第18話 闇の容貌(かお) ★★★

 ユーリたちが、学園で白銀令嬢クーデリアに出会った昼食時から、時刻は少しさかのぼる。


 皇都パラディーノを守る魔導障壁まどうしょうへきから数リーグル離れた、荒廃野こうはいや片隅かたすみ

 晴れた空の下には、青いキャンバスに子供が悪戯いたずらすみを引いたような、どす黒い煙が数本、たなびいていた。

 見下ろせば、眼下には小さな村の光景がある。


 ただ、そこに建つ人家はいずれも、まるで旧世紀の中世のもののような、木造のボロ小屋ばかりだ。


 水道はもちろん、電気や魔動力まどうりょくが導入されている様子もない。壁の内側にあまねく行き渡っている電理魔術文明の恩恵おんけい……この村には、それがまったく及んでいないのだ。


 その貧しい風景は、皇国民ならば、すぐに理由が理解できるはずのもの。

 ここは、“流民るみんの村”である。


 最低限の税金すら払えず、国家の保護対象から外れ、魔導障壁の守りの外に住むより仕方しかたのない人々。皇都のスラム街よりなお貧しい、世界最底辺の暮らしをいとなむ者たちが、肩を寄せ合って暮らす……見捨てられた人々の村だ。


 ここに耳の鋭い旅人でもいれば、今、そこから風に乗って途切とぎれ途切れに響いてくる、いくつもの悲鳴を聴き取ることができただろう。


 この村は……今、恐るべき幻魔の襲撃を受けている真っ最中なのだから。


 上空にたなびくその黒煙こそは、村全体を真っ赤に焼きがしている紅蓮ぐれんの炎が吐き出す、このみすぼらしき村の断末魔の吐息といきだった。


 ※ ※ ※


 燃え盛る豪炎ごうえんの中、ガラガラ、と小屋のはりが燃え落ちる音がする。 

 まぶしい火の粉が舞い散る屋内で、ボロ布のような粗末な服をまとった少女が二人、目前もくぜんの光景を、青ざめた顔で見つめていた。


 そんな娘たちの目の前で、今、彼女らの母親の身体が、時折痙攣けいれんする二本の足を真っすぐに垂らして、空中に浮かんでいる。

 その顔は、ほとんど死に近い苦しみに、青黒く染まっていた。

 いや……近い、どころではない。まさに母親は、死にこうとしているところなのだ。


 その首は、金属でできているかのような冷たい爪に、ガッチリと押さえつけられている。

 わずかな呼吸いきも通さぬほどに……強引かつ力任せに、無造作に持ち上げられているのだ。

 彼女はたった今、眼前がんぜんの無情な悪魔にくびり殺されようとしていた。


 窒息ちっそくの苦しみにもだえ、思い出したように脚を必死でばたつかせるが、首を捕らえた万力まんりきのような締め付けは、微塵みじんゆるむ気配はない。


 そして、そんな彼女を、片手一本で空中にぶら下げている者……それはまさに、伝承や神話に伝え聞く“悪魔”としか形容しようのない姿をしていた。


 身長は2、3メルテルはあろうか。いかにも固そうな灰色の岩肌いわはだに、ナイフのように細く鋭い爪。人に似た身体を持つが、背には大きな翼がある。


 顔は半ば怪鳥のようで、飾り羽のように突き出た鶏冠とさかに、尖ったくちばしを持っている。

 

 この邪悪な存在は、翼石魔ガーゴイルと呼称される中級幻魔だ。


 魔領域の中には、ひたすらな拡大を続けた結果、完全にこの世界に馴染んでしまったものがある。

 異界として存在を固定された末に、幻魔の中から“君臨者ゲートキーパー”が出現し、ぬしとして統治するようになると、それはもはや、簡単に閉じることは不可能だ。


 この岩の肌と鉄の爪を持つ悪魔は、深階層化しんかいそうかしたそんな魔領域から彷徨さまよい出てきた、“徘徊者クロウラー”と呼ばれる者たちなのだ。

 恐らく眷属けんぞくともども、哀れな人間いけにえの匂いにかれて、この村にやってきたのだろう。


「エ、エイラを放せっ! このおおおっ……!!」

 

