第13話 苦くも甘い味

 女子寮のある方向に向かって、小走りに急ぎながら……

 セリカ・コルベットは、そっと、人差し指で頬に触れてみた。

 頬が、いまだになんだか少し熱いような気がする。


(ま、まあ……変な飲み物を飲んじゃったし……。マグスのめぐりが良くなったのね、きっと、そのせいだわ)


 そんな風に、自分に言い聞かせてみる。

 ただ本当の理由は多分、明白だ。

 

 ラベルナで自分の身に起きた事件のこと、己が思い描く理想の未来絵図。

 これまでセリカは、あんな形では、同室のティガにすらそこまで深く“語った”ことはない。

 それを、こともあろうに異性に……あの少年に、ちょっと青臭い熱情まで込めて、存分にしゃべってしまったのだ。


(う……もしかして、ずいぶん恥ずかしいこと、しちゃったのかしら……)

 

 改めて、なんだか……くすぐったいような、身体中がゾワゾワするような、妙な感覚が背中をい上ってくるかのようだ。

 でも、なぜか……あの少年には、それを伝えたい、伝えるべきだ、と思ってしまったのだから仕方がない。

 あの、ときに妙に大人びたところのあるユーリ。彼はそれを、どんな風に受け取っただろうか。


(でも、そんなに悪い感じじゃなかったわ。……って、何でそこまで彼への印象気にしてるんだか、私!)


 自分自身にツッコミながらも、セリカはホッと、どこか安堵しているような微笑みを浮かべる。

 そう、ユーリは、確かに何度か苦笑こそしていたし、正直、ときどきは少し呆れていたようにも見えた。

 でも、彼は決して、セリカの語りを心底から馬鹿にしたり、浅慮せんりょを軽蔑した態度を取ることはなかったのだ。


 そんなユーリの様子は、セリカにもはっきりと分かった。

 その証拠に、彼は自分の言葉をきちんと受け止めてくれ、多少意地悪くではあるが……こう、聞き返してきたのだから。


『なら、ちょい聞くけどよ……魔領域と幻魔が消え去りゃ、本当に世界は平和になると思うか?』


 脳内にリフレインする、ユーリの声。

 もとより、実はセリカに答えを求めたわけではないのだろう、その問い。

 まるでどこか、自分自身に対して発しているかのような……


 そして何より、魔領域で散ったと伝え聞いた“あの人”のことを話した時、彼の顔にはっきりと差した、かすかなうれいの影は……


(ユーリ君も、きっと私と同じなんだ。誰か大事な人を、魔領域で……)


 改めてそう思った時、ふと。


(どんな人だったんだろう……尊敬してた人とか、ご親族とか。もしかして……女のひと、だったり?)


 つい、そこまで考えてしまって……なぜか、胸の奥底がちくりと痛んだような気がして。


(あれ、なんだろ……?)


 セリカは何か妙な居心地の悪さを感じて、思考を変えようと無理やりに別のことを、と意識してみる。 

 脳裏に真っ先に浮かんできたのは……やはりユーリのことだった。

 ただしそれは、ドキリとするような冷たい眼差しと、触れれば切れる白刃はくじんのような、鋭く張り詰めた雰囲気を身にまとっていた彼の姿である。


 マルクディオたちとの一件で見せた、あの鮮やか過ぎる立ち回り。

 そして、マルクディオから奪ったあの妙なナイフを手にした時、彼が言った脅し文句の、周囲の空気が凍りつくような迫力。

 どう見ても、ただの学生とは思えない。むしろ、危険な匂いさえした。


 普段の彼女なら、本能的に避けたいと思うタイプの……言ってみれば“荒事に慣れた、慣れざるを得なかった人間”の持つそれを、聡明な少女であるセリカは、確かにユーリから感じ取っていたのだ。


(……いったい、どういう人なのかしら。前の学校を放校処分になったって言ってたけど)


 後半こそは、彼女の完全な誤解だが――とにかく答えのない問いだけが、ぐるぐると頭の中で渦巻く。

 やがて、女子寮のあかりが見えてきたところで。

 セリカは、混乱する思考を振り払うかのように、頭を一つ大きく振って心中を整理し直した。

 とにかく。

 今のところ、ユーリという少年は、セリカにとって、どうにも分からない人物だ。けれど、一つだけ確信できていることもある。

 そして、それはさっき、彼本人に“ちゃんと伝えた”つもりだ。


(でも、なんだか……さっきの、あの表情は……)


 セリカはふと、先のやりとりのことを思い出す。

 

 彼のことを「優しい」と評した時、ユーリが見せたあの表情。

 彼にとっては、全くの予想外。これまで、誰にもそんなことを言われたことはなかった、とでも言わんばかりの。


 驚いたように目をぱちくりさせている姿は、意外にあれで、年相応としそうおうな雰囲気だったと思う。

 その光景を思い出して、セリカの唇が、思わず小さくほころんだ。


(やっぱりヘンな人、だよね……)


