア・グラディトルだ。


 率直、ティガとセリカがいくら不甲斐ふがいない結果に終わったとしても、ユーリが軽くまとめて3人抜きすれば、それで済む話。

 ……とはいえ、そんなことを二人に明かして、甘やかすつもりは全くないユーリではあるが。

 ここがシメどころとばかり、あえて冷たくユーリは言い放つ。


「早い話、勝つしかねーし、勝ちゃいいんだよ。だいたいなぁ、今から負けた時のことなんて考えててどうすんだっつー話よ? 


 まさに百害あって、ってヤツ……ビビってりゃ身体の動きが鈍るし、後ろ向きな気持ちだと、何やるにしたって手がちぢこまって不利になんだからな?


 だいたいお前ティガは、いつでもおバカで気楽、陽キャメンタル寄りなのが、イイとこだろが? だからよ、いつもみてえにヘラヘラ笑って、どうにかしちまえ」


「そ、それもそうかなぁ……? まあい~や、確かに不安なときほど、前を向けってね! じっちゃんがよく言ってたわ……ま、前向き過ぎて、勝てないバクチにもす~ぐ熱くなっちゃうんで、バアちゃん、しょっちゅう泣かせてたらしいけどさ。


 あははっ、ユリっち、ありがとね。気、楽になったわ!」


 ティガはニカッと笑うと、両掌りょうてでパンッと自分の頬を叩いて気合を入れる。

 それから、さっと教室に向けて駆け出した。


「よ~し、いっちょやってみますか! まずは午後の電理数学、ダルいけど……なんとかかんとか、頑張るぞい、っと!」


「特訓の前にまず授業からクリアしねえと、なんだな。あいつは……」


 大げさに手を振りながら、飛び跳ねるようにして前を駆けていくティガの背中を見ながら、ユーリは一つ苦笑し。

 それから自分もまた、教室に向けてゆっくりと歩き出す。

 そこにそっと並んだセリカが、心配そうに。


「そういやユーリ君……昼食、食べ損ねちゃったよね? 大丈夫?」


「あ? まあいいっていいって。メシなんざ食いたいときに食うさ……それこそ授業中に、本で隠してでもな」


「ああもう……ホント、うらやましいくらい自由よね、あなたは。でもまあ……はい、これ」


 セリカはそっと、ポケットから可愛らしい包装紙にくるんだ小さな包みを差し出す。


「ん……?」


「チョコチップ・クッキー……。ティガと今日、デザートと一緒に食べようと思ってたから」


「これ、お前の?」


「う、うん、一応お手製……この前、魔導SNSで“簡単に作れる!”系のレシピが出ててね? で、ティガとそれぞれ作ってきて試食しようって話で、盛り上がっちゃって……今日、私の番だったのよね」


 セリカが苦笑する。


「ほら、その……そうだね、教官コーチ代の一環ってことで!」


「なら、まあ……いただいとくか」


「うん、どうぞ!」


 ユーリはニコニコしているセリカの目の前で、ぱっと包みを解くと、クッキーを一枚をつまんで、さっと口に放り込み。


「へぇ……カタチは悪いけど、けっこうイケるじゃねえか」


「も、もう……そこは勘弁してよね? 試作品だし、その……私……ぶ、ぶきっちょだから……」


 セリカが頬を少し赤らめてうつむくのを、ユーリはちょっと微笑して眺め。


「気にすんなって。腹に入りゃあ、なんでも同じだぜ! よっしゃ、次の電理数学中に食うグルメメニューは、コイツで決まりだな」


「やっぱり! でもまた、見つかって怒られないでね? みんなが笑い出しちゃって、大変なんだから……」


「はは……確かにな。けど、そんな風に学生さんが呑気のんきに笑ってられるってのは……なんだかんだ、ココが平穏無事へいおんぶじだっていう証拠じゃねえか」


「……!」


 少しハッとした表情になるセリカ。ユーリは、どこか遠いところを見るような視線で。


「壁一枚隔てて、外は地獄。そう……楽園と地獄ってのは、いつだって簡単に成り変わり得る。戦火はいつも、片目を開けてまどろむ……ってね」


 セリカは、そんな風に呟く彼の横顔を、そっと見つめた。


(ユーリ、君……? なんだか少し遠い世界の人、みたい……)


 そう思ってしまってから、ふと、気づく。

 なぜか、少しだけ呼吸いきが苦しい。

 

 自分の胸の一番深いところ、森の奥にある澄んだ湖の水面みなもが、不意に吹いてきた風によってざわめき立つような。


 それは、聡明なセリカには、ユーリが背負ってきた地獄……その深い紫の瞳に落ちている暗い影が、そうとは知らずとも、直感的に感じ取れてしまうから。

 

(そういえば、この前、彼に“あの話“をしたとき……)

 

 ちくりとした胸の痛みとともに、セリカは思い出す。

 自分だけの胸に秘めていた物語、魔領域に散った影の英雄のことを語ったあの日、ユーリの顔に差したうれいの色を、彼女ははっきりと覚えていた。


 そんなユーリ自身の過去にちらつく、憂いの元凶。

 それはもしかするとやはり彼にとって大事な人……もしかすると女性の影であるのかもしれない……などと、なんとはなしに感じてしまったことを。

 