 ふと近くで、男の怒号どごうとどろいた。

 見ると、棒切れを持ち、幻魔に挑みかかっていく無精髭ぶしょうひげを生やした男の姿がある。この女性の夫であろう。


 だが……この異形に対するに、近くの廃材はいざいでも拾ったのであろうその棒切れは、いかにももろく頼りない。


 まったく無感情な幻魔の目が男に向けられ、ガーゴイルはごくごく無造作むぞうさに、片手を一振ひとふり……

 たったその一撃のみで、骨が砕け肉が裂かれる嫌な音とともに、男の身体は、ゆうに数メルテルも吹き飛ばされた。

 激しく壁に身体を叩きつけられた後、濃い色の血を吐き散らし、「がっ……」とつぶやいたのみで、男はそのまま、こと切れてしまったようだ。


「と、父さんっっ!!」

「うわぁああああああっ!」


 目の前で父を惨殺された姉妹が泣き叫び、空中に吊り下げられた妻も何かを言おうとしたようだったが、締め付けられた喉からは、ただの一言すら発することを許されない。

 それでも数度、必死でもがいた様子だったが、そのまま彼女もすぐに目の光を失い、口角から泡を吹いて、ぐったりと項垂うなだれてしまった。


「カアアアアアッ……!」


 幻魔……ガーゴイルが、絶叫し続ける幼い姉妹をあざ笑うかのように、カラスにも似た奇声を上げる。

 そして片手に握っていた息絶えた女の身体を、壊れた玩具おもちゃをぽいと放り捨てるように、男の死体のかたわらに投げつけた。


 途端……炎で赤く染まった家の中に、ガラガラッと新たな物音がとどろき響く。ほぼ同時、焼け崩れようとしている木の壁を破って、無数の小さな影が踊り込んできた。


「きゃああっ!」

「ひぃああああああんっ!」


 姉が再び悲鳴を上げ、妹は恐ろしいほどの恐慌状態パニックに陥って、ただただ泣き叫ぶ。


 新たに現れた小さな影たちは、破壊と殺戮、混沌を何より好む小悪魔の名を取って、破壊小鬼グレムリンと呼ばれている。


 姉妹の姿を一瞥いちべつした後、殺したての新鮮な二つの死体を見つけて、彼らはひとしきり、キィキィと不気味な歓喜かんきの声を上げた。


 同時、細い牙を備えた口がカッと見開かれ、床を染めあげる血の匂いに興奮したのか、醜い小鼻がひくひくとうごめく。

 グレムリンらの黄金色の小さな瞳の中に欲望の火がともるのを見て、姉妹のうち、姉のほうがハッと察したように叫んだ。


「み、見ちゃダメッ!」


 彼女がいたいけな妹の目を両掌りょうてのひらで覆った直後、グレムリンたちが、転がっていた二つの死体――姉妹の父母――におどりかかる。


 食い散らかされていく肉と噛み砕かれる骨が立てる壮絶そうぜつ壊音かいおんに、姉が思わず顔を背け、嫌というほどに大量に飛び散った血飛沫ちしぶきが、妹の顔を必死で覆う姉の白い手に、べっとりと赤黒い染みを作っていく……

 が。


「ク、クオエエエエエッ!?」


 ふと、そんな光景を悦に入った様子で見守っていたはずのガーゴイルが、金切り声で絶叫した。

 その身体は、いつの間にか現れたマグスの紫炎しえんに包まれており、断末魔の苦しみにもだえつつ、翼で床を叩きながら、のたうち回っている。


「グぎゃあアアっ!?」

「ぎぎギィッ?」


 あるじの異変を察したグレムリンどもも、一斉に騒ぎ立て始める。


うるさい。その鳴き声は、俺の頭に響く……静かにしろ、血狂ちぐるい幻魔どもが……」


 ふと、聴き取りにくいかすれ声がした。

 同時……あろうことか、グレムリンたちは次々と、先程さきほどガーゴイルを焼いた不気味な炎に襲われ、身体は静かに燃える紫の蝋燭ろうそくとなって、影まで一斉いっせいに焼き尽くされていく。


「……【暗黒灰塵焼却(ダーク・インシネレイト)】。こいつらの葬送そうそうの火には、少々もったいなかったがな」


 無感情な言葉とともに部屋に現れたのは、フードを目深まぶかかぶった一人の男。だがその声はくぐもり、奇妙な響きをともなっている。


「あ、あああっ……!」

「ひいいんっ……!」


 喜びなのか安堵あんどなのか、顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした幼い姉妹は、突然降り立った救い主の下に、全力で駆け寄っていく。

 

「で……お嬢さんがた、ケガはなかったかね?」


 妙に優しげな声が姉妹に投げかけられたが、ビクリと肩を震わせた幼い妹は、そこでふと立ち止まり……本能的な警戒心を呼び覚まされたのか、ハッとした表情で姉にしがみつき、おびえた目で男を見やった。