 我知らず、微笑みを浮かべていたことに気づいて、セリカははっとしたように、再びぶんぶんと頭を振ると、背筋をしゃんと伸ばし直した。



 ※ ※ ※


 翌日、朝からマギスメイアは、ちょっとした騒ぎになった。


 マルクディオたちが、自ら学長室におもむき、悪事を告白したというのだ。

 実は、とかく素行の悪い彼らの被害者はセリカやティガだけではなく、暴力行為や恐喝まがいの強請ゆすりなどを含めると、十数人に及んでいた。

 結果、マルクディオを筆頭に、その取り巻きらには重度の注意勧告とともに、それぞれ数週間から数か月の停学処分という処断が下されたのである。


 普段から彼らの態度は目に余るものがあったので、学内では、いい気味だ、という者がほとんどであった。

 いずれにせよ、これでしばらくは静かになるだろう、と皆が一斉に安堵あんどし、学内にはどっと緩んだ空気が漂ったのである。


 そんな休み時間、ティガが、セリカに話しかけてきた。


「あ~、セリィ、あいつらの一件のこと、聞いた? 本当に良かったよ~!」


「うん。どうやら、これで一安心じゃない?」


 マルクディオたちの悪事を告発するかどうか、ティガはかなり迷っていたらしかった。

 学園が信頼できないわけではないが、マルクディオは、いかにもそういったことで相手を逆恨みしそうな、精神がねじけたタイプだ。


 仕返しやら嫌がらせやらのリスクや、家業の先行きがからむとあれば、やはり心配だったのだろう。

 セリカとしても当然そうすべきだ、と助言はしたのだが、ティガの意志を尊重し、無理強いはしなかったのである。

 もちろん自分が危害を加えられたことは別だったが、昨日ユーリに言ったように、少なくとも数日は様子を見ることにした。

 そして、ユーリが意味ありげに言った言葉……その結果が、早くも今日、目に見える形で現れたことになる。


 ティガは大きく息をつくと、こくりと頷いた。


「そうだね、ウチも反省したよ……やっぱりあんな連中は、最初の対応が肝心だもんね。やっぱりウチが、弱気過ぎた! すぐにきっぱり対応できなくてさ……ダメだなあ」


「ううん、迷うのは当然だよ。私も、すぐに気づけなくてゴメン……。だいたい、家のことが絡むとなったら、いろいろ考えちゃうのは当たり前だと思うし」


「ありがとう! でも、本当に助かったよ、やっぱ、セリィはウチの親友だぁ~! 頼りになるッ!」


 そう言って、ティガは、ほがらかに笑った。その顔には、もううれいの色はない。 


「改めて……セリィ、どうもありがとね!」


「それも、もう気にしないで。私は、やるべきだと思ったことをやったまでだから」


「ははっ、そんな台詞せりふ、ほかの奴が言ったらキザだけど、セリィには似合うね。そうだ、今度お礼させてね? ウチの実家おみせに来てゴハンしてってよ、母ちゃんがそうしろって」


「え!? べ、別にいいよ……」


「ダメダメ! いくら友達だって、世話になりっぱなしは良くないもん! 絶対だよ!」


「う~ん……」


 密かな“英雄志望者”かつ、根が善良なセリカとしては、あれは文字通り当然のことで、特に大したことをしたとは思っていない。

 ただ、友の窮地を救った者と救われた者、というような形で、関係性に変な意味で上下が付くのは、セリカとしても嫌だった。

 あえて気楽そうな態度を取っているのだと思うが、それはきっと、ティガも同様のはず。

 そう察して、セリカはあえてウインクの一つもしつつ、招待に応じることにする。


「分かったわ、じゃあ今度、お店に行くね。一番のおすすめディナーでも、ご馳走ちそうになろうかな!」


「うん! ディナーってほど高級なお店でもないけど、じいちゃんの代から続く、“皇国伝統の味”が売りの店だからね……。セリカお嬢様の舌にもきっと、そこそこはご満足いただけると思いますわよ? 


 なんつってもセリィはウチの……いや、ウチらの恩人なんだし、なんでも頼んでくれてOKっすよ~!」


 ニカッと笑うと、セリカの耳元にそっと唇を近づけ。


(もちろん、お酒もね……!)


