第15話 白銀令嬢

 銀髪の令嬢が持つトレイの上には、昼食の皿のほかに、オレンジジュースのグラスがひっくり返っていた。先程、セリカにぶつかった拍子に、倒れてしまったのだろう。


 トレイに溢れかえった果汁はその端から零れ落ち、彼女の腕を大きく濡らしてしまっている。

 特に制服の袖には、くすんだオレンジ色の染みがべったりと広がってしまっていた。


 目を吊り上げたご令嬢の後ろには、同じく上流階級に所属するらしい小奇麗こぎれい恰好かっこうの男子生徒が一人と、なんだか気怠けだるげな感じの、眠そうな目をした女子生徒が一人。そしてさらに、数人の取り巻きらしい女子生徒がひかえている。


「あ……クーデリア……さん?」


 思わず、ひくりと頬をこわばらせるセリカ。

 その向こうで、ティガが、あちゃー、と言わんばかりに額に手を当てて、天をあおいだ。


 見た目通り気位が高いこのご令嬢の名は、クーデリア・アーンスラッド。マギスメイアの一年生だが、皇都でも有名な有力貴族の一人娘である。電理魔術の才能にも優れ、特に氷属性魔術の使い手として、一年生の間では知られた存在だ。


 早くも有力学生クランレギオンの『シルバーアンジェラ』を率いており、魔装騎士としての将来を嘱望しょくぼうされている才女でもあるのだが、一風変わったというか少々個性により、ある意味で腫物はれもの扱いされていたりする。

 ちなみに出身地は、皇国の西方にある城塞魔導都市ポリスの一つ、歴史ある商業都市のタランテナだ。


「あーら、誰かと思えば、ド田舎いなか公女のセリカさんじゃありませんの? 貴女のお国じゃ、奇声をあげて他人にお尻をぶち当てるのが流行はやってるのかしら? あり得ねーわの【真・白美閃光破(ノイエ・トワール)】! よもやよもやのヨモツシコメ、ですわ!」


「よもつ……? あ、そ、その、どうもごめんなさい……!」


 思わず頬を引きつらせながら、謝罪を口にしたセリカだったが。


「はぁ? 何ですのっ、その半笑いはっ! 失礼無礼しつれいぶれいの【極大滅殺光線(ドグマ・レイ)】! あなた、真剣に謝る気がおありですの!?」


 何を勘違いしたか、クーデリアは、ますます激高げきこうしてしまった様子だ。


「ち、違うの、これはその……本当に申し訳ないことをしたと思って、……も、もちろんクリーニング代は、弁償させてもらうから!」


「ふん、結構よ! わたくし、ラベルナの貧乏公女さんに恵んでもらうほど、お金に困っておりませんから。まったく、マナーをわきまえない人は、これだから……エルトシャル、ハンカチを貸してくれないかしら?」


 クーデリアがそう言うと、たちまち後ろに控えていた男子生徒が、うやうやしく、彼女のそばに歩みよる。

 エルトシャルと呼ばれた彼は、こうしてみると少し従者風な服装でもあった。

 多分、アーンスラッド家に仕える執事一族か何かの子弟なのだろう。


 ひとまず、エルトシャルが差し出した白い絹のハンカチを受け取ると、クーデリアはあくまで優雅ゆうがな仕草で、服の裾と白い手の甲をぬぐった。

 一方、その後ろに控えるもう一名の従者(?)、なんだか眠そうな表情の女子は、さほど興味もなさそうにクーデリアとエルトシャルのやりとりを見つめている。彼女もまた、クーデリアのレギオンメイトなのだろう。


 他の無名モブ女生徒たちは、一様にきゃいきゃい言いながら、クーデリアに同調して、セリカを責め立てた。

 その声が、ますますクーデリアの高慢ぶりを後押ししたのか、やれやれ、という表情を浮かべた彼女は、じろりと所在しょざいなさげなセリカを一瞥いちべつし。

 

「ほらぁ、みっともない! カカシみたいにボ~ッと突っ立ってないで、さっさとそちらのテーブルも、どうにかなさったらっ?」


 その声に、固まっていたセリカは弾かれたように動き出し、慌てて自分のハンカチを広げ、テーブルをぬぐいだす。

 そんなセリカに、まるで吐き捨てるようにして、クーデリアが侮蔑的ぶべつてきな言葉を投げつけた。


「あらあらぁ〜、下女げじょみたいにテーブルを拭くの、意外にサマになってるじゃない? まったく、公女でありながら、ラベルナの方はガサツなこと……。これ以上、田舎者の悪評を皇都に広めないうちに、さっさとお国に帰ったらどう? 