「お、お姉ちゃん……っ」

「あの魔術……きっと魔装騎士様だわ! バカ、何を怖がってるの、失礼よっ! た、助かりました……! あ、あなたは、ロムスの征魔せいま師団の方ですかっ!?」


 命を救われたと感じた気丈きじょうな姉のほうが、妹の手を引きつつ、改めてフードの男に尋ねる。


「いや……俺はロムスの者ではない。まあ、同時に名乗れるほどの名も持ち合わせてはいないがな。だから、礼には及ばんさ……通りがかりというヤツだからな」


「通りがかり……? こ、こんな見捨てられた村に、あなたのようなお強い魔装騎士様が、何の用で?」


 姉のほうが驚いたようにそう言いかけた時、あろうことか、彼女が手を引いていた妹の足がもつれ、前へとつんのめった。


 咄嗟とっさに伸ばした幼い手が男のローブのすそかり、転びそうになった勢いのまま、思い切りそれを引っ張る。


 バサリ、と音がして……男が胸の前で、飾りボタンで留め合わせていたローブごとフードが外れ、その顔があらわになった。


「ひっ……!?」

「きゃあっ!」


 姉妹は思わず、そんな風に短い悲鳴を上げ、顔を引きつらせてしまう。何故なら、そこにあったのは……

 途端、がくがくと震えだす姉妹。

 かくんと二人の膝が崩れ落ち、その場にへたり込む。


 たちまち妹のスカートから、内股うちまたを濡らして温かい液体がしたたり落ちる。

 それはすぐに脚下あししたまで伝わり、じわりと床板に茶色い染みが広がっていった。


「クク、それほどにこの顔が恐ろしいか。こう暑くては、かなわんと思ったのだが……だがまあ、手間がはぶけたというところでもあるか……」


 男はさして気にする様子もなく、唇を歪めると皮肉げにつぶやき、懐から何かを取り出す。それは……不気味な形の一個の鉄仮面であった。

 それで改めて顔を覆った後、男はおもむろに、右手を宙にかざす。


 男の胸にのぞく銀の胸甲きょうこうにはめ込まれた、奇妙な黒紫くろむらさき宝珠ほうじゅ……そこから妖しい光が発された。


 続いて男の右手から、ゴォッと闇色の波動が走り抜けると同時、それに襲われた少女二人の目が……ぐるり、と大きく回転し、白目をいた。


「悪いが、少し道案内を頼むことになるぞ……異邦いほうの娘たちよ」


「「はい……」」


 まるで生気のない、うつろな声で……姉妹は同時に返事をすると、何かの力に操られているように、ふらふらと立ち上がった。


「フフ、ちょうど精神こころが真っ白く吹き飛んでいたからな、たやすいものよ……皇都を守る鉄衛師団てつえいしだんの目も、子供これなら誤魔化しやすかろう。


 さてお前たち、ここから先は俺一人でいい、この人数ではいかにも目立ちすぎる。あとは先に、あの忌々いまいましい皇都に入り込んでいる潜入員どもと合流して、うまくやるだけだけだからな……」


 男がそう言うと、いつの間に現れたのか、彼の後ろにひかえていた同様の黒いローブを着た人影たちが、一斉に項垂うなだれて、了解の意を示した。


「後は……もう一つ、中から仕掛けるに良い手づるが欲しいな。そうそう、確か先日、おあつらえ向きの“人形”が見つかったと聞いたが……」


 誰にという風でもなく、小さくつぶやく男。途端とたん、背後に控えた人影の一人が、そっと近づいてきて耳打ちする。


「はい、確かに報告が……すでに“あやつり糸”は仕込んでおります……そう、例のの……」


 「マギスメイア」……確かにそう、聞こえた。


「……ほう。それは愉快だ。なかなか面白い花火になりそうじゃないか……」


 そう発した後、しばらく黙っていたロ―ブの男は、やがて静かに肩を揺らして、ぶつぶつとつぶやき始めた。


「フフ……いいな、素晴らしい! この“顔”の返礼だ……ロムスよ、見ていろ……裁きの日は近い!

 その名が憎い、みやび古語こごの響きが憎い、青い空が憎い、人が、街が、緑の木立こだちが、皇宮こうきゅうの塔の影すらも!! 路傍ろぼうの小石から神々の壮麗そうれいまつまで、俺はあの皇国の全てを憎む……!


 あのクソッタレな虚飾きょしょくの上にそびえ立つ傲慢ごうまんな都を、憎悪ぞうおと闇の蹂躙じゅうりんおおってやろう! 澄まし顔の貴族どもの悲鳴と、皇国民どもの流した血で! 俺はあの美しき石畳いしだたみの大通りに、この世の地獄を作りあげる……!


 そして咎人とがびとを焼く冥府めいふの炎で、あの俺をたまらなく苛立いらだたせる蒼穹そうきゅうを、赤くあかあかあかい、怒りと憎しみの色で染め抜いてやる!! フフ……クックククッ! アッハハハハッ……!!」

 

 闇色やみいろのローブで覆われた肩が小刻みに揺れるにつれ、やがて男を突き動かすくらい衝動は、身体一つではこらえがたいほどに大きくなっていく。


 その笑いは、やがて後ろに控える人影たちにも伝播でんぱし、哀れな村を焼き尽くさんとする猛火もうかの前、巨大な哄笑こうしょうの輪となって、周囲のあぶられ乾いた大気をふるわせ続けた。


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本日は、布団を干して、ぽかぽかあったかいです!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


また、応援、感想、レビューなどいただけますと、更新の励みになります! お手数ですが、よろしくお願いいたします。




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