 そうささやいてくるあたり、すっかりいつものノリのティガである。


「いやいや、それはお断りします!」


「そう~? まったくお固いなあ、セリィは……」


 口を尖らせたティガだったが、すぐに少し真面目な顔になり。


「そういえば……“もう一人”のほうにも、お礼ができればいいんだけどね。ウチらを助けてくれたあの人……誰だったんだろ」


 そんなことを、小さく呟く。セリカはドキリとして、思わず教室の後方の席に、ちらりと視線を走らせる。


 ティガがちょうど話題にしている本人……ユーリは、開いた教科書をアイマスクのように顔にかぶせて、椅子にもたれてぐっすり眠っていた。

 休憩時間が終わるまで、きっと彼には、誰一人話しかけないのだろう。


 ふと、ティガが向き直り。


「そうだ、セリィは何か、心当たりないの!? あのタイミングで、学園にいてもおかしくない人っていえば、限られそうじゃん?」


「え!? い、いや……じゃあ、生徒指導の先生方とか……?」


「はぁ? だったらなんで、あんな風に顔を隠す必要があったんよ? もう、ウチは真面目に、お礼がしたいんだって。ちゃんと考えてよ~!」


「う、う~ん……そ、そうだ! もしかして、鉄衛てつえい師団の見回り担当の人かもね? 学園の警備も、担当業務の内だっていうし……」


「あ~、そのセンもあるか~。だったらあの人は、ガチの皇国軍人サマ!? 今度、鉄衛師団の詰め所をのぞいて、聞いてみよっかな? ウチみたいな若いが、手土産の一つや二つ持ってけば、きっと話くらいはさ!」


「あはは……ずいぶん熱心なのね。そりゃ、恩人だってのは分かるけど」


 少々呆れ声のセリカに、ティガは両手を頬に当てて、キャッとばかりに声を上ずらせ。


「だってだって! ちょ~カッコよかったじゃん! 声もなんだか落ち着いてて……まだ若い感じだったしぃ! 通りすがりだって言ってたけど、また会えるかなぁ……」


「あ……そ~いうこと……」


 うっかりしていたが、この親友は、ずいぶん惚れっぽいところがあったのだった。


 本人いわく、“対象ターゲットが定まっている間は超が付くほど一途いちず”なのだが、その対象が、その時々で、けっこう変わるようなのだ。

 この前まで、二年生ですらりとした長身の優等生、ジェイル・カミルに入れあげていたと思ったのだが……まあ、ある意味でこの年齢だと正常なのかもしれない、恋多き少女なのである。


(そういえば、ティガって、“こう”だったよね……)

 

 内心で苦笑してしまうセリカだったが、同時にどこか、やっぱりこの子にはかなわないなぁ、という気持ちも湧いてくる。

 そもそもセリカは、生真面目な性格かつ、一途に武術や魔術の鍛錬に打ち込んできたということもあってか、実は恋愛というものにかなりうとい。

 彼女が背中を追ってきた“あの人”についても、所詮しょせんは、まだ幼い日のこと。

 女性として、具体的な異性への思慕しぼの対象だったかと言われると……。


(やっぱり“英雄としての憧れ”ってのがぴったりくる、わよね? ヘカーテ司令とかティエルト女将とか、立派な人に対してのと同じかも……)


 それなりに、女子としての装いや食べ歩きめいたものには興味があるセリカだが、それとは別に、年頃の少女たちに付き物の「気になる人トーク」的恋バナシリーズが、彼女はどうも苦手である。強引に話を振られた挙句あげく、場を白けさせるとは分かっていても、返事をうやむやにして、適当にお茶を濁してしまうことも多い。


(私って、そういう感性に欠けてるのかな……あ! もしかして、不感症、的な……?)


 正直、男子生徒や街で見かけた青年たちに熱を上げ、燃えるような感情パッションだけをエネルギーにして、貴重な青春時代の只中ただなかを突き進んでいる同級生たちを見ていると、ふと、少し寂しいような気持ちになることもある。


 内心溜め息をつきながら、一夜にして火が付いた胸の想いを、隠そうともしない親友ティガ後目しりめに、セリカは再び、ちらりと教室の後方に視線を走らせた。


 そんな彼女の内心を知ってか知らずか、彼女だけが知る“影の英雄”は……相変わらずの様子である。

 教科書をしっかり顔に乗せたまま、机に両脚を掛けて身じろぎ一つしない“ガチ体勢”。

 どうやら休み時間中はたっぷり、そんな風に惰眠だみんむさぼり続けるつもりのようだった。


(そういえばユーリ君、昨日、あまり寝てないのかしら? 変なタイミングで押しかけて、居座り過ぎちゃったからなあ……私が行くまで、何か真面目に、読書してたみたいだし)


 そんなことを思うと同時……何故かあのエーテルペッパーの妙な後味あとあじのことを思い出して、セリカは少し顔をしかめる。


「ん~? セリィ、どうしたのさ~?」


 ティガが早速向けてきたいぶかしげな視線を、セリカは小さく咳払いを一つして、慌てて誤魔化ごまかした。


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明日は、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」読みます!


当分は毎日朝7:00か夜19:00ごろ更新の予定です。つたない作品ですが、システム上、目次の最新話下にある★にて評価いただけますと、より時間をさいての更新や内容充実を図れますので、大変助かります!


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