 フッ、あなたのような泥くさい方は、一角牛いっかくぎゅうと一緒に、地魔術でせたジャガイモ畑でもたがやしているのがお似合いでしてよっ! まさにアレね、お~っほっほのお堀端ほりばた! 掘っても掘っても芽も出ねえ、ってヤツですわ!」


 出身地であるタランテナ流の言い回しなのか、皮肉をたっぷり込めたクーデリアの物言いに、取り巻きの女生徒たちが、一斉いっせいに笑い出した。エルトシャルも、追従ついじゅうめいた嫌味な笑いを浮かべている。

 セリカがそれに応じるかのように、あはは、とやむなく乾いた苦笑を浮かべて頬をいた時…… 


「ちょっとちょっと、いくらなんでも言いすぎじゃね? セリィだってわざとじゃないし、ちゃんと謝ってるのにさ!」


 もう我慢ならない、とばかりに席を立って大声を上げたのは、ティガである。


「あ! ちょっと、ティガ……!」


 なんとか場を収めようとしていたセリカが、慌てて止めるが。


「だって、友達がここまで言われて、ウチ、黙ってられんし!! そもそも金獅子きんじし組の奴ら、前からいけ好かないんよ。ちょっと自分たちが優秀だからって、他のクラスのこと、見下してさぁ!」


「ふん、先日の定例試験では、わたくしたちのクラスが学年でトップ……あの下品でおバカなマルクディオさんが、当分は学園にお顔を出されない以上、ここしばらく、金獅子組の地位は絶対に揺らぎませんことよ? 


 そもそも貴女あなた……ティガ・レイスハートさんでしたっけ、町酒場の娘ごときが出る幕じゃないわっ! 私は、セリカさんとお話しているのです!」


「な、何だって~! ウチら庶民なんかとは話せないっての!?」


 気色けしきばむティガと、ふんぞり返るクーデリア。

 まさに一触即発いっしょくそくはつといった雰囲気に、周囲の生徒らも何事かとざわつき始めた。


※ ※ ※


(なんだ? ずいぶんまわりがうるせぇな……)


 周囲の騒ぎを耳にし、ユーリは読んでいた本から、ふと顔を上げた。

 騒動の大元らしいとある場所に、何気なく視線をやって。


(ありゃ……セリカとティガか? それと、横のいかにもお嬢様っぽいのは……?)


 ユーリはひとまず、嫌でも聞こえてくる甲高かんだかいクーデリアの声に、ざっと聞き耳を立てる。

 ”俗世ぞくせ”のことにうといユーリは、あの気位が高そうな女生徒の名こそ知らなかったが、だいたいの事情は察することができた。


(なるほど、ね。でも、ま、俺の知ったことじゃ……)


 いつも通りそう考えて、視線を本に戻そうとし……ふと。


(……そもそも魔装騎士たるもの、仲間を想う心を忘れたら終わりじゃない?)


 いつかティガを助けに入っていった時の、セリカの怒り顔と言葉を思い出す。


(ちっ……どうも調子が狂っちまうな)


 元通りページを開こうとしていた手を止め、代わりにユーリは、わしゃわしゃと頭を掻いて、心中で呟いた。


(ま、どっちにせよ、このままじゃウザくてかなわねぇ、か……)


 ユーリは本を閉じ直し、食べかけの巨大ドーナツと飲みかけのエーテルペッパーの瓶を無理やり紙袋に押し込むと、気怠けだるそうにテーブルから立ち上がった。

 それから、ぎゃあぎゃあとわめき立てているクーデリアたちの元に、つかつかと近寄っていく。


「なあ、おい……」


 ユーリが声を掛けると、クーデリアが怪訝けげんな表情で振り返った。


「もう、そのへんでよくね? 何だか知らねえけど大声でわめき散らして、あんたら、ちょい見苦しいよ。それに、ここに大勢で立ち止まってられると迷惑だしな」


「ユ、ユーリ君……」

「ユリっち?」


 セリカとティガが、はっとしたように視線を向けてくるが、ユーリは構わず。


「そもそもソコ、皆が通る場所だろうがよ。悪いが俺も、ちょっとあっちに用があってさ」


 「はぁ?」とでも言いたげな表情のクーデリアは、ユーリの姿をじろりと睨むと、一気に興味を失ったように鼻を鳴らし。


「わたくしに偉そうにお説教するなんて、どんな有名人かと思ったら……知らない顔ね、一体どなただったかしら? すみませんけど、これはわたくしとセリカさんの問題ですのっ。外野のあなたは、ちょっと黙っていらっしゃいな!」