 それはきっと、間違ってはいない。

 彼が通り抜けてきた十万の異界と、百万の魔血まけつに染まった血路けつろ。 

 彼の奥底には、死体が焦げ付き焼ける匂いに満ちた炎獄えんごくのように、そんな世界きおくひろがっている。


 そしてその道には、塵芥ちりあくたのように命を落としていった無数の戦友の霊魂もまた、物言わぬ死者となって彷徨さまよっているのだ……


 激情、憎悪、悔恨かいこん諦念ていねん、そんな何もかもを、学園の一学生としての、飄々ひょうひょうとした仮面の下に押し込めて。


 ユーリはきっと、本人も知らぬうちに、今も魂の奥底を、地獄の猛火に焼かれ続けている……


 もちろん今、セリカには、そんな実情を理解できてはいない。

 それでも彼女には、ユーリという人間の根本存在イデアが、遠き深淵の底、痛みに|叫び続けている声が、ぼんやりと感じ取れているのだろう。

 途切れ途切れに異界の風に乗って、まれに外へとれ聴こえてくる、その精神こころの悲鳴が……


 はっきりと自覚しているわけではないし、ましてや彼の秘められた過去を、ユリシズ・ハイアードという葬られた名すら、知っているはずもない。


 だが、かつてこの少年えいゆうに救われたセリカは、無意識のうちにきっと、第六感めいた少女の本能で真実を悟り、今度は無限の迷宮であがく彼に、アリアドネの糸すくいのひかりのように、その手を伸ばしたいと思っている。


 けれどその深淵は、光が差すには、あまりに奥深く険しい。


 彼女がともせる炎で照らせる階層は、いまだごくわずか。

 そう、そこは、異界であると同時に聖域なのだ。


 少年の痛みを柔らかいてのひらで包んででさすり、いやしてあげたい……そんな母性本能的な慈愛じあいと同時に、何も知らぬ処女おとめである自分が、その禁断パンドラの箱を開け、うかつに手を伸ばすことなど許されないのでは……という傲慢へのおそれ。


 だから、嵐の海に浮かぶ小船のように、二つの感情にもてあそばれて、セリカ・コルベットは逡巡しゅんじゅんする。

 

 目の前の不思議な少年――触れるもの全てを切り裂きかねない氷刃ひょうじんの魂と業炎いたみを背負った者――を受け入れんとする女のためらい、未知の異性に対するおそれの前で。

 だが一方で、世界の真実など知らずとも、繊細せんさいな心の矢で、朝の光のように全ての隠されたものを射抜いぬく、少女期特有の直感に、き動かされて……


 胸が苦しい。ならば、楽になりたい。

 だから、知りたい。もう少しだけ。

 ……あと一歩だけ、踏み込んで。

 彼に、過去を問いかけられるだけの強さが欲しい。


「ねえ、ユーリ君。わ、私……」


 セリカが精一杯せいいっぱい思い切って、そんな言葉を発しかけた時、偶然にも。


「だから……“強く”してやるよ」


「……え?」


 気づくとユーリの深い紫の瞳が、鋭さの影にどこか穏やかな火をともし、セリカを見つめている。


「お前を、俺が……な。だってお前……強くなりたいって言ってただろが」


 あ、と思い当たると同時、ユーリの言葉の真意に気づき。

 そうだ、この少年は、知っている。

 いや……覚えていてくれたのだ、自分がほとんど誰にも打ち明けたことのない、あの理想を。

 魔晶ランプの揺れる明かりの下、なぜか彼の部屋で、彼にだけは話してしまった、あの夢物語を。


「まずは、そうだな……の前に、親友とレギオンのピンチから救ってみろよ、英女えいゆう志望さんよ」


 シニカルな言葉とニヤリとした人の悪い笑みの裏に、確かに優しさの色を隠した悪戯いたずらっぽい少年の眼差しが、そこにある。


「……っ!」


 そう気づくや、セリカの白い頬に一気に熱い血がのぼり、その整った顔を綺麗なあかで染めあげていく。


 思えば……

 何を、思いあがっていたのだろう。救える、などと。救いたい、などと。


 彼の何を救いたかったのか……それすら、分からないというのに。

 至らない。何も至らないこんな自分と、落ち着き払って、静かにそこに立っている彼。

 彼我ひがの力の差までははっきりとつかめないが、きっと彼は……そう、自分のはるか先にいる。


 だから……いまだこの手は、伸ばせない。

 けれど、いつか彼の隣に並び立てた、そのあかつきには……

 

 一瞬、無意識にも悟れるその道のりの遠さに、唇を噛んでうつむいて。

 けれど、彼が覚えていてくれて、わざわざ掛けてくれた言葉を思うと、我知らず喜びにほころんでいく口元を、隠しきれそうもなくて。

 ならばいっそ、と顔を上げ……セリカ・コルベットは、自分が思う“最高最良の笑顔”で、にっこりと笑って見せた。


「うん! 頼りにしてるわよ、さん!」



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本日は、「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」見ました!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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