「……じゃあ、せめてもう少し静かにやれねえか? 場所を変えるくらいの配慮はあってもいいんじゃね?」


「ふん、余計なお世話です! そもそもあなたごときが、わたくしに指図できるなんて思わないことねっ!」


「やれやれ、どうも……“言葉”が通じねえみたいだな」


 ユーリは、左腕に食事の入った紙袋を抱えたまま、そっと右手だけを挙げると……ひょいと、空中で指を動かした。


「えっ……! きゃあ!」


 大声を上げたのは、クーデリアである。彼女の身体が突然、空中に浮かび上がったのだ。

 慌ててじたばたするがかなわず、クーデリアは、まるで見えない巨人の手に襟首えりくびままれた子猫のように、ぐいっと吊るしあげられる。それから強引に身体ごと位置を移動させられ、そのまま彼女は、手近な椅子の上にすとんと落とされた。


 それは魔術とすら言えない技。マグスを操作して力場を発生させ、対象を動かす……いわゆる【マグネシス】と呼ばれる高等魔技こうとうまぎで、マグス操作技術の応用編でもある。


 魔術のみだりな使用が禁じられ、マグスの乱れのないマギスメイア校内なら、その効果はより有効になるのだ。


 一般的な生徒でも、素質ある者が訓練すればコップや軽い物体程度は動かせるのだが、ユーリほどともなれば、ここで無防備な少女一人を動かすことなど造作ぞうさもない。


「貴様、クーデリア様に何を!」


 それを見たエルトシャルが、気色けしきばむ。

 学生の哀しさ、高等魔技の存在すらも知らないのか、ユーリが学園では表向き禁止されている、魔術めいたものを使ったと思ったのだろう。

 怒りをあらわにする彼だったが、当のユーリは、まるで知らん顔である。


「まさかな、学園内で魔術はご法度はっと、だろ? ただの風精霊の悪戯いたずらじゃね?」


「自然精霊だと? 人造精霊ならともかく、そんなものが現実にいると思うのか! ふざけるなよ!」


「いるさ……実力第一のこのマギスメイアで、役にも立たん貴族風きぞくかぜをピュウピュウ吹かせてるアホどもの頭を、冷風れいふうのひと吹きで覚まさせてやるって、お節介せっかいなのがな?」


「言わせておけば、減らず口を……!」


 激高げきこうしたエルトシャルがつかみかかってきたのを、ユーリはひらりとかわし、ついでに脚を引っ掛けて軽く背中を押してやる。


 勢いが空ぶったエルトシャルは、派手につんのめりそうになったが、いつの間にか横に移動していたあの眠たげな顔の女子生徒が、「おっとぉ~」と呟いて素早く支えたことで、辛うじて転倒をまぬがれた。


 大勢の前で恥をさらしたと感じたのか、エルトシャルはたちまち顔を真っ赤にして叫ぶ。


「キッサマァァッ! この無礼者が!」


「お前こそ、だろが……あん程度の軽口でいきなり掴みかかるか、フツー? ま、今日のとこは勘弁してやっけどよ」


 ユーリはそんな台詞とともに、ポケットに手を突っ込むと、ちらりとクーデリアを見てから。


「そんじゃ、邪魔したな。……セリカとティガ、お前らも適当に切り上げろよ。俺は、ゆっくりと別のところでメシの続きすっから」


 言い捨てて、歩き出そうとしたところに……


「お待ちなさい!」


 銀髪を逆立て、怒りで顔を真っ赤にしたクーデリアが、つかつかと彼に歩み寄ってくる。


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本日は、「アーロと少年」を見て、意外な名作ぶりにビックリです!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


また、応援、感想、レビューなどいただけますと、更新の励みになります! 

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